20001029
金曜日、11時過ぎまで残業、慌てて会社を飛び出した。
飲み会帰りの人でごったがえす電車に詰め込まれ、ぎゅうぎゅうに押しつぶされながら新宿へ。
駅に着いた途端、ひたすら走る走る、目的地を目指して走る。途中、コンビニでサンドイッチとお菓子、そして
翌朝に飲むためのミネラルウォーターを買う。
あまりにも必死で走りすぎたせいで、曲がるべき角をはるかに通り過ぎてしまったことに
気が付き、焦って引き返す。ああ、時間がもったいない、一刻も早く会いたいのに!
やっとの思いでホテルにたどり着く。どきどきしながら、あの人の待つ部屋へ。
ノックしてドアが開くまでの時間が長く感じる。ああ、やっと会える。
・・・なんて書くと、まるで週末の逢引き(古っ)みたいだが、そうではなくて。
去年も会った、私のページをきっかけに知り合った大事な女友達との再会を果たしたというわけ。
(ちょっとまぎらわしい書き方をしてみました)
無事に再会できたことがとてもうれしくて、会った途端にお互い自然にぎゅう〜っ。
3時間くらい話してからお風呂に入り、さあ浴衣に着替えよう、と思ったらなんと男もの。
これじゃあ床を掃除してしまう。ツインなんだから必ずしもカップルとは限らないじゃないか!と
ちょっぴりぷりぷりしながら、結局、Tシャツとパンツという男らしい(?)組み合わせで
寝たのだった。
1年以上ぶりとは思えないくらい、一緒にいることに違和感がなくて。そんなに長い時間一緒には
いられなかったけど、とても大事なひとときを過ごした。
会えてよかった。そして来年も会おうね。
1年にたった一回しか会えなくても気持ちが満たされている、そんな関係。
今の職場では、集中したい時は音楽を聴きながら作業している。
そういう人が多いので、よけいに職場は静か。
やっぱり洋楽の方がいいのかなー(邦楽だと一緒に歌っちゃいそうだから)
などと思いつつ、家ではあまり聴かないCDを持ってきていろいろと試してみたのだけれど、
どうやら聴いていてイライラしないものなら特にジャンルは問わず、なんでもいいらしい。
どっちにしろ、作業に没頭してしまうと聞こえてないし。
音楽を聴きながらやれるとかなり精神衛生上いいようだ。さりげなくストレス解消ができる。
長時間パソコンに向かっていても以前に比べ神経の疲労度が少ない気がする。
ただ弊害もあって、職場に持ってきて聴いてしまったCDは、
もう家では聴く気になれなくなってしまったのだ。
「もうこのCDは、仕事用」とぱっきりと切り分けられてしまったような感じ。
なので、大好きなCDは絶対に持って行かないぞと決意したのだった。例えば通勤しながら
スガシカオを聴くのはokだけど仕事中には絶対聴かない。
今度、職場で聴くため専用のCDを1枚買おうかな。
ああ、前けっこう持ってた洋楽のCD、売らなければよかった。
洋楽邦楽どっちでもいいと言いつつも、実はひそかに「洋楽をずっと聴いてたら英悟の歌を歌える
ようにならないかな(大学時代、洋楽大好きだったコがとっても発音キレイで上手だったから)」
なんて期待する気持ちがあったりする。
20001017
私は出勤前にその日の昼ご飯(パンが多い)を買っていくようにしている。
前の職場の時は、買い置きしてある栄養食品やカップうどんを食べていたので
そういう意味ではかなり健康的な食生活になったと思う。
昼ご飯を外に食べに行くことは年に数回あるかないかだ。
それはもちろん、1時間の昼休みで外食するのは慌ただしくていやだということもあるの
だけれど、実は別の理由もあることに気がついた。
私は、どうやら食べることにおいては待つことがキライらしい。
昼休みの時間になって「よし、食べる、ハラヘッタ!」と思った
次の瞬間くらいには食べられないとイライラしてくるのだ。
だから、昼に食べるものを手元に置いておけば、そんなこともないというわけ。
思い出してみれば、一人暮らしをしていた頃、大学やアルバイトから帰ってきて
から夕飯にいかに短時間でありつけるかということに燃えていた記憶がある。
一応結構まめに料理はしていたので、ご飯を炊いて冷凍しておいたり、野菜スープなどを
作りおきしておき、温めればすぐに食べられるように準備しておくことにはかなり熱心だった。
いやあ、私は夫にならなくてよかったかもしれない。
「メシ、メシはまだか」と騒いで箸で茶碗叩いたりしそうだもの。(さいてい)
でも、今の時代、そんなことを言う夫は離婚されるのかな・・・?
20001016
もう4年くらいずっと気に入って食べつづけている、100円のカップアイスがある。
いろいろなメーカーがあるけど、そこのが一番、もとのバニラの味が好みなのだ。他にも
小倉やキャラメル味などがあり、どれもおいしい。
でも、最近そのシリーズがなかなか見当たらなくなってきてしまっていて悲しんでいたら、
この前意外な所で再会を果たした。
それは、先月通っていた病院の売店。
全種類、それもたくさん売っていたのを見て思わず逆上。治りかけてきた頃に、4個まとめ買いして帰った。
そのうちの2個はすぐに食べてしまったのだけれど、あと2つになったところで、
「ああ、またこれなかなか見つからないんだろうな、いざとなったらアイスだけ買うために病院に行こうかな」
とまで思ったりもしてなかなか手をつけられないでいた。
そうしたらこの週末、近所のスーパーで売っているのを発見。でも、数も種類も少なく、いつなくなっても
おかしくないような雰囲気だったので、また4個まとめて買ってきた。これでしばらくアイスについては安心だ。
アイスに限らず、私はなんでもかんでも買いだめをしておく習慣がある。
たとえば毎日飲むビタミン剤にしても、まだ半分くらい残っているうちに
次の瓶を買いおきしておかないと気がすまなかったりするし、同じジーンズを
2本ずつ持っていることだって、気に入っている一本がダメになってしまったときに
また同じものが買えるとは限らない、という買いおきのようなもの。
なくなったりこわれてしまうことを考え、先回りしてストックを確保しておかないとなんだか安心できない。
だからいつも、なにかがなくなりそうじゃないかと神経をとがらせている部分があって、
そのせいで疲れてしまったりもする。
なくなったらなくなったでその時に買うなり考えるなりすればいいのに、
なぜそこまで必死に買い置きしないでは気がすまないのだろうと、我ながらこの癖にはちょっとうんざりしているのだ。
なにかを「きらす」ことに対する強迫観念のようなものが心のどこかにあるようで。
そんなことばかりしているとそのうち「この友達をなくしたらいけないから別の人とも友達になっておこう」とか、
それこそ「この人と別れても平気なように別の恋人も準備しておかないと」などと思うようになるのではないかと
自分で自分が恐ろしいこの頃。
20001014
昨日は、新人(私を含む数名)歓迎会だったのだけれど。
私の周囲にいた方々たちは、お互いがあまり仲良くなさそうな上に、揃ってテンション低し。
息詰まるようなつらーい時間が何十分か経過し、耐えられなくなった私は、ここでもやった。
逆ギレテンション無理やり上げ。(たった今命名)
いつもなら絶対にあげないようなキャーキャーした、いわゆるオンナノコ声を必死に
出し、大騒ぎして周囲をつる作戦に出たところ、これがなかなかの成功をおさめた。
それから後半部分はかなりなごやかな雰囲気になり、笑いも出たのでほっとした。あーよかった。
でもさすがに、普段やり慣れないことをやったために精神的な疲労感がものすごく、
二次会をさりげなーくパスして帰ってきてしまった。「自分の歓迎会なのにいったいなにやってんだか」と
一人心の中でツッコミを入れながら。
最近、週末になると自分へのご褒美にアイスを買って帰っているのだけれど、昨日もまた
コンビニに寄りハハの分もあわせて一気に6個買った。でも、実際にはそんなに食べないので、
私の分はどんどん冷凍庫にたまっていく一方だ。(ハハは普段家にいるのですぐに食べ終わる)
それでも、家に帰れば大好きなアイスたちがごろごろしていると思うとうれしくて、想像しただけで
にんまりしてしまう。気持ちが豊かになるとまで言うと大げさかもしれないけれど、ほんっとうにアイスが大好きなので
それくらいのシアワセ感なのだ。
帰ったら、コタツ(寒がりのハハは、近頃の寒さにいそいそと出した。布団はまだ掛けてないけど)の上にミカンたち。
おおー冬の光景だね!冬がくるね!となんとなくわくわくする。ビールもすでに「冬物語」の宣伝だしね。
いろいろなことにじっくり取り組めるような気がするので、冬は好き。
私の場合、たいてい大変なことは夏くらいに起こることになっているので(フラれたのも祖母や叔母が
亡くなったのも仕事つらかったのも転職したのもみんなそれぞれの年の夏)、今ぐらいの頃から年末年始は、
それらが一段落し、心静かに残りの日々を過ごしましょう、自分にやさしくしましょう、という穏やかな時間が
流れる時期だから、なおさら。
自分で自分の気持ちをきちんとケアしてあげられる季節がやってくる。
夏は、目の前のことにいつも必死すぎて、そうしているうちにいつの間にか終わっている。
20001013
もし、どこかの店に「愛想」とか「社交性」というものが売っているなら多少の無理をしてでも買いたい
と思うこの頃。
どうしてこう、私って愛想がもたない(電池のように)人間なんでしょ、
と情けなく思うこと山のごとし。
今、対外的な仕事ではなく、ひたすらページ作成をやっているので、
仕事の場面で愛想があまり必要とされなくなったのがいけない。せっかく
前の職場で広報みたいな仕事もしたことでかなり愛想のよい(無理やりだけど)ヒトに
なったのに、その(愛想の)蓄積はすっかり初期化されてしまったらしい。
愛想が悪い人間にとって、若いぴちぴちした(死語)女性の多い職場というのはちとしんどい。
なので今回転職する際にも、「男性が多めの職場に行くように」と親しい友達に
アドバイスされたくらいなのだけれど、はいってみたらまた女性が多いよ、私の部署。
とほん。
私は、対男性との方が話しやすいと感じる。地の部分でつきあえるのだ。
お笑いのテンポで、ノリツッコミの会話ができることが多いから、ラクチン。
女性が相手だとつい、「テンション(それも自分にはない部分のテンション)をあげていかねばならん!」
という使命感に駆られてしまい、その結果、態度がなんだかぶりぶりしたものになってしまう。
(どうしてこう極端なんだか)
どうも、女の子っぽいキャピキャピしたノリが私にはあまりないので、つらくって。
ブランドものにも興味ないし、イベントなんかにもできるだけ参加しないでひっそりしていたい。
基本的に地味な性格なんです。まずこの「自分の部屋大好き」ってのを改めない(改めるつもり
ないけど)限りは無理ですなあ。
東京ライフを満喫できない性格なのですよ。夜遊びもしたことないし。
東京に住んでいてうれしいなあ、と思うのは、大きな本屋が
たくさんあることくらいで、遊ぶことに関しては活用しきれてません。(きっぱり)
20001012
今度の職場に来たら、席を立つのは本当にトイレかお茶をくみに行く時くらいのもので、
足腰がすっかりなまってしまったようだ。帰り道、足がつりそうになったりするほど。
タバコを吸う人たちは、もう一つ(席を立つ)口実があっていいなあ。
仕方がない、トイレでちょっくら体操でもしてこようかね、と向かうと、ポーチの中身を広げ、じっくりと化粧直しをしている人がいた。
あっ、そうか!
女性には化粧直しという手があったのか!(気がつくのが相当遅いかも・・・)
私はほとんど化粧直しというものをせず(直さなければいけないほどしてないという話もある)、
朝職場に着いてからお茶を飲んだりするのでそのあとと、昼ご飯を食べたあとの歯磨きタイムにささっとするだけだ。
それ以外は一切しない。帰りに誰かに会う予定があったりすれば一応鏡をのぞいては行くが、
ただ帰るだけならもう、そのまんま。一刻も早く帰りたい気持ちの方が先に立ってしまうため、
よれよれの汚い顔をさらしてスミマセン、と心の中で謝りつつもうつむき加減にダッシュして帰ってしまうのが常。
そっかそっか、化粧直しね〜。そうだよね、気分転換になるし、顔のギトギトも取れてさっぱりするもんね。
それはいい考えかもしれないわ。でもきっとやらないんだろうな私は、などと思いながら、化粧直しをする彼女の
隣で腰痛防止体操をしたのだった。
最近、昔の自分を「ばっかじゃない(ふん、と鼻を鳴らす)」と
突き放すようになれたらいいのかな、と思うことがある。
そうなれたら楽なのにと。
でもそれは、悲しいことでもあるような気がする。
今どんなに遠く、自分のことではないように感じても、
それは確かにあったのだから。
その思いは私の心の中に。
それだけは、嘘じゃないんだから。
自分の中にあった気持ちだけは、「なかったこと」にしたくない。
そして、他の誰でもない自分自身が、気持ちが自分を苦しくさせていたんだなあ、としみじみ思う。
20001011
転職してから出勤する時間が遅くなったので、ちょうどその頃起き出してくる
ハハが鍵をかけがてら見送ってくれる。
いつもは、エレベーターが来るまでの間ちょっとした会話を
手話で交わしたりするのだが、(本当にちょっとした、
「眠い?(母)」「うん、寝たい(私)」「がんばれ(母)」程度の)
昨日の朝はすでにエレベーターを待つ女性の姿があったので、
そそくさと「じゃあ行ってくるね」とすばやく挨拶を交わし、すまし顔でその女性の隣に
立った。彼女はゴミ出しに行った模様。
帰ったら「あのひと、すごい目であんたのこと見てたでしょう〜」と母。
「そう?気がつかなかった。ていうか、最近気がつかないようにしてるの、そういうの」
「あ、なるほどね〜それはいいかもしれないわ」
同じマンションの人にじろじろ眺め回されたり、通勤途中で人に突き飛ばされたり、
ぷちっといやなこと言われたり態度をとられたり、気にしだしたらキリがない、
自分の気持ちがそのたびに消耗してしまうようなことってたくさんある。
そういうの、感じない人間になりたい。仕事と大事な人との関係上以外の場面では、
ぜーんぶまるめてポイ、したい。でないとくたびれる。
たとえば、ホームで後ろの人に思い切りぶつかられたり突き飛ばされたりして、
ちょっとムッときても、それが怒りじゃなくて「あーあ、ぶつかられちゃったよ、痛いなあ。
どうしてみんなこんなに殺気立つんだよう」ってしょぼくれる方向にどうも向かいがちなので、私。
だから昨日の朝のおばちゃんのことだって、
「なにこの人ひとのことジロジロ見て感じ
ワリイな」と感じてしまっていたら、少しだけ嫌な一日の始まりになってしまったに違いない。
だから、いい意味で鈍感になりたい、と思うのだ。
20001010
来年、頑張って何日か続けて休みをとって小笠原島に行くと決めた。
友達と、それを目標にお金も貯めるし頑張って働くと約束もした。
前の職場を私と同じくらいの時期に退職した子(女性)がいるのだけれど、
残した有給消化期間中に、一人で行ってリフレッシュしてきたらしい。
夕日がきれい、空がきれい、海が青い、という普通のことにとても感動できたと言っていた。
その話を聞いていたらもう、今すぐにでも行きたい!と思った。私もイルカと一緒に泳ぎたい。
船で24時間くらい揺られてのんびりと行くんだ。
本をたくさんもって、好きな音楽も連れて。
よし、絶対に行く。
それも、9月に。
その子が言うには、7・8月は学生が多いけれど、9月は
ちょっとワケアリの人が多いらしいのだ。
離婚して、子どもを連れてきている女性とか、6月くらいからずっと滞在している
サラリーマンとか。そういう人たちに出会えるのも、楽しみ。
20001009
毎週日曜の夜は、ついつい「ちびまるこちゃん」と「サザエさん」を二本立てで見てしまう。
母に「幼児性が抜けてないんじゃないの」と嫌がられながらも、どうしても6時前になると
いそいそとリビングのテレビの前に座ってしまうのだ。
私にとって、明日からまた仕事だぞ、と自分を切り替え始めるための儀式の
ようなもので、見終わると「ハイ休日終わり」という気持ちになる。
今日は休日なので別に切り替えなくてもよかったのだが、やはり昨日も見てしまった。
10月ということで、どちらも運動会を題材にした話だった。
まること父ヒロシが二人三脚の練習のことでケンカして、お互い意地を張って「ふん!」とやっているところで
わけもなく胸がきゅーん。うらやましい。いいな、と思う。
隣でイヤイヤ(?)一緒に見ていた母も「いいわよねえ、こういう親子関係って。楽しそうだよね」などと言う。
同じ土俵に立って本気で子どもとケンカしてくれる親って、いいなあ。父親というものと一度も
接したことのない私は単純に憧れてしまう。
酒飲みでいったいいつ出勤してるのか?と思ってしまう父ヒロシだけれど、私は好きだ。
20001006
私の住む駅前に、バイオリン弾きの男性が時々立っている。
昨日もいて、ちょうどしゃがみこんで調整をしているところだった。ああ、今日のステージは
これからなのね、と思いながら通り過ぎる。
彼が立つのは、帰宅途中の人たちで混みあう階段の踊り場部分。通る人にとっては、結構邪魔な場所だ。
酔っ払いや気の短い人なんかに「邪魔だテメーコノヤロー」などと後ろから
蹴りを入れられたりはしないのだろうか、としゃがんだ後姿を見ながらふっと心配になってしまった。
バイオリンの音って、時々疲れた神経にさわることがあるから。(私も時々ヤメテクレーと思いながら
足早にそこを通ることがある)
ぎぃーっと調整前の音でやられるとなおさら、気持ちまでガチャガチャとひっかかれたような、イヤ〜な気持ち。
ごめんなさい、一生懸命弾いてるのにね。
ところで、
大人の男女が仲良くなるためには、ご飯を食べに行くことは第一段階として避けては通れないんでしょうか、やっぱり。
私も一応年頃の娘さん(自分で言うか)なので、たまには男性からご飯に誘われることもある。
それが、ちょっとだけいいなと思っている人の時だってある。
その場合、誘ってもらったという事実だけでもう、とてもうれしい。それは本当だ。
でも、うーん、めしか〜二人っきりでめしを食うのか〜と考えるとどうしても気が重くて、
さりげなく誘いをかわし続けて結局チャンス(?)を逃す。
どうして私はこう、かわいらしくきゃぴきゃぴとついて行けないんだ!と自分にイラついて、蹴っ飛ばしたくなって、
最後には落ち込んで終わるのがいつものパターン。
挙句の果てには逆ギレし、誘ってくれた相手に、大体なんでご飯に誘うんだよ〜と理不尽にも文句をつけたくなる始末。
行きたいのに、仲良くなってみたいのに、誘われた内容がご飯だとうれしさが半減して
しまうこんな自分がつまんなくてちょっとイヤ。
20001005
夜、寝る前に音楽を聴きながら(もう椎名林檎やこっこも聴けるくらい気持ちも元気になった)ぼんやりと、
わけもなくしあわせだなあ・・・と思う。
なにがあるわけでもないけれど、そう思う。ほっこりしながら眠りにつくので、寝起きもかなりいい。
超リッチなわけでもないし、らぶらぶ(死語)な恋人がいるわけでもない。
友達と頻繁に遊びまわったり買い物するわけでもない。
はたからみたらもしかしたら地味でつまんない生活かもしれない。
だけれど、気持ちがとっても満たされている日々が続いている。
たぶん仕事が幸せだからだろうな。
仕事と、仕事に必要な技術を習得することに集中できる環境にきたことで、心から幸せを感じられるようになった。
母親も、
「今までは、無事に帰ってくるまで(職場でなにかされたんじゃないかって)
毎日心配でしょうがなかったけど今は安心」などと言っている。
たしかに以前は、心臓が荒くれ太鼓のようにドッカンドッカンと音を
立てているのが自分でわかるくらいの異常な緊張状態が続いていたから、帰ってくる顔も
さぞかし険しく、こわかったのだろう。
今まで私を苦しくさせていたのは、仕事面でのことがこんなに大きく占めていたのか。
離れてみてやっと、「ああ、つらかったんだ私は」とキチンとわかった。その中に
いる時はあまりに心が麻痺してしまっていたから。
離れてみて、わかること。それは人との関係もそうだな、と思う。
近くにいる時は見えない、見まいとしてきたことを、キチンと直視できた時。
「私はあの場所にいることが、つらかった」
「私はあの人と一緒にいて、つらかった」
そんな気持ちたち。
それらを自分の中で消化して、納得することができた時、また一段階心が強くなったように感じる。
20001004
今朝、出勤途中で見かけた女性が手にミネラルウォーターのペットボトルを
持って歩いていた。それだけなら別に珍しくも何ともない(私も家で作ったお茶を
入れて持参してるし)のだけれど、注目すべきはそのサイズ。
2リットルのペットボトル持ち歩くOL、ってけっこう不思議。
水飲みダイエットでもしてるのかな〜と思いながらつい後ろ姿を目で追うと、
なんと肩にかけている鞄にもあと2本のボトル(やっぱり2リットル)が。
この人いったい・・・と驚いていたら、コンビニのところで曲がったので
見るのをあきらめふっと目をそらしたその一瞬のすきに、鞄から手からすべてのペットボトルが消えていた。
そしてさっそうと歩いていく彼女の後ろ姿。
それで私はすべてを了解したのだった。
なるほどね、家で出たゴミをコンビニで捨てていったわけか。
どうしても捨てたかったんだね。
でも、生ゴミを出し損ねたとかならともかく、空のペットボトルなんて
腐るものでもないし、わざわざ運んでまで捨てなくてもいいのでは?
と、また新たな謎は残ったのだけれど。分別にうるさい大家さんでもいるのかな。(と、
想像をたくましくする私)
でも、コンビニや駅のホーム、デパートトイレのゴミ箱たちには、他にも
家で捨てられないものとか、捨てそびれたものなんかが結構詰め込まれていそうな気がする。
なにを隠そう、実は私も数回捨てたことがある。
一番最近捨てたのは、写真(切り刻むのもめんどくさいしどっちにしても家では捨てにくい)
とそのフィルムだったような気がする、たしか。
捨てる時のことを考えて物を持つようにしたいとは思っているのだけれど
(できるだけ捨てないですむように)なかなか難しい。その時はすごく自分にとって
価値がある!って思ってしまうのだから仕方ない。
20001003
ああーん、テレビが欲しい。ちゃんと全画面映るやつ。
画面の縮み度は日に日にひどくなり、とうとう画面下に出る字幕が
読めないくらいになってしまった。
親子揃って気がかりなのは「年末、紅白を見るまでもつだろうか」ということなのだが、
今の縮みっぷり具合を見ていると、ぜーったに、ムリ。
なので「年末までに宝くじを当てるか、テレビそのものを当てよう!(懸賞などで)」
というのが、目標として掲げられたのだった。がんばる。
仕事から帰ったら、掛け布団カバーが一面、クマに変わっていた。
赤地にクマ模様。なんともまあ、ラブリーなことよ。
あまりのことに仰天し、呆然とし、次の瞬間には引っ剥がしたくなったのだけれど、
でもこれは今使っているカバー
(水色の細かいチェック模様)を洗ってるから
に違いない、と思い直して文句を言わないでおいた。(下手に文句を言うと喧嘩になるので)
すると部屋から出てきたハハが「あれ見た?」と一言。
「うん、見た。でもカバー洗ってる間だけでしょ?」
「ううん、そうじゃないの。あまりにあんたが縁遠いから、こういうかわいいの
どうかなあ、と思って。だってあんたの部屋、あまりに男なんだもん」
「・・・(絶句)私がああいうの好きじゃないって知ってるよね・・・?」
「うん、わかってる。でも、もしかしたら変わったかな〜、これでもいいよって言うかなあ、って思って」
「いや、変わってない(きっぱり)嫌だ、あれ。落ち着かないじゃん〜!」
「わかったわよ〜!とるわよとればいいんでしょ(と、ぷんすかしながら取り外しにかかるハハ)」
「・・・あのねえ、布団をクマにして縁近くなるんだったらとっくになってるってば」
「だってー」
・・・浮いた話題を提供できない娘ですみません。
でも正直なところ、母親と住んでいる間はわざわざ進んで恋愛しようとはしないんじゃないかな、と思う。
恋愛に浸って感情があっちこっちに飛び跳ねているところを見られるのは、恥ずかしいッス。隠すの下手だし。
20001002
私が今一番好きな芸能人(って言っていいのかな。テレビに出てる人)は
TBSアナウンサーの安住さん。
もう、大好き大好き!
先月家で安静にしていた間は、午後の奥様番組の司会をしているところを
見ることができとーってもシアワセだった。
普段はもっぱら、日曜日のからくりTVに釘付け。(サラリーマン早調べクイズ)
外見ももちろん好きなのだけれど、なんといってもあの言動がたまらない。
酔っ払ったサラリーマンにからまれて正直にいやーな顔しちゃうところとか、
彼女のことを愚痴られて「じゃあ一度別れてみるっていうのはどうでしょうか」
と暴言を吐き、そのあと「自分でも(言ってから)びっくりしました」って
言ってしまうところなど、もう、ツボにはまりまくり。
「あー一度でいいから実物に会いたいよう!」と叫ぶ私に、
「じゃあ、TBS宛にファンレターをだしたらどう?」と、ハハ。
「ギバちゃん(柳葉敏郎)だってファンのコと結婚したし、
他にもそういう人けっこういるらしいわよ、つきあってすぐに
結婚しちゃうみたい。長い間つきあって結婚しても別れちゃう人もいるんだし、きっと
そういうのって意外とうまくいくのかもしれないわね〜」
「でも、ファンレターってどういうこと書けばいいの?」
「まず、『私は真面目なOLです』って書いといた方がいいね」
「・・・それ、ヘン(そう書く方がよっぽど不真面目そうやんけ)」
「で、月に一通くらい出したら」
「だからなに書くのそんなに頻繁に」
「今日していたネクタイは似合ってましたね、とかさ」
「それじゃあストーカーだってば・・・」
「じゃあ、その日あったことを書く!」
・・・どっちにしてもコワイよ。
こんなくだらないことを延々と話し合ってしまった私たち親子っていったい。(と、
ちょっと我にかえる)
でも、ファンレターを出すまではいかなくても、サラリーマン早調べクイズをやっている
新橋とか新宿で張り込みするくらいのことはやりたいくらい、ファンなのです。
20001001
私にとっての2000年9月は、「なかったこと」に決定。
9月が終わって本当にうれしい。大晦日から元旦になるまでくらいのすがすがしい気持ちで今日をむかえたほど。
気分を変えたい気持ちがあまりにも大きくて、昨日の夜は髪の毛を黒めに戻してみたり、前髪を切ったりした。
今月は大好きなスガシカオのアルバムも出ることだし、きっと良い月になるに違いない。(と、勝手に決めた)
最近時々、自分の週末の過ごし方ってどうなんかな・・・と思う。
私にとって自分の部屋は世界で一番好きな場所で、部屋にいることが最も幸せな休日の過ごし方だ。
でかけるのも楽しいけれど、それはやはりたまにで十分。
でも、常にあちこちでかけたり活動している人達から見たら、信じられない過ごし方なんだろうな。
私もなにかやった方がいいのかな、などとちょっと焦燥感のような気持ちに駆られることもあるけれど、
それは結局自分に無理をさせることになるので、しない。そしてしばらくしてまた感じる焦燥感。(の、ようなもの)
その堂々巡りを繰り返している、どうもスカッとしない私。
遊ぶことに活発な人たちは自分の知らない世界を見ているんだろうな、と思うと
うらやましくて、自分もどこかに足を踏み入れたい気持ちにはなる。ただ行動に移すパワーにまではならないのだ。
そんなへなちょこな私だけど、近頃少しずつ自分の行動範囲を広げようとしているところ。ただし、平日限定なので、
休日の過ごし方には反映されなさそうだけど。
今、体調も治ったので食べることがとても楽しい。なので、せっかくだし平日のお昼ご飯を
もっと楽しみにできるといいなと思い、先週は職場の人達がよく行くというおいしい店でお弁当を買ってみた。
もう少ししたら、思い切ってたまには外食ランチにもチャレンジしてみようかな。
そんな気持ちになったことに、自分でもちょっとびっくり。
というより本当はそういうのが普通だったのかな、今までの自分がちょっと気持ちも身体も病んでいたのかも
しれないぞ、とふと思った。昔の日記を読み返したら、なんだか苦しそうだし。
この人辛そうねえ、とまるで他人事のように昔の自分を眺めてしまった。
やっぱり人間は、ちゃんと寝てちゃんとおいしいご飯をもりもり食べて心身共に健康でいなくちゃダメだ!
と熱く語りたいような気分。
しょっちゅうおなかをこわしたりご飯を食べられなかったりすることは、カッコ悪い。そういうのはもう
卒業したい。
身体をこわしたことでいろいろ悟ったようだ、どうやら。
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