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20000831

今回仕事をかわってからの目標。
これから数年はがむしゃらに働いてばりばり稼いで生活力のある人になること。
今までは一応、職場用の服と休日用のものを一応分けていたのだけれど、 今度は区別なしでいけそうなので、服にはあまりお金をかけずに上手におしゃれを 楽しむことを考えること。そして数年後、また新たな仕事に就く時がきたらその時に、 ビジネスっぽいスーツ等をまとめて買おうと思う。
ハハ曰く、今はまだ体型が変動する時期で、数年後くらいにちょうど定まるから、 その時期に長く着られるものを買い揃えるのがオススメらしいので。その時が今から楽しみ。
それまでにそれらが似合う雰囲気を身につけておかなくっちゃ。

そして、新しい職場と仕事で、また新たな自分と出会いたい。
今までの職場にいたことで、私は自分も知らなかったような自分の一面を見たから。


20000830

いまもっているもの(人でもいい)を手放そうとはしないまま、 「もっといいもの」を欲しがる人の気持ちは私にはよくわからない。
ないものを欲しいと思うのはわかるのだけれど。それなら私にもあるから。
でも、片方の手をしっかりと握り締めたまま、 もう片方で新しいものを掴もうとするなんてしんどいなあ、と思ってしまう。

それは仕事についても同じで、今までの職場や仕事への思いを片付けないと次に 進めないので、今月は仕事と同じくらい、気持ちの残務処理も必死にしていた。 ひとつひとつ自分の中で決着をつけていく。
すべてを処理するには少し時間が足りないけれど、新しい場所にできるだけよけいな思いを持たずに行きたい。
なにかと別れると決めた時は、やはりつらい。その決断が自分の心を痛めつけることだってある。
だけど、別れの時が定まっていれば、そこへ向かって少しずつ少しずつ、静かに 終わっていくことができるのだ。そして最後の日は笑って別れることができる。感謝の気持ちで。
今回も、すっきりした気持ちで心からの笑顔と少しの涙で別れを言うことができた。よかった。
気持ちの片付け、上手になったかもしれないなあ、なんて思った。別れ慣れしたのかな。

もしいつか私に恋人ができたら、その人には私をふる際、一ヶ月くらい前に予告してもらいたい。
「一ヶ月後のこの日に別れよう」って。
相手が、私のこともう二度と顔も見たくないくらいに思っているのならもちろんそんなこと望みはしないけど、 そうじゃなくて、単に私の前から消えるだけなのなら、もしかしたらいつか友達として 会えるかもしれないのなら、そうしてほしいと思う。
そうしてくれたら、少しずつ私の気持ちをなくしていけるから。悲しみだけにどっぷりつかることなく、 もちろん憎んだりすることもなく、静かに終わっていけると思うから。
いつのまにかいなくなる人のことは、私は嫌いだ。友達でも好きな人でもみんな。

私につながるすべての人へ。
どうかどうか、いなくなる時はきちんと言っていってください。


20000829

「金のない男は顔のない男と一緒だ、って言う人も世の中にはいるのよ」
とは、結局途中から「バスストップ」を見ていたハハの強烈な一言。
「お金を稼ぐだけの仕事をする力がないってことだからね、つまりは」
・・・なるほど。

気持ちが少し疲れている時は、音楽をあまり聴けないし、本も限られたものしか読むことができない。
特に音楽については、聴きたいと思うものが今自分の手元にない。
いや、あるのだけれど、下手に聴いてしまうと気持ちがかき乱されそうでこわくて手を出せないのだ。
私は寝る前の時間必ず音楽をかけながら眠るのだが、 最近は、気持ちを刺激しない無難な洋楽(男性ボーカルが好き)を選ぶことが多い。

本も、今は推理小説も恋愛ものもエッセイもあまり読みたくない。
やさしい文章を読みたいと思う。
私はその時読んでいる本とは別に、お守りがわりの本 (もう何度も読んでいるのだけれど、持っていることで安心するもの)を持ち歩いていることが 多いのだけれど、最近のお守り本は、この間図書館で借りてはまり、 文庫になっている1・2巻を買った、灰谷健次郎の「天の瞳」。
最近はずっとこればかりを読み返している。
読みやすい文章の中に、胸に響く言葉がたくさんある。
読むことで、自分の気持ちがきれいになったような気がしてなんだか心が軽くなるのだ。
誰もが持つ心の闇の部分を描き、そこをぐいぐいと押してくる小説もすごいと思うし 好きだけれど、こんなふうに人のきれいな気持ちを引き出そうとしてくれる本が もっとたくさんあってもいいのに、と思う。


20000828

「家にいるのが好き、ずっと出なくてもかまわん」
などと(25日の日記で)言ったバチが当たったのだろうか。
2泊3日の予定ででかけた旅行、1泊だけで帰ってきてしまった。
まさかこんなオチになるなんて夢にも思わず、この旅行を楽しみにここしばらく頑張ってきた だけに、がっかりを通り越して、なんだか悲しくなってしまった。

宿に着くまでは、行きがけのコンビニで花火を買ってみたり、駅弁を食べながら列車に 乗ってみたりと旅気分を満喫、楽しんでいた。だがいざ 着いてみたら、なんだかボロくて部屋に冷蔵庫がなかったこととかドアの鍵が閉まらないこととか (これは結局普通のドアとはちょっと違う閉め方だったということで解決はしたのだけれど) その他もろもろの小さなことが積み重なってきてどんどん気持ちが盛り下がっていってしまい、 気持ちがどうにもこうにも修復不可能な状態に陥ってしまったのだ。
そして、それにとどめをさしたのがフロントの人の対応の悪さ。
チェックインを済ませて渡された鍵を目の前に置き、その上で部屋のことについて 話そうとしているのにもかかわらず、つっけんどんに
「なに、チェックインはすませたんですか!?」と吐き捨てるように言われ、もう、
イヤな気持ちは頂点に。
こんなとこ絶対2泊もしたくない。なんならこのままとんぼ帰りしてもいいくらいッス。
一緒に行った友達も同じような気持ちだったため、フロントの 人にいろいろと不快に思った点、ここには泊まりたくないことなどを伝え、 さっきチェックインして払ったお金を全額返してもらった。
本当なら半額をキャンセル料として払わなければならなかったらしいのだけれど、 どうやら、めんどくさい奴らだからまるくおさめてしまえ、と思われたもよう。ラッキー。
でも結局、せっかく来たんだし1泊だけはしようよ、ということになり、急遽、のんびりだらだら2泊旅行は 1泊の慌しい旅(もはやそれを旅とは呼びたくないような気分になってはいたが)に内容変更。
1泊で帰ると決めたら、残された時間は短い。なんせ2泊のつもりでのんびり出かけてきたのだから。
その上、買ったお菓子やビールやお茶もすべて2泊分。 こいつらをできるだけ片付けていかなければ帰りの荷物になってしまう!と二人してその後はひたすら食べまくり飲みまくる。 お風呂に入った後、夕飯に海鮮丼を食べ、満腹になったにもかかわらず夜中まで食べ続けた。
そしてその結果、当然というべきか、翌朝私のおなかは久しぶりに大きくこわれて死ぬ思いをしたのだった。
食べた分、身につく前に全部出たね。(汚い話ですみません)

短い時間ではあったけれど、ちゃんと夜の海で花火(「火を絶やすな〜っ!」と 叫びつつ狂ったように火をつけまくりふりまわし、まったく余韻を楽しむ余裕のない花火だったけど)もやったし、 大きいお風呂(露天が広くて3種類あったのはうれしかった)は満喫したし、 1泊旅行、そして2泊目の宿泊費が全額かえってきたと 思えばまあ許せる内容ではあった。滅多にできない経験だったね、と苦く笑いあいながら帰る。

ちょっとがっかりな結果にはなってしまったが、その理由が、彼女と大喧嘩してもう一瞬たりとも 一緒にいたくない!帰る!というのじゃなくて、よかったな。(うーん、無理やり前向きに なろうとしている?)
いやでも、ほんとに。それだけは不幸中の(?)幸いでした。

そうそう、今回の旅行で二人の印象に最も残ったのは、ジャスコ(宿のある駅にはジャスコがあったのだ)の素晴らしさ!
食料品売り場など、見ているだけで幸せな気持ちになる、やっぱり。
思わぬ再会(?)に浮かれた私は、またもや安売りのガムや油とり紙をまとめ買いしたりしてしまったのだった。
彼女はジャスコに入ったのははじめてだったのだけれどやはりその安さに感動していて、お母さんとおばさんのおみやげに とキャミソール(500円。ユニクロのも500円だけど、それだとサイズが小さいらしい)を買い込んでいた。
ああ、いつかジャスコのそばに住みたい。


20000825

私は時々、「もう家から出たくない、外出たくない、でかけるのイヤ」
という気持ちになる。こもりたい人になってしまうのだ。
部屋はシェルターみたいに、守ってくれるから。
本と音楽と布団さえあれば、ずっとここから出なくてもかまわない、とさえ思う。
外に出ることを、ストレスに感じることが多いからなのだけれど、でもそんなの、みんなそうですよね、ごめんなさい。
私は根性なしなんです、この件に関しては特に。昔から、そう、小学生くらいの時からすでに 「おうちスキスキっこ」だったので。出不精を絵にかいたよーな。例えば週末にせっかく母親に誘われたのに、 人いっぱいの遊園地やデパートに行くくらいなら家でのんびしてよーよ、と言っちゃうような。 (なんだかかわいくない子どもだわ)

例えば究極の選択として、「これから一生、毎日必ずでかけなくてはならない」と「これから一生絶対に外出しては いけない」というのがあったら、迷わず後者を選ぶと思う。ただし、 本や食料などは通販で買うことができるという条件ツキで。そして会いたい人には家まで来てもらうってことで。 (なんてずうずうしい)
毎日毎日家で過ごせたら、しあわせだろうなあ、と思う。
こういうのを世間では「専業主婦ガンボー」などと呼ぶのでしょうか。 でも違うな、私は別に一人でもいいんだもん、そういう生活ができれば。
(・・・って誰が生活費を稼ぐのかまったく考えてない発言)
こんなにしあわせで心穏やかな時間が週末だけだなんて、悲しい。
でもそんなこと思ってたら社会人失格だわ、クスン。

夏の間ひっぱがしていたラグを、また敷いた。
その方が、ぬくぬくとこもるのに落ち着く自分の部屋という雰囲気でほっとする。
涼しくなったら、新しい布団カバーを買おう。


20000824

最近、我が家の玄関からリビングへのドアが自動ドアになった。
鍵を開け、靴を脱いでいる間にすーっとドアが開く。
そして、
「いらっしゃいませ〜♪」
または、
「おかえり、おつかれさま〜」
とテンション高めにお出迎えしてくださるのだ。
疲れきって帰っても、そのおかげでふっと気持ちの糸が緩んで肩の力が抜けるのがわかる。
外用モードから一気に、ココロスッピンくつろぎモードへ切り替わって、息がしやすくなる。
ナイス、なごませ上手。

人と暮らすこと、たとえ親でも(いや、親だからこそ)しんどく感じることは 今でもまったくないとは言えないけれど、でも、一人じゃなくてよかった、と思うのはこういう時だ。


20000823

新しい職場の社員証のために証明写真を撮ったのだけれど、 半年前に撮ったものと比べどう見ても顔の幅が狭くなっているのにちょっとたまげた。
これは、やつれたということなのか、やっぱり。
生活的には、半年前に撮った時の方がハード(たくさん残業をしていたので) だったはずなのに、なんだかそっちの方が血色いいし。疲れって、睡眠時間の長さとか 残業のなさとかだけには比例しないのね〜。気持ちの疲れをあなどってはいかん。
うーん、写真か、と思って、今まで職場で写した写真のうち、 自分が写っているものをもらっていこうとガサガサとかき集めて見ていたら、 全然違う。まさに、「顔に歴史アリ」とでも言いたくなるような変遷ぶりであった。
それは私だけでなく、一緒に写っている方々も同様。
毎日一緒にいると気が付きにくいけれど、変わっていってるんだな〜、みんな。
その時はあまり思わないけれど、時々思い出したように自分の写真を撮っておくことは、 けっこう大事なことかもしれない。自分の姿を客観的に直視する機会なんてそう滅多にないもの。
そして、あとで見た時に確実に楽しめること間違いなし。

ちなみに、私が今回撮った証明写真は、ハハからダメが出たのだった。
社員証の写真なんてテキトーでいいのよ、と言ってたハハが言うくらいだから、 そうとうよろしくないってことなのだろう。(自分ではどれも同じに見える)
写真、苦手。プリクラが一番いい顔で写ってるもん、いつも。特に、改まった写真は超ニガテ。
でもまさか社員証にプリクラ貼るわけにもいかないので、気を取り直して後日再チャレンジする予定。


20000822

昨日は、前の職場の友人と夕ご飯を食べた。ちゃんと会うのは私がそこを退職して以来。
一緒に働いた期間はたった3ヶ月くらいなのに、私が転職して 2年以上経った今も続いている、大切な友達なのだ。
会わない分、それじゃあメールなどをまめにしていたのかというと全然そんなこともなかった。(せいぜい 年に2、3回)考えてみたらこれってけっこうスゴイことかも。
でも、まるで別れたのがついこの間のように、すっと違和感なく話せて、 二人して、「一緒にいた時間の長さじゃないんだね〜」としみじみ言い合った。
そして、「(私の)中身がかわってなくてよかった」とほっとされた。彼女からみると、 私の外見は一緒に働いていた頃に比べるとそれくらい、変わったらしいのだ。
うん、中身は変わってないよ。少したくましくなったくらいよ。

彼女は今おなかに赤ちゃんがいて、雰囲気がすでに「おかあさん」していた。
表情や雰囲気の、それはそれはふんわりとやわらかいこと!
話しているだけで、私までほっこりし、つられ笑いが沸いてきてしまったくらいだ。
食べることが大好きで、いつもとても幸せそうな顔をしてご飯や甘いものを 食べる彼女に、赤ちゃんが生まれたらおいしいものを持って遊びに行くと約束をした。
ううーん、楽しみ。


20000820

昨日は久しぶりに99円ショップまで買い物に行った。
こんな朝っぱらから(と、いっても10時すぎだけど)がしがしと 自転車をこいでいると、なんだか自分が健やかな人間になったようで気分がいい。
大量の豆乳、野菜、それから今度行く旅行の時に食べるお菓子などを買い込んだ。 普段、お菓子を買うことがほとんどないので、ついついうれしくてたくさん 買ってしまう。たった2泊なのにこんなに食べられないだろう〜ご飯も ちゃんと食べるんだし、というくらい。ま、余ったら職場での 残業食にしよう。
それから渋谷へ。
友達とアフターヌーンティーでお昼を食べてから、隣の甘いデザートを たくさん売っている別のアフターヌーンティーで メープルシロップと生クリームのかかったワッフルを食べた。
おなかが満たされたので今度は揃って健康ランドへ向かう。
途中の電車の中で、「今の健康ランドっていうのはいまいちだ、 私たちがプロデュースしたら絶対にみんなに喜んでもらえるものができる! 男性用にサウナがあるんだから、女性専用の健康ランドがあってもいいと思わない?」と いう話題になって、具体的にどんなものにするかを気合いれて話し合ってしまった。
中で使うタオルのことから、湯上りに着るTシャツなんかのことなど、あとからあとから アイディアが湧き出てくる。(詳細はナイショ、アイディアを盗まれたら困るから←考えすぎ)
あまりにも話に夢中になっていたため、はっと気が付いたら目的の駅に着いていた。
健康ランドは思った以上に混んでいたのでちょっとがっかりしたのだけれど、 人の移動のタイミングをうまく狙い、一番好きな露天っぽいお風呂に 思う存分つかった。あれこれ話しながらつかっていたら、気が付いたら1時間くらい経って いたりもして。(一人で行くと、1時間つかるのはさすがにできない)
そしてつかりながらもやはり、「こういう施設の維持費って一体どれくらいなんだろう? ここの人ってどういう勤務形態(24時間営業だから)なんだろう」などなど また話し込む。ああ、誰かこのアイディア買ってくれないだろうか。
自分たちで実現するためには何十年かかるんだろ・・・。

そして夜、ミスチルが「NOT FOUND」を歌うのを見ていたら突然、
「人の、一度離れてしまった気持ちはもうもどることはない、友情も愛情も」
ときっぱりわかった。
それはまるで、ありがたいお告げがおりてきたかのようなすがすがしい気持ちだった。

なぜミスチルだったかというと、ボーカルの桜井さんが、長年一緒だった 奥さんと別れて別の人と暮らし始めた時に、「無名時代を支えてきた奥さんを 捨てるなんてヒドイ」というようなことが言われたりしたけれど、 でもそれはしかたない、そんなことで人の心は縛れはしない、と 感じたことを思い出したから。


20000819

今週、死んだと思っていた人が生きていたことがわかった。
いや、本当はそうではなくて、「死んだことにして忘れようとしていた人」が 当然のことながら生きていたことをわからされてしまったということなのだけれど。
そっか、生きてるんだ。よかった。
とほっとする反面、心臓を切られて血が流れているのではと思うほどの 痛みが襲ってきたのだった。
やっとこさっとこふさがりかけていた傷口がぱっくり開き、またつらさがよみがえってくる。
あーあ、せっかく「あの人は死んでしまったつもり」になりかけていて、 自分をだませそうだったのにな。ふりだしに戻ってしまったよ。
また殺さなければ、気持ちの中にいる人を。
死んでしまった人にはもう会えないのだと、自分を納得させればいい。そうすれば つらいけど、つらくない。
でも納得なんてできなくて、苦しくてたまらなくて、どうにかして助かりたくて
「脳の、その部分だけ爆破して記憶を抹消したい」
と言ったら怖がられた。
私は、実は激情のヒトなのかもしれない。

思いきってはじめから、「なかったこと」にしてしまえばいい。
なにも、なかったし、思わなかったし、傷つかなかったし。

なにも、ありませんでした。

そう、なにひとつ。


20000818

友達との深夜の電話は、気持ちを癒してくれる。
滅多に電話をかけることのない私だが、最近は弱りモードに突入しっぱなしのため、 うう、へこんでるんだよーう、と何かしら口実をつくってはちょくちょくかけてしまっている。今は、 来週行く旅行の打ち合わせを口実にできる友達がいるからちょうどいいのだ。(被害(?)は最小限に とどめないとね)
用件を話してからも、切りたくなくて。
たわいもない、くだらない話をちょこっとするだけでおっけー。
それにつきあってくれる友達がいることのしあわせさをその度にかみしめてしまう。
自分のしんどい気持ちや、やりきれない全然まとまってなんかいない思いたちを話し、 ただ聞いてもらうことができただけでなんでこんなに気持ちが軽くなるんだろう。
持ちきれなかった気持ちを、少しだけ「ほら、こっちにかしてごらん」と持ってもらったような感じ。
ぺたんこだったココロがすこ〜しふくらむ。よし、もうちょっとやってみよう、って思える。
聞いてくれるだけでいい。
私も、誰かのつらい気持ちを「持ってあげる」ことのできる人になりたいな。
大事な人の気持ちの積荷をちょっとでも軽くできる人になれたらいいな。


20000817

「愛をください」(ドラマ)、その直球すぎるタイトルにひかれて できるだけ欠かさず見ている。(ハハに言わせると「愛はもらうものじゃなくて あげるものなのよっ」ってことらしいけど)
私にとっては久しぶりに、見ていて気持ちが動かされるドラマだ。
それは例えば、
北海道に移住したいな〜
いいな〜
というようなとてもささやかなところからはじまったりもする。
なんだか気持ちがひろびろしそうだよね〜
おいしい空気と野菜を食べて、健康になれるよね
広い家に住んでさ、犬も飼ってさ
などと、母娘で熱く夢を語りうっとりした目をしたりもするのだ。

さらに昨日は、突然「あんたがスカッと生きるためには、 演技をやるのがいいと思うんだけど」と言われた。
いろいろな感情を出すことができるから、って。私の喜怒哀楽の激しさを わかっての発言か。そりゃそうか。親だもん、わかってるか。
激しく動く感情たちを普段はぎゅうぎゅうと押し込んでいるために、 いつのまにかぱんぱんになってしまっていきなり泣いたり叫んだりしだすってもうバレてるのね。
私が文章を書かずにはいられないのは、それらを外へ出してあげるためでもあるのだけれど、 文章の場合、時々どんどん中にめり込んでいっちゃったりして、逆効果になったりもするからな。

昔から、学芸会の演劇の練習が大好きで、 国語の時間の音読なんかも気合をいれてやる子どもだった。他の人になれるのが、楽しくて。
自分がいなくなるのが快感だった。
本当は、演技をきちんと勉強してみたくてたまらない。劇団に入ったりも実はしたいのだ。(あーあ とうとう言っちゃったよ)
今でも時々、本棚から小説を取り出し音読することがある。登場人物の気持ちをなぞりながら読んでいくと、 自分がふっといなくなり、ちょっとしおれていた気持ちが軽くなって別の場所に運ばれていくのを 感じて、ラクになる。
本を読む(音読じゃなく、普通に)のが好きなのも「ほかへいくことができる」から。
つかのまのげんじつとうひなのだ。


20000816

「毅然とした態度」
これが、私に欠けているもののうちの一つ。これを身につけることに目標をしぼって当面は 頑張りたいものだ。今回新しい職場に行くのを機に、キャラクター改善をしようと 思う。
とにかく、私は人から気を使われないし遠慮もされないしどんな扱いをしてもよい存在だと 思われている。そのせいでいつのまにか仕事も雪だるまになったりしてた。
自分がいけないのはわかっている。
私は、自分のせいで相手が不機嫌になるのをみることを 昔からとても恐れている。その上その感情の荒れをぶつけられるのが とてもいやなので自分が我慢することでそれが防げるのなら それでいい、と思ってつい気持ちを押さえてしまうのだ。
本当に言いたいことを言えないことが多い。

でも、いつまでもなめられやすい自分でいるのはもうやめよう。
キチンと正当に扱ってもらえる人になりたい。
言うべきことはきちんと言おう。
今まで、逃げてた。
なーにを怖がってるんですか、一体。
自分が言ったことで相手が不機嫌になったとしても、激論たたかわすことになったとしても、 逃げない。こわがらない。嫌われてもかまわない。
自分の言動には責任を、とる。
その上で言いたいことは、言う。したいことも、する。


20000815

どうしても家でビデオが見たくてたまらない。映画が見たいのだ。
何事もだめもと精神を大切にする私は、大学時代に実家を 離れて一人暮らしをしている間に壊れてしまった ビデオデッキに再度挑戦してみた。(つまり、約4年以上壊れっぱなしだったということだ。 不精な母娘なもんで、へへへ)
中に入っているテープが絡まっていて出てこなかったんだよね〜、前やってみた時は。
えい、力づくじゃ。(がしがし)
格闘の結果、なんとか取り出せた。やっぱり、テープがよれよれになって絡まっていた。
ヤッター、と思って早速、別のビデオを入れて再生しようとしてみたのだけれど、 きゅるきゅるきゅー、という音がするばかり。
駄目じゃん・・・。くっそーぬか喜びさせやがって!ばかばか。
・・・はやく買いたい、テレビデオ。
油(?)をさしたら見られるようにならないだろうか。(あきらめ悪し)


20000814

昨日はまた健康ランドに行った。サウナ5、6分×7セットほど頑張る。
お盆時期だし日曜日の昼間だし絶対に空いていると思ったのにいつも以上の 混みようで、予定より早目にそそくさと切り上げて帰ってきてしまった。
もっとだらだらと楽しむつもりだったのに、まるで勝負のような短気決戦だった。
へろへろになりながら地元の駅までたどり着き、おいしいソフトクリームを食べる。
お風呂上がりの甘いものはおいしい。適度に疲労しているので、 五臓六腑にしみわたるような気がする。小学生の夏休み、プールから帰って食べたスイカ やかき氷がとってもおいしかったことをふと思い出した。

健康ランドにはいろんな年代の女性の裸がごろごろしている。体型もそれはそれは様々だ。
これは、恋愛や結婚をしセックスをして 妊娠して出産もして、その他いろいろなことを乗り越えてきた結果の裸なんだな、と しみじみ思いながらついついじいっと見てしまったりする。
木の年輪のように、身体に歴史が刻み込まれているようで、 体型がいい悪い以前に、言いようのない迫力があるのだ。
単純に体型の良し悪しで見たら 私の方がナイスバディ(自分で言うかオイ)なんだろうけど、それはつまりはほとんど何の歴史 も刻まれていない、人生の大イベント(妊娠やら出産やら)をなーんにも経験してない のっぺりした身体だということだ。
今後自分の体型がどうなっていくのか。それはどう生きていくのかという姿勢にも通じていくのだろう。
たとえ妊娠などをこのまましなかったとしても、自分がゆるんだ生活をすれば一気にだーんと太ってしまう 可能性だって大いにあるわけだし、やっぱり生き方は体型にも出るんじゃないかな、と思うわけです。


20000811

いきなり、プロポーズされた。

二人きりででかけたり食事したこともなく、もちろん肉体的接触(なんだか やらしーな、この表現)もまったく!!(ここ、絶叫)ない人から。
もちろん私はその人のこと、なーんとも思ってない。
・・・生まれて初めてされたプロポーズがこれって、なんだかもう、 私の恋愛運って暗黒なんじゃ・・・ってめちゃくちゃ落ち込んだね。最低ッスね。
なにもないより悪いよ、こんなの。
その人から見たら私は、「母親しかいない片親で、その上その母親を 養っていかなければならないかわいそうなヤツ」ってことになるらしく、
「君の家庭環境も考えた。でも、それでもかまわないから」
だってさ。
こっちがかまうんだよバカヤローーーーーーーーーーッ!!!!(ぜえぜえ)
君はそういう条件の悪い女だから、寛大なボクくらいしか結婚してくれる人はいないだろ、きっと、 ということが彼の主張のようでした。ああいまいましい。
自分よりも完全に弱い(私がそうだと彼は思ってるわけですよ)立場の女性しか 相手にできない人なんだな、彼は。
もちろん、丁重に(恨まれて刺されたら怖いから)お断りしました。
でも、あきらめてなんていない模様。
ははは、ほんとーにコワイです。
とても心細くて、とても人恋しくて、母親が家にいてくれて顔を見ることで ほっとするし、甘えたくってしょうがない。(子どもがえりのようだ)
母親がいなくなったらさみしくってどうなるかわかんないよ、今の私。
なので、一度「オヤスミ」を言って部屋に引っ込んでからも、 また意味もなくドアを開けて、リビングでテレビを見ている母親の顔を みて安心しては閉めてみたりあぶない行動を繰り返している。


20000810

ここのところずっと、マリッジブルーだった。
いえ、正確にはマリッジブルーではなくて(結婚なんて ないない)それに似たようなブルーさ加減だったのだ。
自分が好きで結婚したい(=働きたい)と思ったひと(会社)に 告白して(転職活動)、無事気持ちを受け入れてもらって結婚(転職)が 決まったというのに、なんだか気持ちが落ち込んでいた。
わけもなく不安になるし、わくわくできなかった。
うれしい気持ちにどっぷり浸かりたいのに浸かれなかった。
1年以上も前から望んでいたことが叶ったのに、なんでじゃい!と 喜ばない自分にむかついた。
そしていいようのないプレッシャーや不安に押しつぶされそうで、 毎朝、吐き気と下痢で(汚い話ですみません)目が覚めていた。
自分の進む方向を自分で決めることが、こんなにこわいとは思わなかったよ。
でも、リスクを恐れちゃなんにもできない。
やってみなかったら結果はわからない。
結果を決めるのは自分じゃないかもしれない。だけど、踏み出すことを決めるのは自分自身。

ちゃんと、自分の背中を自分で押せる人間になろうと思う。
誰かに押してもらったり、引っ張ってもらうことを望むのではなく。
そして、自分の力でつかんだ幸せを、こわいからといって安易に手放さないように。
もっとがんばれるように。
そして自分で自分をしあわせにできるように。

ん、すこーん、とぬけた、気持ち。
未来を楽しみにする気持ちがじんわり湧いてきたぞ。

そうそう、楽しみといえば、今度の職場はジーンズOKなのでむっちゃうれしいッス。
1本欲しいのがあったのだけれど、どうせ週末しかはけないしあーん無駄だよね、と あきらめてたんだ〜。今度フンパツして買っちゃおうっと。
おニューのジーンズを買うのはとっても久しぶり。あーうれしい。
今、4本のジーンズを持っているのだけれど、実はそのうちの2本はまったく同じメーカーで型番でサイズのものだったり する。丈の長さだけが違っていて、1本がそのまま、もう1本はロールアップしてはく用。
そしてもう一つのペアは、これまた同じメーカーと型番でサイズが1サイズ違う2本。大きい方は地元だらだら用で、 小さい方はキレイなジーンズスタイルにしたい時用。
ばかな買い方?
でも、やっとみつけた自分の体型に合うジーンズは、もう一本持っていたいとどうしても 思ってしまうんです。
私、気に入った服などは色違いで揃えるタイプなので。


20000809

職場の女性で、私がいろいろと仕事のことなど話をできる方が 一人いるのだが、さすが年上だけあって、様々な人間模様を時々聞かせてくださる。

その方の友人で、奥さんのいる人とつきあっていた人がいるそうだ。
そしてその恋愛は彼の妻にばれた。でも、妻はガンにかかってしまっていた。 妻は彼女に会いにきて、
「私はもうすぐ死にます。でも、そのあとあなたが 主人と一緒になったら、私は化けて出てきますから」と言ったのだそうだ。
その言葉通り、しばらくして妻は亡くなった。彼と彼女も別れた。
だがその一年後、彼が彼女に「やっぱり忘れられない、一緒になろう」
と言ってきたため、仲は復活。今だにつきあいは続いているらしい。
「結局、死んじゃったら終わりなんだよね。いくら思いを残したって、 忘れられるだけ、覚えていてなんてもらえない」
と職場の女性。
「そうですよね。いくらばけて出たって、おはらいされて終わりですよ」
と、私。
死んでしまったら終わりだ。なにもできない。好きな人に会うことも できない。
健康な身体と心をもっと大切にしよう。かけがえのないものだ。
いくらお金を積んでも(積むほどないけど)買えないものなのだ。
最近、年を重ねれば重ねるほど、健康であることと幸せであることの結びつきが 強くなっていっているような気がする。
特に最近、大事に思っている人の手術話を聞いて泣きそうになったばかりなので、 余計にそう思う。大切な人たちには、いつまでも元気でいてほしい。笑ってて欲しい。

そしてもう一人。浮気をした妻を怒りも責めもせず「自分がふがいなかったせいだ」と思って 子ども達に、
「お母さんはなにを望んでた?」と聞き
「きれいな家に 住みたいって言ってた」と知ると頑張って新築の家に買い換えた夫の話。
4LDKで、そのうちの一部屋は広かったので、 それまでは夫婦別室に寝ていたのだが
「(広くなったから) この部屋にベッドを二つ置けるよ」と妻に言ったらしい。しかし、
「なんのために部屋が4つあると思ってんのよ! 一人一部屋(4人家族)に決まってるでしょう!」と言われてしまったのだそうだ。
なんだかもう、聞いているだけで胸が締め付けられるような気持ちになってしまった。
一生懸命家を買ったダンナサマの思いを考えると、切なくて、悲しくて。
それだけ気持ちが冷めてるなら、別れればいいじゃない、と その方が妻に言うと、
「そしたら(稼いでくる人がいなくなるから)損だ。 だから別れない」と答えるのだそう。
そして、買い換えてくれたことを喜ぶどころか、そのせいで またやりくりが大変になって私はパートに出なくちゃいけなくなった!と 全然満足なんてしていないらしい。

幸せって、本当にそれぞれの、人の心の中にしかないんだな。
どんなに愛されて大事にされても、それをうれしいと、幸せだと感じる 心がなかったら、その人の心はからっぽなままなんだ。
そんな人といたら、殺伐とするなあ。
水をあげてもあげても干からびていく砂地みたいな気持ちの人だ。
私は、そういうの、いやです。
やっぱり、一番身近な家族を大切にできない人は、ダメだと思う。
そして、家族に大切にされて当たり前、と思うのは、危険なことだ。
そう言いつつも、私はつい最近まで母親との気持ちの距離の とり方がわからなくって、一人でカリカリしてる部分があった。そのせいで 自分の気持ちまで苦しくしていた。
でも最近は、意識せずとも自然に親を大切にしたいと思う気持ちが生まれてくるように なった。少しは大人になれたのかもしれない。
おみやげに甘いものを買って帰ったりして喜ばせるのが楽しみだったりする。
妻や子どもを大事にする夫の気持ちで接している感じに近い。今の母は、精神的には私より 強いかもしれないけれど立場的には私が守っていかなければならない、 自分より弱い存在になってしまったから。

自分の中に、つきあうのが苦しい人がいる状態はとてもしんどいので、 そういう人がもしいたら、頑張ってその原因をとりのぞきたいな、と思う。
それができなくてただ苦しいばっかりなら、きっぱりと断ち切るしかないのかな、とも思うけど。


20000808

昨日は、夏休みを利用してこっちに出てきていた友達に会いにでかけた。
海を見ながらぼーっとする。砂浜(人口のだけど)まで出て、 サンダルを脱いではだしで歩いた。砂の感触が心地いい。
どうも私は、五感を刺激されるのに弱いんだね、今。普段そういう機会が 少ないので。砂に足跡をつけたり、足で穴を掘ってみたりして触感を楽しんだ。
その帰り、暑さでぼんやりしていたため動く歩道のつもりでエスカレーターに乗ってしまい、 後ろに思いっきりガクン!と落ちかけたのだった。(階段と階段の境目にちょうど乗っていた)
必死に体勢を立て直し、恐る恐る後ろを振り向くと、恐怖にひきつった女性の顔が。
「いや〜びっくりした〜落ちてきても受け止められない!って思って〜」
すみませんすみませんと平謝り。
そのあと、ケンタッキーでセットを食べ、本屋(中でコーヒーを飲みながら 売り物の本を読める素晴らしいところだ)をうろうろしたり、プリクラを撮ったりした。
そして、彼女に夕飯一緒できなくてゴメン、と謝り早目に帰宅。

今年にはいってから週1、2回しか家で夕飯を食べることがなくなっている。平日は ほとんどまともな夕飯は食べてない。(ヨーグルト&プルーン&お茶&野菜ジュース)
その上量が食べられないので、食事は質で勝負だ、と思っている私には、たまのおうちご飯は本当に貴重なのだ。
家で食べるご飯が一番好きなのに、あまり食べる機会がなくなってきたのがとても悲しい。
週末家にいられる時になにがうれしいって、部屋でのんびりできるというのももちろん大きいけれど、 家でメシが食える!これが最大の喜びなんであります。(と、いいつつも昼しか食べず夜は 結局ヨーグルトだけだったりするのだけれど)
家で夕飯、の回数を増やすためには、夕飯の時間が6時とか7時が基本、百歩譲っても食べ始めるのが8時くらいまでじゃ なくちゃ翌朝胃が痛いし気持ち悪いの!というこのよわっちい胃をどうにかするしかない。


20000807

時々、「あの人は変わってしまった」などと言うことがあるが、 変わってしまったのではなく、単にその人がもともと備え持つ、今まで 見えていなかった面が表に出てきただけなのだと思う。
そのきっかけがあったかどうか、それだけのことで。誰だって、よい方にも悪い方にも どちらにも転がりかねない。常に安全なところにいられる人(変わったと言われる 可能性のない人)なんて、いない。
もし、大事な人、友達などが変わってしまったと感じることがあったとしたら、
「ああ、この人の新たな側面を見つけた。ここはどうもちょっと嫌だしあまり見たくはないけれどそれでも なくしたくないんだからしゃあないな」とその部分もひっくるめて受け入れた上でつきあい続けるか、
「いや、こんな面をもつこの人とはもう一緒にいたくない、離れます、サヨナラ」
どちらかを選択すればいいだけのこと。変わってしまった(ように見える)あの人を ながめて悲しむ必要はナシ。

20000806

昨日は大学時代の友達4人と花火大会に行った。
行きの電車はものすごい混みようで、まるで通勤電車のようにギュウギュウ。
しかし、駅に着いたらもっとすごいことになっていて、 ここはどこだ、ディズニーランドかい!とツッコミを入れたくなるくらいの 混みっぷり。行くまでの道にも人がみっしり。暑いよう。
こんなにまで人々を駆り立てる花火っていったいなにもの・・・
と疑問に思いつつも、 始まってから何秒かの花火がみどころだと聞いていたのでそれに間に合おうと、必死に歩いた。
結局、河原にたどり着く前にその花火が打ちあがってしまったのだけれど、 道から、なんとかギリギリセーフで見ることができた。
その迫力に圧倒され、呆然と立ち尽くす。そして次の瞬間にはうれしくなって走り出したのだった。
河原に到着、斜面にレジャーシートを敷いて、寝っころがったり時々ずるずる滑り落ちながらも のんびり見ることができた。風が涼しくて、気持ちよかった。夏の夜は、なんだか楽しい・・・。
私は実は花火大会にちゃんと行ったのは初めてだったので、 ここまでの混雑をおしてまで花火を見たい人達にいまいち納得がいっていなかった のだけれど、そんな疲れも吹き飛んでしまうほどのきれいさ。
その大きさと、迫力に圧倒され、しばら言葉もなくみとれた。
頑張って見に来てよかったな、そのかいがあった、と心から思った。

花火を見て、きれいだな〜と素直に感動する気持ちが湧いてきたことで、なぜかそこから芋づる式に、 今まで押さえつけていた気持ちたちがぼろぼろでてきて、なんだか泣いてしまいそうになる。
自分のまわりのすべてのことに、鈍感になろうなろうと気持ちを防御しすぎて、無表情になってた、気持ちが。
もっと自分の気持ちをちゃんと動かすべきだ。
だって今の私、うれしいことですらきちんと喜べてない。
悲しいことを悲しんだり泣いたりすることもできてない。
怒ることだって、自分の中ですべて消化してしまって相手にそれを伝えてない。
こんな自分は、嫌だ。
自分の中に生まれる感情を、無視しないできちんと受け止めたい。
自分の感情に心がふりまわされることを、こわがりすぎている、今の私は。
そう思い始めたらいきなり心の中に伝えたい気持ちがあふれ出て、一緒に帰りの電車に乗った 友達に、とめどなくいろいろなことを話しまくってしまった。

帰る途中、いきなりの暴風雨。電車の中、雨漏りしてた。
駅から家までの間にびしょぬれだこりゃ、とげんなりしながら自分の家の駅に着いてみたら、
あれ、降ってない。
雨がまだこっちに追いついてないんだ、てことはこれから降ってくるぞ、走れ!
とコンビニで、ハハリクエストのアイスを買ってから猛ダッシュ。
遠くで雷がゴロゴロ鳴っているのが聞こえた。無事、濡れることなく家に到着した。雨に勝った!ばんざい!


20000804

なにが解せないって。
どうして、ノースリーブなのに、
秋物扱いなのさ!
夏物との違いはなんなのさ!
バーゲンになってないのさ!
ってこと。
しかも、夏のバーゲンで出ていたノースリーブたちとは 微妙に違ってみえて、また欲しくなるじゃないか。
きい。


20000803

遠く離れている友達から、ハガキがきた。
うーん、いいタイミング。そろそろ彼女からの言葉が欲しかったんだ。
どこか、自分と共鳴する気持ちを持つ彼女。
お互い、ふだんは年に数回くらいしか連絡をとることがないのに、同じ時期に同じ 本を読んでいたりすることが何度もある。
そのたびに、「(彼女には)かなわねえな・・・」と思う、わけもなく。
今回もまた、ちょうど私が最近読んだ本2冊のことを 書いてきていて、「(両方を読んで)やっぱり人間のめぐりあわせとは、 シビアだなあ、と感じました。」と感想が書いてあった。私も同じことを思ったよ。思っているよ。

しばらく持ち歩き、取り出しては何度も何度も読みかえしてしまう。
書かれている内容は日常のたわいのない内容がほとんどなのに、読むだけで なんだか気持ちが救われる。ほっとする。
私にとって、お守りみたいな存在の彼女だ。
ああ、そばにいたらいいのに。話がしたい。
会いたい。

社会人になってそれぞれの道を進むってことは、会いたい人と 会いたい時に会えないし話したい時に話せないってことなんだきっと。
でも、そんな厳しい状況にも、どうしても伝えたい気持ちは勝る。
昼ご飯を食べながら、ガリガリとハガキにびっしり返事を書いた。


20000802

荒木陽子の「愛情生活」を思い切って書店に注文し、取り寄せてもらって買ってしまった。
(絶版になる前に!と思って。欲しい本が絶版になってしまうことほど ショックなことはない)
図書館でも3回くらいは借りたので、これはおそらく今後も何回、何十回と 読みかえすこと間違いなし、と判断してのこと。
単行本を買うのはいまだに緊張する。なんだかお金持ちになったような気分まで してくる始末。やはり私にとって単行本はまだ、買うものではなく借りるもの、なので。
でも、本当に大好きなものは、少しずつ増やしていきたい。年5冊くらいずつでいいから。

さて、昨日の夜は仕事帰りに地元の友達と待ち合わせて、「(彼女の)独身最後の二人旅行」 の計画をいつものモスバーガーでたてた。
約3時間くらいかけて、旅行雑誌を みながらあーでもない、こーでもないとしゃべりまくる。こういう時間も、旅の醍醐味のひとつ。
あれこれ見ているうちにむくむくと旅気分は盛り上がる。あーたのしい。
その上、二人が一致して行きたい!と思ったところが見つかって、予約も無事とれてとーってもうれしかった。
海のそばで、温泉につかりまくって、おいしい魚も食べて、のんびりするのだ。

近々、今度は現地での行動、行きたい店などを決めるために、ミーティング第2弾をする予定。
場所はまたもやモスバーガーで。(すっかり二人のくつろぎの部屋と化している)
「今度はこれ食べようっと」「私はこれ」と二人して次回食べるメニューまで決めてきた。
このモスにはあまりにもしょっちゅう行きすぎて(一人でもよくお茶&読書をしに行く)、「あ、あのおじいさんまたいる」 とか顔見知り(一方的に)の人までできてしまったところがちょっとおそろしい。


20000801

夏のバーゲンで、そういえば今年はパンツを一本も買わなかったな。

去年の夏と比べて私はだいぶ雰囲気が変わったと思う。
少しは大人っぽくなりました。(少しだけ。でも、職場の女性なんかにも そう言われる)
「大人っぽく」「大人っぽく」と自分に言い聞かせ続けたかいがあったか。
服装の変化が一番大きいかな、やっぱり。
スカートをがんがんはくように(しかもピンクだの白のだ)なったし、 ノースリーブを一枚で着るようにも(ぶっとい腕をさらすのが恥ずかしくて人前では1、2回くらいしか 着たことなかった)なった。一度思い切って着てみると、思った以上に涼しいし、夏!って感じで わくわくするし、その上すっきり見えるので最近はちょくちょく着てる。
そんなふうに、「どうせこれは似合わないよ」「派手だよ」 などという思い込みを少しずつとっぱらっていったら、おしゃれすることがとっても楽しくなった。

自分にはスカートは似合わない、とか、
女のこっぽい格好は気色悪くて似合わない、とか、
まっすぐな頭は似合わない、などなどの かたくなな思い込みを全部ぶち壊すきっかけをくれた、あの人には本当に心から感謝している。
去年の自分より、今の自分が好きだし、楽しいから。


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