diary index | ←200009200010200011

20001031

なんでだろう。
なんで私はどこの職場にいても、どうやっても自分だけが外れてるような気持ちになるんだろう。
どうしてもその場に溶け込むことができず、気持ちは遠ざかったまま、まるで別世界のように眺めている。
別にみんなと話さないわけじゃないし、キライな人や苦手な人がいるわけでもない。そもそも そんなところまで感情が動くほどの関わりあいもしていないのだから、キライな人ができるわけもないのだ。
だけど、やりとりの空々しさにここでもひそかに疲労する。
みんな笑ってるけど、にこやかに話してるけど、言葉も笑いも本当じゃないっていうのが わかってしまうんだもの恐ろしいほどに。
「ねえねえ、違うでしょうみんな。そこまで仲良くないでしょうほんとは! 無理して仲いいふりするのはやめようよー!」
と叫び出したくなる。身体中がわさわさむずがゆくなってくる。
みんな笑ってるけど、別に笑うとこじゃない全然面白くない。そういう場にいるのはやっぱり少ししんどい。
どこにいっても「なじむ」ということがないのだ。なじみたいと思うのに、そう思って頑張ることは 私にとってはとてもとてもストレスになるみたい。そこから逃げるためなら なんだってする。
自分が自分らしくない気持ちのまま過ごしていると、長時間職場にいることが心配になって くることがある。このままだと私の気持ちはどっか行っちゃうんじゃないの?って。
でもそれは、今まで見て見ぬフリをしながらいろんなことをごまかしてきてしまったせいで、 自分に自信がないから。
これがわたし、ってものがちゃんとあればどこにいたってきっと大丈夫なはず。
これからキチンとやり直したい。
自分というものの輪郭を、もっとはっきりさせたい。
そうしたら本当に行きたいところがみえてくるかもしれないと、まだあきらめていないのだ、私は。


20001030

社会人になって思うことは、
「忙しい人の方がえらいんでしょうか」
ってこと。
会いたいね、会おうか、って話になったとき、お互いの都合を融通しあいますよね。
その時、「忙しいだろうからあなたにあわせるよ、ごめんね忙しいのに時間割いてもらって」
みたいなことを言われてしまうとなんだか気持ちにちょっとだけ穴があく。
そう言いたくなる気持ちはわかるのだ、私も昔はそうだったから。
すごく仕事が忙しい人と遊びたいと思ったら、相手の身体があくまで 自分はその日一日予定をあけてふらふらしていたり。そういうことも、あった、確かに。 そこまでしても会いたかったし。
だけどそうしているうちに、なんだか、相手ほど忙しくなくて予定をあけて待っている自分の方が 地位が下、みたいな気分になってしまって、「会っていただいてすみません」という 卑屈な気持ちが心のどこかにあることに気が付いて、そんな関係を寂しく思った。
今回転職をしたら、周囲の人たちはみんな、私がおそろしく忙しくなったと思っているみたいで (まあ、今までに比べたら切羽詰ることが多くなったかもしれないけれど)、
「遊ぼうね、でも、忙しいだろうからほんと無理しないで。仕事優先して」
などと気遣ってくれる。それはとてもありがたいし感謝の気持ちでいっぱいなのだが、その反面、 ひゅるると心にすきま風が吹いてしまうのだ。
今度は私が、「忙しい中会っていただいてすみません」って思われているような気がして、 そんな上下関係はいらないよ、もっと遠慮なく遊ぼうよ〜って言ってよ!と、気持ちが じたばたと暴れているのがわかる。
大好きな人を思いやるつもりで遠慮なんかしてたら、いつまでたったってあえねーよ。
会いたい会いたい会いたい!ってたまには騒ごう。
そして絶対に、「会っていただいてすみません」って気持ちをお互いが抱かないこと。
それが、いい関係。


20001029

金曜日、11時過ぎまで残業、慌てて会社を飛び出した。
飲み会帰りの人でごったがえす電車に詰め込まれ、ぎゅうぎゅうに押しつぶされながら新宿へ。
駅に着いた途端、ひたすら走る走る、目的地を目指して走る。途中、コンビニでサンドイッチとお菓子、そして 翌朝に飲むためのミネラルウォーターを買う。
あまりにも必死で走りすぎたせいで、曲がるべき角をはるかに通り過ぎてしまったことに 気が付き、焦って引き返す。ああ、時間がもったいない、一刻も早く会いたいのに!
やっとの思いでホテルにたどり着く。どきどきしながら、あの人の待つ部屋へ。
ノックしてドアが開くまでの時間が長く感じる。ああ、やっと会える。

・・・なんて書くと、まるで週末の逢引き(古っ)みたいだが、そうではなくて。
去年も会った、私のページをきっかけに知り合った大事な女友達との再会を果たしたというわけ。 (ちょっとまぎらわしい書き方をしてみました)
無事に再会できたことがとてもうれしくて、会った途端にお互い自然にぎゅう〜っ。
3時間くらい話してからお風呂に入り、さあ浴衣に着替えよう、と思ったらなんと男もの。 これじゃあ床を掃除してしまう。ツインなんだから必ずしもカップルとは限らないじゃないか!と ちょっぴりぷりぷりしながら、結局、Tシャツとパンツという男らしい(?)組み合わせで 寝たのだった。
1年以上ぶりとは思えないくらい、一緒にいることに違和感がなくて。そんなに長い時間一緒には いられなかったけど、とても大事なひとときを過ごした。

会えてよかった。そして来年も会おうね。
1年にたった一回しか会えなくても気持ちが満たされている、そんな関係。


20001027

私にとって、文章を書きたい、もっと上手に書きたいという気持ちは、どんなときでも絶対だ。
本を読むことは、時々睡魔に負けることもあるけれど、 さて寝よう、とした途端にふっと書きたいことが浮かんだら、 そんな時は迷うことなくガバリ、と起き上がってパソコンを起動する。
そのために多少睡眠時間が減っても、問題ない。寝てしまったら絶対に翌朝後悔することが わかっているから。
この思いは、私を動かす原動力だなと思う。文章を書くことを意識しながら生活していると 楽しいのだ。なにかの場面に出会ったときに、
「これは私ならこう書こう、こう書いたら伝わるかな」なんて考えている自分がいつもいる。
気持ちが動かされた時も、同じ。
文章を書かなくなったら、さぞかしつまらない生活になってしまうだろう。
だから、少し仕事がたてこんだりして、文章をじっくり書いたり読み返す時間がとりにくくなると 私の気持ちはもやもやと曇ってくる。気持ちの整理ができない、片付いていない 状態が大嫌い。
実は最近、ボキャブラリーが貧困になってきた自分を感じてイライラしている。
物事を考えるときに、なんだかタグで考えてる・・・。 ふっと休憩している時にも頭に浮かぶのは改行タグとかだったりするし、 四角を見れば「このテーブルはどうやって組めばいいのかな」(私はテーブルを組むのが とっても苦手で今まさに四苦八苦中なのだ)とやっぱりタグを考えている。こういうのも職業病と言うのだろうか。
言葉不足であほになりそうだー!
文章が書けなくなるかもしれない・・・と今本当にそれが恐怖でしかたがない。
本も今までほど読めなくなってきているし。
自分で書いた文章の駄目さは自分が一番よくわかるから、よけいにつらい。
それが今、最大の悩み。仕事で悩んだりつらかった頃に比べたらなんてことない ことだけれど、でも、つらい。


20001026

左右の人とも前の人ともパーティションで区切られている今の職場に来てからというもの、 人と直接話す時間がいきなりガクンと減った。
会話は仕事のこともプライベートなおしゃべりもほとんどがチャットみたいなもので済んでしまう。 時には朝の挨拶でさえも。
わずらわしくないし緊張もしないしラクだけど、口がなまりそうだ〜! 自分のブースから出ても「外用の自分」に切り換わらなくてうまく話せないので困っている。あーうー。
文章でする会話と生の会話はやっぱり違うから、全然。
こんな職場では、同じ部屋の中にいてもその日一日一度も顔を見ず、でも文字のやりとり上ではけっこう 親密に話している人間関係があったりするのだ。
けっこう深い話をするようになって文字の上では仲良しでも、 実際に顔を見るとなに話していいんだかわからないし、まだ慣れていない人との 会話になってしまってどぎまぎ。これって、いわゆるネットの出会いと一緒なんじゃないでしょうか。
どうすんだよーただでさえ、実生活(文字じゃないリアルな関係)においては 人見知りが激しいのに、このままじゃいつまでたっても誰にも慣れることができないかもしれない・・・。
という心配はドンピシャリ当たり、今だに同じ部署の人たちにすら全然慣れてません。
その上、職場用に愛想のいい自分で出勤する必要がなくほとんど素のままなので、 愛想がよくないことこの上ないし。最近は職場にいる時と家にいる時の愛想の差があまりない。いや、もしかしたら 家での方がよく笑ってるし、しゃべってるし、明るいかも。
でもまあ、支障はない。仕事は普通にできるし、つらくもない。おーけーだ。
どうやら自分の中に、職場の人間関係に溶け込もうとかうまくやっていこうとか、 嫌われちゃったらこわいわどうしましょう、なんて気持ちがすこんとなくなってしまったようだ。
私はこういう人間なので嫌いたいならどーぞご自由にね、というふてぶてしい気持ち。
やっぱり私は職場での人間関係がべったりとなるのはダメなのだ。どこにも属することなく 基本的に一人でいたいと思う。仕事を進めていく上での人間関係は頑張るけど、それ以外は お昼一緒も誕生日のケーキも飲み会もいい習慣だと思いますけど極力避けさせてくださいだってつらいんだもの。
それも仕事のうちだと言われてしまうとただただゴメンナサイと言うしかないのだけれど、 私はいーやーなーのー。
時々は、あーいいのかこんなんで、と不安になることもあるけど、でも、今の私はラクチンさんだ。
今まで張り詰めていた分、そうとう緩んでるなあ、私。
今度の職場では、自分の心身をちゃんと健康にすることを最優先にすると決めたのだ。
ストレスがたまるところからはできるだけ逃げる。いやなことはやらない(仕事以外)。 無理やり笑顔をつくらない。職場の人間関係に深入りはしない。
今回の転職は、つらい場所からの緊急避難のようなものだったから、はじめから過度の期待も夢も抱いていなくて、 死に物狂いで無理したり頑張るつもりもなくて、適度な距離を保っている。お金をもらうために、 自分の時間と労働力を提供しています、という勤労の基本に立ち戻った感じ。
ページをどう作るのかだけを考えて、ひたすら作っていればいい。
そこにはなんの感情の動きもない。淡々。
今まで仕事上で揺さぶられることが多かった分、今度は私生活で心をいっぱい動かそう。
感じる心を取り戻そう。


20001025

スガシカオの新しいアルバムは、本人いわく、
「あまり歌詞に使われないような言葉がたくさん使ってあって、 人と一緒に聴くときまずくなるかもしれないのでおすすめしません」
だそうだ。彼の音楽はヘッドホンでこっそり楽しむのが一番いいように思う。
聴きながら通勤できるというだけで、うれしくて顔がにやけてしまう。

昨日は久しぶりに7時台に職場を出ることができたので、もう、 ウキウキとこみ上げる笑いを必死にかみ殺しながら足取りも軽く 駅ビルのCD屋へと向かった。予約しておいたスガシカオのアルバムと、ウォークマンで 聴く用に録音するためのテープを買う。そしてゆずのアルバムも予約。
あー秋はいいわ、いろんな人の音楽がじっくり聴ける。
それから久しぶりに本屋へ。(考えてみたらこの間の週末は本屋に行ってない!なんてことだ)
角川文庫の新刊が出ていて、少し迷う。鷺沢萠のホームページで公開されている日記が 本になったものが出ていて一瞬手に取ったのだが、「まてよ、横書きだ」。
私は今とにかく縦書きの文章に飢えているので、本でまで横書き文字は読みたくないのよ、と そっと戻し、あちこち物色。雑誌をチェックするつもりが、ふらふらとつい単行本の コーナーへ行ってしまい、逆上。
欲しい本がありすぎる〜っ!どれもこれも欲しいし読みたいしあーまとめて全部買って帰りてえ!
と、一人で頭に血をかっかと昇らせ、興奮していたのだった。
ちなみに今日は、給料日。
もう今週は週末まで絶対に本屋に寄ることはできないけれど、今度の週末、やってしまうかも。
本のバカ買い。それも単行本含む。
単行本だけでも欲しいもの、読みたいものが軽く10冊以上あるのでその欲望に従ったら 大変なことになるのは目に見えている。文庫だって、読みたいと思ってメモしてあるものが けっこうあるし。私の生活、本代とCD代で破産だよ。
今この気持ちに火をつけてはいかんと、結局一冊も買うことなく、慌てて逃げるように本屋を去った。


20001024

昨日の夜、日本シリーズが終わるのを待ちながら、(「やまとなでしこ」が見たくて ダッシュで帰ってきたのに野球で1時間も伸びてがっくりきた)NHKの編物番組を ちらっと見た。
編物界のカリスマ、広瀬先生のまるで小公子みたいな服装、立ち振る舞いに 笑いの虫がうずきだす。
歯を磨きながら見ていたので必死にこらえていたのだけど、うっとりとした 表情でモデル立ちをしているセンセを見ていたらもうどうにも我慢ができず、 わっはっは!と笑いが噴き出してきてしまった。隣で見ていたハハもつられて大爆笑。
先生、ごめんなさい。先生自身を笑ったわけじゃあないんです。でも、セーターを見せるために 映してるのにそこまでポーズ決めなくても・・・と思ったんです。
この方、今大人気らしい。日本中を飛び回って編物を教えているのだそうだ。
この人が醸し出すやわらかい空気は、今のストレス流行りのとげとげした世の中では なかなか接することのできなくなった、 貴重なものだと思う。こういう人がもっと増えれば、もっと世の中が楽しくなりそうなのに。
好きなことを心のままにやっていたら、いつのまにかこうなってしまいました、
という、まっすぐで無欲なオーラが漂っていて、こういう人がそばにいたら気持ちが ほっとやわらかくなれそうな気がする。


20001023

今度の仕事になってから画面を凝視している時間が増えたせいか、 中学時代にちゃんと治療したはずのアレルギー性結膜炎が、もしかしたら再発してしまったかもしれない。
昼間は平気なのだけれど、寝ている最中に目をかきむしっているらしい。 それも、隣の部屋で寝ているハハに聞こえるくらい暴れながら。
朝起きると、目が真っ赤に腫れあがっている。起きてしまうとそれほどかゆくはないのだけれど、 眼球が腫れてしまっているのでしばらくコンタクトレンズを入れることができない。
昨日はホウ酸を溶かした水で消毒してみた。これでおさまってくれるといいんだけど。 なにしろ寝ている間の行動(寝相寝言いびき歯ぎしりなど)には自信がないので、とっても不安。
と、自分を信用できないので、昨日はハンカチを長くたたみアイマスクのようにして頭の後ろで縛って寝た。 目をかけないように。
まるで、「ガラスの仮面」(漫画)の北島マヤが「奇跡の人」のヘレン・ケラーを演じるために、目を包帯でぐるぐる巻きにして 生活していた時のようだよ、と思いながら。本当なら手も縛って寝たいくらいだったのだが、 それをしたらもっと暴れることは間違いないのでやめた。
そのかいあってか、今朝の目は無事。念のためまたホウ酸で洗ってきた。まだ安心はできない。
あー目をぱかっと取り出してきれいに洗いたい。許されるものなら温泉につけてあげたいよ、 目玉おやじみたいに。私以上に働いているもんね、ごめんね、といたわってあげたい気持ちでいっぱいだ。


20001020

ひょんなことから、デジカメを手に入れてしまった。
もっといいのを 買った人にお下がりをもらったのだ。一回ご飯おごるって約束付きで。
そんなの、フランス料理のフルコース、とかいうんじゃなければおやすいご用よ。
というわけで、今私の手元にある。
昨日の夜いろいろいじって遊んでみた。ひゃー楽しい。今まで仕事でしょっちゅう 使ってはいたけど、やっぱり自分のカメラがあるってうれしい。
最初はちょっと使い方を覚えようくらいの気持ちだったのに、やりだしたら とまらなくなり、でも部屋の中じゃあ撮るものもないので自分を撮ってみた。
わざとへんちくりんな顔してみたりして一人でウケて大笑い。(あやしいことこのうえない)
あーいろいろ撮ってみたいぞ。今後しばらく、私と遊ぶ人は覚悟するよーに。 (写真を撮られること必至)
あちこちにでかけて、ばしばり撮りたい。
特に、犬を。どこかにかわいいこはいないかな。
まずは手始めに、家の近所から散策だ。


20001019

最近気になる存在、それは中山ヒデちゃん。
気がつけばあちこちの番組に出ているのに、どれもこれも彼自身の印象は残らない。
彼の魅力とはいったい。
そう思い出したらもう気になってとまらなくて、テレビにでている彼にじっと注目してみた。
リアクションも言動もワンパターンだしお笑いとも呼べないくらいのボケツッコミだし。 あれくらいならシロウトのほうがもっと面白い人いる絶対。
ううーん、わからない。
「あんたどうしてそこまであの人のことを気にするの」とハハに笑われながらも しつこく分析してみた結果、彼はどうやら個性が薄い人で、誰とからんでも相手の個性を 邪魔しない(誰とからんでも言動がいっしょ)から、あちこちに出ることができるのではないか、という結論に達したのだった。
悪く(?)言ってしまうと誰と並んでも、その人の引き立て役になっている。 だから、同業者からも「ま、あいつは生かしておいてもいいか」と見逃して(?)もらえるのではないかと。
はっきり言って彼の大ファンなの!という人はあまりいないと思う。 ああ、あの人ね、あちこち出てるよね、くらいの別に好きでも嫌いでもないという人が一番多いのではないかな。 そうやって、さりげなく居座る(芸能界に)というのも一つの手段なのかもしれない。
個性を売るのが芸能界という場所なのだと思うけれど、逆に 自分の個性を殺して、うまく泳ぎ回るという方法。
普通の職場においてでも同じようなことが言えるのかもしれない。
それはそれでかしこい切り抜け方だ。と、ヒデちゃんからなにかを学んだ私なのだった。


20001018

10月18日(水曜日)

今の職場では、集中したい時は音楽を聴きながら作業している。
そういう人が多いので、よけいに職場は静か。
やっぱり洋楽の方がいいのかなー(邦楽だと一緒に歌っちゃいそうだから) などと思いつつ、家ではあまり聴かないCDを持ってきていろいろと試してみたのだけれど、 どうやら聴いていてイライラしないものなら特にジャンルは問わず、なんでもいいらしい。 どっちにしろ、作業に没頭してしまうと聞こえてないし。
音楽を聴きながらやれるとかなり精神衛生上いいようだ。さりげなくストレス解消ができる。 長時間パソコンに向かっていても以前に比べ神経の疲労度が少ない気がする。
ただ弊害もあって、職場に持ってきて聴いてしまったCDは、 もう家では聴く気になれなくなってしまったのだ。
「もうこのCDは、仕事用」とぱっきりと切り分けられてしまったような感じ。
なので、大好きなCDは絶対に持って行かないぞと決意したのだった。例えば通勤しながら スガシカオを聴くのはokだけど仕事中には絶対聴かない。
今度、職場で聴くため専用のCDを1枚買おうかな。
ああ、前けっこう持ってた洋楽のCD、売らなければよかった。
洋楽邦楽どっちでもいいと言いつつも、実はひそかに「洋楽をずっと聴いてたら英悟の歌を歌える ようにならないかな(大学時代、洋楽大好きだったコがとっても発音キレイで上手だったから)」 なんて期待する気持ちがあったりする。


20001017

私は出勤前にその日の昼ご飯(パンが多い)を買っていくようにしている。
前の職場の時は、買い置きしてある栄養食品やカップうどんを食べていたので そういう意味ではかなり健康的な食生活になったと思う。
昼ご飯を外に食べに行くことは年に数回あるかないかだ。
それはもちろん、1時間の昼休みで外食するのは慌ただしくていやだということもあるの だけれど、実は別の理由もあることに気がついた。
私は、どうやら食べることにおいては待つことがキライらしい。
昼休みの時間になって「よし、食べる、ハラヘッタ!」と思った 次の瞬間くらいには食べられないとイライラしてくるのだ。
だから、昼に食べるものを手元に置いておけば、そんなこともないというわけ。
思い出してみれば、一人暮らしをしていた頃、大学やアルバイトから帰ってきて から夕飯にいかに短時間でありつけるかということに燃えていた記憶がある。
一応結構まめに料理はしていたので、ご飯を炊いて冷凍しておいたり、野菜スープなどを 作りおきしておき、温めればすぐに食べられるように準備しておくことにはかなり熱心だった。
いやあ、私は夫にならなくてよかったかもしれない。
「メシ、メシはまだか」と騒いで箸で茶碗叩いたりしそうだもの。(さいてい)
でも、今の時代、そんなことを言う夫は離婚されるのかな・・・?


20001016

もう4年くらいずっと気に入って食べつづけている、100円のカップアイスがある。
いろいろなメーカーがあるけど、そこのが一番、もとのバニラの味が好みなのだ。他にも 小倉やキャラメル味などがあり、どれもおいしい。
でも、最近そのシリーズがなかなか見当たらなくなってきてしまっていて悲しんでいたら、 この前意外な所で再会を果たした。
それは、先月通っていた病院の売店。
全種類、それもたくさん売っていたのを見て思わず逆上。治りかけてきた頃に、4個まとめ買いして帰った。
そのうちの2個はすぐに食べてしまったのだけれど、あと2つになったところで、
「ああ、またこれなかなか見つからないんだろうな、いざとなったらアイスだけ買うために病院に行こうかな」 とまで思ったりもしてなかなか手をつけられないでいた。
そうしたらこの週末、近所のスーパーで売っているのを発見。でも、数も種類も少なく、いつなくなっても おかしくないような雰囲気だったので、また4個まとめて買ってきた。これでしばらくアイスについては安心だ。

アイスに限らず、私はなんでもかんでも買いだめをしておく習慣がある。
たとえば毎日飲むビタミン剤にしても、まだ半分くらい残っているうちに 次の瓶を買いおきしておかないと気がすまなかったりするし、同じジーンズを 2本ずつ持っていることだって、気に入っている一本がダメになってしまったときに また同じものが買えるとは限らない、という買いおきのようなもの。
なくなったりこわれてしまうことを考え、先回りしてストックを確保しておかないとなんだか安心できない。
だからいつも、なにかがなくなりそうじゃないかと神経をとがらせている部分があって、 そのせいで疲れてしまったりもする。
なくなったらなくなったでその時に買うなり考えるなりすればいいのに、 なぜそこまで必死に買い置きしないでは気がすまないのだろうと、我ながらこの癖にはちょっとうんざりしているのだ。
なにかを「きらす」ことに対する強迫観念のようなものが心のどこかにあるようで。
そんなことばかりしているとそのうち「この友達をなくしたらいけないから別の人とも友達になっておこう」とか、 それこそ「この人と別れても平気なように別の恋人も準備しておかないと」などと思うようになるのではないかと 自分で自分が恐ろしいこの頃。


20001014

昨日は、新人(私を含む数名)歓迎会だったのだけれど。
私の周囲にいた方々たちは、お互いがあまり仲良くなさそうな上に、揃ってテンション低し。
息詰まるようなつらーい時間が何十分か経過し、耐えられなくなった私は、ここでもやった。
逆ギレテンション無理やり上げ。(たった今命名)
いつもなら絶対にあげないようなキャーキャーした、いわゆるオンナノコ声を必死に 出し、大騒ぎして周囲をつる作戦に出たところ、これがなかなかの成功をおさめた。
それから後半部分はかなりなごやかな雰囲気になり、笑いも出たのでほっとした。あーよかった。
でもさすがに、普段やり慣れないことをやったために精神的な疲労感がものすごく、 二次会をさりげなーくパスして帰ってきてしまった。「自分の歓迎会なのにいったいなにやってんだか」と 一人心の中でツッコミを入れながら。
最近、週末になると自分へのご褒美にアイスを買って帰っているのだけれど、昨日もまた コンビニに寄りハハの分もあわせて一気に6個買った。でも、実際にはそんなに食べないので、 私の分はどんどん冷凍庫にたまっていく一方だ。(ハハは普段家にいるのですぐに食べ終わる)
それでも、家に帰れば大好きなアイスたちがごろごろしていると思うとうれしくて、想像しただけで にんまりしてしまう。気持ちが豊かになるとまで言うと大げさかもしれないけれど、ほんっとうにアイスが大好きなので それくらいのシアワセ感なのだ。

帰ったら、コタツ(寒がりのハハは、近頃の寒さにいそいそと出した。布団はまだ掛けてないけど)の上にミカンたち。
おおー冬の光景だね!冬がくるね!となんとなくわくわくする。ビールもすでに「冬物語」の宣伝だしね。
いろいろなことにじっくり取り組めるような気がするので、冬は好き。
私の場合、たいてい大変なことは夏くらいに起こることになっているので(フラれたのも祖母や叔母が 亡くなったのも仕事つらかったのも転職したのもみんなそれぞれの年の夏)、今ぐらいの頃から年末年始は、 それらが一段落し、心静かに残りの日々を過ごしましょう、自分にやさしくしましょう、という穏やかな時間が 流れる時期だから、なおさら。
自分で自分の気持ちをきちんとケアしてあげられる季節がやってくる。
夏は、目の前のことにいつも必死すぎて、そうしているうちにいつの間にか終わっている。


20001013

もし、どこかの店に「愛想」とか「社交性」というものが売っているなら多少の無理をしてでも買いたい と思うこの頃。
どうしてこう、私って愛想がもたない(電池のように)人間なんでしょ、 と情けなく思うこと山のごとし。
今、対外的な仕事ではなく、ひたすらページ作成をやっているので、 仕事の場面で愛想があまり必要とされなくなったのがいけない。せっかく 前の職場で広報みたいな仕事もしたことでかなり愛想のよい(無理やりだけど)ヒトに なったのに、その(愛想の)蓄積はすっかり初期化されてしまったらしい。
愛想が悪い人間にとって、若いぴちぴちした(死語)女性の多い職場というのはちとしんどい。
なので今回転職する際にも、「男性が多めの職場に行くように」と親しい友達に アドバイスされたくらいなのだけれど、はいってみたらまた女性が多いよ、私の部署。
とほん。
私は、対男性との方が話しやすいと感じる。地の部分でつきあえるのだ。 お笑いのテンポで、ノリツッコミの会話ができることが多いから、ラクチン。
女性が相手だとつい、「テンション(それも自分にはない部分のテンション)をあげていかねばならん!」 という使命感に駆られてしまい、その結果、態度がなんだかぶりぶりしたものになってしまう。 (どうしてこう極端なんだか)
どうも、女の子っぽいキャピキャピしたノリが私にはあまりないので、つらくって。
ブランドものにも興味ないし、イベントなんかにもできるだけ参加しないでひっそりしていたい。
基本的に地味な性格なんです。まずこの「自分の部屋大好き」ってのを改めない(改めるつもり ないけど)限りは無理ですなあ。
東京ライフを満喫できない性格なのですよ。夜遊びもしたことないし。
東京に住んでいてうれしいなあ、と思うのは、大きな本屋が たくさんあることくらいで、遊ぶことに関しては活用しきれてません。(きっぱり)


20001012

今度の職場に来たら、席を立つのは本当にトイレかお茶をくみに行く時くらいのもので、 足腰がすっかりなまってしまったようだ。帰り道、足がつりそうになったりするほど。
タバコを吸う人たちは、もう一つ(席を立つ)口実があっていいなあ。
仕方がない、トイレでちょっくら体操でもしてこようかね、と向かうと、ポーチの中身を広げ、じっくりと化粧直しをしている人がいた。
あっ、そうか!
女性には化粧直しという手があったのか!(気がつくのが相当遅いかも・・・)
私はほとんど化粧直しというものをせず(直さなければいけないほどしてないという話もある)、 朝職場に着いてからお茶を飲んだりするのでそのあとと、昼ご飯を食べたあとの歯磨きタイムにささっとするだけだ。
それ以外は一切しない。帰りに誰かに会う予定があったりすれば一応鏡をのぞいては行くが、 ただ帰るだけならもう、そのまんま。一刻も早く帰りたい気持ちの方が先に立ってしまうため、 よれよれの汚い顔をさらしてスミマセン、と心の中で謝りつつもうつむき加減にダッシュして帰ってしまうのが常。
そっかそっか、化粧直しね〜。そうだよね、気分転換になるし、顔のギトギトも取れてさっぱりするもんね。
それはいい考えかもしれないわ。でもきっとやらないんだろうな私は、などと思いながら、化粧直しをする彼女の 隣で腰痛防止体操をしたのだった。

最近、昔の自分を「ばっかじゃない(ふん、と鼻を鳴らす)」と 突き放すようになれたらいいのかな、と思うことがある。
そうなれたら楽なのにと。
でもそれは、悲しいことでもあるような気がする。
今どんなに遠く、自分のことではないように感じても、 それは確かにあったのだから。
その思いは私の心の中に。
それだけは、嘘じゃないんだから。
自分の中にあった気持ちだけは、「なかったこと」にしたくない。
そして、他の誰でもない自分自身が、気持ちが自分を苦しくさせていたんだなあ、としみじみ思う。


20001011

転職してから出勤する時間が遅くなったので、ちょうどその頃起き出してくる ハハが鍵をかけがてら見送ってくれる。
いつもは、エレベーターが来るまでの間ちょっとした会話を 手話で交わしたりするのだが、(本当にちょっとした、 「眠い?(母)」「うん、寝たい(私)」「がんばれ(母)」程度の) 昨日の朝はすでにエレベーターを待つ女性の姿があったので、 そそくさと「じゃあ行ってくるね」とすばやく挨拶を交わし、すまし顔でその女性の隣に 立った。彼女はゴミ出しに行った模様。
帰ったら「あのひと、すごい目であんたのこと見てたでしょう〜」と母。
「そう?気がつかなかった。ていうか、最近気がつかないようにしてるの、そういうの」
「あ、なるほどね〜それはいいかもしれないわ」
同じマンションの人にじろじろ眺め回されたり、通勤途中で人に突き飛ばされたり、 ぷちっといやなこと言われたり態度をとられたり、気にしだしたらキリがない、 自分の気持ちがそのたびに消耗してしまうようなことってたくさんある。
そういうの、感じない人間になりたい。仕事と大事な人との関係上以外の場面では、 ぜーんぶまるめてポイ、したい。でないとくたびれる。
たとえば、ホームで後ろの人に思い切りぶつかられたり突き飛ばされたりして、 ちょっとムッときても、それが怒りじゃなくて「あーあ、ぶつかられちゃったよ、痛いなあ。 どうしてみんなこんなに殺気立つんだよう」ってしょぼくれる方向にどうも向かいがちなので、私。
だから昨日の朝のおばちゃんのことだって、
「なにこの人ひとのことジロジロ見て感じ ワリイな」と感じてしまっていたら、少しだけ嫌な一日の始まりになってしまったに違いない。
だから、いい意味で鈍感になりたい、と思うのだ。


20001010

来年、頑張って何日か続けて休みをとって小笠原島に行くと決めた。 友達と、それを目標にお金も貯めるし頑張って働くと約束もした。
前の職場を私と同じくらいの時期に退職した子(女性)がいるのだけれど、 残した有給消化期間中に、一人で行ってリフレッシュしてきたらしい。
夕日がきれい、空がきれい、海が青い、という普通のことにとても感動できたと言っていた。
その話を聞いていたらもう、今すぐにでも行きたい!と思った。私もイルカと一緒に泳ぎたい。
船で24時間くらい揺られてのんびりと行くんだ。
本をたくさんもって、好きな音楽も連れて。
よし、絶対に行く。
それも、9月に。
その子が言うには、7・8月は学生が多いけれど、9月は ちょっとワケアリの人が多いらしいのだ。
離婚して、子どもを連れてきている女性とか、6月くらいからずっと滞在している サラリーマンとか。そういう人たちに出会えるのも、楽しみ。


20001009

毎週日曜の夜は、ついつい「ちびまるこちゃん」と「サザエさん」を二本立てで見てしまう。
母に「幼児性が抜けてないんじゃないの」と嫌がられながらも、どうしても6時前になると いそいそとリビングのテレビの前に座ってしまうのだ。
私にとって、明日からまた仕事だぞ、と自分を切り替え始めるための儀式の ようなもので、見終わると「ハイ休日終わり」という気持ちになる。
今日は休日なので別に切り替えなくてもよかったのだが、やはり昨日も見てしまった。
10月ということで、どちらも運動会を題材にした話だった。
まること父ヒロシが二人三脚の練習のことでケンカして、お互い意地を張って「ふん!」とやっているところで わけもなく胸がきゅーん。うらやましい。いいな、と思う。
隣でイヤイヤ(?)一緒に見ていた母も「いいわよねえ、こういう親子関係って。楽しそうだよね」などと言う。
同じ土俵に立って本気で子どもとケンカしてくれる親って、いいなあ。父親というものと一度も 接したことのない私は単純に憧れてしまう。
酒飲みでいったいいつ出勤してるのか?と思ってしまう父ヒロシだけれど、私は好きだ。


20001006

私の住む駅前に、バイオリン弾きの男性が時々立っている。
昨日もいて、ちょうどしゃがみこんで調整をしているところだった。ああ、今日のステージは これからなのね、と思いながら通り過ぎる。
彼が立つのは、帰宅途中の人たちで混みあう階段の踊り場部分。通る人にとっては、結構邪魔な場所だ。
酔っ払いや気の短い人なんかに「邪魔だテメーコノヤロー」などと後ろから 蹴りを入れられたりはしないのだろうか、としゃがんだ後姿を見ながらふっと心配になってしまった。
バイオリンの音って、時々疲れた神経にさわることがあるから。(私も時々ヤメテクレーと思いながら 足早にそこを通ることがある)
ぎぃーっと調整前の音でやられるとなおさら、気持ちまでガチャガチャとひっかかれたような、イヤ〜な気持ち。 ごめんなさい、一生懸命弾いてるのにね。

ところで、
大人の男女が仲良くなるためには、ご飯を食べに行くことは第一段階として避けては通れないんでしょうか、やっぱり。
私も一応年頃の娘さん(自分で言うか)なので、たまには男性からご飯に誘われることもある。
それが、ちょっとだけいいなと思っている人の時だってある。
その場合、誘ってもらったという事実だけでもう、とてもうれしい。それは本当だ。
でも、うーん、めしか〜二人っきりでめしを食うのか〜と考えるとどうしても気が重くて、 さりげなく誘いをかわし続けて結局チャンス(?)を逃す。
どうして私はこう、かわいらしくきゃぴきゃぴとついて行けないんだ!と自分にイラついて、蹴っ飛ばしたくなって、 最後には落ち込んで終わるのがいつものパターン。
挙句の果てには逆ギレし、誘ってくれた相手に、大体なんでご飯に誘うんだよ〜と理不尽にも文句をつけたくなる始末。
行きたいのに、仲良くなってみたいのに、誘われた内容がご飯だとうれしさが半減して しまうこんな自分がつまんなくてちょっとイヤ。


20001005

夜、寝る前に音楽を聴きながら(もう椎名林檎やこっこも聴けるくらい気持ちも元気になった)ぼんやりと、 わけもなくしあわせだなあ・・・と思う。
なにがあるわけでもないけれど、そう思う。ほっこりしながら眠りにつくので、寝起きもかなりいい。
超リッチなわけでもないし、らぶらぶ(死語)な恋人がいるわけでもない。
友達と頻繁に遊びまわったり買い物するわけでもない。
はたからみたらもしかしたら地味でつまんない生活かもしれない。
だけれど、気持ちがとっても満たされている日々が続いている。
たぶん仕事が幸せだからだろうな。
仕事と、仕事に必要な技術を習得することに集中できる環境にきたことで、心から幸せを感じられるようになった。
母親も、
「今までは、無事に帰ってくるまで(職場でなにかされたんじゃないかって) 毎日心配でしょうがなかったけど今は安心」などと言っている。
たしかに以前は、心臓が荒くれ太鼓のようにドッカンドッカンと音を 立てているのが自分でわかるくらいの異常な緊張状態が続いていたから、帰ってくる顔も さぞかし険しく、こわかったのだろう。

今まで私を苦しくさせていたのは、仕事面でのことがこんなに大きく占めていたのか。
離れてみてやっと、「ああ、つらかったんだ私は」とキチンとわかった。その中に いる時はあまりに心が麻痺してしまっていたから。
離れてみて、わかること。それは人との関係もそうだな、と思う。
近くにいる時は見えない、見まいとしてきたことを、キチンと直視できた時。
「私はあの場所にいることが、つらかった」
「私はあの人と一緒にいて、つらかった」
そんな気持ちたち。
それらを自分の中で消化して、納得することができた時、また一段階心が強くなったように感じる。


20001004

今朝、出勤途中で見かけた女性が手にミネラルウォーターのペットボトルを 持って歩いていた。それだけなら別に珍しくも何ともない(私も家で作ったお茶を 入れて持参してるし)のだけれど、注目すべきはそのサイズ。
2リットルのペットボトル持ち歩くOL、ってけっこう不思議。
水飲みダイエットでもしてるのかな〜と思いながらつい後ろ姿を目で追うと、 なんと肩にかけている鞄にもあと2本のボトル(やっぱり2リットル)が。 この人いったい・・・と驚いていたら、コンビニのところで曲がったので 見るのをあきらめふっと目をそらしたその一瞬のすきに、鞄から手からすべてのペットボトルが消えていた。
そしてさっそうと歩いていく彼女の後ろ姿。
それで私はすべてを了解したのだった。
なるほどね、家で出たゴミをコンビニで捨てていったわけか。
どうしても捨てたかったんだね。
でも、生ゴミを出し損ねたとかならともかく、空のペットボトルなんて 腐るものでもないし、わざわざ運んでまで捨てなくてもいいのでは?
と、また新たな謎は残ったのだけれど。分別にうるさい大家さんでもいるのかな。(と、 想像をたくましくする私)
でも、コンビニや駅のホーム、デパートトイレのゴミ箱たちには、他にも 家で捨てられないものとか、捨てそびれたものなんかが結構詰め込まれていそうな気がする。
なにを隠そう、実は私も数回捨てたことがある。
一番最近捨てたのは、写真(切り刻むのもめんどくさいしどっちにしても家では捨てにくい) とそのフィルムだったような気がする、たしか。
捨てる時のことを考えて物を持つようにしたいとは思っているのだけれど (できるだけ捨てないですむように)なかなか難しい。その時はすごく自分にとって 価値がある!って思ってしまうのだから仕方ない。


20001003

ああーん、テレビが欲しい。ちゃんと全画面映るやつ。
画面の縮み度は日に日にひどくなり、とうとう画面下に出る字幕が 読めないくらいになってしまった。
親子揃って気がかりなのは「年末、紅白を見るまでもつだろうか」ということなのだが、 今の縮みっぷり具合を見ていると、ぜーったに、ムリ。
なので「年末までに宝くじを当てるか、テレビそのものを当てよう!(懸賞などで)」 というのが、目標として掲げられたのだった。がんばる。

仕事から帰ったら、掛け布団カバーが一面、クマに変わっていた。
赤地にクマ模様。なんともまあ、ラブリーなことよ。
あまりのことに仰天し、呆然とし、次の瞬間には引っ剥がしたくなったのだけれど、 でもこれは今使っているカバー (水色の細かいチェック模様)を洗ってるから に違いない、と思い直して文句を言わないでおいた。(下手に文句を言うと喧嘩になるので)
すると部屋から出てきたハハが「あれ見た?」と一言。
「うん、見た。でもカバー洗ってる間だけでしょ?」
「ううん、そうじゃないの。あまりにあんたが縁遠いから、こういうかわいいの どうかなあ、と思って。だってあんたの部屋、あまりに男なんだもん」
「・・・(絶句)私がああいうの好きじゃないって知ってるよね・・・?」
「うん、わかってる。でも、もしかしたら変わったかな〜、これでもいいよって言うかなあ、って思って」
「いや、変わってない(きっぱり)嫌だ、あれ。落ち着かないじゃん〜!」
「わかったわよ〜!とるわよとればいいんでしょ(と、ぷんすかしながら取り外しにかかるハハ)」
「・・・あのねえ、布団をクマにして縁近くなるんだったらとっくになってるってば」
「だってー」

・・・浮いた話題を提供できない娘ですみません。
でも正直なところ、母親と住んでいる間はわざわざ進んで恋愛しようとはしないんじゃないかな、と思う。
恋愛に浸って感情があっちこっちに飛び跳ねているところを見られるのは、恥ずかしいッス。隠すの下手だし。


20001002

私が今一番好きな芸能人(って言っていいのかな。テレビに出てる人)は TBSアナウンサーの安住さん。
もう、大好き大好き!
先月家で安静にしていた間は、午後の奥様番組の司会をしているところを 見ることができとーってもシアワセだった。
普段はもっぱら、日曜日のからくりTVに釘付け。(サラリーマン早調べクイズ)
外見ももちろん好きなのだけれど、なんといってもあの言動がたまらない。
酔っ払ったサラリーマンにからまれて正直にいやーな顔しちゃうところとか、 彼女のことを愚痴られて「じゃあ一度別れてみるっていうのはどうでしょうか」 と暴言を吐き、そのあと「自分でも(言ってから)びっくりしました」って 言ってしまうところなど、もう、ツボにはまりまくり。
「あー一度でいいから実物に会いたいよう!」と叫ぶ私に、
「じゃあ、TBS宛にファンレターをだしたらどう?」と、ハハ。
「ギバちゃん(柳葉敏郎)だってファンのコと結婚したし、 他にもそういう人けっこういるらしいわよ、つきあってすぐに 結婚しちゃうみたい。長い間つきあって結婚しても別れちゃう人もいるんだし、きっと そういうのって意外とうまくいくのかもしれないわね〜」
「でも、ファンレターってどういうこと書けばいいの?」
「まず、『私は真面目なOLです』って書いといた方がいいね」
「・・・それ、ヘン(そう書く方がよっぽど不真面目そうやんけ)」
「で、月に一通くらい出したら」
「だからなに書くのそんなに頻繁に」
「今日していたネクタイは似合ってましたね、とかさ」
「それじゃあストーカーだってば・・・」
「じゃあ、その日あったことを書く!」
・・・どっちにしてもコワイよ。
こんなくだらないことを延々と話し合ってしまった私たち親子っていったい。(と、 ちょっと我にかえる)
でも、ファンレターを出すまではいかなくても、サラリーマン早調べクイズをやっている 新橋とか新宿で張り込みするくらいのことはやりたいくらい、ファンなのです。


20001001

私にとっての2000年9月は、「なかったこと」に決定。
9月が終わって本当にうれしい。大晦日から元旦になるまでくらいのすがすがしい気持ちで今日をむかえたほど。
気分を変えたい気持ちがあまりにも大きくて、昨日の夜は髪の毛を黒めに戻してみたり、前髪を切ったりした。
今月は大好きなスガシカオのアルバムも出ることだし、きっと良い月になるに違いない。(と、勝手に決めた)

最近時々、自分の週末の過ごし方ってどうなんかな・・・と思う。
私にとって自分の部屋は世界で一番好きな場所で、部屋にいることが最も幸せな休日の過ごし方だ。
でかけるのも楽しいけれど、それはやはりたまにで十分。 でも、常にあちこちでかけたり活動している人達から見たら、信じられない過ごし方なんだろうな。
私もなにかやった方がいいのかな、などとちょっと焦燥感のような気持ちに駆られることもあるけれど、 それは結局自分に無理をさせることになるので、しない。そしてしばらくしてまた感じる焦燥感。(の、ようなもの)
その堂々巡りを繰り返している、どうもスカッとしない私。
遊ぶことに活発な人たちは自分の知らない世界を見ているんだろうな、と思うと うらやましくて、自分もどこかに足を踏み入れたい気持ちにはなる。ただ行動に移すパワーにまではならないのだ。

そんなへなちょこな私だけど、近頃少しずつ自分の行動範囲を広げようとしているところ。ただし、平日限定なので、 休日の過ごし方には反映されなさそうだけど。
今、体調も治ったので食べることがとても楽しい。なので、せっかくだし平日のお昼ご飯を もっと楽しみにできるといいなと思い、先週は職場の人達がよく行くというおいしい店でお弁当を買ってみた。
もう少ししたら、思い切ってたまには外食ランチにもチャレンジしてみようかな。
そんな気持ちになったことに、自分でもちょっとびっくり。
というより本当はそういうのが普通だったのかな、今までの自分がちょっと気持ちも身体も病んでいたのかも しれないぞ、とふと思った。昔の日記を読み返したら、なんだか苦しそうだし。 この人辛そうねえ、とまるで他人事のように昔の自分を眺めてしまった。
やっぱり人間は、ちゃんと寝てちゃんとおいしいご飯をもりもり食べて心身共に健康でいなくちゃダメだ!
と熱く語りたいような気分。
しょっちゅうおなかをこわしたりご飯を食べられなかったりすることは、カッコ悪い。そういうのはもう 卒業したい。
身体をこわしたことでいろいろ悟ったようだ、どうやら。


diary index | ←200009200010200011