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20000531

昨日は、退職する人の送別会だった。居酒屋。
私は、断言したい。
出された食べ物にいちいち文句つけたり、おいしくなさそうに食べる人は大嫌い。
私の左隣に座った男性(もうけっこう年配)が、なにか食べ物が運ばれてくるたび、 食べるたびに必ず、「これはなになにが足りない」だの「これはおいしくない」だの いやなコメントをつけたのだ。
同じものを今みんなは食べてるんだよ!ばかもーん!!
私が星飛馬の父なら間違いなくちゃぶ台ひっくり返してるところだ。
案の定、みんな不愉快な表情になって、食べる手が止まったりしていたので、 これは私がおいしくがんがん食べてみせ、「おいしくなさそうな」空気を払拭するしかない! と妙な使命感に燃えてしまい、無理して食べまくった。周囲の人、この食いっぷりにつられてくれないかな、と 期待して。
隣の文句たれおじさん(もうおじさんよばわり)にも、「これ食べます?」 「これなら食べられるんじゃないですか?」とこまめに取り分け、世話をやき。
私は一体なにやってるんだろう、世話焼きたがりのおかんかお前は!と自分にツッコミ入れたくなるほどの 甲斐甲斐しさぶりだった。自分で言ってしまうよもう。
だって、他の人がしらーっと彼を無視しているので、隣の私が頑張るしかないじゃないですか。
もう片方の隣の男性は男性で、彼の文句に向かって怒りの言葉をはいてるので、そっちを なだめたり、こっちを世話したり、大忙しだった。
その後ちょっと他のテーブルに行って話していたら、先ほどの無茶がたたり、 胃が悲鳴をあげはじめた。
昨日は朝からずっと気持ち悪くて、コーヒーを飲んだだけでも吐いてしまったというのに。
無理しすぎたね、ごめん、と思わず自分のおなかに心の中で謝ってしまった。
でも、私は「吐きのプロ」(なんせ小学生時代からよく吐く子だったので、私にとって吐くことは あまりたいしたことではないのだ、実は)なので、ちゃんと、 今吐いておかないと絶対あとがつらい、我慢しすぎるとつらい吐きになり顔中の 血管切れて内出血しておそろしいことになる、今だ、走れ!
というタイミングは絶対にはずさない。(全然自慢にならないけど)

送別会で送る側じゃなく、はやく送られる側になって こう言いたい、ああ言いたいとぼんやり空想してうれしい気分になる私、 ちょっと疲れているのかも。


20000530

昨日もまたパソコン直しに遠征。
必要なソフトのCD-ROM、LANカード、ケーブルを受け取ってから、 ちょっと早めの昼ご飯をマックで食べる。
LANカードの箱がどうしても鞄に入らなくて手で持ち歩いていたので、 食べている間、テーブルの上に置いておいた。
一通り食べ終わって一息ついていたら隣に外人の男性が座った。
そして突然、テーブルの上の箱を指差し、
「これはLANカードの箱か?」と話しかけてきたのでそうだと答えると
「箱の中身はカードか?」とさらに聞かれ、またそうだと言うと、
「これでなにをするのか、LANの設定?」などと質問攻め。
「これから行く先のパソコンで、ネットワークにつながらなくなったものが あるからカードを交換しに行くんです」と言うと、
「おーあなたは技術者なのですね!」とオーバーに驚かれた。違うってば。
そのあとも、あなたはなにをしているのか学生かと聞かれ、違うと答えると大学では何を学んだのか、 図書館について学んだというと図書館は大きな情報センターとなりつつある、 図書館のことがわかればその他の会社でも通用する、などと熱く語りだす。
それから今度は、あなたはボーイフレンドは?と聞かれ いないと言うと、じゃあ好きな人は?
それはいるかな、と答えると、打診はしてみたのかと聞かれ、いやしてないと 言うと、
「そうか、じゃあ彼はまだあなたに啓蒙されていないんだね!」と言ってから、
「啓蒙されてない、っていい表現だと思わない?」と一人で 上機嫌になっていたのが面白かった。
その後は、外人お得意の、ほめほめモードに突入。
あなたはかわいい、だの(かわいくないって)
この靴はいい靴だね、だの(単なるヒールローファーだってば)
あなたの服装も素晴らしい、だの。(ジーンズにTシャツだよ?)
すべてのほめ言葉ににいちいち心の中でツッコミを入れながら適当に聞き流す。
そして、さりげなく人の腕さわってきやがんの。
やめろーい!と思ったけど、拒絶する元気もないほどぐったりしていたので、 さりげなく身体をずらしてよけるだけにとどまる。
そしてひとしきりしゃべりちらしたあと、さわやかに彼は去っていったのだった。
あー疲れた。外人、陽気だね・・・。(ふーっ)

パソコン修理に向かう。駅からけっこう歩くのがつらい。暑い。ばてそうになる。
結局、最大の目的である修理は終わらなかったのだけれど、 それ以外の、全員が困っていたという「excelの自動保存機能が使えない」 件は追加インストールをすることで解決したのでちょっと気持ちが軽くなる。せっかく行ったのに 何も解決しないで帰るのは嫌だから。
「Office97の時には標準で自動保存の機能がインストールされていたけれど、 2000は設定しないと入らない、なのでCD-ROMを送るので設定してほしい」
という向こうからの指示がわかりにくかったようで、さらに、
「CDを使わず、インターネット上からもってくる方法もある」と言われてしまったことで、
「いったいどっちがどうなの?どう違うの?」と大混乱していたようだった。 なのでそれぞれがどういうことなのかを説明し、 実際に目の前で追加インストールしてみせ、それからマイクロソフトの ページを開いて、ここからダウンロードしてくる方法もあるんです、と説明して、 なんとなくわかってもらった。
説明する時、少しでもイメージをつかんでもらって、そんなにおっかないことじゃないんですよ〜、って ことをわかってもらえるととてもうれしい。素朴な疑問をいろいろぶつけてこられると、 逆に自分のわかっていない部分もはっきりしたり、説明の仕方を考えるきっかけになるし。
やっぱり私は、人のパソコン環境をできるだけ快適にするためにいろいろ頑張るのが好きだ。
問題が解決して、うれしそうな顔をしているところを見ることができるのもうれしいし。


20000529

昨日は近所に住んでる友達と昼カラオケ3時間。
宇多田ヒカルの新曲はもうちょっと頑張って聴きこめばいけるかも(人前で 歌っても許される程度には)しれないことが判明。頑張ろう。
そのあと、夕飯にはまだはやかったので軽くお茶する。
ホットミルクと、 焼きたてのメープルシロップサンド。プレッツェルみたいなパンの間に メープルシロップとバターがはさんであって、ほっかほかでおいしかった。
それでもまだ時間がはやいね、ということでぷらぷらと散歩した。
途中で雑貨屋をのぞいたりして。何も買わなくてもあれこれ 見ながら話して歩くのは楽しい。
ゆっくり1時間くらい散歩して、さておなかもすいたね、と久しぶりに 揚げ物の定食を食べた。ヒレカツ・クリームコロッケ・アスパラ巻、ご飯にみそ汁、漬物。
二人して集中して食べて、集中しすぎて疲れたほど。しっかり食べたという実感があった。
それから本屋などをうろうろし、帰りがけに、「ホワイトチョコレートムース味」の アイスってどんなのだろうと二人して気になってしまい、結局Sサイズのカップを食べたのだった。
食べ過ぎかも。最近なにかとアイスが食べたくなってしまってしょうがない。暑いし。

夕飯を食べている時に、友達に「なんだか元気ないねえ」って心配そうに言われてしまった。
「いや、元気がないっていうより、疲れてるんだと思う。職場では必死にいろいろ話す分、 反動が週末にきてるんだよね」「ああ、わかる、私もそうだった」
自分でも、なんだかちゃんと笑えてないな、顔が強ばってるな、とわかってはいた。 やっぱりそう見えるのか・・・。(しゅん)
「でもだいじょうぶ、私と会ってる分には支障ないからね。ちょっと心配になっただけで」
と言ってもらえて気持ちが楽になった。頑張らない、素の自分で一緒にいてくれる友達の存在は 本当にありがたいと思う。
ここのところ、ちょーっと気持ちが、無口。何も語りたがっていないのがわかる。


20000527

「人の痛みがわかる人になりなさい」とはよく言われることだけど、
「人の幸せを自分のことのように喜んであげられる人に なりなさい」とはあまり言わないような気がする。
本当は、そっちのほうがずっと難しいことだと思うのだけど。
痛い気持ちを共有することのほうが、きっと少しカンタン。
幸せいっぱいな顔をしている人と、自分のちょっと余裕のない気もちを 隠してそれを共有するのって、ガンバリが必要なこともある。
だから、誰かの幸せな話を聞いて心から、幸せそうな姿を見て私もうれしい、よかった、 と思えたときに、自分の相手への気持ちを再確認する。やっぱり大切な人だった、ってわかる。
そして、そういう人に出会えている自分がうれしくなる。気持ちがほっくりする。
しあわせを分けてもらったな〜って思う。


20000526

昨日は誕生日だった
ので、
自分にプレゼントをしたいと思った。
それは、
午後の仕事を休んで、帰ること。
先月の終わりから、ほんとに必死に仕事こなしてきたから。
頑張った、って言える、胸はって。
だから、自分で自分にご褒美あげよう、って決めていた。
そしたら午後の時間、どう過ごそうかな〜たまには他の街に行ってみっか、と 思いつつも、いつも結局は自分の住む駅までぴゅーっと帰ってしまう私だ。 (帰りたがりなんですね、要するに)
慣れないところに行って疲れるよりは、なじんでいるお店でほっとしたい。
というわけで、デパートの地下でおいしいアイスを食べて 帰ろう、それから散歩もしよう本屋にも行こう、とわくわくわくわくしていた。

・・・のだけれど、
なんとなく休暇をとりそびれてしまった。とてもそんなことが言い出せるような 雰囲気じゃなく、「誕生日なんで〜今日は午後帰りますう♪」なんて 言おうもんなら(言わないけど)ぶっとばされそうだった。
ああん。
その上、お昼の前に、お弁当の買い出しに行くはめに。6人分。
「うーん、私なんで自分の誕生日につかいっぱ(使いっぱしり)やってるんだろう・・・、 本当だったら1年で唯一いばっていい日のはず(それはまちがい)なのに・・・」 と思いつつずっしりと重い弁当たちをぶらさげて走った。
ああ、なんだかつまらないよう!
さて仕事帰り。まずは自分に誕生日プレゼントを買った。
それは、宝クジ。
誕生日に5枚だけ買うと決めていた。(5がラッキーナンバーだから)
ぱんぱん、当たりますよーに。
それから、母親がずっと食べたい!と叫んでいた宅配ピザを買った。(テイクアウトに すると500円も安い)
「私、なんで自分の誕生日に自腹きってピザなんて買ってるんだろう・・・」と これまた思いつつ。
「これは、あくまでも私は、人に『してもらう』側ではなくて、『してあげる』側の人間 だってことなのかね誕生日もこうってことは」などと妙に納得しながらぷらりぷらりと帰った。
ピザは、大好評。(ハハに。いや私も久しぶりだったけど)
おいしかった。とっても喜んでもらえたし、ケーキに形が似ていなくもないし(強引) こういうのも、たまにはいいかもしれない。
いつもあまり食べないハハが、ぱくぱくぱくとすごいスピードで食べていたのでびっくり。

それからのんびりテレビを見ているとPHSが鳴り、地元の友達からで、
「お風呂あがってからでいいからちょっと出られるようになったら電話して〜」と言われたので さっさと入って髪の毛乾かして、眉なしすっぴん、でも今回はコンタクトは入れたままで でかけた。
お互いの家の中間地点で合流し、はい、と手渡されたものそれは。
あ、ケーキだ〜っ♪
わあい。
30分くらい立ち話をして、今度遊ぶ約束の時間を決め、帰って から食べた。チョコレートケーキ。脳みそが溶けそうになるくらい 甘くておいしかった。しあわせだあ・・・。

私はたぶん、いくつになっても、自分の誕生日を毎年楽しみにすると思う。
ばあちゃんになっても、お団子とかで祝っていそう。
毎年の、5月25日という日が、大好き。
なので、昨日は眠ってしまうのがもったいなくて、日にちがかわるまでずっと起きていた。


20000525

連休中に買った鞄は思った以上にスグレモノだった。
入れるところが3つに分かれているとは前にも書いたのだけれど、 それぞれに単行本をしっかり入れることができるのだ。それも余裕をもって。
今までの鞄だと、他のものと一緒にぎゅうぎゅうと無理やり詰め込まなければならず、 一緒にいれるおにぎりがぺったんこになってしまったりしていたのでこれはとってもうれしい。
最近では、「このポケットは本のためのスペース」と決め、 多い時には単行本プラス文庫本2冊、という組み合わせで持ち歩いていたりする。
単行本は図書館から借りたもの、文庫本は、新しく買ったもの& 自分の本棚から引っ張り出してきた、気楽に読めるもの。
それぞれをその都度の気持ちに合ったタイミングと場所で読む。うーん、贅沢。
単行本は、朝ご飯を食べるコーヒー屋さんで。新品の文庫は電車の中で。 本棚から持参した文庫はご飯を食べている時に。 (外でひとりでご飯、をする時にはかかせない。お行儀悪いけど。 図書館の本だと「食べながら読み」ができないので、自分の本で)
本3冊分は、ちょっと重いけど、幸せな重みだ。
いつなんどき、どれだけ待たされても、退屈しても、どれか1冊を読み終わってしまっても ぜんぜんへっちゃら。どんとこいだ。


20000524

家や図書館に並ぶ本を眺めて、
「これは昔読んだものだけれど、私はちゃんと読んだんだろうか、 わかったんだろうか、読み取ったんだろうか」
と不安になってしまい、もう一度読みなおす、ということが時々ある。
人とも同じようなものかもしれない。
自分と今、関わりのあると思っている人達の顔を思い浮かべ、 この人と私、きちんと会ったのかな、つながったことがあるのかな、と不安になる。
もう一度、関係を結びたくなる。心もとなさを、少しでもなくしたいと思う。

本を読む時、表面をさーっとすくったように読むのは簡単だ。
人とだって。
表面的につきあっていくのは簡単なこと。
だけど、その先へ進めば自分の気持ちは否応無しに動かされることになる。
本なら、読み進むのをやめて閉じてしまえばいい。
人とだったら、これ以上踏み込むのを、関わるのをやめよう、 この人とはここまで、と気持ちにラインを引いてしまえばいい。
たぶん、上っ面なでてくだけなら、いくらでも、どんな人とでもやっていけるんだよ。
職場用の営業スマイルがあるように。
その人用に自分をしつらえて。
相手に踏み込めば踏み込むほど、醜いどろどろした部分も見てしまうことになるし、 それを知ることで自分の気持ちも巻き込まれてくたくたになることもある。
でも、どんな部分を見せられても逃げない、受けとめる、向き合っていく。
相手の内面をみせられてから、やっぱりや〜めた!ときびすをかえすわけにはいかないから。
相手の気持ちと真正面から向き合うことは、とっても疲れることで、時には 「ああ、お願いこれ以上はいってこないで!」と防御しそうになることだって、あるけれど。
そんな気持ちすら乗り越えた上で、やっていこうと思う。
ちゃんと、そういう覚悟でこの人と向き合えているかい?と、自分に問い掛ける。

いつか、私のこと、
「絶対に自分からいなくならないひと」って思ってくれる人がいたらいいのにな。
誰かを、安心させたい。


20000523

昨日は、出張パソコンサポートサービスをしに出かけた。
まず、障害対応の方法を聞きに行き、そこから現地に向かう。
行った先は女性ばかり5人のちんまりした事務所。
私が入って行った途端、全員がほっとしたように笑いかけてくださったのが印象的だった。
伝えられた作業をし、エラーメッセージを確認した上でプログラムを作った人へ電話をかける。 私が伝えた内容を解決するために再度メールでファイルを送ってくれ、それらを入れなおしたりして対応、 ということを2回繰り返した。
向こうがメールを書いたりファイルを用意しているのを待つ間はぽっかり空いた暇時間。
なので、そのパソコンで自分が仕事で関わったホームページを 見ていた。違う環境で見たらどうなるのかな、と思い、すみからすみまで、一通り。
ああ、このページは画像の見え方が重い・・・などと細かいことが気になってしまう。
そして、出ているデータがおかしい?と思った部分があったのですかさずメモ。 あとでもう一度確認してみなくっちゃ。
職場のパソコンにももちろん最低限2種類のブラウザは入れているし、表示文字の大きさを変えて 確認もしているのだけれど、外部で見る機会はなかなかないのでこういう機会を逃す手はない。
自分がちょっとでも制作に関わったページの見え方が、いつまでも気になって仕方ないのだ。
自分の環境ではしっかり見えていても、他ではそうじゃないかもしれない、と 外に行く度チェックしてしまう。
このページもしかり。一緒にこっそりとチェックしてしまった。こちらは、だいじょうぶ。

さて、作業の結果はというと、結局、その日には解決せず、もしかしたら後日、osやソフトをインストール し直さなければならないかもしれないということになった。それでも、 「来てもらえただけで安心しました」と言っていただき、少しだけ気持ちの負担(直せなかったことに対する) が軽くなる。
あまりパソコンに慣れていない人たちのところに行くと、私を全員が一斉に頼りのまなざしで みつめているのがわかって、とても緊張する。いい加減な説明は絶対にできない、と思うから。
私は自分がそんなにパソコンに詳しいとは思っていない。逆に、それほど詳しくないから こそ、パソコンが苦手な人側にすぐ立つことができるのだと思う。
あまりにもできすぎる人だと、わかりすぎていて説明が難しかったり、ちょっと不親切になって しまったりするから。その気持ちも、わかる。たぶん私は両者の中間くらいに位置しているのだと思う。
たとえその日に解決ができなくても、不具合の理由だと思われることを 説明し、こうすれば直るかもしれません、と解決方法を伝えることでずいぶんほっと してもらえるんだ、と改めて実感した。
原因もわからず、なおるのかどうかもわからないままでおっかなびっくり使っている状態って やっぱりストレスたまると思うから。ちょっとでもそれを軽くできたのなら、よかった。


20000522

サタスマで中居くんが、一日ベビーシッターをしていた。
11ヶ月の男の子。
昼間の間はにこにこ機嫌よく世話をされていたのに、 夜になったらいきなり火がついたように泣き出して止まらない。
なんでだ?と思ってたら、ハハが、
「あれくらいの頃って動物と同じだからね。母親と離れていられる限界の時間があるのよ」
なるほど。
「あんたは子育てしたい?」と聞かれて
「うん、もしするんだったら一日中一緒にいたいな〜」
「でもそしたら夫になる人は稼ぐ人じゃないとだめだね」
「私はたぶんそういう人とは結婚しない(できない)からさ〜、子どもはあきらめてんの」
と何気なく答えて、自分の本音に気がついた。
そっか。
私は別に、仕事と育児必死に両立させよう、って気はないんだね。
もし育児に専念できる環境なら、そうしたいんだ。
子どもがまだなにもわからない、動物と同じような頃はできるだけ、そばにいたい。
いっぱいぎゅうをして安心させてあげたいな。
そして、ある程度意思の疎通ができるようになったら、少しずつ距離を置いても大丈夫なように していけばいいかなと思う。
・・・などと考えることはあっても、実際に自分が子育てすることなんて あるのか?と果てしない気持ちになるのだけれど。
子育てで特に楽しみにしているのは、絵本を読んであげること。
今からその時を想像して、ばかみたいにわくわくしている。

私は、
「これからずっと、どんなことがあってもこの人(子)を全力で守っていくし どんな時も味方でいる」
って思えた時に 結婚や出産をしよう、って決めているのだけれど、一体いつくるのか、そんな時。


20000520

わたしはいま、ちょっといたんでいるので、
本を読んだり、
音楽を聴いたり、
ドラマをみたり、
もらったメールを読んで返事を書いたり、
人と会って話したりすることが
つらくてなかなかできない。
外からの刺激を、受け止めきれないのだ。
こんな時、自分が犬だったらよかったのにとつい思う。
犬だったら、なにも話さずにその場にうずくまって丸まっててもなでてもらえるかもしれないから。
黙ってそばに寄り添うだけで、なんとなく伝わって「お、ポチ甘えたいのか、よしよし」ってしてもらえそうじゃありませんか。

でも人間の場合、まずは言葉を発しないことにははじまらない。
そのパワーすら最近は涸れ果ててきた私は自分の小屋(部屋)に逃げ込んで、 タオルケットにくるまりまるくなって目を閉じる。


20000519

最近、頑張って苦手なストッキングもはくようになったのだけれど、 なんせストッキング歴が浅いものだから白すぎず、黒すぎない(?)ちょうどいい肌色のものを 選ぶのがまだ下手クソだ。
売り場にしゃがみこんで、見本に手を突っ込んであっちでもない、こっちでもないと毎回悩む。
この前ひざ丈の薄いソックスも見つけたのでそれも買った。靴下の方がラクだし破れないから安心。
でも実際はいてみると、膝上の肉がもり、っとするのが気になってはいていけないじゃん・・・(がーん)

ストッキングをはいている日は、ひたすら伝染させるのがコワくてどきどきしながらの足さばき。
これを続けてたら女らしい足になるかも、しれない。
期待しましょう。


20000518

仕事の合間、ちょっと疲れて入ったトイレでつぶやく自分との合い言葉は「さばさばいこうぜ!」。(鏡に 向かって自分で自分を励ましてる)
粘着質な気持ちで不快な態度をとってくるような人がいて、そういう人に巻き込まれたら終わりなので、あくまで ガラの悪い、そのねばねばをブッタ切るような勢いの対応でさくさくとかわす努力をしている。 いちいちねばねばに足をとられて転んでたまるかい。そんなもん、まるめて あんこからめて食ってやる。(あんまりおいしくなさそうだけど)

どんな状況におかれても、それがつらかったり悲しかったり腹の立つことだったとしても、 気持ちのどこかでそれを面白がってしまえる人間でいたいといつも思ってる。
「ああ、今私ってどん底だわ〜」って他人事みたいにみつめて、 「こういう経験がいつかなにかに生かせるかもしれない、文章書く時とかね」と あほみたいに前向きに考えて、「これもいつかネタにしちゃる、いひひ」とほくそ笑んで 相手を観察してしまうくらいの気持ちの余裕をもっていたいもんだと思う。
どうでもいい人から自分の気持ちを傷つけられたり、ふりまわされたりすることほど むなしく疲労することはないから。大切な人にならいくらでも喜んで気持ち差し出すけれど。

強い心の持ち主になりたい。
でも実際は、
自分の内面が、だんだん硬く強ばっていっているような気がする。(「強い」のと 「強ばっている」のは違う)
苦しいくらい。
どうしてもほどけない。
小さくなりはじめた心の声に必死に耳を傾けて、「今なにがしたい、なにを食べたい?」って聞いた。
甘いものが恋しくて、どうしてもアイスが食べたい!と思ったので、 昨日の夕飯に2個食べた。
そしたらなんだかいきなり眠くなった。
甘いもので気持ちがゆるんだらしい。
こんな小さなことでも、本当にしたいことを叶えてもらってココロはほっとしたのかもしれない。


20000517

人間、やっぱり顔だ。
顔の造作じゃなく、いい顔してるかどうか。内面は顔に出る絶対。もう、強く断言してしまう。
写真って、コッワイな〜。真実を写す、とはよく言ったもんだ。
あまりにも職場でつらいことばかり発生するので、 これはビジュアル的にも訴えたいものだ!と思い、 職場で写した写真をちょろっと持ち帰ってハハに見せたのだ。
話でしか聞いていない人なのに、
「これが誰々でしょ」って全て言い当てた。
「この人は性格は悪くなさそうだけど、気が弱そうだし出世しなそうだし お金持ちにならなそう」「うんうん(合ってる)」
「この人は仕事できなさそうでこずるそう」「うんうん(合ってる)」
「この人はほんっとに意地悪そうな顔してるしすごいコンプレックス持ってるわね」 「うんうん(意地悪だもん)」
(・・・すいません暴言母娘で。でもこうでもして発散しないとやってられないんです)
いやーすごい、全問正解だよカアチャン!
と、感激したのもつかの間。
・・・ところで私の顔は?と恐怖の問いかけが頭をよぎる。
「あの〜、私の顔は大丈夫ですかねえ、意地悪そうじゃない?」 とおそるおそる聞いてみたところ、
「うん、大丈夫じゃない?」
という返答で、ほっとした。

「やっぱり、自分に異常にコンプレックスを持っている人ってのはよくないね。 人に対してやさしくなれないし」
と、ハハ。
コンプレックス。
多かれ少なかれ、誰でも持っていると思う。
それをバネに自分を磨く努力をする人もいれば。
変な方向へ曲がりくねっていってしまう人もいる。
コンプレックスがあるからこそ他人に優しくできる人もいれば。
コンプレックスゆえに他人を傷つける人もいる。
そんな、取り扱いがちょっとやっかいで注意すべきもの。

私はキチンとそれを自分の中で処理して乗り越えた上で、いい顔でいたい。やさしい人になりたい。


20000516

相次ぐ若者の犯罪のニュースを見ながら、「やっぱり親でしょう。学校でも警察でもなく、 親がどうにかしなくちゃいけないよ。この世に生産した責任があるもの」
とハハ。
いわゆる世間で言われるところの非行に走る要因(母子家庭、母親が働いていて ほとんど家にいなかった、そのためあまりかまってもらえなかった、家に一人でいる時間が長かった)を 満たしているわりには、私はけっこうまっすぐ育ったんじゃないかと思う。
小学生時代、母子家庭への偏見を含んだ気持ちを感じ取る機会が 度々あったので(当時はまだ珍しかったというのもあり)、
「私がもしなにかしたらまたそういう風に母子家庭だからってことを理由にされるんだ、そんなの絶対に悔しい! そんな偏見ぶちこわしてやる。意地でも私は非行に走るまい」
と密かに決めていた。結果的には負けず嫌いの性格が幸いしたとでもいいましょうか。

「あんたがもし非行に走ってたら、私はあんたを殺して刑務所に入ってたよ。 人様に迷惑かけるようなことしてたら、産んだ責任をとって絶対に殺してた」
「・・・」
よかったよ、殺されずにすんで。


20000515

たとえ遠く離れていても。
滅多に会うことができなくても。
「あの人も今同じ空の下で頑張ってる。私も頑張ろう。いつでも胸を張って会える人間でいたい」
そう思える相手がいることは、私の気持ちを強くしてくれる。
自分をしゃん、と立たせてくれる存在だ。
いてくれるだけで、どれだけ救われているか、どんなに言葉を尽くしても伝えきれない。
ただひたすらに感謝の気持ちを。ありがとう。


20000514

今日は母の日。
だけど、一日家で静かに寝ていたいと思った私は、 昨日の帰りにケーキを買って帰った。給料日前なのでお財布の限界と、 風邪がまだ治らなくって、他にプラスするものを買いに行くだけの体力の限界との 両方の理由から、去年と同じくケーキでお茶を濁したのだ。
「ケーキ買ってきた」と手渡すと、ハハが突然、
「ハッピバースデートゥユー♪」と歌い出した(私が今月誕生日だから)ので、
「いや違うってば、母の日!!とりあえずケーキ。お給料入ったら今度ジーンズ買いに行こう。買っちゃるから」とさえぎると、
「ああ!(本当に忘れていたらしい)」って。
「ありがとう♪明日食べよう〜っと」
と、想像以上に喜んでくれた。(うう、普段なにもしてあげてないのがバレバレやんけ)
「・・・ねえ、絶対明日食べる?(実は自分が甘いものをとっても食べたい気持ちだったのだ)」
「あ、今日食べる?おなかの調子がつらくないんだったら今日食べようか」
長いケーキだったので、4つに切って一切れずつ。(一緒に食べたら意味ない?)
それも、「お皿洗いたくないよね」「うん」(意見一致)と、箱の中でサクサク切って、箱を回して交代に食べるという 不精ぶり。
「おいしいねえ!」とまた喜んでくれたので、私までうれしくなった。
気持ちがほこっ、とする。じんわり幸せになる。
弱って痛んでいた気持ちを、やわらかいものでそっと包んでもらったような感覚だった。
もっと、誰かを喜ばせたい。


20000513

「今朝ね、コーヒー屋でコーヒーとパンを注文したんだけど、お店の人がパンのお金を打ち忘れた からコーヒー1杯分のお金でパンも食べられたんだよラッキーでしょう〜♪(あとで気がついたんだけど、 『これくらいのささやかな幸せ、味わってもいいかな』って思って言いに行かなかった、ゴメンナサイ)」

そんな話を、したいよ。
くだらないことで一緒に笑いたい。笑顔を見たいと思う。

自分が弱っている時に、誰かに会いたい、そばにいてほしい、話したい、と 思うのは、甘えなんだよね、やっぱり。
小さい頃からずっと、気持ちのどこかで「甘えるのは相手に 迷惑をかけるよくないこと、一人でしっかりしなくちゃイケナイ」と思ってしまっている私は、 自分の中に生まれた甘えたい気持ちを、間違っている欲望として否定してかかってしまう。
本当は苦しい時ほど、大事な人と気持ちを通わせる瞬間がほしくてたまらないのに。
ほしがる弱い自分を責めてもっともっと苦しくなる。
大事な人との距離のとりかた、忘れた。


20000512

友達に「私から見ると、(今の私は)一生懸命理由づけをして、 本当にしたいこと、言いたいことをガマンしているように見えるよ」って言われてしまった。
「たしかに、言ったり行動するのがこわいのはわかるけど、もしかしたらそうすることで 幸せな気持ちになれるかもしれない。もちろん逆もあるかもしれないけど。でも、 踏み出してみなかったら幸せにもなれないんだよ」
うう、その通りだよ・・・。
なにがそんなにこわいんだろう。ホントにねえ。
「清水の舞台から飛び降りるつもりで頑張ってみようかな」
「そうだよ。下は水かもしれない。でも、マットかもしれない」
それはやってみなきゃわからないこと。
そして、やってみたことを後悔はきっとしないはずだから。 後悔したとしても、やらずに悶々としているよりは絶対に、マシ。

と、思った矢先に風邪をひき、パワーダウン。
声が出なくなってしまったので、
「こんな声で電話にでてもいいものだろうか、コワイよねえ、これ」とハハに問うと、
「だいじょうぶ、そういう時は、周りが同情してやさしくしてくれるから 案外物事がうまく運ぶものよ」と言われた。
単純な私は、そうなんだあ、じゃあ頑張ろっかな、と思って仕事に行ったのだけれど、そんな法則は成り立つはずがないのであった。 あーあ、と思いながらばたばた動きまわっていたら、夕方には熱がぐんぐんと上がってくるのがわかった。
体調が悪くなると、いけないいけないと思いつつも、気持ち悪くなれば胃薬、熱っぽければ鎮痛剤と風邪薬、 食欲なければビタミン剤、とついつい薬漬けになってしまう。薬の併用って 絶対身体に悪いよな・・・「一日ニ回、飲めば効く!」って風邪薬、4時間おきくらいに飲んでるし。
でも仕方ない。家にいる時は飲まないけど、職場では仕方ない。
本当は、身体の中にどんどん薬がたまっていってしまうような気がして嫌なのだけれど。
飲んでいないと、薬を持っていないと安心して職場に行けないのだ。お守りのようなもの。
体調が悪い状態で職場にいるなんて、絶対にできないから。
「こんな弱ってるカラダじゃ戦いきれない!(職場を戦場扱い)」って危機感に迫られてしまって、 薬で武装しないと不安でしょうがないのだ。


20000511

私は、「待つ」ということが得意な人間だと思う。
かなりの時間、待つことができる。
待ち合わせしかり、病院なんかの待ち時間しかり。
ぜーんぜんイライラしない。心静かに待っている。 ああ、ハチ公と競ってみたかった。
待ち合わせの場合、相手が誰であっても、私は待たせたことは本当にほとんどないと 自信を持って言えてしまう。あまり誇るべきことでもないが。
10分15分程度のかわいらしい遅刻は、私にとっては待たされたうちにはいらない。
2、3時間くらいはけっこう平気だ。 最長で4、5時間くらい待ったこともあったな。
あ、この場合の待つというのは、待ち合わせ場所、例えば駅の改札なんかで じーっと立ちつづけるというおそろしいものではなくて、(そういう待ちだと ちょっと怨念はいっちゃうけど) 本屋などで、一人でふらふらしながら待つ時間のこと。
いくら私でも、同じ場所に立ち続けで何時間も待つ根性はない。(この時点でハチ公に負けるね)
アバウトな、何時くらいからからだあけといて、 電話するから、的な約束。そういう、ホントに会えるんだか守られるんだか わからない、いともたやすく破られてしまいそうな約束を楽しみにわくわくと 待てるのはかなりおめでたい特技なような気がしてきた、最近。
そりゃあ、いつもばかみたいにぽかんと待ってるわけじゃないし、 途中でばかばかしくなったり(つい最近、職場の人に3時間以上待たされた時は さすがに、「私一体なにやってんだろう・・・職場の人のために貴重な休日割いてさ・・・」と情けなくなったけど でも結局最後まで待ってしまった)、疲れきってしまったりもするのだけれど、 結局、決着がつく(会えるか、ぽしゃるか)までは待ってしまうのだ。
そして、結果的に待った時間が無駄になったとしてもなんとも思わない。 あーあ、とは思うけど、がっかりもするけど、平気。一瞬ぺちゃんこになっても またむくむくとたちあがる。楽しみが先に伸びたと思えばいいじゃん、 待っている間にわくわくした気持ちはウソじゃないし、ある意味得したと言えるかも、 などと、はたから見たら「バカか、この女」と言われてしまいそうなことを本気で思う。
人には、「待たせる方」と「待つ方」と二種類に分けられると思うのだけれど、 私は、絶対的に待つ方に属していて、たまに待たせる方にまわったりすることも全く ないほど、どっぷり待つ側の人間なのだ、きっと。
そう思うようになってから、なおさら待つことが平気になった。そっかーじゃあしょうがないじゃん、私は 待つ星の下に生まれたんだわ、って。(あほでしょうか)
考えてみれば昔から待つのが平気だった。 家で一人、母の帰りを待っていた時間が長いのに慣れていたからかな。(なんせ 朝から晩までだもの)
一人遊び、ホントに得意なんだ。
一人遊びに飽きて、ちょっとさみしくなると、母親への手紙を書いたりもしてた。
待っている間にその人のことを考える時間が好きなのかも、実は。会っている時間と同じくらい、 好きなのかも。

あと、「待つ」にはもういっこあって。
大事な人たちが、私のことかまってあげられない気持ちになってしまって 連絡が途絶えてしまったとしても。遠ざかってしまったの?って一瞬さみしくなったとしても。
「うん、平気になったらまた近くにきてね、いつでもここにいるからさ」
って穏やかな気持ちで待っていられるんだ、私。
そんなんで終わらないよ〜って、笑いながら。


20000510

私の読書欲は、外へではなく「うち」へ向かっているようだ。
ちなみに、「うち」とは「家(うち)」のうち。
部屋の本棚にある、自分が今まで買った本たちを片っ端から読み返したい衝動に駆られて 実際そうしているこの頃。 なので、図書館に行ってもあまり食指が動かない。本屋に行ってもうろうろするだけで帰ってきてしまう。
たとえば誰か一人の作品を順番に一気読みしたりすると、 買ってすぐに読んだ当初は気付かなかったようなことがするすると見えてきたりする。 その時にはすっと読み流した言葉がずーん、と気持ちに響く。
新しい本を読むことにあまり興味がない今日この頃、自分の本棚をまるで 図書館や本屋のようにがさごそと漁っている。 なんせ、自分の好きな本ばかり集めているのだから、どこの図書館や本屋よりも わくわくするのは当然だもんね。
最近はすっかり読書は回帰傾向にあって、昔読んで心に残っていて、でも 持っていない本を少しずつ買い集めたいなと密かに思ってる。


20000509

私は案外、「生理前の一週間」が好きかもしれない。
なんてフト思った。
いや、ホントは好きなんかじゃないけど。
生理前っておなかは痛いし張るし口の中は血の味がするしちょっとお茶を飲むと 手足がむくむし肌荒れは猛烈にひどくなるし貧血気味になるし。それらが合い重なって なんだか悲しくなってくるし。
いいとこないじゃないか。
いや、でも一つある。
ご飯がおいしく食べられるのだ!
ぶらぼー。
この期間、なんでもとってもおいしくぱくぱく食べられることが多い。
食べることが楽しみで、わくわくする。
私は、自分では普通に食べてるつもりでもはたから見るとぽっちりの量らしくって それがつまんないな、って思うことが時々あるのだけれど(特に外食した時なんか)、 この期間だけは私もばりばり食わせていただきますよ!ってくらいいっぱい、おなかが はちきれそうになるくらい食べられる。胃の大きさ拡大してるんじゃないか、と思うほど。 それがうれしいのだ、とっても。
食べながら「ああ、普通の人はいつもこの楽しみと幸せ感を味わって食べてるんだねえ」 ととてもうらやましくて(本当に、心から)、これがずっと続けばいいのに、って思う。
でも、いざ生理になると今度は「つわりか?」と思うほど気持ち悪くなって 全く食べられなくなるのでだめなんですけど。
今だに、精神的なプレッシャーなどがぜーんぶ胃腸系にくるので、食事することは 前よりはかなり平気になってはきたものの(けっこう外食にも慣れてきた)、まだ、いつでも どこでも誰とでもおいしく食べられる自信はない。
だけど、生理前の一週間前だけは別。どんとこい!って感じだ。

私の憧れは、毎日、
「あー今日も元気だご飯がウマイ!」
ってもりもり白いご飯と納豆と野菜のおかずを食べること。


20000508

人に、
近寄らなければ傷つかない。
ある程度の距離保っていれば。
ハリネズミみたいに、近づきすぎると痛いから。
そう思って近づかないでいて、でも本当は近くに行きたくて、その思いがパンパンになって 破裂しそうで、ぶつけ方わからずにバーン!!となってしまう人が多いような気がする。
人って、
やっぱり誰かといたいと思うものだから。
チカラいっぱいぶつかっていって、自分のありったけの思いをぶつけても、受け止めてくれるって確信もてる 相手がなかなかいないことがつらいんじゃないかな。
そのまんまでいいよ、って言ってくれるお守りみたいな存在の人がいるだけで、 気持ちがやわらかく、強くいられるんじゃないだろうか。

でもきっと、大人も子どももみんな自分のことを守るので精一杯。
それぞれの場所で戦っていて、気持ちはあってもなかなか他の人を助けてあげられない。 気持ち分けられない。容量いっぱいいっぱい。
みーんな、弱い。
もちろん、私も。
求めて拒絶され傷つくのがコワイから、安全圏の白線から一歩踏み出すことができない。


20000507

珍しく、熱を出した。(私は年に1回くらいしか熱を出さない)
身体の節々と皮膚が痛くて仕方なくて、はっきりと熱が上がっていくのがわかった。
風邪薬を職場にしか置いておらず、買いに行くのすらしんどかったので、 職場に行くまでは薬なしで乗りきろうと決める。
気を紛らわそうと「白線流し」(ドラマ)の再放送を見たけど、なんでもない シーンで泣けてしまって困る。(熱が出ると涙もろくなりませんか)
連休中、遊びほうけてて熱出したなんてばれたら絶対に怒られるので、母親に気付かれないように つらくないフリをしていたのだけれど、 夜になるとさらにぐんぐん熱が高くなるのがわかり、これはまずい、と7時半くらいには布団に入った。
熱いのと身体が痛いのとでなかなか寝つけない。 体調が悪いと寝ていることがつらくてさみしくなる。(一人暮らしじゃなくてもさみしいものはさみしいんです)
ぬいぐるみ・・・と思いながら布団を抱きしめて眠った。
細切れに、2、3時間毎に目が覚める。一度目が覚めてしまうと またなかなか眠れなくて、ついつい仕事のことなど考え出してしまって 半分うなされてるみたいになってしまった。 体調悪い時にいろいろ考えちゃイカン、悪い方へ悪い方へと考えてしまう! と慌ててすべてを打ち消して必死に眠る。
11時くらいに起きた時が一番つらさのピークだった。 鎮痛剤を飲んでまた寝る。
4回目くらいに目が覚めた時、ちょっと身体の痛みが楽になっているのに気がついた。
一晩でどうにか下げてやる!とは思って寝たもののちょっと無理かも、と思っていたのでほっとする。 ああ、私ってやっぱり健康体かもしれない、と感動しつつまた眠り、 あとは目が覚めるたびにどんどんラクになっていくのがわかった。
自分が回復していく様子を実感するのはなんだかうれしい。生命力たくましい生き物である自分を確認したような気持ちになる。


20000506

昨日の午後、まず高校の同級生と会った。
もうこれは自分の行きたいところを引っ張りまわすしかない! と思い、CDを中古CD屋に売りに行くのにつきあわせ(しょっぱなからひどい扱いだ) 適当にあちこちひきずりまわし、3時間くらいが経過したあたりで、 もうだめ、これ以上一緒にいたら私発狂する!!と警戒ランプがぴこぴこしだしたので、
「ごめん、私夕方からの約束の前に一度家に帰りたいから」とさっさと置いて帰ってきてしまった。
家に着いたとたん、「つ、疲れた・・・」と憔悴しきっている私を見てハハはあきれ顔。
「あんた、今からそんなに人嫌いじゃ生きていけないよ?」「人里離れた山奥で暮らしたら?」 などと言われる。
「いや、職場ではちゃんと愛想よく接してるからだいじょーぶ。職場でもこれじゃやばいけどさ」
「まあねえ」
「職場にいる時は、愛想スイッチをオンにしてるんだけど、連休中はオフだからちょっと つらかったの」
たった3時間過ごしただけなのに、いきなり猛烈な肩こりと頭痛に襲われ、そのままベッドに突っ伏し30分くらい寝る。
寝たら元気になったので、気をとりなおして次の約束へと向かった。

このページをみにきてくれている、二人の女性と会う約束をずいぶん前からしていたのだ。
待ち合わせ時間を少し過ぎたところで、PHSが鳴り「あ、わかりました!」とちょっと離れた場所に 立っていた人が笑顔でこっちを見ているのに気がつく。
もう一人はあとから合流することになっていたので、二人して焼肉屋へ。
はじめて会ったのに、そんな気がしないね〜などと言いつつ、いろいろ話をしながらばくばくと 肉をむさぼり食ってしまった。
彼女は、インターネットで知り合った人と会うのははじめてだと言っていたので「どうだった? 会ってみて」と聞くと、「ページのイメージ通りでした〜」。ありゃ、これって前も言われたような。
もう一人が、駅に着いたら電話をくれることになっていたのに、 私のバカ野郎ってば、着信音を鳴らす方に設定したつもりでマナーモードに設定しなおしてしまっていたので、 着信に全然気がつかず、あやうく彼女は帰ってしまうところだった。
おなかがすいてたから店にはいって注文しちゃった、と言われたので、40分後くらいに再度待ち合わせ。
ああ、やってしまった。どうもいまだに携帯にもてあそばれてるというか、使いこなしていないというか、 出るタイミングを逃しまくっている。
すごく怒ってたらどうしよ・・・とどきどきしていたのだけれど、無事会えて、にこにこしている彼女の顔を 見たらほっとした。彼女にも「ページの印象通りだね〜」と言われ、そっか、このページは 私なんだ、違和感はないんだね、となんとなくうれしくなる。
三人でカラオケへ。再度お酒を飲んで、歌って、なんだかさっき会ったばかりの人と一緒にいるとは 思えないほどくつろいでいる(もちろん肩もこることはなく)自分がいて不思議だった。
私のへまのせいで、もう一人の彼女とあまり話せなかったのが残念だけれど、でも会えてよかった。

たしかに私は人との関係うまく結べないことあるかもしれないけど。
でも。
だいじょうぶ、ちゃんと、会いたい人はいる。
大事にしたい人もいるから。


20000505

3日は友達の住む街まででかけた。
待ち合わせの30分くらい前に着いてしまったので、大きな駅ビルの 中を駆け抜け、いきなりスカートを速攻買いする。
絶対に買いたいと思っていた、デニムなんだけど職場にもはいていけそうなきちんとめの。
近頃結構スカートの気分なのだ。同じTシャツでもスカートはくことで雰囲気がずいぶん変わるし、 髪の毛が短いから女っぽくなりすぎず抵抗があまりない。
ただ、まだまだ私にとっては敷居が高くて、気合い入れないとはけないけれど。
最近また、くさくさするとかわいいカッコすることでうさを晴らす傾向にある。 仕事に猛烈に行きたくない日ほど服はカワイク、とかね。でもそれが結構楽しい。

別の店で、使いやすそうな鞄を発見。入れるところが3つに分かれていて、私の普段の所持品、 財布・手帳・PHS・文庫本・ウォークマン・化粧ポーチ・ペットボトルのお茶・ブラシ などがきちんと整理して入れられる。しかも3,900円、お手頃価格。 鞄もずっと探していたので、これは絶対に欲しい!と思い、あとで戻ってきて買った。
友達と合流し、あちこちうろうろしている最中にPHSが鳴った。電話帳に登録してない 携帯の番号。おそるおそる出ると聞き覚えのない男性の声。
思わず、うさんくさい人への対応になり「誰ですか?」と冷たく言うと、
「高校の時一緒だった、○○なんですけど」
また高校時代の同級生だ。
しかも、私が血迷って(?)1週間くらいつきあった(なんだその短さは!とツッコマナイように) 人だった。ありゃりゃりゃ。こないだ電話してきた鈴木くんが名簿をみんなにまわしたらしく、 それを見てかけてきたらしい。連休の間だけ帰省してきているとのこと。
今話してて大丈夫?と言われたので、あー友達と一緒なんだ、と冷たく言い放って切る。
それで終わりだと思ったら夜、友達の家にいる時にまたかかってきた。
久しぶりだねえ!などとさっきも言ったことをぐるぐる言ってるだけではっきりしない。
ははーん、これは会おうとしているのだな、と思い、よっぽどこっちから言ってやろうかとも 思ったけどめんどくさいので知らん顔して会話してたらようやっとそう切り出した。
5日の夕方から予定あるけどその前午後ちょっとだけならいいよ、と約束した。
でも、電話を切ってからどっと後悔。ああ、めんどくさいよう!
私は、とにかく最近無理して人と会うってことができなくなっていて、 会いたい人じゃないと、それが特に男性だと「ああ、私の会いたい人は コイツじゃないんだよ!」ってより強く実感してしまって悲しくなってよけいにさみしくなって 好きな人に会いたくなるので、極力誰とも会わないようにしているのだ。
人と会ってる時に寂しいより、一人できちんと会いたい気持ちや寂しさと向き合ってるほうが、私はいい。
なので、あーやっぱりやめる、断る!と昨日家に帰って(友達の家に一泊したので)から 母親に叫んだら、
「いいじゃないの、1回くらい会ってあげなさいよ、数時間くらい使って あげたっていいじゃない、せっかく思い出してかけてきてくれたんだから」と、説得されてしまった。
いや、彼とはね、ちょっとつきあっててね、どうもそっち方面に話をもってかれそうだから それがよけいにいやなんだよ、とはとても言えず、言葉につまる。
単に、高校時代の同級生としてなら懐かしいねーですむのだろうけど、 彼の口ぶりは、「昔つきあってた仲じゃん」みたいななれなれしさというか、べたべたしたものを 感じて不快だったのだ(暴言がすぎる私)。
そもそも、私がつきあったというのもはっきり言って一時の気の迷いのようなものだった(ひどすぎ)。
いざつきあいましょう、となってからというもの、彼は会えばやたらと人気のない暗い方へ連れていこうと するし(魂胆みえみえ)、束縛するようになったし、そういうのがすべてうっとおしくなって 一気に冷めてしまったのだ。決定的にそれがわかったのは、手をつながれたり、抱きつかれたりした時。
触れられるのが嫌だったのだ。それで、あ、違うんだ、私はこの人のことを好きなわけじゃないんだ、とはっきりわかった。 (そこまでしないとわからない私にもそうとう問題あるけど)
そんなわけであっという間に恋心(だと思ってたもの)は冷め、別れを告げたのだけど、その時は泣かれるわ、 「お前はオレのことを結局父親代わりにしてただけなんだ」とかめちゃくちゃ言われるわでいやーな後味が残った。
なのでとっくに記憶の引き出しの奥に突っ込んで取り出すこともなかったのに、あーあ、 思い出しちゃったじゃないか。
今回電話してきたのも、もうそんなことはちゃらにしての上だと思ったのに、
「あれはあれでいい思い出になってるよ」とか言われて、「私はとっくに忘れてたしなかったことにしたいよ」とも 言えず、沈黙。
さて、どうなることやら。

恋愛って、所詮は思い込みとか錯覚だったりするから、私は時々自分の気持ちさえもわからなくなることがある。
そういう時、その人にぎゅう、とされてドキドキするか、うれしいかどうかが私にとっての判断基準になっている。
好きな人に会えない間、好きすぎると会えないのがつらいだけだと思い 気持ちを昇華させるクセがついてしまっていて、ああ、もう一生会えなくても平気かも私、 と思ったりすることがある。
でも、そう思っていてもいざ会えた時にぎゅ、とされてどきどきしたり安心したら、あ、この人だわ、とほっとする。
そういう本能的な感覚を、私はけっこう信頼してる。


20000503

最近職場で、「人との関係を第三者がちょちょい、とちょっかいだしてこわすのって簡単なんだな」って 実感することが多い。
積み上げていくのはこんなに大変なのに、こじれてねじれてすれ違っていくのはあっという間だ。
それは昔からわかってたことだけれど。
今、笑顔で話してくれている人が、明日には口きいてくれない、なんて可能性 いくらでも考えられるし、覚悟だってしてるけど。
でもいざ目の当たりにすると、悲しいな。
人の嫉妬心や、保身に走る気持ちをちょっと刺激してあげたら、ほら、みんな自分がカワイイよ。
どうして本人に確かめもせずに信じちゃうの。こじれちゃうの。

私は、もし友達や好きな人、信頼している人のことを他の誰かからいろいろ言われたとしても、 絶対に本人に確かめるまではショックを受けたり怒ったり泣いたりしないぞ。
悪気なんてなくても、人の口を通るうちに、いつのまにか自分をかばったり思い込みが混じり、事実は ちょっと形をかえていたりするものだから。
伝言ゲームと同じ。間に他の人介しちゃいけない。その相手と向き合って話をしたい。
相手との関係、すぐにあきらめて投げ出したくない。
伝えたいことがあるうちは、伝え続けたい。
逃げてしまえば、ラクな場面はいっぱいあるけど。職場でも、友達とでも。
でも。
伝える勇気を、エネルギーを惜しまない自分でいたいと思う。
その結果、ダメになってしまったのならそれはちゃんとあきらめるから。


20000502

せっかく連休に突入したというのに、私はな〜んにもしてない。
部屋の掃除を気合い入れてしたあとは、眠るかぼーっ。
本も読まず。パソコンにもほとんどさわらず。
ベッドの上で、枕に足のっけて、たたんだふとんに頭を乗せてぼんやり音楽を聴いている。
昼間だったら、「うーん、空がキレイ」とか思いながら。それを満喫しに外に行くほどの エネルギーはないらしい。
うーん、これは去年と同じ症状だぞ。
去年の夏頃にもこんな状態になった。
夏ばてによる体調の悪さ、仕事のこと、その他いろいろあって、 ココロがくたびれはてていた時期、やっぱりそうやって毎日過ごしてた。
仕事に行っている時以外は、抜け殻のようだった。
仕事の時だけは必死にくるくる動くけど、それ以外って私ホントどんくさいかもって最近思う。 ギャップがはげしすぎ、職場と家と。

去年の夏にぐるぐる何回も聴いてたZARDのベストアルバムは、今では聴けなくなった。


20000501

最近のベストソングは、キンキの「kinkiのやる気まんまんソング」。(ちびまるこちゃんの 主題歌になってる)
チカラの抜け具合が、たいへん、よい。
(同じような理由で、藤井隆の「ナンダカンダ」も頭の中をぐるぐるまわってる)

私は、気持ちのコンディションによって、聴ける曲が全然違ってくる。
平日の朝は、前にも書いたとおり、スガシカオ。今日もガンバロ!って思えるから。
平日の夜は、とにかく波だった気持ちをもどすことが先決なので、落ち着いた感じの洋楽を 聴くことが多い。男性ボーカルが好き。
土日の昼間、掃除しながら聴けるのは、B’zや椎名林檎(大好きだけど、夜は あまり聴けない・・・)やゆず(最近この前向きで明るい感じがちょっとつらくて あまり聴けなくなってしまった)など。
その時の気持ちに合わない曲を間違って選択してしまうと、気持ちがかき乱される感じで疲れてしまう。
本も同じで、読めるものと読めないものがでてくる。
人もそう。会える人、会いたいと思う人がどんどん減っていく。
最近の私は土日に人とほとんど会わずにひとりで過ごしていることに気がついた。手帳を見なおしてみてちょっと愕然。
ツライ時ほど、私はひとりになりたがる。会いたい人はいるけれど、そういう人にそうタイミングよく 会えるわけじゃないから、だったらひとりがいいって思う。

そうやって、すべてが絞り込まれてくる。
大事なモノがわかる。
大事なモノは、思った以上に少ない。
それがわかってきた最近は、不必要なモノ買わなくなったし、人とも無理して接しなくなった。
そういう意味では、ラクになったと言えるのかもしれない。


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