diary index | ←200002200003200004

20000331

ほ、っと気持ちのネクタイゆるめることできる相手がほしい。
ほしいほしい。のどから両手が出て頭かきむしりそうなくらいほしい。
「おいで」って手を出してくれるひと。(おいで、ってことばがすき。 ああ、そばに行っていいんだね、って安心できるから。人のそばに行くことに関して 実はかなり臆病なんです)
筋道なんて通ってない、たわいもない話を聞いてくれるひと。(ささいなことを楽しく 話せることこそ会話の醍醐味でしょう)
「モーニング娘。の携帯ストラップみた?あれって日替わりで1個ずつつけるのかな? それとも好きなコのだけつけて、あとはピンッ、って捨てちゃうのかな〜」(くだらないことを 楽しそうに語らせたらピカイチよ)
これくらいのたわいなさ。ほんとにちっぽけなこと。
・・・子どもか、私は。


20000330

きちんと怒ることのできる人間になりたい。
そう思っているのだけれど、実際には怒りを感じることがあまりないものだから困ってしまう。
誰かに理不尽な扱いを受けても、「人は違う生き物同士なのだからわかりあえなくて当然、 ぶつかって、いらいらするのはしかたのないコト」とか思ってしまっていて怒るまでに至らない。
しょうがないねーと思いながらじたばたはするけれど。
不快な思いをさせられたとしても、怒りはしない。
この人にとって、私はこういう扱いに値する人間だと思われているのか、そうか、 でもそれは私はいやだから、ちゃんと扱ってもらえるようになろう、努力しよう、と思う。
あまりにもキレイ事かもしれない。でも、本当にそう思ってる。
自分のこういうところが、行動が、他人から見たらこう扱いたくもさせるのだろう、 それがわかっているから、少しずつそういうところをなおしていこう、と思う。

前は、感情に火がすぐついていたし考えなしの行動が多かったのだけれど、 最近の私はなにかがあると、まず「ん?」と考えて一呼吸おき、 自分の中で噛み砕いて処理してからそのことに対して反応をかえすようになっているため、 とろいことこのうえないのだが、はたからみたらそれが落ち着いてるように見えるらしい(ラッキーなことだ)。


20000329

自分の、相手への気持ちの伝え方なんてどうやったらいいのかわからない。
わからないけど、わからないながらも、楽しい話をして、一緒に 笑えるように。自分の心からの笑顔を相手に見せられるように。
その人に会えて、うれしいと思っていると笑ってしまうから、自然に。
それが私にとっての気持ちのあらわし方。
かなあ・・・とふっと思った昨日だった。
その人を見て、気持ちが痛いだけだったらいないもんね、そばに。修行じゃないんですから。
うれしくて笑っちゃうからいる。そんなんでいい。

大事な人がもってる私への気持ちの、ちょっとした手がかりがもらえたら。
それはもう、消えかけてた電球がぱあっとつくように心は浮上。
おそろしいほど単純極まりない。
でも、そんな自分がなかなか微笑ましかったりする。
ばかみたいにひとつの思いにとらわれてる時の自分がけっこう好きだ。
私の大好きな太田朋さんのイラストカードに書かれてあったコトバ。

「ぼくはきみの存在という電池で動いてる」

電池(げんきのもと)のような存在の人がいて。
その人に対して自分がやさしく素直な気持ちでいっぱいな時、幸せだと思う。
そういう時、自分の気持ちの中になにも余計なモノがない。気持ちが澄んでいる。
すっきり、やさしい。


20000328

今、目の前に、全く別の方向を向いた二本の道がある。
私の気持ちは、そのちょうど真ん中に立ってる。
そして、どちらへ進むこともできず、立ち止まってぐずぐずしている。
自分の進む方向を決めることができない。
どちらの道を選んでも苦しいことがわかっているから、足を前に出すことができない。
よくないとわかっている。でも動けない。
今の私は、自分を守り安全な場所に置こうとして必死。
自分の周りの水を必死に両手で押さえて波立たせないようにしている。
自分がどうしたいのかさえわからない。わからないだけに苦しい。
私がここまで必死に守りたいものはいったい何なんだ。
うじうじしている自分がダイッキライで打ち壊したくて、何かを変えたい。
そんな気持ちが、今までだったら絶対に買わなかったであろう柄もののスカート(けっこう派手)を 買わせた。
自分の中で勝手に決めてたルール(スカートはかないとか、派手な服着ないとか) を破っていくのは勇気が要るけど快感。
私はたぶん、自分を変えたいんだ。
今まで無難に生きすぎてきた自分を、すぐに自分の殻に閉じこもろうとする自分を、 傷つくことを極端にこわがる自分を。


20000327

「都合のいい女」
「器用貧乏は損するね」
「貧乏暇なし」
「一人でも生きていけそう」
「捨てられた子犬のような目」
ここのところいろんな人にぱらぱらと言われた言葉をざっと羅列してみてチョット情けなくなった。

いやべつに、これらすべてがけなし言葉だとは思ってないのだけれど、対して親しくもない人にまでこんなこと言われる自分が、 なんだかそこらに転がってる空き缶みたいな気がして嫌気がさした。
カーン、と蹴っ飛ばされたり。
ぐしゃ、と踏み潰されたり。
気が向いたときだけ拾ってもらえたり。

私は、気持ちが疲れているな、さみしがっているな、と感じると、自分が 今まで書いたメールを読み返してみたりする。自分の気持ちすべてを 書いたものばかりをわざと選んで。
あの頃は、こんなにたくさんの気持ちを持っていて、それらを扱いかねて持て余していて、 自分のことどうコントロールしていいかわからなかったんだな、ってまるで他人事のように読む。
今はもう、あまりにいろんなことをあきらめすぎてしまって、動かす気持ちすらないかもよ。
だからこんなに静かに誰にでも優しくできるのかも。悲しい時ほど笑う人間になってしまった。
「人は〜悲しみが多い〜ほど〜人にはやさしくできるのだから〜♪」って3年B組金八先生の テーマ曲が頭を流れるこの頃なのでアリマス。


20000326

昨日は何が何でも本屋に寄りたかった(今日は1日部屋にいるつもりだったから こもり用の本が必要)ので、職場内を駆けずりまわって仕事を終わらせ、 駅ビルが閉まる30分前に滑り込んだのだった。ホームも走った。
たった5分で4冊買う。
「ほらね、しばらく本屋に寄れないとこういうことになるんだよ」
と誰に言ってるんだか自分でもよくわからない文句を心の中でぶつぶつ。
そのあと同じフロアのCD屋に向かう途中の店で、とっても心惹かれるセットアップを見つけた。
上はジャケット、下はパンツもスカートもあって、着まわしがききそう。カジュアルも、きちんともいけそう。
なによりも、パンツのラインが気に入ってしまって、しばらくそこから動けなくなる(私は パンツにもうるさいのです。お尻が大きい、ももが太いという難点があるためとっても真剣に選ぶから)。
試着してもし気に入ったら明日まで取り置きしておいてもらおうかとまで思う。
かんっぺき、逆上。
衝動買いの瞬間って、きっとこんな感じだと実感。
いかんいかん、とりあえずCD屋に行ってまたもどってきて考えよう、とCD屋へ。
ここでも欲しいものがありすぎて逆上しそうになったけど来週は椎名林檎のアルバムを 買わなくちゃいけない(予約した)んだから、とぐっと我慢して、1枚だけ買う。
そしてまた服を見に行った。あきらめきれず。
今度はちょっと頭冷えてて、
「いくらスーツにしては安めといっても2万近くは 飛ぶわけで、今の私にそんな余裕はないんだし」
「それにあの色(カーキ)は私にはあまり似合わないよきっと」
とか最後は無理矢理に自分を納得させてその場を去ったのだった。ああ、でもパンツだけでも欲しい(あきらめ 悪し)。
他の店でTシャツなどを見てみるも、気はそぞろ。
無印でリップクリーム買って大人しく帰った。
ああ、こわかった。買い物でこんなに自分がカーッと衝動に駆られるなんて、 こないだの友達の服の買いっぷりをスゴイといってる場合じゃない。
でも、ピーンときちゃったんだもの。服にはめったにこない私が(納得がいかないとなかなか買わない)。
逆に、ピーン、とこない服をなんとなく買っちゃった時って、絶対にあとで後悔したりする。
試着して似合わないこと確認して、あきらめた方がいいかな(万が一似合ったらどうしよう、なんてことはコワイので考えない)。 いつまでもしつこく未練残してるよりも(ってまるで恋愛のようだな。とっとと告白して、玉砕しろ、ってか)。

私、時々すっごい物欲の固まりになったりする。買うために働いてる、って気持ちになることがたまにある。
特に、本屋とCD屋におっぱなしちゃあ、いけない。
そして最近は、その対象が服にも広がりつつあって、楽しいけど、危険だ。


20000325

自分の記憶に自信がもてない、最近。
今信じていることすべてが、実はうそかもしれない、とか考え出すと止まらなくなる。
昔言われた言葉を支えにして元気出してるなんて、すっごくばかげたことなのかもしれない、と 思うことだってある。
言葉の有効期限、賞味期限があったら教えてほしい。
私が大事にあっためている言葉たちが、実は相手にとってはとっくの昔に 捨てたものだったら、悲しくていやだなと思うから。
「なに、そんなもんまだ後生大事に持ってたの?!」って言われたらショックだから。
でも、ヤケになって捨ててしまうこともできない。
だって、私にとっては大事なものだから。

自分が弱い時に、誰かによっかかれると思っちゃあ、いかん。
自分がいくらその人を欲していても、相手にとっての 自分もそうなのだと思うなんてずうずうしいにもほどがある話で。
でもどうしても、なにかあると会いたくなって。
やさしくされたくなって。あまえたくなる。
それってすっごい自分勝手。
ああん、ごめんなさいごめんなさい。


20000324

仕事へ行きたくない朝(え、毎朝だって? まあまあそうおっしゃらずに)のガンバリ方。
まず、なにはともあれ化粧をしましょう。だまされたと思ってするのです。
いつもよりちょっと気合いれて。
マスカラなんていっぱいつけるとよろしいでしょう。
そうすると、せっかくしたお化粧がもったいないからでかける気になります。
(え、それだけ?って非難ごうごう聞こえてくるようだ)
でもこれが私の方法。顔にいろいろ塗るの嫌いで、必要がなかったらしたくない私としては、 化粧というのは絶対に「おでかけ用」なの。仮面かぶるみたいなもんだな。
「ここで休んだら一回分の眉毛が無駄に・・・」とか思うから行く気になる(マジっす)。
あとは、髪の毛も整えてしまえばなおさら。水で濡らして、ヘアワックスをさささっと。
「今から休んで寝るとしたら、ワックスが枕についていやだ・・・」って思うから行く気になる(これもマジっす)。
男性の場合は・・・。
ひげそればいいのかな?
あ、でもカンケイないのか。
「ひげそってさっぱりしたところで寝るか」ってのありだもんね。
やっぱり髪の毛かな。ムースをつけたらそのまま寝たくなくなるでしょきっと。ね(苦し紛れ)。


20000323

笑うのにも、力が必要だ。
意識していなきゃ、ふんばらなきゃ、笑顔を作れない時だってある、誰にでも。
もちろん、私にも。
そういう時、私は気持ちの中に大事にしまってある隠し玉たちをひょいっと取り出して眺める ようにしている。
お昼に食べたいおいしいパンのこと。
これから読みたい本のこと。
部屋で音楽を聴きながら過ごす大事な時間のこと。
大好きな人と過ごした幸せなひとときのこと。もらったウレシイ言葉たち。
それらを気持ちから取り出して思い浮かべては笑う。思いだし笑いのように。
ムリに笑顔を作る必要なんて、ない。笑いたい気持ちになればいい。
職場という、公の場にいる以上、笑顔を作れない人にはなりたくないと思っているけれど、
でも、ウソの笑顔はしたくないから。


20000322

本当にだめなときは本当になにもできない。
でかけることはもちろん、本読むことすら。
音楽をかけっぱなしにして、眠るでもなくただただぼんやりと ひざを抱えてストーブの前で過ごした。
時々ぽてんと転がりながら。
あまりにも自分が閉じすぎていて口がきけなくて、このままでは仕事に行けないのではないかと 不安になりだした夕方、友達から電話。
今バイトから帰ってきたとこ〜、というたわいもない内容だったけれど、 その声を聞いてたらなんだか心が軽くなって、だいじょうぶ、って気がした。

最近、自分は人と正常な関係を結べない人間なのではないかと 情けない思いをすることがあまりに多くて、どんどん気持ちが閉じていっている。
私はとっても警戒心がなくて誰にでもすぐに心を開いているように見られることが多いのだけれど、 それは実は全く逆で。そうじゃないからこそ、なんとかうまく人とやっていくために それがばれないようにオープンマインドなフリしてにこにこ笑ってるだけだ。
身を守るためにそうやってるんでしょ、ってさすがハハには見抜かれていた。
私は誰にでも尻尾振ってついていく犬に見えているかもしれないけれど、 いざ連れていかれそうになったらがぶりと噛みつくよ。
誰にでもなつく犬じゃあ、ないのです。
本当についていきたい人には、そんなにじゃれたりはしゃいだりしない。
黙って、静かにそばにいる。
そして時々、愛情を補給して、なでて、と頭を差し出す。
もう、言葉なんていらないから、時々なでてもらえればいいから、 私は人じゃなくていい、って思う。人と接すること、ちょっとツカレタ。失敗ばかりしている 自分をいい加減爆破したくなってきた。
足元に丸まって、足を触りながら寝ているだけでいいよ、もう。


20000320

昨日は渋谷へ買い物に。
あちこちまわったのだけれど、どうもピン、とくるものがなくて ただただ呆然としている間に、一緒に行った友達が横でバンバン買いまくっていた。
その思いきりのよさっぷりにさらに圧倒され、私の買い物モードはなんだか しゅるしゅるとしぼんでいったのだった。
買い物って、きちんとそこへ自分の気持ちが集中していないと欲しいものが見つからないような 気がする。昨日の私は、服が欲しいな〜という気持ちはあったけれど、あまり具体的な 目的がなかったのでそれもいけなかったのかもしれない。
途中で合流した友達も靴とスカートを買ってあっという間に抜かれて(買い物レース)しまった。
「もういい、今日は何も買わん!!」と半ばやけくそになって行ったGAPで、結局ピンクのニットを買った。
本当はTシャツを買いたくて行ったのだけれど、袖の感じがなんとなく気に入らなかったから 買わなかった(私は結構Tシャツにはうるさいのです)。
ニットは、ピンクかブルーかとても悩んで、両方試着してみたところ ピンクはジーンズにとっても似合うし、ブルーは紺やベージュのパンツに似合いそう。 一瞬両方買いそうになったけれど、店員さんの「ピンクの方が似合ってますよ、顔色が 明るく見えるし」の鶴の一声でピンクだけにした(私は、顔色がよく見える、という言葉に弱い。よく 青白く、体調悪そうに見られるから)。

GAPに行って店員さんたちを見るたびに、接客のプロというのはやはりいるのだな、と思う。
どの人もみんな感じがよくて、生き生きと働いている。
売るために過剰に誉めたりしないし、合うサイズも丁寧に、例えばTシャツについてでも見てくれる。
気軽に、「今、こっちとこっちで迷ってるんですよ〜」って相談できる雰囲気を誰もが持ってる。
どうして他の店よりも居心地よく感じるのだろう、と考えてみたのだけれど、たぶんあそこの店員さんたちの 感じのよさは、あまり営業用につくったものじゃないからかな、と思う。
いや、もちろん100%自然なわけはなくつくっているのだろうけど、そう感じさせない。
店員さんたちの「私たちはこのブランドが大好きなので、みなさんにも着てもらえたら うれしいんです」って気持ちを感じる方が大きくて。
だから、全員がすごく楽しそうに働いているように見える。そういう雰囲気も、あそこまで人気がある理由なんじゃないのかな。
ちなみに、私はGAP愛用者ってわけでは全然ナイ(さんざんもちあげといてこのセリフ)。
割とちょくちょくのぞいてはいるけど、買い物したのは実は昨日がはじめて。
でも、機会があるとなんとなく寄りたくなる店ではある(と、再びもちあげてみた)。

軽く飲んだあと、薬屋でマスカラを買って帰った(マックスファクターの、20%OFF。ラッキー)。
買い物をしている時、万引き防止のための警備員なんかがそばに立っていたり、すっとこっちに近寄って来られると、 とたんに心臓がバクバクしだす。
例えば昨日のマスカラみたいに、小さくてすっとポケットに入れたりできそうなものを それ単品で握り締めてるときなんてもう最悪。
「あ、これって疑われてもしかたない状況?」と一度意識してしまうと逆に行動が ぎこちなくあやしくなってしまうのだ(あほだ)。
その緊張のあまりいきなりカーッとなって、それをポケットにつっこんだりしてしまいそうになる、逆に(危険です)。


20000318

私は、自分の感情が大きく動かされた経験をあとで何度でも 反芻して追体験することが習慣になっている。
つらいこととか悲しいこと、もちろんうれしかったこと楽しかったこと、すべて。
うれしかったことは、反芻することでもっともっとうれしさが 倍増するし、逆につらかったことは、反芻するうちにその痛みが少しずつ平気になってくる。
もちろん最初は胸が痛くてしかたないのだけど、何度も繰返しているうちに平気になって、 痛く感じている自分のことさえ冷静に見ることができるようになっている自分に気がつく。
「あれ、私平気になってる?」ってね。
もちろん一気にはやらない。ホンキでそれをやりだしたらきっと、 外に出られないし人にも会えなくなってまともに生活できなくなるだろうから。
ちょっとした瞬間、例えば家から駅までの道を歩いている時、信号を待っている時、銀行や郵便局に行く途中 (わりと、歩いている時が多いかも)などに少しずつ。
あ、痛い痛い、だめだ!って思ったら慌てて、感じる気持ちをぴゅ、っと閉じて。その日はそこまでにしておく。
そういうことを何度も繰返して、ひとつずつ自分の気持ちの中で処理していく。痛みを心にいっぱい 積み重ねていればいるほど、気持ちが自由になれないような気がするから、 ひとつひとつときちんと向き合って処理していこうと思っている。

そして私は想像もすごくする。未来のことを。
これから起こるかもしれない悲しい出来事を。
絶対に訪れるであろう別れを。
出くわしたら、身体が引き裂かれるくらいつらいだろう場面を。
心が痛くなり、泣きたくなる。
そしてその痛みも反芻する。その想像がいざ本当になったら もちろん平気ではいられないだろうけど、前もって想像しておいたら少しは自分を守れるような気がするから。

なんだか私のしていることは、まるで自分で自分を傷つけて、その傷を自分で舐めてなおしているみたいだ。


20000317

「恋愛中毒」(ドラマ)、ここまで原作と違うと最後まで違いを見届けたくて、結局最終回を観てしまった。
主人公が、彼の娘をトイレに閉じ込める。ここは原作と一緒。
原作では、彼を独占している娘が邪魔だという悪意そのものが動機なのだけれど、 ドラマでは、彼氏と他の女性が一緒にホテルにいるところを目撃した娘がそこへ乗り込んでいこうと するのを止めるため、というのが理由。
しかしそのせいで、執行猶予が終わろうとするまさにその日に、主人公はまた手錠をかけられてしまう。
そこへ恋人がやってくるのだけれど、娘を抱きしめかばいつつも、
「こんなことしたのはなにか理由があったからだろう?」と彼女に問いかけたのだ。
鳥肌が立つほど感動した(もちろんこんな場面は原作にはない)。
ああ、この人は、本当に彼女のことを信じているのだな、とわかったから。
普通だったらどう頑張ったって、主人公は「自分の娘を監禁した悪人」にしか見えないだろうし、 彼女を罵りそのまま去っていってしまっても仕方ないと思う(しかも、彼女は元夫の愛人に ひどい嫌がらせをして捕まったという前科があるのだ)。
でも、彼は違った。ちゃんと、主人公の言葉を聞こうとした。
すごいよ、この人は。
そういうの、愛情だと思う。
恋人がなにをしても無条件で信じること、これってとても深い愛だと思う。
あんな風に信じてくれる人なら、私だって愛してしまうかもしれない。どれだけ女癖が悪くても (原作では、彼のそばには妻1人、愛人4人)。

人を信じること、というのも、ある種の才能、能力のようなものなのではないかと最近思う。
それを身につけている人の方が、幸せな気がする。
そしてそういう人が、他の人を惹きつけてしまうっていうのも、納得できるような気がする。


20000316

最近私はとても気持ちが安定しているように見えるし自分でもそう錯覚するのだけれど実はそうではなくて、 単に自分の周りにバリアのようなものをはって自分の穴に閉じこもってぬくぬくしているだけなのだと 気がついた。
本や音楽、好きなものだけに囲まれた、快適な穴の中。
気持ちが外に出ていっていないのだ。
自分の中にめりめりと入っていくような感覚。
自分で自分を掘ってさらにその穴に身体を丸めて隠れるような。
そして時々むしょうにさみしくなると手触りが恋しくなって、職場に置いてある(家にはないので)小さな人形を さわさわとしている。まるで子どものようだ。
私がぬいぐるみを可愛がる時は、本当は自分が甘えたいってこと。

最近、私の顔を見るたびにおかしそうに笑う人がいる、職場で。
どうやらその人の目には、私の顔は舌をハッハッと出して尻尾をひきちぎれんばかりに 振って、遊んでくれと訴えている犬に見えてるようだ。
その証拠にその人、アタマくしゃくしゃとなでてくれるよ。私のそばを通るたびに。
こんなにも人間扱いされないのならいっそのことこれからの人生、犬として生きていきたい。

でも、今私がなりたいものは他にあって。
冷蔵庫になりたい。いっつも食料を絶やさない冷蔵庫に。
または、いくら飲んでも飲んでも減らない牛乳パックでもいいや。
いつ開けても中身があると安心していてもらえる冷蔵庫や牛乳パックになりたいと思う(どっちにしろどんどん人間から 離れていく私)。


20000315

職場の人のパソコン画面がなんだかヘンテコなことになってた。
スクリーンセーバーが起動はするものの最初の画面のまま固まって動かない。セーバーの意味なしてない。
あと、タスクバーが矢印もっていってもでてこなかったり、マウスの軌跡が変だったり、 画面全般がおかしくなってた。
ホームページからダウンロードしてきたスクリーンセーバーのせいだとその人は思っていて、 それを削除したいんだけどどれを消せばいいのかわからない、と私が呼ばれたのだった。
でも、よく見てみるとそうじゃなくて、どのセーバーを設定してみても画面は固まる。
これはパソコン本体のせいかな、と思いスキャンディスクしてエラー修復したらなおった。
ハードディスクの容量が少ないからいらないセーバーを消したい、って言われたので .scrファイルをがーっと検索して、スクリーンセーバーのファイルは このディレクトリのここにこれだけあるからいらないものを消せばいいよ、って伝えて終了。
それだけのことなのに、すごく喜んでくれて。「なおった〜、ありがとう、ありがとう」ってとっても うれしそうに言ってくれて、私の方がもっとうれしくなってしまった。

私は、パソコンが調子悪いのを調子よく動くようにするのが好きだ。
前の職場にいた時、パソコンの調子がよくないといろいろな人からお声がかかり、あちこちとんでって なおしたり原因を考えることが本当に楽しくてしかたなかった。自分でなおせない時はceさんを 呼ぶのだけど、修理しているところにへばりついて、修理しているところを 見るのがこれまた好きだった(ちょっとだけよこしまな理由もあったけど)。
今の職場では、あまりそういう機会がなくて 実はちょっとつまらなく思っていたりするので、たまにちょっとしたことを尋ねられるとうれしくてしかたない。
パソコンを使っている人にとっては、こういうささいなこと、昨日みたいにスクリーンセーバーが 起動しないとかいう、仕事の作業には直接関係ないようなことでも、気持ち悪くて落ち着かない。イライラする。
そういう気持ちがよくわかるから、できるだけはやく解決してあげたい、ってついつい燃えてしまう。
すっきりもとみたいに動くようになったときの、ほっとしたり、うれしそうな顔をみるのが私は好き。

いつか、本当にいつかだけどやってみたいことがある。
家でパソコンを使っていて、まだ慣れていなくてでもメーカーのサポートを呼ぶほどではないけど ちょっと聞きたいこととか困っていることを解決するお手伝いをできたらなって思う。
どこのメーカーのパソコンでも、OSも95でも98でも2000でもおっけー、マックもおっけーくらいのイキオイで。
その人が、パソコンを買ってどんなことをやりたいのかを聞いて、たとえばホームページを作りたい、って 人だったら自分でFTPまでできるところまで一緒にやったりとか。
ちょっとしたトラブルだったら自分で対応できる、って思えるようになるまでのお手伝いをできたらな、って思う。
パソコンの使い方のことって、一度聞いてしまえば次からは自分でできることがかなりあると思うから、 その「ちょっとしたこと」をわかりやすく簡単に伝えられるようになりたい。
なにかパソコンのことを聞かれて、どれだけ簡単な言葉で相手がわかるように説明できるか、というのが 私のいつも気をつけていること。ややこしいコンピュータ用語羅列してなんとなく説明したようにして 終えることだけはしないように、ってささやかながらも私が心に決めていること。


20000314

昨日のお昼ご飯に何を食べようと考えた時、食べたいものが何もないことに 気がついた。少なくとも外で売ってるすぐ食べられるものたちは 食べたくないと思った。お弁当もパンも、全部。
ジャンクな食生活してる自分が心底嫌になった(朝はコーヒー屋でパン、昼はつくっていったおにぎり、 夜はヨーグルトとプルーンとゆで卵、というのが平日のだいたいのパターン)。
仕事してたらしょうがないことだってわかってるけれど、なんだか食べることが義務になっていて 楽しくない、つまんない。
今日は結局パンを二つ買って食べたのだけど、なんだかそういうものを食べると、自分の中によけいなものが 入ってきたような気がしてしまう。だから、お菓子もあまり食べたいと思わなくなったし、貧血防止のチョコ以外はほとんど 買わなくなった。
ご飯と焼き魚、納豆、野菜のおかず、といった食事をきちんととった時は、それらの栄養が 自分の身体にしみていくような気がするのに、パンなどを食べると身体があまり受け入れたくなさそうで、 胃も重く感じる(職場でしょっちゅう胃薬飲んでるのはそのせい)。
毎朝毎昼毎夕、きちんとご飯を炊いて、野菜でおかず作って、納豆食べて、みそ汁 飲んで(土曜日の夜食べたとんかつ茶漬けについてきたみそ汁は身にしみるうまさだった)、 って生活をしたいなあ。一日が献立考えることとご飯作ることで終わってもいいから。全部の食事で、 手をかけたものを食べたいなあ(このうえないぜいたく)。ま、今はなにも料理してないから 言えるのだろうけど。
私が食べたくなるものってちょっと変わっているかもしれなくて、一人暮らししてた時は、突然「ああ、ブロッコリーが 食べたい!」と思って一房丸ごとゆでてドレッシングかけて食べたりとか、もやしを一袋全部レンジでチンして やっぱりドレッシングかけて食べたりしてた(他にも、ほうれん草、じゃがいも、キャベツなども突然食べたくなるものの一つ。 ハハは、こんな私を見て、「あんたは農家へ嫁に行きなさい」と言います)。
自分が働いたお金でいろいろなものを買えるようになって、自由にはなったけれど、 こと食生活に関しては、本当に食べたいと思うものはなかなか食べることができなくなった気がする。
ちなみに今食べたいものは、大学時代に近所のスーパー(野菜がめちゃくちゃ安い)で 買ったぷりぷりして甘いプチトマト。丼いっぱい食べたい。


20000313

「ビューティフルライフ」のキムタクが、職場でいやなことがありむしゃくしゃしながら 帰宅して、恋人が家に来ているのに気がついてうれしそうな顔してた。しかめっ面が 一気にほころんで笑顔になってた。
いいなあ。
自分の存在で、うれしくなったり元気になったりしてくれる人がいるのって、いいなあ。
私を元気のモトにしてくれる人がいたらいいのにな、どっかに。
私のこと思い出して、笑顔になってくれる人がいたらいいのに。


20000312

昨日の夜はごはんをたべにいった。
帰りが遅くて夕飯食べない生活が続くと定期的に食べたくなる「とんかつ茶漬け」。
とんかつのボリュームと、おいしいお米のご飯がむしょうに恋しくなるのだ。
意識してゆっくり食べたらすいすいはいっていって、ご飯(かなり大きな茶碗に大盛 だったのをさらにもう一膳)と煮キャベツと漬物をおかわりした。どう考えても食べ過ぎ。
周りを見わたしても男性ですらせいぜいご飯のおかわりくらいしかしてなくて、ちょっと やばいと思った。でも、ご飯をおいしく感じながらゆっくり味わって食べることが 最近あまりないから。食べたい時、食べられる時には食べる、おいしく。

動けないほど満腹になり、重いおなかを抱えながら腹ごなしに薬屋へ。
厚底サンダルの人が階段を上り下りすると地面が揺れてかなりこわい。本当に。
みんな重くないんだろうか。あの足で走ることはできるんだろうか。すごい体力だと感心してしまう。
最近の薬屋ではお菓子も安く買えたりするので、職場で食べる用のチョコを買う。
次に本屋に行き、単行本の棚を見ていたら、この間友達に勧められて読んで「これは買いたい、今度注文しに 行こう」と思っていた本がいきなり目に飛び込んできた。すごいタイミング。それも別に新刊という わけでもないのに。1500円也。文庫なら3冊買える。私には大金だけど、でもこの本は絶対に 文庫化はありえんここで買わねば後悔する、と決断(単行本を買うことって、年に5回くらいあればいいほう)。
それと文庫2冊。実はこの2冊も、図書館で借りてすでに読んでいるもの。
ばっかみたいな買い方と思われるかもしれないけど、私にとっては、買う本=ずっとそばにいてほしい本、 何度でも読み返す本、なのでちゃんと意味はある(そして買ってきたら必ずもう一度読み返す)。
やはり、一度読めばそれで充分なものと、なにかある度に手に とりたくなるものとは違うから。自分にとっての大切な本は、何十回読みなおしたっていい。
学生時代に教科書を何度も読んで頭に叩き込んだように、読む度にもう一度その本の内容が 自分の中に染み込んでくるような気がする。
だから本棚に本が増えていくことは、なんだか自分のことを助けてくれる存在が増えたような気がしてうれしい。

一緒に行った友達と同じ本を二人して買った。それ以外にも読む本がかなりかぶっているので、
「将来は隣同士とか一緒に住んで、一部屋を本部屋にすればかなりお互いの本が減らせるよね」 としみじみ言い合う。本代の節約もそうとうできるだろうな。
そして気がつけば蛍の光が流れてきて(閉店の音楽)、あっという間に1時間が経過していた(時間さえ 許せばもう1、2時間は軽く過ごせる)。
本屋って、一人で行くのも楽しいけど、相手によっては一緒に行くと2倍楽しい。
お互いがバラバラの棚に走っていっても気にならないし。本についていろいろ話せることがうれしい。

彼女とはなかなかタイミングが合わなくて2ヶ月ぶりくらいに会ったのだけれど(こんなに長い間 会わなかったのははじめてかもしれない)、 話している最中に沈黙が流れても全然それが気まずくなく、逆にとても穏やかで幸せな時間だと思った。
職場にいる時の私は沈黙が恐ろしくてやたらと無駄にしゃべりちらしてはぐったりしていることが多いから。
すごく自然体でいられる自分が好きだと思った。


20000311

あったかくなったらたぶん私はまたスカートはかない人に逆戻りしそうな予感が ぷんぷんしてるので、今のうちだ!と思ってがんがんはくようにしてる。
なぜ春になるとはかないかというと、ストッキングはいた自分の足ってなんだか肉〜って感じで苦手だから。
むっちりもりっとしているので、さらしたくないんです。
タイツはあまり肉感を感じないから抵抗が少ない。なのでわりと平気(でもまだちょっとイヤ)。
ストッキングってすぐやぶけるし心もとないし締めつけるしキライ。
結局、スカートをはかなかったのは、ストッキング嫌いのせいというのもかなり大きいかもしれない。
なので、職場に入りたての初日くらいしかはいてない。ここ数年間で、2、3回あるかないか。
あの中途半端さが嫌い。生足なら生、タイツでびっちり固めるならタイツ、ではっきりしろい! と言いたくなる。
足をきれいにみせるため、とはいっても、不自由すぎやしませんか、ストッキング。
あんなにすぐ破れてしまうもの(私なんてはいてるまさにその途中で破いたりする。あーくやしい)。
それに別におしゃれでもないし。タイツは色とか柄で遊べて楽しーよ。(とはいっても やっぱり無難な黒と紺が多いけど)

でも、結局のところ、私の足がちゃんと細かったら何の問題も抵抗もきっとないわけで。
今年の課題は「とにかく足やせ」に設定。ついでに、パンツをきれいにはくためにお尻もガンバル。
下半身に難ありすぎ。(ここだけ読むと浮気な男性のことのようだ)
私は陸上競技をやっていた頃からずっと足のたくましさには悩んでいて、 そんなある日先輩に
「大丈夫、陸上をやってた人は、今は太くても将来きれいな足になるから」 って励ましてもらったのを心の支えにずっときたのだけれど。
どうやらその言葉は誰にでも当てはまるわけではなかったようだ。←太いままのヒト
腕も太い(昔はダンベルあげてました。砲丸も投げてました)しな・・・。
ぼうのようにほそくなってみたい、いちどでいいから。


20000310

私は、とってもささやかなことでうれしくなる。
たとえば好きな人が自分があげたお菓子を食べてくれたとかそんなことで(ささやかすぎ?)。
でもうれしいんだもの。
こういうのって、小学校の遠足の時間にお菓子あげたりとか、 給食の時にプリンあげたりとか、そんなレベルじゃないかもしかして?と ちょっとがっくりくることもあるのだけど(なんだか大人の女にはほど遠過ぎてあまりにも情けない)。

犬が大事に隠していた骨を仲良くなりたい相手にあげるみたいな、そんな感じ。
好意の示し方として、とってもわかりやすい。
食べ物に限らず、なにかさせてもらえることが好きなのだな、きっと。
幼稚ではあるけれど、好きな人に何か食べてもらいたいと思うのって、 すごくシンプルな感情で私はけっこう好きだし、大事にしたい。


20000309

火曜日の私は朝からなんだかカラカラ空回りしていて、 人との接触がうまくいってなかった(時々そういうことがある。一枚、どうしても 割れないガラスをはさんで話してるみたいな、そんな気持ち)。
伝えたい言葉があっても相手とかみあうことができずにもどかしくってつらかった。
そして言葉の使い方とかタイミングとか間違ってばっかりだった。それがむしょうに 悲しかったし、自分のことが嫌になった。
「言葉を使う自分」をもう信じられない、って思った。
すごくこわくなった。話すのも、書くのも。
自分の言葉のせいで大事なものをなくしてしまいそうで、心から怯えた。
なので、しばらく自粛しようかとも真剣に考えた。日記もしばらくやめよう、 気持ちから出てくる言葉を発しないようにしよう、必要最低限の言葉だけにしようと思った。
私の言葉の使い方には、あまりにも欠陥がありすぎるのではないか、 もしも学べるものなら学びなおしたい伝え方を、と切望していたくらい、本気でやめようと していた。
でも火曜日の夜、なんとなく自分の気持ちを書いていたら、 いつのまにか、ふっと気持ちが軽くなった。伝えるのはこわいけれど、この文章(昨日の日記)を読んでもらいたい、って 思った。
もしかしたら、私の言葉は伝わることもあるかもしれない。
伝えたいと思うことがあって、伝えようとする気持ちをなくさないでいたら、ちゃんと 届くことがあるかもしれない。
何かを伝えたいと思うから書いていて、誰かの気持ちを動かせたらいいのに、って思いながら書いている。
この気持ちさえ忘れないでいたら、きっとこれからも言葉の使い方の失敗はたくさんするだろうけれど、 そんなのこわがらないでいられそうだ。
上手なんかじゃなくていい。すらすらした言葉じゃなくてもいい。
そのかわり、真剣にいつも言葉で伝えること。さぼらずに。いい加減にならずに。

そしてもうひとつ私の課題。相手が伝えてくれた言葉をきちんと正確に受け止めること(そういう 失敗も私は多いのです。ほんと、言葉における欠陥人間だと落ち込んでしまう)。
昨日も早速やらかした。メールで言われた言葉に一人でショックを受けて悲しくなって、 それをそのまんま相手に伝えてしまって(それはもう半泣きで)、 「オイオイちがうよ、そういう意味じゃないよ」って言われてほっとしたというまぬけぶり。
私は、誰かに言われたり、メールでもらったりする言葉を、ついつい深読みして追求してしまう癖(?)がある。
言葉って決してそのものだけの意味ではなく。隠された意味とか、違った受け取り方とか、指してる部分の違いとか、 いろいろある。だからこそ面白くて興味深くてやめられないのだけれど、言葉を使う作業は。文章を書いたり読んだり することは特に。
ただそれだけに、「このことばはこういう意味で言われたのかな。いや、でも違うか。調子に乗っちゃいかん。本当はこうかも しれない」などと脳みそが破裂しそうなくらい考えて想像して、そうしているうちにわけがわからなくなり、深みにはまる。
自分の勝手な思想の中に突っ走らないこと。相手の気持ちを想像するのはいいけど、想像しすぎないこと(してもいいけど ほどほどに)。
ちゃんと言葉(気持ち)をやりとりできる人間になりたい。
そんな小学生の国語の授業のようなことを、いまさら願う私。

でも時々思う。
おでことおでこをくっつけて、えいっと念じたら、お互いの気持ちが相手に流れ込んでいけば いいのにな、って。そんなバカで無茶なことを。


20000308

私は気持ちのどこかで、別れないですむ相手(友達恋人など男女問わずすべて)なんていないと思っていて、 いつのまにか縁が切れてしまうこともしかたのないことだとすっかり諦めている。
だからといって今大事に思っている人たちのことをどうでもいいと思っているわけではなくて、 本当に大事で、いなくなってほしくはないのだけれど、でもしかたないと思っている。
人と人をつなぐ糸が、どれだけ簡単に切れてしまうものか、わかっているから。
そして一度切れた糸を結ぶことがどれだけ難しいかということも。
そんなわけで、私は人に執着するということをほとんどしない。いや、努めてしないようにしてた。
臆病なんだ、要するに。覚悟のないまま大事な人をなくして自分が壊れる のがこわいから、自分を守るために安全な(無難な)所にいようとしているんだ。気持ちに保険かけてるんだ。
そのせいで人とあまり深く本気で向かいあってこなかったのかもしれない、って最近気がついた。
だから今ごろになって、ささいなことで痛い痛いとぴーぴー泣いてるんだ、バカモノめ。
ただ、最近では少しは努力もしていて、本当になくしたくない人のことはあきらめきれなくて 「おげんきですか、その後どうしてますか?」ってメッセージを送ったりしている。
こんな当たり前のことでも私にとっては崖から 飛び下りるくらい勇気がいるけど(昔はできなかったし、聞けなかった。 勝手に想像して一人で傷ついて去ったりしてた。ホントバカモノです)、でも糸を切りたくないから、 今ならまだ間に合うかもしれないと思った時は頑張る。 あきらめる前に、「私はあなたをなくしたくはない」のだと思っている気持ちだけは 伝えようと思ってる。
そして、自分からは絶対大事な人の手を離すことはしないって決めた。
ふとしたでき心や、試したい気持ちがふっと、手をゆるめさせることってあると思うけど、 私は絶対に離さない。なくしたくない人の手は自分からは離さない。
大事なものは手放しちゃいけないんだよ。なくしてから気がついても遅いのだから。
相手から手を離されるくらいならいっそこっちからぶっちぎってしまえばいい、ってやけをおこしそうに なることもあるけど。
手をつないでる方が、離すよりも10万倍くらいつらくて痛くて苦しいって思っても。
痛みから逃げない自分でいたいと思うようになった。自分にとって、痛いことを言ってくれる 人を大事にしなかったら本当に私は大バカモノになってしまうから。

人は時間が経つと忘れたり平気になっちゃったりするイキモノだけど。
自分の気持ちすら信用できないようなそんないいかげんなイキモノだけど。
私はそれをわかった上で、どうしても自分の気持ちからいなくなってほしくない人がいる。
いや、いっそその部分だけ記憶喪失になってしまえばどんなに楽だろう、 出会わなかったことにすればこの苦しい気持ちもなくなるだろう、って そう思うこともあるけれど。それこそひと思いに手を離してしまえば楽になるのに、と。
でも、やっぱりいやだ。私は手を離せない。
もうすぐ、その人と会えなくなる。
その人の気持ちから私は消えちゃうんだろうか(いや、今だっていないようなものだけど)。
私の気持ちからもいなくなっちゃうんだろうか。
それを止められるチカラがあるのなら止めたいよ。
「コンコン、忘れちゃいましたかもしかして?」ってノックしたくなる、時々。
ここにいるから、たまには思い出して頭をなでて(またポチ発言)。
忘れてないよ、ってほっとさせて。


20000307

「これからは毎月1回は必ず健康ランドに行こうと思う」(健康ランド代を稼ぐために仕事を頑張ろうと思ったのです)
と決意(というほどのものでもないが)を述べてみたところ、
「やっぱり肌とか違うでしょう?将来お金持ちになったら家にサウナ作りなさいね」
と励まされ(?)る。
本当にお金持ちになったら、24時間いつでも入れるひろーいお風呂とサウナを セットで作りたいな(と、夢は大きく)。

そして今私は本屋に住みたくて仕方ない。
本屋の娘になりたいということではなくて、本屋のフロアの真ん中に布団敷いて寝たり、 ちゃぶ台でご飯食べたりお風呂入ったりしたいっていう、そういう希望。ああ、夢のよう。
最近、本屋にはなんのために行くというと、どちらかというと買うためというより、 本を眺めに行くという方が正しい。もちろん文庫の新刊は真っ先にチェックして、買うことも あるけれど、前に比べたら頻度は少なくなった。本当に手元に残しておきたいものしか買わなくなったから。
あとは、単行本の棚をくまなく見て、読みたいと思ったものをメモする(図書館に リクエストするため。新刊が出てすぐにリクエストしておくと、ほとんどタイムラグなく 読めたりするのだ)。インターネットで新作を検索するという手もあるけど、やっぱり本屋で 実物を見たいから。インターネットで見る情報からは、本そのものがもつ たたずまい、匂い、雰囲気や手触りを感じ取ることができないからつまらない。こうやって 物色するのも楽しみのひとつ。
そんなこんなでうろうろしてると数時間なんてあっという間に過ぎてしまう。
ああ、本屋に住みたい。フロアの真ん中に寝っころがって、手当たり次第に本読みたい。
小学生くらいの頃は、そういうことが(一日中本を読んでいられる)可能になるのだと思い込んで 「図書館のお姉さんになりたい!」と言っていたけど、今となってはそんなことは不可能だと 知っているので、図書館で働くのは仕事としていつか叶えたく、単純な夢として、本屋に住みたい。
どうせなるなら、それくらいのお金持ちになりたいね。(夢見るのはタダですから)


20000306

うちで飼っているインコが、母親が本を読んでいたりしてかまってもらえないのに 腹を立て、ギャーッ、とか騒いだり暴れたり(テレビの音が聞こえなくなるくらいすごい)しているのを 見ると、そのあまりの素直な感情のぶつけ方に妙に心をうたれる。
全身で訴えているんだもん、「こっちを向いて。かまって。愛情を確認させて」と。
そういうのって、強いよね、なんか。
親の背中におとなしくなっておんぶ(のように見える)されている インコを見ると動物は単純でいいなあ、と思う。
いや、人間も本当は単純なのか。
一緒にいたいからいたい。会いたいから会いたい。さみしいからかまってほしい。


20000305

私は目覚ましかけずにいくらでも寝ていい時は必ず12時間後にスッキリと目が覚めるので、 たぶん私の適正な睡眠時間は12時間。仕事してたらどう頑張ったって寝れない時間数。 そりゃあ普段眠いはずだ。
起きて、焼き鮭と白いご飯を食べる。
3時のおやつにミカン2個。
夕飯に、どんぶりいっぱいの野菜炒め。プルーンとヨーグルト。
仕事している平日ってどうしてもジャンクなものでおなかを満たしてしまうので、 だんだんそれらのよけいな成分が身体に蓄積されてる気がする。
週末はそれらをすっきりさせたいという気持ちが強いので、あまり 食べない。食べたいと思うものしか食べない(職場にいるとつい、気持ちを紛らわすために 食べてしまったりするから)。
私は一日の間に絶対一度は白いご飯と納豆、野菜を食べたいのだけれど、 仕事で遅くなることの増えた最近ではなかなかそれが叶わない。
ご飯は、おにぎりを握っていけば食べることができるけど、野菜や納豆はそうはいかない。
やっぱり家でご飯を食べるのが一番好きだ。健康的な気持ちになれる。食べた満足感も味わえる。


20000304

ここらで一度自分をほどこうと思い、昨日は仕事を半休して健康ランドに行ったのだった。
読みたい本をちゃんと持って、それを湯上りに読むのを楽しみにして。
ちょっとした旅気分(安上がりであーる)。
実は今だに体調悪い時以外に休みをとるってことが苦手な私を見かねたらしい母に、
「一日の間に、ガラっと違う環境に自分をおくと、すごく気分転換になるからね、 いってらっしゃいよ」ってオススメされた。
そっか、じゃあ行こうかね、 それくらいの贅沢許そう自分に、ってふっきれた(小心者なんだ要するに)。

2時から8時まで、出たり入ったり繰り返し。 狂ったようにつかりまくった。
サウナなんて、6分×7回くらい入った。
何種類もあるお風呂の中で、特に好きなお風呂があって、それには10回くらいは入った。
このお風呂だけはちょっと露天っぽくなっていて、すだれごしの空を見ながらつかることができるから大好き。
上半身が外の風にあたっているので、いくらでもつかっていられる。 歌いながら、水に浸したタオルにほっぺたくっつけながら。タオル冷たくてシアワセ。
休憩の部屋ではタオルケット(これが大きくて分厚くていい感じなんだまた)にすっぽりくるまって まるまってちょっとだけ眠って。
帰りは、半乾きの髪の毛のまま、すっぴんで帰った。眉毛すら描かず、リップクリーム塗っただけで。 気分いい。
家近くの酒屋でビールを買って帰り、チーズつまみに晩酌。もーどろどろに溶けそうで、 コタツでぐったりしつつテレビを観る。
ハハに「いつもよりかわいく見える。あ、そうか、緊張がとけてぼーってしてるからだね( 普段の仕事帰りはピリリと緊張してるみたい)」と言われた。
「化粧してない方がいいのに」とも(一応頑張って毎朝眉毛を描いたりクマを隠したりしている私の努力は一体どう なるんだ)。

一人で健康ランドは、思った以上にほどけました。また行こう。


20000303

何かを考えないために、仕事に打ち込むってのはとても不健全なことだ。
よくないし、邪道。
一見大丈夫そうに見える自分の中身がただれていることから目をそらしている。
いけないとわかっている。
でも、思春期の男子学生に、性欲から目をそらさせるために スポーツの部活動に打ち込ませる(昇華っていうんだっけ確か)ように、 仕事を部活動の練習みたいに熱心にやるというのも発想の転換で たまにはよいのではないかと思う。
生活のため、自己実現のため、そんな理由ばっかりじゃ続いていかないよ。
山あり谷あり。猛ダッシュあり淡々あり時には休憩あり。
というわけなので、私は今後約1年の、仕事における自分の目標を定めた。
自分が身につけたい技術や、なっていたい姿を心に思い描いた。
例えば、私は陸上をやっていたけれど、「絶対に13秒台で100メートルを走りたい」って思ったらどんなに つらい練習にも耐えられたように、「仕事でこうなりたい」って強く思う気持ちが あったら今ちょっとしんどく感じることも頑張っていけるような気がして、ちょっと元気が出た。


20000302

最近、ぬいぐるみが欲しくてたまらない。
どうがんばってもぬいぐるみにはなれないので(あったり前じゃ)、 ぎゅうううううううう、と抱きしめるモノが欲しい。
欲しい欲しい。ふこふこしたもの。あったかいもの。やわらかいもの。
私はぎゅう、ってされるのもするのも好きだ。
ふとんに頭まですっぽりくるまって眠るのが好きなのは、包まれてる感じが「ぎゅう」に似ていて安心できるから。
一匹だけ入室を許可して、「ハグ夫」と名付けようかな。(ネーミングセンスまるでなし)

ぬくもりに触れることは、どんなにたくさんの優しい言葉をもらうよりも、気持ちが癒されたりするから。
なんだか心もとなくって、なにかに触れていたいみたい。


20000301

うちのお風呂は、洗面所を通らないと行けないようになっていて、 脱衣所も兼ねているので、どっちかが歯を磨いていたりすると入れない。
昨日、帰って一息つき、そろそろ入るか、って思ったまさにその時母親が 歯を磨き出して、なんとなく待ってたら眠くなってきたので これはいかんと強引に割り込んだ。
「なに、待ってたの?だったら言えばいいのに〜」
「(私が帰ってくるまで時間いっぱいあるんだから)なにも今磨かなくてもいいじゃん」
とぶつぶつ言いながら入り出てきたらいつもならこのタイミングで自分の部屋に引っ込んでいる はずがまだちょこんといた。
「ねえ、さっきお風呂入る前なんか文句言ってなかった?『いつまでも 歯磨いてんじゃねーよ』とか」
「いやなんも言ってない(それも実際よりガラ悪く聞こえてるのはなぜだ)」
とすっとぼける。
でも、ん?と思い、
「まさかそれ聞くためだけに起きてたの?」
「うん」
私が男だったら抱きしめたくなるかわいさかも(おいおい)。
年老いた母親にかわいらしさを学んでる私は一体なんなんだ。
うちの母親って、とっても素直なヒトなんだよね。そして男らしいんだけど、 とっても女らしい。
どーして娘はこう、素直ベタ&がさつに育っちゃったかなあ。こういうとここそ似るべきだったのに。
変に激情的なトコだけ似ちゃってさ。


diary index | ←200002200003200004