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20000630

もう、頭の中は肉のことでいっぱい。
昨日残業中に、職場の人がパチンコでとってきたお菓子を 食べたのだけれど、なぜかその中に、おつまみ系の ソーセージと焼き鳥が混じっていたからさあ大変。
せんべいより、チョコレートよりも真っ先にそれらに手が伸びる。
ソーセージおいしー。
焼き鳥もおいしー。
肉肉肉だ。
肉って、なんだかすぐに血となり肉となってくれそうで頼もしい。
ジャンクな肉たちだったが、それでもからだにしみわたる感じでうまさを堪能したのだった。


20000629

平日は、障害物競争。
毎日必死にハードル飛び越して。時にはよじ登って。
週末がゴールだ。
インターバルは自分で決める。休みすぎても、休まなすぎても、ダメ。
そして自分を調整し、週があけたらまた位置につく。

木曜日って、
ゴール直前の一番苦しい時って感じ。


20000628

昨日の帰り、歩いてたらふっと、好きなヒトの匂いがして思わず振りかえった。
いるわけないのに。と、苦笑い。(というか、だあれもいなかった・・・)
なつかしい匂い。香水とかつけてなくても、匂いって、ある。嗅ぐと安心できる匂い。くんくん。

家に帰ってドアを開けた途端、
「ただいま・・・うわーん(大泣き)」
と久しぶりにやってしまった。(実は電車の中でもすでに半べそかいてた)
テレビの前で寝そべっていたハハが、
「どうした?!!」と跳ね起きる。
「うえーん、うへへへへ(もう、ぐちゃぐちゃ)」
「泣いてるのか笑ってるのかはっきりしなさい〜!」
「うう、泣いてるんだよーう」
ひとしきり話して、スッキリ。ケロリとしてしまうひきずらない私なのだった。
「まったくもー、誰かにおっかけられたのか、職場で血祭りにあげられたのかと思ったよ。 そんなことあったら殴り込みに行くからねあたしは!(ホントにやりかねない・・・)」
「いや、それはまだ(え?)だいじょうぶ」

「でも、よかったねえ、今これだけ嫌な思いしてたら、将来はいいことばっかりだよ。 人生は絶対にイコールなんだから。先払いしておいたら、年とってからは安泰!元気なうちに つらい思いしておいた方がいいんだよ。嫌なことされたら、逆に幸せもらったーって喜ばないと。 これからその分いいことあるんだからね」
・・・うん。


20000627

このサイトが雑誌で紹介された。
載せていただいたのは、「DOG DAYS」という犬の雑誌で、 その中の、犬サイト紹介コーナーなのだけれども。
私のページって、犬がいることはいるけど、いわゆる犬サイトではないよな・・・
と、一応念押しはしたのだがそれでもよし、とのことだったので、 大好きな犬関係だし、あまり人目にもふれなさそうだしと、ありがたく載せて いただいたのだ。
しかし、ドキドキしながら立ち読みしたならば。
他のサイト、みんなちゃんとした(?)犬サイトだよ・・・。ホントによかったんだろうか。
あの雑誌を見て、来ていただいた方がもしいたら、すみません。ここは 単なる犬好きで犬に似ている私がつらつらと思ったことを書いているだけの場所なんです。

でも、実際に自分のコメントなんかが活字になって載ったところをみるのはウレシイ。
うふふふふ。
もし、本屋でみかけたら、ちょろっと立ち読みしてやってくださいな。
私も立ち読みしかしてないし。記念に買うか?とも思ったけれど、雑誌のくせに980円もして 高いので、やめたのだった。「文庫本2冊買える・・・」と思って。←なんでもかんでも 文庫本を基準に計算する私


20000626

昨日は吉祥寺に行った。
待ち合わせよりちょっと早めに行ってマックで昼ご飯を食べようと楽しみに していたのだが、改装中だった。しかたなく、もうちょっと駅から離れた ケンタッキーへ向かう。
そのケンタッキーは、ケンタッキーなのだけれど ケンタッキーじゃない、パンとチキン、サラダといったプレートメニューを 出す店舗で大好きだったのに、しばらく行かないうちに普通のケンタッキーになってしまっていた。
がっかり。
あきらめて和風カツサンドセットを食べる。
駅までもどって友達と会い、あちこちの店をうろつく。丸井ではすでにバーゲンが 部分的に始まっていた。ツモリチサトのピンク色の皮鞄、靴のフロアではサンダルに 心惹かれたけれど、ぐっと我慢。
無印良品で友達がベッドのマットレスを購入。いいな、いいな。私は 無印の白いタオルケット、まだ買ってない。
2階でお茶を飲んだ。私はアイスココア。最初は苦めできて、自分でシロップを足して甘さを 調節できるのがうれしかった。
友達が、面白い経験をしたと言ってこんな話をしてくれた。
ある日、彼女のもとにみず知らずの人から手紙が届いた。開けてみると、
「突然のお手紙すみません。僕は、名簿業者から独身女性の名簿を買い、 その中から10人に手紙を出しました。僕は今こういう仕事をしていてうんちゃらかんちゃら・・・」
と、以下自分のことについて延々語っていたらしい。びっしりとした字で便箋3枚にも わたっていたそうな。
そして、こういう手紙を書いた理由については、
「携帯やメールがほとんどの今になぜ手紙なのかと思われるかもしれません。 でも、僕は○○(地名)の実家の親にも、電話をするよりも手紙を書くことが多いのです。 僕は、昔は風船に手紙をつけて飛ばしたり、ビンに手紙を入れて海に流すような 子どもでした。そういう、夢を忘れていない人間なんです。 もし、この手紙にあなたが返事をくれたら、山で、『やっほー』と叫んだら 『やっほー』と返事がかえってきたみたいにうれしい」
また、
「もし返事をくれたら、今度は僕の電話番号を教えます。ぜひ話したい。 職場(日本橋らしい)の近くに来たらぜひ寄ってください、ご案内します」
とも書いてあったらしい。そして、写真も同封してあったそうだ。
「どうだった、かっこよかった?」とわくわくと聞くと、
「それが、下向いて仕事してるところだったから顔がほとんどわからなかった」
なんだーつまんないの。
それにしても、彼が出した10通の手紙は、一体何通 「やっほー」と返事がかえってきたのかな。(もちろん、私の友達は出してない)
彼がどんな思いでそんな手紙を一生懸命書いたのか(それも手書きだったらしいし)、ちょっと聞いてみたい気がする。

それからまた雑貨屋などをのぞきつつ、ぷらぷらと歩いた。
アーケード街にあるマツキヨで、こんにゃく畑が100円で売っていたので買う。
グレープフルーツ味(一番好きなんだ)とりんご味。
そして駅に向かう途中の別の薬屋でもやっぱり100円で売っていたのでまた買う。
ブルーベリー味とざくろ味(はじめて買った)。
なんでわざわざ吉祥寺まで来てこんにゃく畑こんなに買ってんだろ、とも思ったが、 職場で残業中に食べる用のがちょうどきれていたのでいいんです。
そのあと、駅ビルの食料品売り場を、二人して目を輝かせながら「楽しいね〜」と 言いながらまわり、彼女は夕飯用に鮭の粕漬けを買っていた。
最後に本屋に寄ってから(私の友達は本屋好きが多くてうれしい)帰った。
結局、私はこんにゃく畑を4つ買っただけ。420円なり。昨日の私はしまり屋だった。


20000624

人に寄せる好意というのは難しい。(これは別に恋愛だけに限らないのではないかと思う)
その気持ちを相手にきちんと受けとってもらえれば気持ちの交流が生まれるが、 そうじゃなければ、寄せられる側にとったら単なる一方的な思い込みで、恐怖なんじゃないだろうか。
相手が、勝手に自分とのストーリーこしらえてわくわくしているなんて。
お願いだから許可なしに出演させないように、と言いたくなる。

好きな人から、自分の気持ちをコワがられたらきっと、消えてなくなりたくなるだろうな。
昔読んだ童話にあった、村人たちと仲良くしたいのにこわがられ避けられた 鬼みたいに。(「泣いた赤鬼」だったかな、確か)
自分が、そういう鬼や怪物のような存在になってしまったような気がするだろう、きっと。
「どうして、みんなから好かれる姿かたちに生まれてこなかったんだろう?」
と赤鬼みたいに涙をぽろぽろこぼしそうな気がする。


20000623

つらい環境に置かれていると自分がどんな人間だかよくわかる。
何を大切にしているのか。何がいらないのか。どうなりたいのか。
気持ちの中から、いらないものが削ぎ落とされてシンプルになりつつあるのを感じる。
よけいなことを考えたり欲しがったりする時はなんだかんだいって まだまだ余裕があったのだ。それがわかった。

自分でも知ることのなかった、新しい自分に出会っている。
いろいろな経験をする度びっくり箱を開けるみたいに次々と出てくるから目が離せない。
そして必死に障害物をよじのぼって乗り越えようとしている自分が、ちょっとカワイイ。
生きる力を強くしたいと思う。


20000622

スケープゴートがいると、それ以外の人たちは安心する。
誰かを見下したり、同情することで自分たちが優位に立ったように思う。
高見の見物。
そして同時に、自分が次のターゲットにならないように、 泥のついたボールをぶつけられまいと必死に逃げるよみんな。
他の人を犠牲にしてでも自分を守ろうとする。かばわない。
目の前でさんざんつらい目にあっている人をみてたら、そりゃそうだろう。
人は自分の身が一番カワイイのであって。かばって自分が道連れになりたいとは思うまい。
自分の信じていたことをすべて放棄して、くるりと寝返ってしまえる。
やられている人と親しくすると自分もやられる!と思って気持ちの、距離を置く。
こわいほど、その逃げ足は速い。

私は、小学生のとき転校し、いじめられた経験がある。
そりゃあ、つらかった。
でもある日、いじめの対象が私ではないコに変わっていて、 今まで私をいじめていた子たちが、まるで別人のように甘い声で話しかけてきたのだ。
「こっちへおいでよ〜」って。
ふざけんな。
と、無視した。
その気持ちは、今でもかわってない。

みんな、自分を守りたい。
でも、大勢の中にいたら守られてると思ったらオオマチガイ。
そんな人達、いつまたそっぽを向くかわからないのですよ。


20000621

私は、男性に好かれると逃げたくなる。
好かれることに慣れてないし、女性として見られたくないって気持ちがどこかにある。
友達としてならいっぱい好かれたいって思うし 素直にうれしいのだけれど、恋愛の対象として自分をみる人が いるなんて、あるわけないし、あってはいかんと思う。(でも、なぜいかんのかはよくわからない)
せっかくなんだから、好きになってくれる人を好きになれたらよかったのにな、と思う。
そうしたら楽かもしれないのに。
でも実際は、好きな人には好きになってもらえなくて、恋愛としては好きになれない人にばかり好かれる。
職場の女性に言われたのだけれど、どうも私には、「甘えさせてもらえる」と 感じさせるなにかがあるらしい。元気になりたい人は寄ってらっしゃい、年齢性別問わず随時受付中、 と思われるみたい。
だから、励ましてほしい人がよってくる。
でも、私は、恋愛においてはそんなのいやだ。一緒に頑張りたいもん。友達との関係が、 甘えっぱなしでも、られっぱなしでも続かないように、恋愛でもお互いよっかかったり、 られたりがいい。
・・・これじゃ一生うまくなんていかないじゃないか。

私が今好きな人のことを好きなのは、その人が私を好きになることは絶対にないからだ。
だから、安心して好きでいられる。
自分の気持ちだけ、あればいいわけだから。自分の気持ちは、信用できる。
なにも手にいれる可能性のない思いだから、なくすこともない。そして ちょっとでも気にかけてもらったらもう、それだけでうれしい。それで十分なんじゃないかと最近思う。
そうじゃなかったら、誰かに好かれることは、こわい。
恋愛として与えられる気持ちは、私にとって恐怖だ。ずっと続くと思えないから。
こわくて信じることなんてできないよ。
別れることを覚悟していっしょにいるならできる。


20000620

昨日の夜は、悲しい夢のオンパレード。
あまりにも悲し過ぎて自衛の気持ちが働いたのか、何度も何度もコマギレに 目が覚めて寝なおしたのだけれど、その度にしっかり続きをみてしまって、 苦しいのなんの。
「よし、泣こう!泣けば少しは楽になるはず」と思って、実際悲しくて 悲しくて泣きたい気持ちはいっぱいだったのに、涙がちょろっとしか出ない。 ちゃんと泣けないせいで苦しさは倍増。夢の中でも泣けないのね、私。クスン。
夢の中でまで(まで?)痛いことをたくさん言われた。
それも、私が進んで地雷を踏みに行って言わせたというあたりも 本物(実生活)の私にそっくりだ。
ああ、つらかった〜。夢とはいえ現実にもありそうな場面だったからなおつらい。
あまりにもつらすぎて走ってる車から飛び降りようとしてたな、私。どうにかして 終わらせたくて。
これまた現実にもやりそうなところが・・・。


20000619

週末に、長風呂をするのが楽しみでしょうがない。
「一週間頑張った自分へのご褒美」だと思ってる。
読み古しの雑誌を持ち込んで、2時間くらいかけてゆっくりはいる。
化粧を落としてからしばらくつかり今度は洗顔フォームで顔を 洗うと、肌の感触が軽くなっているのを実感。
「一皮むけた」ような感じ。
しばらくしてから今度は身体の垢すり。(私は自分で垢すりするのが上手いのだ)
身体の肌もボロボロと「一皮むける」。スッキリ。
顔や身体の肌からよけいなものが除去されたな〜、と思う。 それがとても、気持ちいい。
するといつのまにかぐるぐるぐちゃぐちゃにこんがらがってとっちらかっていた 気持ちの糸がするするとほどけていくのもわかる。
よけいなものがない、わかりやすいシンプルな自分に戻ることができる、貴重な時間。 一週間かけてたまってしまった気持ちの垢も一緒に落としましょう。

お風呂にはいるのも眠るのも、自分をリセットしてくれるから、大好き。


20000617

人を信じることはとてもこわいことだ。
だって人は変わっていくから。
流れる水のように、そこにとどまることなく変化し続けるから。
その時信じたその人が、次の時にもいるとは限らない。 もう、その時とは別の人になっているかもしれない。
それでも信じつづけるなんて、ほとんど思い込みの世界だ。
その人を信じているのではなくて、「その人を信じている自分を信じている」のだ、きっと。
信じられなくなったとしたら、それはその気持ちが自分の中になくなったということ。
だって、何度同じ人に裏切られても信じる人はそれでも信じることをやめないでしょう?
だから、裏切られた、とその人を責めるのは間違い。 その人は当たり前に変化しただけなのだから。自分が信じたくて勝手に 信じて、勝手に裏切られて悲しいだけ。

私にとっての「信じる」は、万が一その人に裏切られたとしても、 そっか、しょうがないね、へへへ、とあきらめ笑いで自分をなぐさめられるくらいの 気持ちでいることかな。裏切られたとしてもそれもすべて受け止め、その先も信じ続けると決めること。
信じた自分の気持ちを後悔しないこと。


20000616

昨日はじめて東海道線というものに乗り、仕事上の外出だったのだけれど、 なんだかちょっとした旅気分だった。このまま 乗っていたら熱海に行ける。
本を読みながら、窓の外の景色を眺めながら、旅か・・・旅いいな、と思う。
どこかに行きたいな。ぷらりと行き先も決めずに気ままに旅、したい。
4人で向かい合って座る席で、私以外の3人は、となりで靴をぬいで正座している母親、 ひまわり柄の派手なスーツ姿の娘、そしてなぜか学校の制服の息子(たぶん高校生)。
不思議にちぐはぐなとりあわせの親子だった。
どうやらこれから旅行へ行くようでわいわいと騒いでいる彼らを横目に、 私は猛烈な眠気におそわれ船をこぐ。 前後左右に揺れまくって、あやうく前の席に座っている 男の子のおなかに頭突きをくらわすところだった。
待ち合わせ時刻の1時間前に着いてしまったので(私はどうしても、 余裕を持って目的地に着いていないと落ち着かないのだ)、 ロッテリアで朝ご飯を食べた。2階全部が禁煙席になっていて、広々していて気持ちがいい。
朝ご飯をゆっくり食べた日は、なんだか一日をきちんとはじめることができたような気がする。

家に帰って母親と話していたら、よどみなく話すその声にすごく疲れてしまった。
内容は淡々としたものだったのだけれど、絶え間なく言葉を流されることに神経がついていかない。
ぐったりしながら、「ごめん、もうちょっとおさえて、そんなに一気に話さないで。ゆっくり、ゆっくり」と頼む。
私は言葉の刺激を受けやすい。良くも悪くも。
外で無理矢理に言葉を搾り出してる分、家では抜け殻のようだ。振ったらカラコロ音がしそうなほど。

誕生日に買った宝くじ、300円が当たった。ぱちぱち。
5枚買ったうちの1枚だから、確率としては、よいのでは。(と、前向きに)
1枚、下3ケタくらいが2億当選の番号と同じものがあったらしい。
「もし2億当たったらどうしたい?」と聞かれたので真剣に考える。
「まず、迷わず速攻仕事辞める!」
「うんうん」
「で、1ヶ月間、毎日健康ランドに通って体調を整えて、それから転職活動する!!」
「うんうん、それで?」
「あとは、デスクトップパソコンと、スキャナとデジカメとプリンタ、それからいろいろな ソフト類を一式そろえて家でも仕事できるようにする!」
うーん、想像しただけでいいぞ、いいぞ。わくわくしてきた。
何年かかるかわからないけど、絶対実現したい。
本とCD、そしてパソコン。 好きなものだらけの部屋。

最近、体調は日に日に悪くなっていくし、気持ちも打ち沈んで笑えなくなってきている 自分を自覚している。
でも昨日の夜ハハに、「大丈夫、今はへこんでるけど(おお、バレてる)絶対にちゃんとなる時がくるから。 へこんだものはもとにもどるんだから」と言ってもらってそっか、そうだよねと明るい未来を信じる気持ちになれる うちは私は大丈夫。きっともとにもどれるし笑えるし進むことができるはずだ。


20000615

最近、うちの職場ではたまにBGMを流すようになった。
シーン、としていることの多い職場なので、かすかに流れているだけでも全然違う。
でも、昨日はかかっていなかった。いつもかけてくれる男性がそばを通りかかった時に、
「今日はかけないの?かけてほしいな〜」という気持ちをこめてじ、っと見上げる。
そしたらその男性、ははは、と楽しそうに笑って、
「ほんっとうに、ポチだなあ!」って。
ぽす、っと頭に手を置かれた。

職場での楽しみは、職場の机にいる、サルの人形と遊ぶこと。
いないと(たまに他の人の机へ出張する)、さみしくってしょうがない。落ち着かない。安心できない。 心細くてたまらない。
仕事の合間に目をあげて、「あ、いるね」と微笑む。なんだかほっとするのだ。
そしてカレを可愛く思う気持ちで胸がいっぱいになり、なでる。
職場の人にとって、もしかしたら私はそのサルの人形のような存在なのかもしれない。
ちょこっとかまうと気晴らしになるという共通点?


20000614

どうがんばっても気持ちが交わることのできない人は、いる。
それがわかったら、そういう人用の対応をすればいいのだと思う。
気持ちを閉じて、ふりまわされないで。
へとへとにならないですむように、
自分の感じる部分の回線を一本切ってしまえばいい。
でないと、こわれます。

気持ちが、きゅーっと痛い。
心の中をいろいろな人に土足で踏み荒らされたような気がして、疲れ果てていて、 今やさしくされたら絶対泣くよ、って思っていた。
実際やさしい言葉をもらった時、泣かなかったけれど気持ちの強ばりがほどけた。
転んでしまって、痛くて痛くて、ぐぐーっと唇噛み締め傷口押さえて泣くのをこらえていたら、 母親にぎゅう、背中とんとん、としてもらってはじめて安心してえーんと泣けた小さな子どもみたいに。

・・・せめて靴くらい脱いでほしい。


20000613

昨日もパソコントラブル対応のため、外出。
その時はいつも、現地へ向かう前にマックでお昼ご飯を食べると 決めて楽しみにしている。(自分にちょこちょことご褒美あげるのが上手なんだ)
うふ〜、ポテトポテト♪とワクワクしながら行く。
たまごダブルバーガーとポテトと爽健美茶。
本を読みながら気ままに食べるご飯はいつも、楽しい。
でも、最近このセットを全部食べきるのがつらくなってきて、今回もポテトを半分くらい 残してしまった。
冷たいお茶でお腹も痛くなり、もう・・・と思いながら現地へ向かう。
昨日は3回目にしてやっと最大のトラブルが解決した。
あーよかったよかった。
私が入っていくと、みなさんとてもうれしそうな、 ほっとした顔をしてくださるのだ。「ああ、なんとかしてくれる人が来た! これで安心だ」というような。その気持ちに応えることができると、本当にほっとする。

帰りは電車の中で爆睡。途中で、初老の女性2人が4、5歳くらいの男のコを 連れて乗ってきた。女性の1人が杖をついていたので、 席を譲った方がいいかな・・・と思いつつも眠気にまかせてぼんやりぐずぐずしていると、 私の隣の女のコがさ、っと立った。えらい。ごめんなさい、私こんなふざけたカッコしてるけど 一応仕事帰りなので許して、と心の中で謝る。
ところがその女性は、自分は座らずにおそらく孫であろう男のコを座らせてしまったのだ。
え?それはちがうんじゃあ・・・
譲ってあげた女のコも、ちょっと呆然。
男のコも、一人で座るのが嫌だったようでぐずりだし、結局杖の女性が座った。

その女性たちに限らず、電車などの乗り物で、なぜ大人はみんな子どもを座らせて自分が立っているの? と不思議に思ってしまう私は間違っているのかな。
自分でちゃんと立っていられるくらいの子なら、立たせておけばいい。子どもの方が元気なんだし、若いんだし。
単に、私自身がそう育てられたからそう思うだけなのかもしれないけど。
でも、子どもを大事にしすぎるのはいかがなものか、と思ってしまうのだ。
だって、これから小学校へあがったりしてどんどん外部と接触するようになったら、 自分が一番に大事にされる場ばかりじゃないことの方が多いはず。
そんな時、「こんなはずじゃなーい!ガッシャーン(ちゃぶ台ひっくりかえす音)」 となりませんかね。
親が子どもを大切にしすぎて、傷つけないように気をつかいすぎて王様を育ててしまってはいけないと思うのだ。
子どもなんて、
「だいじょーぶ、死にゃあしないよそれくらいの傷、つばつけときゃ治る」
くらいのがさつさで少々手荒に扱ったって大丈夫。
親がしてあげるべきことは、大事に大事に外部から守ることではなくて、 一人で外部の環境にぽん、と放り出されてもきちんと自分の力でやっていくことのできる 子にしてあげることだと思う。
そうじゃなかったら、いきなりぽん、と投げ出された王様はいったいどうすりゃいいんだ?
王様のためだけに地球は回ってるわけじゃあないんですよ、と 教えてあげないといけないんじゃないだろうか。


20000612

ものを捨てる時に、例えば服だったら、
「1シーズン着なかったものは捨てる」などと判断の 基準を設けて整理する人はけっこういるのではないかと思う。
同じように、人を捨てる(縁を切る)時の基準ってあるのかな。
「1シーズン、会いたいと思わないし会わなかったらはいさよならね」
そんな感じでしょーか。
なにがつらいって自分が捨てられたかどうか相手に確認できないのがつらい。
恋人同士ならまだ「ねえー、私のこと好き?」って聞く余地もあるかもしれないけれど、 友達にいきなりあらたまって「あの、私たちってまだ友達かなあ?(上目遣い)」
なんて、こわい、こわすぎる。
ある友達にメールで「私がハゲても友達でいてくれる?(最近の抜け毛ぶりを 話していたので)」って冗談で書いたら、「もちろん一生友達ッス」 って返事がきた。そんなたわいもないやりとりに、気持ちがぽかあ〜っとあったまり 顔が自然とほころんだ。
そういう人がいてくれたら、なんだか自分の未来が楽しいものになりそうな、 根拠はないけど明るい希望がむくむくと心に沸いてくるような気がするじゃありませんか。


20000610

昨日の夜もまた、地元の友達からケーキをおすそ分けしてくれるといううれしい電話があったので、 お風呂あがりの眉なしすっぴんブス眼鏡でぴゃーっとでかける。
座って話していたら、散歩途中の犬が尻尾をぶんぶんふってにこにこと寄ってきた。
かわいい。なでなで。
そしたら今度は小学生たちがこれまた犬を連れて通り、 2匹が興奮して大暴れ、座っていた足の下をくぐられた。
と思ったら今度は足を踏んづけられた・・・。ヒドイ。
まっすぐにきらきらした目で見上げてくる犬をいっぱいなでた。
名残惜しげに振りかえり振りかえりしながら去って行ったかわいいコ。
いいね、生き物のあたたかみは。気持ちをやさしくしてくれる。
「私たち、こうやってると公園のベンチに座って日なたぼっこしてるおばあさんみたいだよね〜」
などと話していたら、あっという間に1時間以上たっていた。

帰って「ケーキもらってきた〜、明日の朝食べる〜」と言ったらハハ、
「私は今食べる!」
なぬ?(冷蔵庫にしまおうとした手がとまる)
「・・・。じゃあ私も今食べる・・・」
「そーよそーよ、今晩大地震が起こって死んじゃうかもしれないもん、食べようよ。 ・・・ってこうやって毎日食べてたらすごいことになるねきっと」
などと馬鹿げた話をしつつ、3種類を全部半分こしておいしく食べたのだった。


20000608

どうやら最近、髪の毛が抜けまくっているらしい。
ハハからの、手紙によると。

「愛をこめて、注意!髪の毛はそっとやさしく洗いましょう!←十分に 汚れは落ちますよ。
理由1.今回、いつもよりとても短期間で浴室の排水口がつまった。
理由2.いつもよりはるかに大量アナタの髪の毛がゴッソリとつまっていた。

帰宅後の荒い神経のままで、無意識のうちに乱暴に洗髪しているからだと思います。
アナタは母より髪が細く、少ないのだから、毎日の洗髪はそっとやさしく 扱わなければ、地肌が見えてしまう程、抜けてしまうと思う。
ハゲに近い状態になるかも。

ぎゃあああああ。
ぜんっぜん気がつかなかった。
ハゲはいやハゲは(泣)
確かに仕事から帰ってきたあと気持ちが荒くれている時があるから、 髪を洗う時にヤツ当たり(っていうんだろうかこれも)しているのかもしれない。
気をつけなくては。
フト、「髪はながーい友達」という昔のCMのフレーズを思い出したのだった。


20000607

最近、仕事から「今日もなんとかやり遂げました、オカアサン!」って顔して 帰ってきているのかハハに、
「おかえり、生きて帰ってこれてよかったねえ」としょっちゅう言われる。
毎日がサバイバルだ。

今の私を支えているのは文章。
読む文章、書く文章。
文章を読むこと、書くことで自分が救われている。
そして書きたいと思う気持ちが私を奮いたたせる。
時々、自分の書いた文章を読み返す。 特に、公開できないほど本心そのままを書いた日記を。
我ながら、おそろしい文章だと思うことがある。あまりに醜くて、自分が。
自分の文章に打たれて泣いてしまうこともある。
だから、自分の感情があまりに疲れすぎていて、 あっちにもこっちにも動くことができなくって苦しい時に わざと読み返したりもする。
どんなに取り繕ったって無駄、これがお前だ!しっかり見ろ!と突きつける感じ。
そうやって自分で自分をいじめて泣かす、わけのわからない私だ。

でも、もっと、もっとと思う。
足りない、全然。
もっと、私を揺さぶってみろ、と思う。


20000606

元ブルーコメッツの人が自殺して亡くなってしまったが、彼の奥さんは、 常に彼と一緒でなければいられなかったそうだ。
片時も離れず、時には仕事にもついて行ったりしていたらしい。
彼にとっての結婚生活は、奥さんを支えることがすべてで、自分が網膜剥離になって しまったことで、支えきることができなくなると思ったのだろうか。
なんだか、悲しい。
私はせいぜい、「ブルーシャドウ」という当時流行った曲くらいしか知らないけれど。
(と、言ったら「なんで知ってるの?年ごまかしてるでしょう?」と言われてしまった。 小学生時代は祖母と留守番していることが多かったので、古い歌をけっこう知っているのだ)

人との関係は、どちらが多く頼りすぎても頼られすぎても、それがずっと続くと いつか破綻してしまうような気がする。
私は職場などで常に割と「頼られる」側でいることが多いのだけれど、それが 私生活でまでずっとそうだったら絶対にしんどいな、と思うし。 かといって自分がべったりおんぶにだっこかたぐるまで甘えっぱなしになるのも そういう自分にむかむかしそうだ。
人って、自分なしでは生きていけない存在(子どもでも、ペットでも、時には恋人や配偶者でも) がいることで、逆に自分の存在意味を確認できるという面があるように思う。
でもそれは、対等な関係じゃない。相手が自分なしで立てるようになったら終わってしまう関係だ。
人間、基本は一人だ。そのことを忘れないようにしたい、いつも。
そして、いざとなったら大切な人を守ることができるくらい強い自分になりたい。
すっ転んだら、「あーしょうがないな、ほら」って手を差し伸べあって つかまりあって、またお互い自分の足で立って歩き出せる関係がいい。 相手の存在で、自分がもっと頑張れるから。

ドラマなんかで男性が恋人に、
「転勤になったんだけれど、もうあなたと離れていたくないから一緒に来てほしい」
と言うシーンを見たりするとあーいいないいな!とじたばたうらやましがる私だ。
誰かに、一緒にいて欲しいと言われることは、自分がそばにいることで その人が笑顔になれるし、幸せな気持ちになるという答えのような気がする。
そんなウレシイお言葉をいただいてしまったら、私はきっとどこまででもついて行くし 毎日隣で笑っているに違いないと思うよ。
そしてきっと見えないはずの尻尾がぶんぶんと 振られているのが見えることでしょう。


20000605

週末、友達3人に誕生日プレゼントを買ってもらうために新宿へ。
毎年、誕生日の子に、残り3人でチカラを合わせてプレゼントを 買うのが大学くらいからの恒例行事(?)になっている。社会人になってなかなか みんなで集まる機会がない今では、自分が買ってもらう番じゃなくてもとても楽しみなイベントなのだ。
まずは昼ご飯。オムライスとサラダ。
アイスティーとジュースで「お誕生日おめでと〜」と乾杯してもらった。
1人のコが、食べ終わってから仕事に行かなくてはならなかったので、そこで一旦別れて 残り3人でぶらぶらする。
なにが欲しいかあまり決めていなくて、あちこちうろうろしながら 見つけようと思っていたら、あとの2人が気がつけばばんばん 買い物しまくっていた。その勢いに「買ってもらおう欲」は ちょっと押され気味。そして、私の買い物欲(こちらは自分で買う方の)は バーゲン時期まで休暇中なので、寝た子を起こしてはイケナイ。そーっとそーっと。刺激しないように。
2人についてまわりながら、欲しいものを物色した。
でかける前になんとなく、欲しいかなあ・・・と思っていたのは、財布かジーンズ、または鞄だったのだけれど、 それらはピン、とくるものが残念ながらなかった。
そのかわりに気持ちにこつん、ときたのは、サンダルとワンピース。
サンダルを履いてみて、ワンピースも着てみて、結局ワンピースを買ってもらった。
せっかく買ってもらうんだから、自分では買わないけどあったらわくわくするもの、にしようと思って。
きれいな青のワンピース。
披露宴とか、2次会とかに着ることもできそうなやつ。誰か結婚してくれないかなー。
でも、どうも周囲にその気配はないので、もっと暑くなったら気楽に 休日とかに着ることにしよう。涼しいし。ラクチンだし。
でも、女の子っぽい格好をすると、今だにどうしても恥ずかしくていたたまれない 気持ちになってしまう。気持ちがオンナノコオンナノコするのが照れるのだ。
ああ恥ずかしい。(と、試着室を出て鏡の前で赤くなる私)
同じ店で、1人がちょっと違う青のワンピースを、もう1人が その青と同じ色のスカートを買ったため(全員が着て集合したら かなりこわいと思う)、店員さんにしっかり覚えられてしまった。 あとでもう1人の子が仕事を終えて合流してくれたので、 また店にもどり「これのね、青を買ってもらったの」 と見せていたら、「おかえりなさいませ」と言われる。

それから、軽くなにか食べようよーということになり、ラーメン屋へ。(って全然軽くない)
ラーメン久しぶり。京風の、あっさり細麺。
それから甘いものも食べよーということになったのだけど、
あんみつだのみつ豆だの、これらはいったいどういう語源?
あんみつの「あん」はあんこのあん?あんみつの「みつ」はみつ豆のみつ?
それともかかってる蜜のみつ?だのいろいろ大論争が始まってしまいみんなで笑うわ騒ぐわかしましい。
「じゃあみつ豆ってのは結局なんなんだ、寒天と豆か?」
などと、みつ豆ひとつでどうしてここまで盛り上がれるの、私たち。
食べ終わってからウィンドウの見本メニューを見て確認したら、 みつ豆は、やっぱり寒天とか豆とかさくらんぼにみつがかかってる やつで、あんみつはそれにあんこがのってるやつだった。
あんみつの「あん」はあんこのあん。あんみつの「みつ」はみつ豆のみつ。
「でもそれだったら、正確には『あんみつ豆』じゃなくじゃいけないのでは」などとさらなる追及は続く。

久しぶりにささやかな、はたから見たらばかみたいなことでたくさん笑い転げることができて楽しい一日だった。
プレゼントを買ってもらうことももちろんすごくうれしいけど、こうやって、4人で会って笑いあえることも とても大きなプレゼントだな、と思う。楽しい時間をもらった気がする。


20000603

最近の楽しみは、
昼休みに図書館で予約した本を受けとってから、 おいしいお弁当屋さんでお弁当 (ご飯とおかずが別々の容器に入っていて、すべてのおかずに手抜きがなくてとっても おいしい。お弁当だけど、しっかり「食事」をした実感がある)を買って、 どこかのテーブルで本(自分の)を読みながらのんびりと食べること。
ここのお弁当を買うのは、給料日か、ちょっと自分にご褒美あげたくなった 時に限られるので月に2、3回くらい。だからなおさらおいしく感じて、時間をかけてゆっくり食べる。
そして食べ終わってから、お茶を飲みながら今度は図書館から借りた本を読む。
うーん、幸せ。

ちなみに、昨日もその幸福な昼ご飯だったのだけれど、
白いご飯に、カラアゲ&千切りキャベツ、焼き魚、ナスをひき肉であえたもの、野菜の煮物、 春雨サラダ(これを食べたら冷やし中華が食べたくなった)、キュウリの漬物だった。おいしかった。
おかずの品数が多いので、ご飯とのバランスを考えながら食べたり、 「漬物は最後までとっておいて、口をさっぱりさせるために食べよう」などと 計画(?)するのもなんだか楽しい。


20000602

誰かと話した時に、その相手のいいところを引き出せるような人になりたいな。
と、昨日の「うたばん」での中居くん&貴さんの、モーニング娘。との やりとりをみていて思った。あの番組で見る彼女たちが一番生き生きしてる。
彼女たちの人気上昇は、あの番組の効果もかなり大きかったんじゃないかな、と勝手に想像したりして。 大口あけて笑ったり騒いだり怒ったり泣いたり、感情全開な彼女たちを見てると、 こっちまで元気がでてくるから。
それと同時に、
「人ってこんなに垢抜けてカッコよくなることができるんだね」 ということを、今度は野猿を見ていて思った。
最初の頃は、単なるおにーちゃんたちだったのに、今やすっかりサマになってるじゃありませんか。
(ひそかに神波くん(一番背の低いヒト)のファンだったりする私)
垢抜けるための可能性はきっと誰にも平等に転がってるような気がするな。
彼らは、ダンスや歌のレッスンをしたりいろいろな努力を積み重ねたことで自信を 身につけたのだと思う。そして、中身が磨かれた結果が表情にも表れて カッコいい彼らになったんだろう。

人って、自分の中身に胸を張れる時、いい表情をしていると思う。
心の中に何か迷いがあると、それがどうしても出てしまうから。
私は、そういうのがとてもわかりやすく顔に出てしまう方だ。(なので常に、 気持ちを引きずらないように細心の注意をはらっている)
たとえ自覚していなくても、自分の顔を見ればすぐに、
「あんた今なんかぐじぐじと思い悩んでることがあるねっ?」と わかる。それから慌てて自分の気持ちの中を探しはじめるということがけっこう、ある。 黙って座ればピタリと当たる顔占い、ができそう。
まさに、「顔にかいてある」ってやつです。

私が男女問わずかっこいいと思い目標にする人は、
心の中に、きちんと一本つっかえ棒がまっすぐ立っているひと。
ぐらぐらぐねぐねしてない、いさぎよいひと。自分で自分を支えきれるひと。


20000601

この間ある人に、
「松坂(野球の)に似てるね」
って言われてなんだかショック。
私はあまり人間に似ているといわれなくて(常に犬) それが悲しいのだけれど、たまに言われたと思ったら、 松坂、しかも性別違ってるし。
「松坂をみるたびに(私を)おもいだすよ」
って、そこまで似てるのかい。
似てないと思うよ、客観的にみて。あっさりした顔ってところぐらいか。強いて言えば。
でもね、私あんなに顔長くないと思うの。目もそこまで小さくないと思うの。
なんだかうれしくない・・・(松坂クンファンの方、ごめんなさい。彼個人はすごいと 思うのですが、似てると言われてうれしいかというと・・・ええ)
おかげで、それ以来、テレビで松坂の姿を見る度、なんだかわけもなく不快な気持ちになって しまう私なのだった。松坂になんの恨みもないのに。
そんなに似てますか?>私の顔を見たことある方々。(どうかちがうといって)
似てないと思うんだけどなあ・・・ぶつぶつ。
あ、でも松坂クンも犬顔かな、そういえば。そういう共通点?(だんだん、「まあいいか」 という気持ちになってきている私)


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