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20000929

昨日は、毎月買っている雑誌の発売日だ。
必ず2冊を一気買いしてなんだかお金持ち気分に浸れる日。
駅ビルが開いている時間に帰ることができなかったので、駅前にある小さな本屋に寄った。
そこは夜11時くらいまで開いているので、帰りが遅い日が続いてでもどうしても本屋に寄りたい! という時には重宝する。(と、いっても雑誌くらいしか見ないのだけれど)
その店のバイトくんたちは、態度がお世辞にもいいとは言えない。
つっけんどんで、「ほらよ、持ってきな」とでも言われそうな雰囲気をかもし出している。 こっちも、油断するとつい「売っていただいてありがとう」と頭を下げてしまいそうなくらい、 横柄な態度をとる人ばっかりなのだ。
時々ムッとくることもあるのだが、逆に残業帰りでボロぞうきんのように疲れて帰ってきた時は、 そのどうでもよさげな態度がラクチンに感じられたりもするから不思議。
「これちょーだい、はいお金」「はいよ、これお釣り。じゃーね」
という、最短距離の直球の投げあい、って感じで。
大きなお店の愛想よさによけいに疲れてしまうってこと、ありませんか。
いたれりつくせり世話を焼かれることがうれしいとは、疲れを癒すとは限らないんだな。
そんなことを考えながら帰った。


20000928

この間買った紫の鞄は、とにかく大容量なのでなんでもぼんぼん入れて持ち歩いている。
今までは鞄を思いやって(?)入れていなかったウォークマンや単行本(昨日病院の帰りに、 治ったことがうれしくてうかれた勢いで新刊を買ってしまった)も遠慮なく入れられるのが うれしい。

前の職場でアルバイトをしていた、私より10くらい年上の女性から 先週、仕事についての相談メールをもらった。とても年上とは思えないくらい、 なんだかかわいらしい人。ほっとけなくて、できるだけのことをしてあげたくなって しまうような。(と、男性のような気持ちになってしまう私)
いろいろ聞かれたので、気持ちをそのまま、正直に書いた返事を送った。
そうしたら昨日、読んだら涙が出てきてしまって、こっそり職場で 印刷して持ち帰り、週末ずっと家で読み返してました、今もお守りにしています、という 内容のメールがきた。
とてもうれしかった。心をこめて書いた内容だったので、絶対に伝わって欲しかったから。
なにかを誰かに伝えようとした時は、いつも不安だ。
言葉にこめた思いたちよ、ちゃんと伝わっておくれと祈るような気持ちになる。相手から 返事がくるまでの間は、まるで小さな子どもを初めて一人でおつかいにやった母親のように、 伝えた言葉たちのことを案じ続けている。

私の言葉が誰かのお守りになったなんて、うれしい。
大事な人からもらったたわいのない内容のメールを、やっぱりこっそりと印刷して 手帳に挟んで持ち歩いている私なので、大切に思ってくれた気持ちがとてもよくわかるから、よけいに。


20000927

今日は最終チェックのための病院。
今回のことで、すっかり病院慣れしてしまった。私が通う病院ではまず番号札が発行され、 その番号の順番に診察カードを機械に通して受付をする、というシステムなのだが、 その番号札をもらうための番号札、というのが密かに存在する。(患者さんが作って くる、暫定番号札)最後の方ではそのカードを作っていくまでになってしまったほど。
血を採られることにも慣れた。

病院に行くと、待ち時間の多さにくらくらする。
ちなみに、今回の通院の中で最も待ったのは、朝7時に病院に入り、 診察やら血液検査やら注射や点滴をして、午後3時までという長丁場。
待つ元気がない人は病院に来るなってことね、などと思う。
今までは、からだがしんどくって待ち時間も眠ったりぼんやり空をみつめている(ちょっと アブナイ)だけだったのだけれど、今回はだいぶもとにもどったことだし、 本を読みながら待った。ささやかなことだけれど、回復を実感できてうれしい。
隣で読書する人を見て、うらやましく(本を読める体力を)思っていたから。
そうそう、我が家のカレンダーはすでに10月になっている。(リビングも私の部屋も)
9月があまりに散々だったので、験を担いだのだ。

その甲斐あってか、血液検査の結果、無罪放免。もう行かなくてよろしい。あーよかった。


20000926

私が体調を崩していた約10日間の間、母は病院に付き添ってくれたり、 スポーツドリンクなどを買ってきてくれたりといろいろと世話をやいてくれたのだが、 そのせいであまりかまってもらえず、「自分に気持ちが向いてない!」と感じたインコが 不安定になってしまっていて大変だ。
今まではそこまでベタベタと甘えなかったのに、ちょっとでも母の姿が見えなくなると カゴから飛び出て追っていったり、姿が見えるまで鳴き続けたり。そして暇さえあれば 肩の上や座った足の上などにぴったりひっついている。
まるで、赤ちゃんがえりした子どものよう。
たった10日でここまでなるか・・・とちょっとびっくり。
愛情不足だって感じると、人格って崩壊するものなのかしらね〜と、母もあきれ顔だ。
「今まで足りなかった分を、取り戻さずにはいられない!」と言わんばかりの態度。
でも、ここまでストレートに気持ちのままに、行動できるのって、ちょっとうらやましく思える。
動物は、人間と違って余計な気持ちが邪魔しないからだろうな。

彼(?)を見ていると、気持ちを伝えたい相手のことを気遣いすぎて 無用な遠慮をするのは、けっこうモッタイナイことかもしれない、なんて思う。
そのせいで、本当だったらもらえるはずの気持ちを、もらい損ねているかもしれないぞ、と。


20000925

週末、金曜日の夜は久しぶりに長風呂を満喫。肌もだいぶなおってきたのでうれしい。
土曜日の朝は起きると身体が鉛のように重かった。布団からひっぱがすようにして身支度をし、 こまごまとした雑用をするためにでかける。でも、ちょっとクリーニング屋に行ったり、 スーパーにヨーグルトなどを買いに行って帰ってきただけで異常に疲れてしまい、布団に倒れ伏ししばらく寝てしまう。
夕方から地元の友達とお茶をする約束をしていたので、起きて今度は駅ビルへ。
本屋を久しぶりにじっくりと見てまわり、欲しかった文庫本を4冊買う。
でも、30分くらいいただけで身体がしんどくなってきたので、買った本を手に 椅子のあるところに避難し、休憩。それから今度はCDを見に行ったのだけれど、 また疲れてきてしまい、再度休憩する。
健康を害するということは、選択肢が狭まるということなのだな、と実感した。
食べるものとか(とうぶんお酒は飲めない)、行く場所(まだ地元以外にでかける 元気はないかも)など。こんなにしょっちゅう疲れていたら誰かと行動することなんて 申し訳なくてとてもできないよ。
結局、彼女と会う寸前まで休憩をし、体力を温存しておいたのだった。
お茶をし、いろいろと話す。お互い同じタイミングで仕事の変化があったので、 そのことなど。友達(彼女だけでなく、友達すべて)と会うこと自体約1ヶ月ぶりだったので、なんだかなにを どう話していいのか感覚がつかめなくて、ぎこちなくなってしまった。
それから、デパートの売り場を見てまわる。
ここ数ヶ月の間ずっと、仕事用に大きめの鞄が欲しいと思っていたので 足は自然と鞄売り場へ。そこで、使いやすそうな鞄を見つけた。
中の仕切り(携帯入れなど)がたくさんあって、容量もかなりある。 私は職場に、よくいろいろなものを運ぶのだけれど(昼に飲むカップスープや残業食など)、 これならガンガン入れられそうだ。
外見は、もうすでに使いこんだ皮の鞄、という感じの合皮。肩にもかけられる。(これはかなり重要なポイント)
色は4色あったのだけれど、店員さんに、「ジーンズをはくならこれが絶対におすすめ!」と 強烈にプッシュされたので、紫にした。これから冬に向けて、さし色にできるからいいかもしれない。 大好きなグレーのダッフルコートにもあいそうだ。
冬のバーゲン時期がくるまでは、服をいろいろ買うより小物で変化をつけるのを楽しもうと思う。
でも、買うまでにはさんざん迷い、(今月は病院費貧乏&給料日前だった)一度はあきらめて売り場を 離れた。10分くらい迷ってから、やっぱりあきらめきれない!と戻ったらなんとよりによって紫色のが 売れてしまっていた。ああ、これはあきらめろってことなのね、と思いつつも だめもとで店員さんに在庫があるか聞いてみたら、最後の1つを出してきてくれた。ラッキー。
結局買ってしまった意志の弱い私。でも鞄にしては安かったし、快気祝いってことで、許そう。

昨日はひたすら、家でぐったりする。お昼ご飯を食べた後、缶詰のあんこを食べたら これが身にしみるうまさ。疲れが少しほぐれた気がした。
今度、CDを売りに行こうかなと思っているので候補を探してみた。
実は、最近CDを聴くことがほとんどない。夜寝る前にいつも聴いていたのだけれど、 それもやめて無音なことが多いし。
聴いて気持ちが動かされるのがこわい気がする。リラックスのためのはずが、かえって疲れてしまうような気がして。
聴こうと伸ばした手をひっこめる、その繰り返し。
何も考えずに気軽に聴けるCDが欲しい。例えばキンキのベストアルバムとか。
土曜日にCD屋でかかっていた、エレファントカシマシのベストアルバムもちょっと欲しいと思った。
それほど熱烈に好きなわけではないけれど、なんとなく曲は好き、くらいの方が今は聴いていて、ラク。


20000922

今の私は、自分の身体をまるで買ったばかりの新車のように おっかなびっくり様子を見つつも、なんとか乗りこなしているような状態。
まだ、ドキドキだ。
今回、熱とともに身体中のあちこちから体内の毒素が放出された。最高にひどい時など、 洗ったばかりの髪の毛からロウの匂いがしたほどだ。あらゆるところから毒素が出たので、 しばらくは私の身体はきれいかも。(中身が)
そして、気持ちもすっかりすっきりしたようだ。
しばらく、最低限できるはずだったことすらできなかったので、本当にささやかなことがうれしい毎日。
無用な欲や執着心などの気持ちがすっかりなくなってしまった。
でも、まだいろいろな感覚がもどらない。
自分の気持ちと身体が一致していないような気がする。
その感覚が、なんだか落ち着かない。自分の身体なんだけど、そうじゃないというか。
中身が型にきちんとはまっていない感じ。
借り物のように思える。


20000921

やっぱり私は犬のような顔らしい。「犬っぽいね」と、今回の職場でも言われた。
こうなったらいったいいくつまでそう言われるのか 記録に挑戦してやれ、という気持ちになってきた。小学5年生からだから、 すでに約15年。あと何年言われるのか、なんだかちょっと楽しみ。

体調が最高潮にひどかった時、あまりのつらさに思わず、
「神様、 このつらさをなくしてくださるのなら、もう私は一生誰も好きにならないし 恋人なんてできなくていいです」と祈った。それくらい、もう自分の 身体を楽にしたくて必死だった。自分さえ楽になれたらもう誰もいりません、と 本気で思ったのだ。
その気持ちは治ってからも続いていて、このままもう誰のことも大事に思えなかったら どうしよう、と不安だったのだけれど、大丈夫だった。大事な人はちゃんと心の中にいてくれた。
その人を思って幸せになれたし元気が沸いた。そのことが、とてもうれしかった。
別に、好かれてなくてもいい。でも、私はその人のことが大切でしかたない。それでいい。

「愛をください」の最終回は、静かな、気持ちにしみいる終わり方だった。
それにしても辻仁成はすごい。
音楽もやり、映画もつくり、小説も書きそしてドラマの脚本まで。才能のある人というのは 素晴らしい。私にその100万分の1でもあれば、などとついつい考えてしまう。

「愛をください」と冗談で母親に言ってみたら、
「愛はもう十分あげたから、 これからはあなたが誰かに愛をたくさんあげなさい」と言われた。
はい。

愛って、本当に小さなことで感じる。
たとえば昨日、母が私の熱の寝汗でよれよれになったタオルケットを熱湯で洗濯して 太陽にあててくれた。そしてそれをうれしそうに「今晩は気持ちよく眠れるよ」と 話す顔。
まだ、私は愛をもらいっぱなしだ。


20000920

昨日から出勤したが、まだ顔にも発疹のあとが残っているので、必死に化粧でカバー。
普段はできるだけしたくない化粧だけど、この時ばかりは、 お化粧さまさま。女に生まれてよかったと思う。
しかしうっすら残る赤い跡は完璧には隠しきることはできず、 心持ちうつむき加減で出勤したのだった。
でも見る人によっては、逆にその赤みが健康的に見えたらしい。
「(休む前より)顔色よくなりましたよね〜」
と、言われ、ちょっと複雑な気持ち。

病み上がりということで早目に帰れたので、もちろん念願の本屋に寄って帰った。
10日以上も本屋に行かないなんて、私にとっては前代未聞。
思ったほど新刊が出ていなかったので、がっかり反面、ほっとする。


20000919

一ヶ月くらい前に、
『例えば究極の選択として、「これから一生、毎日必ずでかけなくてはならない」と 「これから一生絶対に外出しては いけない」というのがあったら、迷わず後者を選ぶと思う。』
なんてふざけたことをぬかした自分を、その頃に戻ってぶっとばしたい気持ちでいっぱい。
というか、もう二度とそんなこと言いません絶対。
ぴんぴんしていたからこそ言えたとても傲慢な言葉でした。ごめんなさい。自分の 健康体を過信して調子に乗っていました。

9月になってからずっと微熱が続いていたのだけれど、多少の熱には強い私は あまり気にせず出勤していた。単なる風邪だと思っていたので、無理やりご飯をがんがん食べたり 水分をがぶがぶとったりして治そうとしていたのだ。
ところが週末の夜から熱はぐいぐいと上がっていき、それと並行して顔を起点に 身体中に発疹がみるみる広がっていったのだった。それはもうおそろしい光景で、
こりゃ夫に(っていないけど)離縁されても文句は言えねーわ、
と自分でも思わず納得してしまうくらいのひどさ。
熱のせいでもうろうとして、あまりのつらさに4日くらい何も食べることができなかった。 病院に行って解熱剤をもらい、それを飲むと3、4時間くらいは熱が少し下がって楽になるの だけれど、きれるとまたぐんぐん上がってころげまわる、その繰り返し。 最後には薬を飲んでも吐いてしまって、とてもつらかった。
あまりに身体がつらいと、普通に布団で寝ることもできない。 つらさを紛らわせるため、一週間はずっとリビングのテレビの前で寝ていた。 テレビばんざい。テレビなしでは今回のつらさは乗り切れなかった。
発熱後4日目には、とうとう病院に行けないくらいの状態になってしまい、 とにかく熱を少しでも下げていかなければということで、生まれて初めて座薬というものを 使った。それが効いてくれたのでよれよれになって病院へ。熱が少し下がって楽になったな、と 感じる状態で測ったら、それでも38度。熱にますます強くなったらしい、私。
点滴と注射と採血とで腕は穴だらけになった。看護婦さんに同情されたほど。
でも、点滴がとても効き、その日はスープを飲むことができた。
なにかを食べたいという気持ちがわいてくること、そしてそれを食べることができるというのは とても幸せなことだ。
その後は熱も下がりはじめ、ご飯を食べることも少しずつできるようになり、 注射と点滴にその後も数回通ってやっと医者の出社OKがでた。
うう、社会復帰だ、うれしい。

約10日間、家と病院との往復、残りは家で安静に、という状態だったので、 本当に「復帰する」気持ち。
出勤して仕事して、休日を楽しみにする、普通の生活ができる〜。
本屋にも行ける。
うれしい。


20000907

昨日は念願のわらび餅を食べた。おとといほど食べたい気持ちは強くなかった のだけれど、「昨日できなかったこと(わらび餅食べる)は今日叶えればいいのさ!」
と大げさな気持ちを抱きつつ、おいしくいただきました、もちろん黒蜜をかけて。

今最も気がかりなこと。
テレビの画面が、日に日に上へ上へと縮んでいっていて(ハイビジョンでもないのに 下に黒い部分がある)、とうとう画面下に出る字幕が読めないくらいになってきてしまったこと。
どんなにスタイルのいい芸能人でも、とっても短足に見える。
そして上につまっているため、画面の上の部分に出る字幕も切れてしまって読みにくい。
どうやらこれは、テレビくんの寿命がおとずれたということらしい。買ってからもう10年くらい 経つから、仕方ないですかね。
ハハが画面の横に、「昨日の夜はここまで画面があった」という印にテープを貼っているので、 画面が上昇していく様子が目に見えてわかる。
なんだか、どんどん弱っていく病人を目の前にしているような、ちょっとイヤーな気持ちだ。


20000906

昨日は突然、どうしてもわらび餅が食べたくなって、閉店5分前の和菓子屋に 駆け込んだ。
抹茶味ときなこ味、2種類が入ったの、500円。最後の一箱が残ってる、やった!
と思ったら、目の前で男性がそれを買っていってしまった・・・がっかり。
ああ、食べたい。黒蜜がかかっているのがいい!(黒蜜好き)

帰り、あと20分くらいで閉まってしまう駅ビルに、買いたいものもないし とても疲れていてすぐに帰りたかったのに、なぜかフラフラと寄ってしまった。
時々、帰る前にワンクッションを置きたくなる。
そうすることで、私は別に、毎日職場と家の往復ばかり してるわけじゃあないんですよ〜、ちゃんとプライベートな時間だって確保 してるんですからね〜、ということを自分に確認させているような気がする。


20000905

夫:この炊き込みご飯、具が入ってない・・・
妻:それ炊き込みご飯じゃないわよ
夫:えっ?
妻:3日前は白かったのに・・・
夫:炊きたてをラップしてジップしてフリージングしてチンよ〜♪(と歌いだす)

ジップロックの宣伝、大好き。見るたびに、こんな人と結婚したいと思ってしまう。 今一番、理想の人かもしれない。
ご飯の保存に失敗してしまった妻を責めるかわりに歌うなんて素晴らしい!!(拍手)
やっぱり日常生活の中にユーモアと笑いは大切ですね。
ちなみにハハは、別の観点からこの夫をいいと思っていて、
「古くなったご飯を炊き込みご飯だと思う人だったら、1週間たったご飯は おこわだと思ってくれるんじゃないのきっと(カビを具だと、またはねっとりしたのを モチモチ感だと思うってこと?)」
と面白がっていた。それはちょっと鈍感すぎて嫌だ。


20000904

最近、「ザ!鉄腕!DASH!!」(TOKIOの番組)が楽しみ。
5人がとても仲が良くて、見ているとなんだか気持ちがなごむのだ。
母親も、「TOKIOはいいね、私大好き。あんたあの中の誰かと結婚しなさいよ」 と無茶なことを言い出すくらい好きらしい。
特に好きなコーナーは、「DASH村便り」。
地方に土地を買い、家をつくるところからはじめているのだけれど、その様子がとても 楽しそう。自分がその場に参加している気持ちになってわくわくしながら見てしまう。
自分で住む家を建てるの、いいなあ。
私はあまり、自分が男だったらよかった!とか、女に生まれて損!とか 思ったことはないのだけれど、この番組を見ているときだけは、 ああ、男に生まれていたらこういうことをやってみたかったな〜とちょっとだけうらやましく思う。
見ていて、ほっとするから日曜日の夜向き。週の始まりを明日にひかえた日曜の夜向き。

と、思って昨日も楽しく見ていたら、なんと次回の放送は10月までないらしい。
ショック。


20000903

お昼問題というのはどうしてこう毎回私を苦しめるのだろう。

いや、最初の職場では苦しまなかった。一緒に食べていた友達みんながお弁当派だったから。
楽だったな〜。
社会人になってもう何年も経つというのに私はいまだに、死に物狂いにならないと普通の人と同じペースでは ご飯を食べることがなかなかできない。そして、生理前の「おなか底なし」時期じゃない限りは、 外食の量を食べてしまうとおなかが苦しく、胃が重くなってしまう。
お昼休みのたった1時間で、外食してみんなと同じスピードで たいらげて、そのあと歯も磨いたりするなんて絶対に足りない。買ってきて自分の席で食べることでやっと、 ちょっと余裕ができちゃんと昼に休んだという気がするのだ。
それに、「職場の人との外食(もれなく緊張付)」のプレッシャーを毎日味わうのはつらいッス。胃も縮みます。

前の職場では、数ヶ月かけて、「一人で自分の席でさっさと食べてしまう人、そしてあんまり食べず、 昼の外食はしない人」というポジションを頑張って獲得した。
そして夕方に飲み会やご飯を食べに行く予定がある時は、朝から絶食したり、昼をほとんど食べないでおいたり、 それでも不安な時は事前にトイレで吐いておいたりして、胃を空っぽな状態にしておかないと 行けないくらいだった。やっぱり、人とご飯を食べに行くからにはおなかを減らした状態に しておいておいしく食べるのが礼儀だと思うから。
なので今だに、夕方に食事の 予定がはいっていたりすると、それまでほとんど何も食べなかったりする。一食どこかをきちんと食べてしまうと 他のご飯がはいらなくなるので。きっと胃の消化する力が少し弱いのだと思う。
さすがに前の職場を辞めるちょっと前には、ごくごくたまに職場の人と外食できるようになるまでには なった。でもそこまでくるのに約2年かかってしまった。長い道のりだった・・・。
せっかくここまでたどり着いたのに、また転職するなんて、新たにその積み重ね(食に関しての) をやり直すのね・・・フッ、と気が遠くなりそうだった。そのために一瞬転職を思いとどまりそうになった くらい。(本当です)

今度の職場では、初日からパンを買っていき自分は内食派(買って来たものを食べる派) であることをアピールしてみた。けれど、なんだかそのせいで周囲の空気が 冷たくなったような・・・ひーん。
他のことではいくらでも頑張れても、我慢できても、職場の人間関係を円滑にするために 昼ご飯必ず外食、だけは無理なんです、堪忍してくだせえ!という気持ちでいっぱい。
協調性がないと思われても私は自分の胃腸を外食のプレッシャーからできるだけ守りたいのだ。


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