diary index | ←200003200004200005

20000430

今週は、つらかった日の翌日ほど日記が長い・・・
帰りが遅くなっても、絶対に日記を書かずにはいられなかった。
きちんと、その日の自分の気持ちを整理してからじゃないと寝られなかった。
おかげで寝不足な一週間だったけれど、日記を書いていたことで、今週を乗り切れたのだと思う。

毎日、職場から気持ちにとげとげをたくさん刺して帰ってくる。
それらを全部抜いて、いつものぽけぽけした自分のペースにちゃんともどす。
穏やかな気持ちで眠る、たとえ短時間でも。
最近特に気をつけているのは、気持ちの中にどんな感情でも、停滞させておかないこと。
一晩寝たらみんな過去。明日は別の日!って言ってからおやすみなさい。


20000429

恋、って
やっぱり人生に必要なモノなんだろうか。
それまでどんより縦線しょってたような人や、眉間にタテシワはいって た人がすっかり明るい顔になっているのを 見ると、その影響力の大きさにびっくりしてしまう。
すごい。
恐るべし、恋のチカラ。
春だからね。とはよく言われることだけど、どうして春は恋の季節なんだ?
あったかくなってきて浮かれるから?(ひどい言いぐさ)

私にとっては、今の時期はふとん日和とでも名付けたい。
暑すぎず、寒すぎず。でも、ふとんなしでは寒い、そんな季節。
すっぽりくるまるのに心地よくて、いい季節。
ふとんにぐるぐるくるまって、定位置に頭落ち着けて。安定した瞬間から、眠ってしまうまでの本当にちょっとの時間 (私は異常に寝つきがいいので)がさいっこうに幸せなヒトトキ。
ふとん大好き。眠るのは、いつでもわくわくする。楽しみだ。
小さい頃は、ひとりで眠るのがさみしくて、枕元からふとんの中までぬいぐるみたちでびっしり 埋め尽くさないと眠れなかった。準備を整えて、あふれるぬいぐるみたちの中にすっぽり はいって眠るのが安心だった。
今は、ぬいぐるみはいないけど、やっぱりふとんの中は守られているような気がして安心する。

私はあまり、母親にべったりべったりと甘えた記憶がない上に、父親の記憶が全くないから その分男性への憧れが強いというのもあって、 それが今の、スキンシップに弱い性格をつくったのだろうと思う。(「ビューティフルライフ」の 常盤ちゃんも言ってましたね、「スキンシップに弱いのかな」って)
昔から、抱かれる(セックスじゃなく)ことに、飢えている自分にずっと気がついてた。
私がぬくもりによわくて、すぐに布団にくるまりたがったり、ぬいぐるみをやたらと可愛がったり 抱きしめたりするのは、自分がそうされたくてしょうがないから。
好きな人に抱きしめられたら、自分の中に足りないなにかを埋められるような気がしてた。
でもそんなのはうそだってわかった。
とっても幸せな気持ちにはなるけれど、気持ちは埋まらない。埋まるわけない。
自分の隙間を埋められるのは自分だけだ。そのことにちゃんと気がついて、よかった。
いつまでも、どんなに求めても得られないモノを欲しがって泣いている子どものままじゃなくて、 よかった。

だけどそれでもまだ弱っちい私は、フトした時にやっぱり子どもにもどってしまう。
職場にいるぬいぐるみをさわったり、頭をなでたりしていると、その手触りに、 心もとなさに、わけもなく胸がきゅう、と苦しくなって、切なくて涙ぐみそうになってしまったりする。
なでられたいのは、自分。さみしいのは、私。


20000428

昨日は、前の日記にも書いた、「職場で気持ちをぎーぎーひっかく人」 からひどいコトバをたくさん投げつけられてしまった。
ホームページ作成作業をするためのパソコンがあるのだけれど、それを私の作業途中に割り込んで使われ困ったことが 何度かあったので、「使う前に一声かけてもらえませんか」ってお願いしたら、いきなり逆上、激昂された。
「私はあなたと仕事する気はないです。あなたみたいなお子様と仕事するつもりはない」
「私はアルバイトですから。あなたは私の上司じゃないですから!!」などなど。
・・・これが大の大人の、それも30後半の働く人のセリフだなんて。
思わず「お子様なのはそっちでしょう、私情もちこんでるのは!」と怒鳴ってしまった。
だいたい、その人からは今までもかなり失礼な扱いを受けてきた。
仕事の話をしているのに、他の人を通してでないと返事をしない(まともに 返答が絶対にかえってこない)し、私の担当の仕事のことを、他の担当の人に聞き、 その人はわからないのでその人が私に聞く。そしてその人が彼に答える。
そんなばかげたことをここ数ヶ月やられてきて、もうガマンの限界。
私のことが気に食わないのはいっこうにかまわない。でも、 仕事の場ではフツウに受け答えをするのが大人だろう。
どっちが子供なんだ。
でも、あまりにもくやしくて、なさけなくて、ここのところの ごたごたもあったりして、思わずトイレに走り泣いてしまった。こらえられなかった。
怒りのあまり身体中の震えが止まらなかった。
くやしい。涙の無駄遣いだ。ほんとに。
腹の虫があまりにもおさまらなかったので、彼がそのパソコンで使おうとする ツールをアンインストールしてやったのだった。これくらい やってもいいと思う、今までの仕打ち考えたら。うん。
私、ガマンしすぎ。
相手の、機嫌の悪さとか、とげとげした気持ちを、 ぶつけやすいやつだと思われているんだって他の人から言われた。
イヤダ、そんな自分・・・。絶対にイヤダ。

でも、その時は静かに見ているだけだった職場の人だったのだけれど、あとでトイレまで追いかけてきて励ましてくれた 人がいたり、年上のパートの方がこっそりメールで頑張れ!と言ってくださったりして、また泣けてしまった。

そして、
ハハからの手紙、パート2。
朝、でかけようとしたら下駄箱にはっつけてあった。
伝えたがりはやっぱり遺伝かな。

「・・・そう、サバサバと、但し、慎重に、的確に一つ一つの 仕事を処理すれば、良いだけのことなんです。正しく、ビジネスライクにね。 いま現在、あなたにイロイロある事を、むしろ私はwelcomeと感じています。 何故なら、人間の一生なんて、結局は大体みんな同じようにgoodな時とbadな時が あるものだから。ずーっと死ぬ迄、全ての事柄が、自分の望みどおりになる人は、 居ないのです。その差は、シンドイ事が早く来るか、遅くに出会うかの 時期の問題であって。それなら、耐久力のある若い間に、シンドイ事を全部、 正面から受け取って早くに片付けてしまった方が、人生の後半に楽できます」

ムスメ、朝っぱらからまたまた泣きそうになる。涙腺がゆるみっぱなしだ、今週は。
自分の容量オーバーなことばかり起こりすぎて、こうやって外に出さないともたない。
気持ちがぶっ壊れ寸前。


20000427

昨日は帰りに文庫本4冊一気買い。
持ち合わせがなくてそれだけしか買えなかったけど欲しい新刊、あと4、5冊はある。
帰ったら、テーブルの上にドーナツとクッキーとチョコレート。
ありがとう。元気のない人には食料を!そのとおり!(その通りに元気になる私もあまりに単純だけど)
ドーナツは朝ご飯、お菓子類は職場でありがたくいただきます。

私には、「女のごねる部分がない」のだそうだ。(母曰く)
そのため、おそらく今の職場では上の人たちからとても扱いやすいやつだと思われており、そのように気軽に扱われて いるのだろうと言われた。なるほど。
どうやら私は今の職場で「誰にでも合わせられる、誰の色にも染まるヤツ」だと思われているみたい。
それは大いなる誤解だと思うけど、あえて訂正しないでおくことにする。
「キーーーーーッ!!!」ってなることが、ないからなのかな。機嫌の波もないし。 (職場では。ああでも最近はどこでも平坦かもしれない)
星飛馬のお父さんのように(って古いな私も)、「うおりゃああああああ!!」 ってトイレの個室でちゃぶ台(想像の中の)ひっくり返すことは あっても、それで「あーすっきりした」とけろりとしてしまうことがほとんど。ひきずらない。
私は、万が一自分がキレた時は、茶碗やコップをきーーーーっ!と投げつけるよりも、 おりゃあ!って気合いれてテーブルひっくり返すような人間でいたいと思っている。(よくわからない たとえでスミマセン)

たとえどんな境遇に置かれたとしても、
誰の話にもとりあえず耳を傾けてみよう。
受け入れようとしてみよう。そういう気持ちをなくさないでいたい。
一方向しかみえなくなってしまうようなことがなく、常にいろいろな角度から物事を見つめて いろんな可能性を考えてみる。
想像力を働かせて、相手のことを考える。
そういう、柔軟なココロの持ち主になりたい。
わからないことはわかるまで最後まで話をしたい。仕事に限らず、人との関係、そうやって 真剣に築いていきたいって思う。

昨日一日過ごしてみて、結局のところ仕事の傷は仕事で癒すのが一番だということがわかった。 (失恋の痛手を新しい恋で!ってのと同類項かも)
仕事を頑張ることで、元気になれる。気がつけば、お風呂の中で次の朝の仕事の段取り考えながら 髪の毛を洗っていたりする。
私は、困難にぶち込まれた方がやる気とパワーがみなぎってくる方だ。
自分の限界はまだまだこんなもんじゃないって気持ちが不遜にもあって、 やれる、がんばれる、くっそーまだまだじゃいさあこい!って一つずつクリアしていきたいと思う。
自分の置かれた立場嘆くヒマがあったらとりあえず動いてみよう。
もしかしたら、 今回の経験で私の仕事力、伸びるかもよ。(なんて。でもホントに)

そしていつか、
気持ちのいい仕事をするね、って言われる人になりたい。目標。


20000426

やられたな。完璧に。はめられた、が一番近い気持ち。
職場で、怒りのあまり全身の血が引いていくのがわかった。
くやしくて涙が出そうになったけど、なんせちゃんと泣けなくなった私、一人になってもやっぱり泣けない。
「ひきょうだよな〜藤木(ちびまるこちゃんに出てくる青い唇の卑怯者)よりひきょうだよ」
とぶつぶつ。自分にまで笑いをとってどうする!と思うけど、やっぱり笑いの心を 忘れちゃ私じゃない。
ま、しょうがない。今まで、パソコンに向かった作業ばっかりして、安全なところにいたツケだ。
ツケはいつかはやってくる、そういうことだ。そう思うしかない。
いきなり集中攻撃を受けてまいらないわけはないけど、しょうがない。
ここで泣いたりへこんだらくやしい。だから職場では意地でも笑っててやる。

そうは思ったものの全然眠れなくて、ちょっと寝て起きて朝がきたことに絶望的だった今朝。
部屋のドアの下に母からの手紙。
「職場では、誰も信用できない。 我が身さえ良ければいいという人の集団であり、土壇場になれば、味方をするどころか、逆に敵にまわるのが 社会です。組織の冷酷なことを、もう一度腹にしっかりと治めて、独りの気力を、奮い立たせてシャキッとね。 真の誇りを失わないように」

職場では、独り。
そんな基本、ちょっと忘れかけてた。ばかだ、私。
甘い、大甘もいいとこ。


20000425

珍しく、夢を見た。
夢の中で私は犯罪者を好きで、逃げる彼を助けるために必死でなにかを探していた。
それは、なぜかCD。どうやら彼は音楽をやる人だったらしくて、彼の出したCDをすべて集めることで 彼を助けることができる、というわけのわからない設定。
周囲の友達に「そんなことをしたらあんたまでつかまっちゃうよ!」と 止められてもそんなの気にせず探しつづけて。どうしても最後の2枚が見つからず、 半泣きになりながら。
へんなの。
でも、その夢の中で私はなんだかとても幸せだった。
そこまで思える相手がいることが、幸せだったみたい。


20000424

私は、一緒にいて、話していて、そばにいて、 その相手を疲れさせることのないヒトになりたいな。
強く心の底からそう思う。
別に好かれなくてもいいから、それだけはせめて。
あいかわらず、まわりの人達が放つ毒気みたいなものにやられてぐったりしてる。
人は、そこにいるだけで、発したちょっとした言葉で、人をこんなに疲れさせることができるのだ。
職場で接する人でそうならば、そりゃあ結婚して一緒に住む相手によって人生も変わるってのも アリだろう、などと思う。
言葉や態度のボールをひたすら投げつけるだけはカンタン。
でも、投げられた方はぼこぼこなんス。それじゃ関係は築いていけない。

日に日に自分がとろっちい人間になっていくような気がする。
職場で、うまく言葉がでてこない。口がまわらないことが多くなってきた。
打ち合わせでちゃんとそれなりに発言できるようになっていたのに、最近はまるでのどに石を詰め込まれたみたいに ガチガチに固まってしまって何も言えない。身体がこわばっているのが自分でわかる。
いけない、これじゃいけない、今までみていてくれた人がいない分、私がしっかりしなくちゃ!って 焦れば焦るほど言葉が出てこない。
情けないやら申し訳ないやらで、思わず後で打ち合わせの相手の方に謝ってしまった。
ごめんなさい、役に立たないで。きちんと発言できなくてすみません。
「いえいえ、ちゃんと仲介役をしていただいて助かってます」
そんなことないんです。自分でよくわかってます。ごめんなさい。
こんな自分がくやしいです。

そしてなにがこわいって。
こうしている間に、自分の中から言葉が失われてしまいそうでこわい。
自分がきちんと言葉を発することが、会話ができるということを確かめたくて 昨日の帰り友達に会ってみた。そうしたらたった2週間くらいの間に私、ホントに言葉が減っていた。
話したいこと、いっぱいあったはずなのに、半分も伝えられなかった。
リハビリが必要かもしれない。
安心して、たわいもないことを話し続けたい。意味もないような、本当にちっぽけなことで笑いたい。
今まで自分が、職場でいかにその存在に助けられていたかということがわかった。
仕事のことで会話を交わすだけででもほっとできる相手がいたことがどれだけ大きなことだったのか、 改めて痛感している。


20000421

目のふちに涙がたまってるな、
と自分でわかることがたまにある。
そういう時の自分の顔は大ッキライ。
気持ちの「もんもん」としたものがたまってるいやな顔してる。
ぶーす、って鏡を叩き割りたくなるほどムカツク顔。
でもどうにもならないし、自分でもなんでそうなるのか理由もわからない、ふいにやってくる 発作のようなものだから、あきらめてひたすら大人しくその日一日が無事に終わるのを待つ。 カメのように気持ちの首を縮めてやりすごす。
流れも、引っ込みもせずにたまっている涙が重い。
きちんと泣けなくなったのは、いつからだろう。
泣き始めて、よし泣けたぞ、って思っても涙が途中で中途半端に止まってしまうようになったのは、いったいいつから だったかな。

私は、悲しいとかくやしい気持ちのせいで泣くことはあまりなくて、ほとんどが、「疲れ泣き」だ。
気持ちの疲れが蓄積して、風船みたいにぱんぱんにふくらんだ状態にぷつん、と穴があくようにちょっとしたきっかけで 泣き出すことが多い。
泣ききってしまうととてもすっきりする。
昔はその効果を期待して、「今日は帰ってから絶対泣いてやる!」と固く決意して帰ったりもしていたのに。
今ではそれすらできなくなってしまった。
泣けないけど泣きたい気持ちがつらくみじめに思えて、自分だけすべてから見捨てられたような気分になったり もする。ばっかみたいに。
泣きゃあ、いいじゃん。家で、お風呂場で、自分の部屋で泣く分には誰にも迷惑かけないよ。
くっだらない理由だって、いいじゃん。
仕事つらいー、職場の人がイヤー、理不尽な扱いされたー、そんな、ちょっとしたことでも 自分がしんどかったならいいじゃん、泣けば。泣いてすかっとしろよ。
などと、冷たく突き放して見ている自分がいるからいけないのかも。
泣く時は、ちゃんと悲劇のヒロインに浸って、自分をかわいそがって泣かないといかんらしい。中途半端に 泣いたって、ストレス解消になんてなりゃしない。


20000420

昨日の夜、お風呂から出てふっとPHSを見てみると、電話帳に登録していない番号の着信通知。
誰だ〜?いいや、ほっとこ、と思ってほっぽり投げ、さて寝るか、と思ってふともう一度見るとまた着信通知アリ。
どうやら間違い電話ではないみたいだな・・・と恐る恐るかけてみる。
出たのは、男性の声。でも知らない、こんな声。誰?
と思ったら、「○○高校で一緒だった、鈴木なんちゃら(クラスに鈴木くんが二人いたので) なんだけど、わかる?」と言われてびっくりした。
「あー、うんうん、わかるよ、覚えてる」と調子を合わせつつも、誰だ・・・と 頭の中ではせわしなく検索。おぼろげに、あの人かも、と思う人の顔が浮かんできた。
住所録をつくろうと思ってみんなに連絡とってるんだ、と言われ、新しい住所や電話番号を教える。
今度、クラス会やろうと思ってるのだそう。メーリングリストをつくろうという案も出てるらしい。
そんなに仲良かったっけかなうちのクラス、と思いつつも、高校時代はほとんど 言葉を交わしたことのなかった彼と自然に、まるで昔からの友達だったかのように すらすら話せていることにある種の感動を覚えた。
昔のクラスメイトって、知り合いともよべないけれど全くの他人というわけでもなくて、 ちょっと安心して再度知り合える関係、という感じがする。
当時話すことなかった人とも、今話してみたら面白いかもしれない。
今、職場の狭い人間関係の中にばかりいるから、こんなことがなんだかとても新鮮に感じられた。


20000419

どうして、
平気な人とそうじゃない人がいるんだろ。
と、最近つくづく思う。
スイマセン、意味不明で。
いや、どうして、いくら音信不通が続いても心配にならない(もう関係が切れてしまったのでないかと) 相手と、そうじゃない相手がいるんだろうね、と思ったのだ。
その違いは、なに。
私は、本当に気持ちがつながっている人とは、たとえどんなに離れていても、極端な話相手が日本にいなくても、 お互いを思う気持ちは伝わると思っている。
人の思いは時間も距離も越えてく。くっさー、って言われそうだけど、そう信じてる。
今、私にとってとても大切な人(注:女性です)が海外にいるのだけれど、 その方からメールがこなかったりすると、どうしてこないのか、わかってしまうのだ。
私の書いたメールに何かひっかかりがあって返事がこない時は、その気持ちが伝わってくるのだ、本当に。 こわいほどその気持ちが伝わってきて、「ああ、どうしよう!」と頭をかきむしったこと数回。
他にもいる大切な人ともそういうことが何度かあった。

私に対する気持ちが、それがどんなものであれ伝わってくる人とは、たとえ連絡がなくても、どんなに離れていても 会えなくても平気。
心配しないし不安にもならない。離れているからって、関係がこわれると思ったら大間違いだよ。
今は仕事とか他のことに忙しいんだね、うん、頑張って、ちょこっとゆとりができたら思い出して連絡くれたらうれしいな、って 思いながら待っていられる。
そうじゃない相手とは、いつのまにかぷっちん。


20000418

テレビで、ある芸能人が、
「男女関係なく、絶対に近づいちゃいけない相手ってのはいるんだよ」って 言ってたのが妙に気持ちにひっかかった。
職場で、気持ちの中にゴリゴリとした固い芯がある、接するだけでとても疲れる人にぶちあたる機会が多いせいか、 確かにそういう人はいるかもしれないな、と思ったのだ。
近づき関わりを持ったことで、自分の気持ちがとてつもなく消耗してしまったりする相手って、いるから。
自分のいいトコロまでなんだかこじんまりしてしまうような、一緒にいてつらい相手。
職場なんかの場合、避けようがないこともあるけど、できるだけ、そういう場所からは逃げたいものだ。


20000417

愛ってどんなものかときかれたら、アナタはどう答える?

私だったら、
「天気のいい日に縁側(いつか縁側のある家に住むのが夢)で、好きな 人のそばでまるまって昼寝する時間みたいなもの」って答える。
想像しただけで気持ちがふんわりやわらかくなる。

安心して眠れる場所と時間。

イコール、幸せ。

だから、好きな人にはそれをあげられたら、って思う。


20000415

4月も半ばになると自然と考えるのが、5月の連休のこと。6連休あるのだ。
さて、なにしよう。
本読みたいな、音楽聴いてのんびりしたいな。いっぱい寝たいし、長風呂も思う存分満喫したい。
普段の週末やってることとまったく一緒だけど、でも私はたぶん、1ヶ月の休みがあったとしてもそうやって過ごすんだろうな。
朝ゆっくり寝て、昼間は自転車で散歩して、夜は日記書いて本読んで音楽聴いて眠る。 特別なことなんてしない。
つまんねー性格かも、と思うけど、でもそれがなによりも楽しみなんだもの。どうしようもなく。
家が一番好きな私にとっての休暇は、「家でゆっくり過ごす時間がたくさんあること」
これにつきる。

でも、職場で「ゴールデンウィークはなにをする?」と聞かれたので、少しは イベントらしいことも言っておかないとカッコ悪いゼ!という見栄はりゴコロがはたらいて、
「焼き肉食べに行くでしょー(普段滅多に外食しない私には立派なイベントなのだ) あと、友達んちの模様替えを手伝いに泊りがけで行くんだっ♪」
と答えたら、「その友達って、男?女?」と真顔で聞かれて面食らった。
「女だよーきまってんじゃん」
「いや、普通はそうなんだろうけど(私が言う)友達、って男か女か区別がわかりにくいからさ。 オレが友達、って言ったら男だと思うでしょ?でも○○さん(私)の場合は、「友達」って 言われてもいっつも、ん、どっち?って思うんだよね」
ん〜、そんなこと言われたのははじめてだ。
私は友達のことを話す時に、それが男女どっちであっても、 すごく愛しそうな目をして幸せそうに語ってしまっているらしい。だからかな。

私にとって、他人は大事かどうでもいいかの どっちかしか存在しない(その中間はない)。大事な友達というのはあくまでも大事な人でしかなくて、性別や 年齢やバックグラウンドなんかは確かにほとんど意識の中にない。そんなの 単なる付属物、案内板みたいなものでしかないから。私が触れさせてもらいたいのは、その中に入っている ココロだから。
絶対に失いたくない、できれば一生つきあっていけたらいいな、と思える人って、 おそらく一生を過ごす上で滅多に出会えないと思うからよけいに大切さが身にしみる。
つながっていたい人はそんなにたくさんいなくていい。本当に大事な人たちのことだけ 抱きしめて生きていければこれからの人生もずっと幸せに過ごせるって思う。
そしてその人から自分につながっている糸を、プチン、と切られないような人にならなくては!と強く強く思う。
なので、大事な人と接するのはいい意味でとても緊張する。リラックスするけど、緊張する。


20000414

私は、時々他の部署のイベントを手伝うことがある。
写真を撮ったり、机を並べたりパソコンでのプレゼンテーションの設定をしたり。部屋の後片付けをしたり。
私はちょこまか小回りがきくし腕力があるので男っ気の少ないこの職場では重宝されるのだ。
先日手伝ったイベントの講演者の方が、担当の人に「○○さん(もう一人の担当者。もうすぐ退職) が辞めたあと、彼女(私のこと)と一緒に仕事やっていけるといいですね」とおっしゃっていたと昨日聞いて びっくりした。
私はその方とイベント当日に初めて会い、たった一言言葉を交わしただけ(「私は ホームページを担当しているんです」と、本当に一言。あとはカメラを持って チョロチョロしてただけ)だったのに、なんで?と不思議に思うと同時にでもうれしくて、 素直に「そう言っていただけるのはうれしいです〜」とにこにこしてしまった(私は、 誉めてもらうと素直に受け取ってしまう。外国人みたいに、「ありがとう」というタイプ)。

仕事を、ちゃんとやっている、やれる人だと評価されるのはとてもうれしいことだ。
もちろん、私は自分が仕事ができるとか、人よりたくさん働いているなんて 全然思っていない。むしろ今の職場では楽をしすぎていると思っているくらい。
もちろん手を抜いているわけではないのだけれど、余裕をもってやっている、という感じ。
集中してガーっと更新作業などを済ませると、あとは割と平和で。 そういう状態がなんだか自分の、仕事する力の蛇口を全開にしていない気がして気持ちが悪くて、 もっともっと仕事がしたい!もっと忙しいところに転職したい!と切望することが最近はしょっちゅうある。
けれどハハに、「その気持ちはわかるけど、そこまで自分を追い詰めて奉公することないんだよ、先は 長いんだから」と、静かに言われた。
「そうやって、気持ちの平穏を保てているということはとっても大事なことだよ」とも。確かに。
求められれば、他の人のお手伝いをする気持ちの余裕がある、という今の状態。
私の仕事は、パソコン相手がほとんど(はりつきっぱなし)なので、 自分がやりくりさえすれば時間はかなり都合できる。他の人たちは、対外的なことが多いので そうはいかない。
ハハに言われるまでもなく、今の状態はある意味恵まれていると思っている。
そう思ってくるくる動いていたら、気がつけばあちこちからヘルプを求められる ようになっていた。

そしてその状態が今回、私の担当業務がもう一つ増えるかもしれないという話を連れてきたのだった。
それも、私の一番苦手な対外的な仕事。最も避けたいところ。
その仕事を担当していた人が妊娠したので、しばらくしたら替わりにということなのだけれど、 正式に話がふってこず、上の人たちがさり気なく外堀埋めて既成事実をつくろうとしている 雰囲気がまどろっこしくていやだ。正式に言われないのでいやともやるとも言えない。
正直悩んだけれど、母親の「雨って、ぱらぱらって降ってきてちょっとだけ濡れると すごく気になるじゃない。でも、スコールみたいな激しい雨が降ってきて、 全身びしょ濡れになっちゃえばかえって爽快にならない?そういうつもりで、思いきって 頭から飛び込んでやってみたら」という言葉で、そうか、思いきるか、という気持ちになったのだった。

いっちょ、やってみますかね。


20000413

私にとって、好きな気持ちはやましい気持ちだ。
人間、やましいと挙動不審になるけれど、私の場合、好きな人を前にすると どうしていいのかわからなくって、会えてうれしくて笑顔をつくりたいのだけれど それが恥ずかしくって押さえようと必死になるあまりに仏頂面になったり、無愛想になったりする。
大学時代は、つきあってる人にすらそうで、人前で仲良く話すことなんてこっぱずかしくて 絶対できなくて、ほとんど彼の存在を無視して他の男友達と楽しげに話しては、ヤキモチ焼いた彼と大喧嘩になったり、なんて ばかげたこともあった。
今思うとホント、青春の無駄使いである。あーもったいないことをした。
前の職場で好きな人がいたときも、他の人には愛想がいいのにその人にだけみょーにそっけなくて 周囲の人たちにしっかりバレたのだった(小学生並みだ・・・私。書いてて自分で情けなくなってきた)。
なーんとも思っていない人には、さいっこうの笑顔で話せるのに。やさしくできるのに(そして それが誤解を招くこと多し)。
私にとても愛想よく話しかけられる人は、恋愛対象としては好かれてはいないと思ってもらって間違いない(ってここで 断言してもしょうがないんだけど)。

これをどうにかしない限り私は好きな人からは一生好かれないような気がしてならない。
(でも、なかなかなおせないのが大きな悩みどころなんである)


20000412

昨日は朝から体調が悪くて、午後早退した。
いきなり帰るとびっくりさせるので、職場を出てすぐに家に電話をかける。
が、ふらふらと家に帰るとハハの機嫌は悪かった。「だいたいなんで帰ってきたわけ?」と 冷たく言われてしゅん、とする。
ぱったりとふとんに倒れ込み、眠った。
すごくすごく会いたくてたまらなかった人に思いがけず会うことができ、うれしさのあまり ちぎれんばかりに手を振って、顔中笑顔でいっぱいにして話している夢を見た。
あまりにもうれしくて、笑いを止めることできなくて、目が覚めたら本当に笑っていた。
クレイジーだ。
でも、たとえ夢の中ででも会えてよっぽどうれしかったのか、気分がすっきりしていて、 あんなに気持ち悪かったのにおなかもすいていたので、お昼用に買ったあんパンをむさぼり食ってしまった。
食べたあとでまた苦しくなり、後悔しつつもまた眠る。
夕方くらいに一度起きだして夕飯を軽く食べ、お風呂に入って8時には寝た。


20000411

「永遠の仔」の2回目を読んだ。(私は気持ちに響いた本を何度も借り直して読むという癖がある)
最初に読んだ時に比べ、今回の方がすんなりと話の中に入り込むことができ、途中、読みながら何度も泣いてしまった。
読み終えたあとも、描かれた人物たちの痛みが自分の中にも生き続けてしまい、しばらくそこから抜け出せない。
ぼんやりと、余韻に浸った。

生きていくことに、痛みを感じない人なんて誰もいない。
誰もが、どこか痛いところを抱えながらそれでも生きてる。
生きてくことは、きっと、誰にとってもつらいし、苦しいこと。
そして、悲しい。みんな、ひとりだから。

ココロの傷つきどころ。
って、人によって違う。
例えば胃腸の弱い人、すぐに風邪をひいてしまう人がいるように。
身体の、弱い部分がみんな違うように。
気持ちにも、痛みへの耐性の差があるはず。
同じ痛みでも、その部分が弱い人にとっては致命傷だったりすることもある。
でも、身体の痛みと違って、気持ちの痛みは症状がおもてに出にくいから、痛く感じている 自分が情けなく思えたり元気になれない自分をキライになったりして、余計に傷つくこともある。
「こんなささいなことで傷つく自分っていったいなんなんだろう、どうしてこんなに弱いんだろう」って。
いいんだよ、傷ついて。
痛みを感じている自分を、責めなくて、いいんだよ。
その痛みもひっくるめて、あなただよ。私はあなたが大事だよ。
もし、自分の大切な人が傷ついていたら、そう言ってあげられるヒトでありたい。
そして、自分の痛い気持ちも見てみぬふりせずにきちんと抱きとめられる人でいたいと思う。


20000410

昨日は、国立まで桜を見に行った。
公園なんかで止まって見ると、桜見に行ったんだか人見に行ったんだかわからないから 歩きながら見ようよ、と友達が誘ってくれたのだ。
国立で下りるのははじめて。けっこう長時間電車に乗るので、図書館で借りている 単行本を一冊持っていったのだが、行きだけで読み終わってしまった。帰りに読むものがない!と、 国立駅の近くにあった本屋で帰り用の文庫本を購入。
南口の前から、大通りがまっすぐ伸びていて、その両脇に桜の木たち。
あまりにも見事で、圧倒されて言葉があまりでない。ばかみたいに、「きれいだねー すごいねー」と繰り返すばかり。あれだけたくさんの桜の花、それから木々を見たのは 本当に久しぶりのことだった。
自然の下にいると、普段仕事で悩んだり疲れたりしていることが、とてもちっぽけなことに 思えてくる。日々の生活、もっと大事にせなアカン!とも思う。
途中、たこ焼を買って食べたり、雑貨屋をのぞいたり、散歩らしく気ままに歩く。
コンビニで缶チューハイと団子、お菓子を買って、一橋大学の構内のベンチに座って 飲んで、食べた。あー、どうしてこう、天気のいい日に外で食べるものって 何でも格別おいしく感じるんだろう。
大通りの右側と左側を歩いて、また駅に戻ってきた時にはけっこう 足がぱんぱんだった。電車に乗った途端、酔いが少しまわってるのと歩いた疲れとで 猛烈な眠気が襲ってきて、気絶するように一瞬で眠ってしまった。(帰り用の本を買った意味ナシ)

桜の季節はもう終わってしまうけど、これからだんだん新緑の季節になっていく。 5月には、緑でいっぱいのはず。
私は、その頃が一年の中で一番好きだ。自転車に乗ってどこまで行こう、と考えて今からわくわくしている。


20000408

昨日の夜、お風呂から上がって髪の毛を乾かそうとしたまさにその時PHSが鳴った。
近所に住む、今はケーキ屋でアルバイトをしている友達からで、余ったケーキを 分けてくれるという、うれしいお誘いだった。 今から出て来れる〜?と聞く彼女に、「髪の毛乾かすから30分くらい待って」と頼んで 超特急で乾かす。(私はドライヤーを使うのがあまり好きじゃなくて、冬はストーブ、 夏は扇風機で乾かすため、時間がかかるのだ)
半乾きのところまで乾かし、Tシャツとジーンズ、上着をはおって、すっぴんの顔に家の中用の ブス眼鏡(高校時代から愛用している、「おばあちゃんくせえ」と言われた眼鏡) をかけて家を飛び出した。
金曜日の夜だということをすっかり忘れていて、途中の飲み屋の近辺に人が多くてぎょっとした。 恥ずかしいから眼鏡はずそう・・・と思ってはずしたら今度は人の輪郭しか見えなくて かえって危ない!と焦ってまたかける。
途中で、同じくすっぴんで気楽なカッコの彼女と合流、そのまま30分くらいたわいもない 話をした。路上で話し込む、おばちゃんくさい二人。でも、どこかのファーストフードに 入ることもできないくらいすっぴんでゆるみきったカッコだから、路上でちょうどいいのだ。
たった30分だったけど、話して、笑って、元気になった。人と会うことって、 時間の長い短いじゃあ、ないんだね。

夜に、呼び出されて出かけるのって、楽しい。これからはどんどんあったかくなって、夜に 外で遊ぶのも、歩くのも平気になるし。
と、思ったらなんだかわくわくした。

大切な人たちが、みんなご近所さんだったらいいのにな。そしたらこんなふうにちょびっとだけ 会って、話して、元気になることができるのに。
社会人になってからは、誰かと会いたいと思ったら気合を入れて前々から予約しておかないといけなくて、 いきなり会うっていうのがほとんどできない。みんなそれをやりくりしてるんだってわかってるけど、 今度会える日までいろいろ貯金が貯まるんです。気持ちとか、話したいこととか。
メモしておかないと忘れてしまいそうなくらい、貯まってくんだよ。


20000407

ヒトって、あまりにも期待させられ〜、裏切られ〜、また期待し〜、またダメで〜、 ということが何度も何度も起こると、だんだん期待して待つということをしなくなる。
いざ、期待が現実になろうとした時に、喜びのテンションはすっかり下がってしまっていたり、 すぐには信じられなくて疑ってかかったり。
期待することをやめたら楽だからね、気持ち乱れなくて。がっかりすることもないし。
でもそれは、叶った時にも気持ちが乱れなくなってしまうことでもあって、そんな自分をさみしく感じる。
仕事のことで、ひとつ、叶ったコトがあったのだけれど、その瞬間は 喜びの顔を必死に作るのに精一杯で、感情がついてこなかった。
でも、じわじわとあとからうれしさがこみあげてきて、 パソコンに向かって作業しながらゆるむ顔を押さえることができなかった。
よかった、まだ期待感残ってた。
叶うように、頑張り続けてよかった。


20000406

私はある時突然外の世界と距離を置きたくなったりする。(外の世界=自分の部屋以外。なので、 例え自分の家でも、部屋以外は、外の世界。)
誰とも口ききたくなくて、誰とも会いたくなくて、誰のことも頭にない、そんな時期が時々やってくる。
これを、私は「こもりたい期間」と勝手に名付けている。
その期間中は、外へ元気に出て行くよりも、部屋で静かに自分と向き合うのが一番。気持ちが 穏やかでいられることが大事。
黙って家にいることが自分を癒すと前に書いたけれど、 引っ越してからは特にその傾向が強くなっているようだ(部屋の 居心地がいいから)。休日の午後、大音量のスガシカオや椎名林檎をかけながら ぼーっとしたり、本を読んだり眠くなったらぽてんと寝たりまた起きたりしている自分をフト かたわらから眺めて、
「私って・・・誰かと住んだらやっていけないのでは・・・」 と思う。結婚なんて、もってのほかかも。
誰かとべったり一緒にいるのができなくなってきている。
結婚して、こういう一人で過ごす時間をもちにくくなるのなら、 あたしゃ結婚なんてしなくていいよ、と静かに思ってしまったりもする。
最近ではテレビを見る時間なんて無駄にしか感じられなくなってきて、 一刻も早く部屋に入りたくってしょうがない。お風呂に入っていても、 早く!とか思ってしゃかしゃか洗ってたりするし。

でも、こんな私の休日の過ごし方はヤバイらしい。(職場の人に言われた)
「家でぼーっとしてるんだろ」って言われて、
「はい〜、昼くらいまで寝て、起きておもむろに ご飯を食べ、そしてまた眠くなり部屋に入って本を読んでいるうちに寝てしまい、 起きると6時くらいで、またおもむろにご飯を食べ、2時間くらいお風呂に入ってまた寝ます」と 淡々と答えたらすっごいあきれ顔をされてしまったのだった。
「お前そりゃ結婚できないぞ」ってさ。
「いや〜最近自分でもやばいなと思うんですけどね〜へへへ」と、全く反省(?)の色なしの私。
「相手もすごいマイペースでちゃんとやりたいことあるヤツじゃないと」
いいじゃないか、それ。
お互い、自分の好きなことしてて、タイミングあったら遊びましょ。
・・・だめだろうな、こんなんじゃきっと。
私の場合、「この日は家にいたい」っていうのも立派な予定のうちになってて、 それを譲らないからな・・・だからあまり先の予定を決めてしまうのは苦手。
約束した時はよくても、直前になって突然「こもりたい期間」に突入しないとも 限らなくて、自分自身を信用できないから。


20000405

昨日は、「きらきらひかる」(ドラマ)を楽しみにいそいそ帰った。
9時から。家に着いたのは10分前くらい。お風呂に入ると間に合わないな〜と うだうだしていたら、ナイター延長のため20分繰り下げ。でもタイミングを逃して入りそびれる。
「このドラマは最初の部分が肝心だから、そこをみて、中だるみしはじめたら さっと入ろう!」と見始め、途中で超特急でカラスの行水。
その間のあらすじをハハに聞き、おいついて、歯磨きしながら落ち着いて見た。
このドラマ、いつ見てもいいな〜。
なにがいいって、主人公4人の女性たちが、ちゃんとお互いのこと認め合って、 信頼しあって、多少のキツイこと言い合ってもびくともしない関係だってこと。
気持ちいいね、そういうの。
仕事の場、なかなかそうはいかないから、さ。
最後の一番いい場面のあたりで、突然、ハハが正座(健康にいいから、と言って 一日に何分か正座するのが習慣)したまま前に突っ伏して動かなくなった。
「おーい?」と思いつつもほっとく。(寝ている人は起こさないのが我が家の家訓)
そしてちょうど終わった頃に、がば!と起きあがったその顔の間抜けでかわいいこと。
寝あとはついてるわ、顔はぼけぼけだわ、油断しきった人の顔ってこんなだね、という 見本のようであった。
「ん?なに?終わったの?どうなった?」とむにゃむにゃ言う姿がかわいらしくて、 うーん、こういう、無防備な姿が女性のかわいさかも・・・などとまた男の気持ちになる私 なのだった。
私、寝起きとか、眠そうな時の人ってスキ。だって、無防備でかわいらしいんだもん。
自分の前でゆるんでいる人を見るのって、なんかうれしくってにやけちゃう。
たとえそれが毎日見慣れてる母親だったとしても。


20000404

言葉の有効期限は思った以上に長かったみたい。
半年も前に言われた言葉を思い出して、今ごろになって泣いてしまった。
おいおい、なんで今更、あの時は泣けなかったくせにやめてくれよ〜、 と思いながらもぼろぼろ泣けてどうしようもなかった。
ガンガン泣いて、たれてくる鼻水をチーン、とかみつつも、 言葉ってなんてこわいのだろうと冷静に考えた。 言った本人にとっては意味もなくとっくに忘れているような 言葉が、こうまで長持ち(?)して気持ちを傷つけているなんて。
私の言葉も、誰かの気持ちの中に残ってその人を傷つけていたりしないだろうか。
と、ちょっと心配になった。

口で言われた言葉は、文字として残らないから、案外簡単に忘れてしまえそうに 思うけれど、実はそうじゃないんだってわかった。
文字で残る以上に、クリアに記憶の中に残ってしまうんだ、って。
言われた時の空気とか、相手の表情とか、自分の気持ちとか、それらがすべて言葉と一緒に再現されてしまうから 余計に痛く感じて、いつでもその時に戻ってしまうんだね。ああ、びっくりしたよ。

もう、開けないようにしよう、この箱は。


20000403

スガシカオの曲を必ず毎朝聴きながら通勤するようになってもう半年くらい経った。
絶対に欠かせない。途中で充電池が切れた時なんて本当にがっかりする。
彼の曲を聴いていると、男性にも、色気ってあってほしいよねやっぱり、と思う。
けっこうhめの曲もあるのだけれど、それにまたどきどきさせられ、声にぞくぞくする。
私は、あまり自分が女らしい人間だと思っていないのだけれど、 この人の歌を聴いている時だけは、すごく自分の中の女の部分を意識する。
そしてそれは、結構気分のイイコト。
今私とデートした人は、きっとドキドキするはず、なんてばかなことを思ったりもして。


20000401

私は、人が出す気持ちの波動のようなものにとっても弱い。すぐに影響を受けて疲れてしまう。
職場の人達の激しい気持ちの渦に巻き込まれまいと、必死に足を踏ん張って耐えてた今週だった。
家に帰ると力尽きて、「ただいま」以降一言も口きけないこともあったくらい。(カラダは平気でも ココロがぐったりしていてもうダメ)
その反動は帰りの電車に乗ったぐらいから出始め、涙がぽろり、と落ちそうになる。 (私は気持ちがゆるむと泣いてしまうことがあるのです)
でも、そんな時「これから帰ってお風呂に入り、日記を書いて、 音楽聴いて、借りてきた本を読もう」って考えることで、 気持ちの疲れは案外すっとひいていく。
「職場用の自分」から「帰ろうとしている 自分」につながっている糸を、プチッと切り落として帰宅することが肝心。
おひきずりはいけませんよ。

私は、黙っていることで自分を癒すことが多い。
黙って音楽を聴いたり本を読むことで、自分に塗り薬をすり込んでいるような感じ。
気持ちを平らでまっさらな、新しいものを受け入れられる状態に戻すことが私にとっての治癒。


diary index | ←200003200004200005