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20001130

昨日の帰りに江國香織の本を買い、「明日から読み始めよう」と楽しみにして寝たせいか、彼女の夢をみた。
なぜか、彼女が私の卒業した大学の講師をしており、大学まで会いに行った、という設定。
「私の本はどう?」と聞かれ
「うまく言えないんですが、大学時代に比べ、今の方が、読んだあとに小説の内容が 自分の中にしっかり染み込んでくるような気がしています」と答える。
それからたわいもない話をしながら二人で食事をした。話題はもっぱら、大学周辺の景色や街のことなど。
「夜は、電灯がほとんどないので本当に真っ暗なんです」と自分が学生時代に住んでいたアパートへの 帰り道を説明したりもする。
その他にもいろいろな話をしたのに、目が覚めたら忘れてしまっていた、もったいない・・・。
そして、気がつくとまったく同時にご飯を食べ終えていて、思わず
「うれしい!私、人と一緒にご飯を食べていて、同じくらいに食べ終わったことってほとんど ないんです〜」と叫ぶ。
「どうして?」「食べるのがもともと遅い上に、相手が話している 間はつい、食べる手を休めて聞いてしまうことが多いから」
そして場面はかわり今度は雑貨屋に。彼女は黄色いアヒルのキーホルダーを買っていた。(これは、 週末に行った代官山の雑貨屋のイメージがそのまま出てきたのだと思われる)
そんな感じでのんびりと一緒にいることを楽しんで、まだまだ二人でいたかったのに、 そこで時間切れ(目覚ましが鳴った)。
ちゃんと、別れるところまでみとどけたかったのにな、とちょっと心残りだった。
もちろん、実物に会ったことなんてないのだけれど、夢の中の彼女と話して、さらに 好きになったような気がする。声も聞いたことがないのに、少し低めの 静かに話すトーン、そして話す時にこちらをまっすぐにみてくれた目も、くっきりと記憶に残った。


20001129

キムタクの結婚、どうやらみんなあまり祝福はしていないらしい。
私は別に工藤静香のファンではないけれど(いや、実は中学時代はかなりファンだったけど) そこまでボロクソ言われるほどの人ではないのでは。 言いたいことはっきり言うし、自分の世界も大切にしているみたいだし。
あちこちで、「(キムタクを)たぶらかした」みたいに言われてしまっているのが ちょっとかわいそう。年上&すでに赤ちゃんがおなかにいる、っていうのがまずかったのかな。 それがまた、策略だわ!と感じさせる要因になってしまったのかも。
でも、もし彼女がなにか策略めいたことをしたのだとしても、それにひっかかった(?) のは彼なわけで。監禁してムリヤリ婚姻届に判を押させたとか、そういう手段を使ったのなら 非難されても(あ、その前に捕まるか)仕方ないけど。
それに、これは男女問わず言えることだと思うけど、好きな人ができたら誰だって、 その相手と少しでも仲良くなったり関係をうまくいかせるために、多少の差はあるにせよ 計画(策略というと人聞きが悪いので)をたてるくらいのことはする。
人を傷付けるとか、大きな嘘をつくとか、そういう悪どいことをしたのでなければ、 その計画というか行動を責めることは誰にもできないと思う。
それにキムタクだってもう28歳で立派な大人なんだし、それをつかまえて「たぶらかされた」もないのでは?と ちょっと首をひねったのだった。

どんなに周囲の人間が心配しても、とめても、本人が納得しない限りは結論ってのは出ないものだ。


20001128

キャーッ、イライラするーーーーーーーーーーーーーーーっ!!

って、叫びたくなること、きっと誰にでもありますよね。
そんな時、人の目も、迷惑も気にせずに思いっきり叫ぶことのできる場所が あったらいいのになー、なんて思いながら、頭の中で何度も絶叫して憂さ晴らし。
足を踏み鳴らしながら。帰り道に突然全速力で走ってみたり。
カルシウムが足りないんだな。チーズを食べよう。(週末に買い置きをしておいた)
仕事のイライラを家庭に持ち込むなんてサイアクだもんね(夫のカガミ)。 自分のとげとげを人に投げつけることだけは避けたい。
そして人から投げられたとげとげも玄関でぱんぱん、と払い落として、と。
最近、人からぶつけられた感情を受け取らずにばっさり切ったりよけたりすることが上手になったような気がする。 いちいち巻き込まれちゃいられないというか。
年末だし、そろそろみんなてんぱったり気持ちがささくれ立つ時期でもある。 そんな時こそ、言動には慎重に、慎重に。
でも、仕事からぴゅっとまっすぐに帰ってしまうとどうしても、しばらくの間は神経がたっていて がちゃがちゃしていることが時々ある。中身が浮ついていて、自分の中におさまっていないような気がするのだ。
小さな自分が頭の上で飛び跳ねて、太鼓を鳴らして暴れているような感じ。
しかたがない、ご褒美をあげよう。
と、いつもなら明日のことを気にしてできるだけ 早く眠ることを優先するのだけれど、昨日は特別に、時間を気にせずのんびりと本を読むことを許した。
しばらくすると自分の中にすとん、と落ち着きを取り戻した自分が帰ってきたのがわかる。ああ、よかった、これで眠れる。
いつもより睡眠時間は短かったけれど、今朝はなんだか心身共に軽く、スッキリしていた。

昨日帰ったら、コタツの私の座る場所のあたりにちょこん、と100円玉が置いてあった。
「?」と思ってハハを見ると、「あのね、昼間ね、どうしても甘くて冷たいものが 食べたくなってね、あんたのアイスを一個もらったの・・・」 「ふーん。で、どれを?まさか・・・」「うんとね、キャラメル味のやつ」 「えーーーーーーーーーっ、なんでーなんでーあれすごい好きだから食べないで とってあったのにーーーーーーーっ」「いや、でも、2つあったし、他のは一個しかないから だめかなと思って」「他のはどれ食べてもいいけど、キャラメル・・・(ショックを受けている)。あれって 病院の売店で買ってからずっと大切にとってあったんだよー?なかなか売ってないんだから、キャラメル味は」 「うう、ごめんてば。でもさ、そうやってとっておいても 明日大地震が起こって食べられなくなるかもしれないじゃないー?」 「そりゃあそうなんだけどさ・・・」
アイス一個でここまでムキになる自分があまりにも子どもじみていて 我ながらおいおい、と思ったのだけれど、 でもそんなくだらないやりとりがなんだか楽しくて、わざとしつこくだだをこねて困らせてしまった。


20001127

時々、母の中に「親に愛されたかったのにそうしてもらえなかった子ども」 の部分を見てしまうことがある。母の心のすみっこで泣いている小さな子どもの姿が、見えるような気がするのだ。
どうしても埋まることのなかったぽっかり開いた空洞の部分、寂しさに触れてしまったと感じて、つらい。 ぽつりぽつりとごくたまに話してくれるその内容(プライバシーに 触れてしまうので詳しく書くことはできないけれど、もし私が同じことをされていたら 絶対にグレたり他人を傷付けたりしているんじゃないかな、と思ってしまうくらいのこと)と、 母の傷の深さに気絶しそうなくらい悲しくなるし、なにもできない自分を責めたい気持ちでいっぱいになる。
祖母はもういない。
亡くなるその最期の瞬間でさえ、母は欲しい言葉をもらうことができなかった。
そしてそれらはいまだに、母の心に深い傷として残っているのだと思う。

その相手がたとえ目の前からいなくなっても、会わなくなっても、もしかしたら 死んでしまったとしても、その人から与えられた傷だけは残ることがあるのだ。
相手を深く傷つけ、関わった証を傷として残すことで、その人の心の中に自分を 生かし続けるという方法もあるのかもしれない。そんなばかげたことを思った。
無難に過ぎていった人のことはたぶん、真っ先に忘れてしまうから。


20001126

どうやら私と代官山は、やはりあまり相性がよくないらしいことが判明。
何度かチャレンジしてみて、そのことが昨日改めてはっきりわかったので、 もう、いいやという気持ちになった。

地元の友達と、夏に新しくできたアドレスに行ってみようという計画を立てて、1ヶ月くらい前から楽しみにしていた。
久しぶりの連れアリの散歩。朝からわくわくしていて、自転車に乗って行くから あったかい格好しないとね、と大好きな赤いセーターとジーンズ、上にベージュの コートを羽織った。
職場の空調があまりに暑すぎるために いわゆるセーター(薄手のニットではなく、しっかりと毛糸感のあるもの)を着られるのは週末だけになってしまった。
つまんない。こんなに似合っているのに職場には着ていけないなんて。
と心の中でぼやきつつもうきうきと出発。
駅前にたどり着くと、まだ午前中だというのにものすごい、人人人。二人してのけぞる。
「おいおい、どうしたんだーいったいなにが起こってるんだー」と 口々に言いながら、とりあえずアドレスへ行き、ひと回りしてから お昼ご飯。
ランチセットで、3品くらい選べるようになっていたのだが、 それぞれがぽつりぽつりと出てきて次のものが出てくるまでに異常に時間がかかったため、最後にメインが出てきた時には二人ともすでに おなかがいっぱいになってしまっていて、必死に食べたのだけれど少し残してしまった。
それからまたぶらぶらと散策したが、中に入っているブランドたちのどれもこれもが、 私たちの普段にはまったく縁のないようなものばかりだったので、気分はいまひとつ盛り上がらず。
「やっぱり、わからない、どうしてこんなにみんなが代官山に来るのかが」
「うん、わからないね・・・ここって、気分を味わうために来るところなんじゃないの、きっと」
という結論に達する。
もうここはいいや、と今度はお茶をしようと前々から行きたかったケーキ屋に向かったが、 こちらも長蛇の列。もう、げんなり。
「なんかさ、地元なのに、休憩するためにこんなに並ぶなんてなんだか腹立たない?」
「うん、そうだね」
と、結局断念し、根性なしの私たちは、結局当初たてていた計画の半分も果たせないまますごすごと 代官山に敗れ(?)帰ってきたのだった。
「私、代官山を散策するのが大好きなんだ!っていう人とは絶対につきあえないと思う、だってこんなに 疲れるのに、やだもん」
「あ、私も〜」
「あれだね、ここにくるときには、いろんなお店にすごく詳しい友達に連れてきてもらえば 私たちでも楽しめるんだろうねきっと」「うんうん」
でも、それだとしても、年に1回か2回くらいで充分だ・・・。

夜、ハハと一緒に「恋のから騒ぎ」を見る。
その直前まで、ちょっと重い話をしていたので、寝る前には笑っておこうというのが我が家の暗黙のルールだったりする。
そして番組が終わると、どちらからともなく立ち上がり、寝る支度。
ここで、相手よりも早く「おやすみ」を言って自分の部屋にひっこんだ方の勝ち。
負けた(出遅れた)人はテレビを消したり、電気を豆電球に切り替えたり(インコがこわがるので 夜中ずっとつけているのだ)後片付けをしなければならない。
たまに、ハハが無言で自分の部屋に引っ込み、また戻ってくるものと思っていたら そのまま眠ってしまったらしく私が片付けるということもあるけれど、今のところ、この勝負(?)にはたいてい私が勝っている。
昨日もやはり私の方がすばやく自分の部屋に足を踏み入れた。
「なんか私、いっつも最後に後片付けをさせられる掃除当番みたいじゃない〜?」と 嘆くハハ。そう言われてみると電気を消したりする姿が確かにそんな感じで、思わず笑ってしまった。


20001124

水曜日は、昨日読む本を買うために絶対に早く帰ろうと定時前からスタンバイOK、 急ぎの仕事もない状態にして準備万端整えていたのに、そういう時に限ってくるのが仕事というものの意地悪なところ。しかも 休日前ということで絶対に終わらせていかなければならない。
職場を出たのはすでに本屋はとっくに閉まっている時間で、やさぐれた私はコンビニで雑誌を衝動(?)買い。 休日を前に盛り上がっていた気持ちは、本を買えなかったために一気に盛り下がったのだった。
仕方なく、部屋の本棚にある本をパラパラをめくってみたりもしたのだが(ぼーっとしつつ合間に 本を気ままに読むのが好きなのだ)、新しい本を読む気満々でいたのでどうもピンとこない。
なので、昨日はただただごろごろと寝そべりひたすら社会のゴミと化していた。
もう本当になーんにもしなかった。
土曜日みたいに食料の買い出しに行かなくてもいいし、済ませなければならない用事もないし、 部屋の掃除は日曜にやると決めているから、焦る気持ちもなく、ゆったり。
でも、本当はこういうのこそ純粋な休日よね〜、などと思いながら、幸せな気分で「ぼーっ」を満喫した。

仕事をしている平日、「今日は捨て日にしよう」と決めることが時々ある。
肩のチカラを抜いて淡々と最低限の仕事だけしよう、と決めてしまう日。
もし、自分が持っている仕事が終わってしまったら、ちょっとのんびりしていてもいい日。それが捨て日だ。
そう決めると気持ちが楽になる。職場へ向かう足取りがちょっと軽くなる。
そういう日が、たまにはあってもいい。メリハリは大事だ、長く続けていくためには。


20001122

500円貯金をしている。
でも、貯まったためしがない。
給料日前になるとお昼代すらあやしくなってくるため、 ついついそこから着服してしまうのだ。毎月の月末にある程度まとまって 貯まっていても、そのうちの半分くらいが給料日前の一週間で消えてしまう。
全然、貯金になってない。これじゃあ単に「500円玉をよけてる」だけだ。
缶切りじゃないと開けられない貯金箱で貯めていたこともあったけれど、 缶切りだろうと何だろうと、開けられるなら開けてしまうのだ、切羽詰まった時には。
なぜならここから使わなければ、ただでさえマイナスになっている残高がさらに マイナスになってしまうから。それは避けたい。
ということで、缶で貯めるのは挫折。今は大学時代にディズニーランドで買った、ブタの貯金箱で貯めて(よけて)いる。
貯めたことのある人によると、半年で8万くらいは貯まるらしい。確かに 気がつくと1ヶ月で1万くらいは貯まっているから、それくらいは楽に貯まるはずなのだけれど・・・。 8万あれば、今私が欲しい電気製品がほとんど全部買えるぞー。まとめて買ったら 「これ一緒に買うからまとめて値引きしてクダサイ」とか店員さんにお願いできそうだし。
がんばろう。
来年の目標の一つに「500円貯金を達成(どこがゴールなのかはよくわからないけど。 貯金箱が満タンになったらゴール?)すること」を入れることにしようっと。
今はまさに給料日目前で、やっぱりお昼代は500円貯金から使っている。
転職をして以来、図書館に行けなくなったことで本代が跳ね上がった、プラス お昼をしっかり食べるようになって毎日600円くらい使ってしまっていることが さらなる金欠の原因になっているような気がする。昔は 昼代200円くらいでおさまってたからなあ。時には100円とか。(栄養食品を薬屋で 買いだめしておくとそれくらいですむ)あああーエンゲル係数が高い〜。
と、少し反省して、今日は昼代を500円以内におさめることを 目標にしてみた。パンならけっこうそれが簡単にできる。
今日のお昼は、神戸屋のパン2つ。367円なり。うん、これくらいなら 身分相応(?)な気がする。昼に600円くらいかけることは、私にとっては贅沢しちゃったよーという感覚なのだ、まだ。
500円を出しておつりがくる。最近ずっとお弁当を食べていて、 毎回必ず500円を越えてしまっていたのでちょっとうれしくなり、思わず「やればできるじゃん、私!」 と心の中で自分で自分を誉めてしまった。

そう、本代。
本を買うのを(というか本を読むこと自体を)やめれば、たぶんそれだけで年間20万は 軽く貯まるんだろうな、とフト思った。
でも、それだけはできない・・・。
だって、本は私のご飯だから。(食べる)ご飯代は切りつめることができても、本を買うお金だけは 切りつめられないのだ、どうしても。
本代だけは、けちらない。
それは私の中での決まりごと。
それさえ満たされていれば、気持ちはいつも豊かでいられる。


20001121

昨日の夜「やまとなでしこ」を見ていたら、
「お金では絶対に買えない、大切なもの。それさえあれば幸せになれるもの」
があるというセリフが出てきた。
お金では絶対に買えなくて、それさえあれば幸せになれるもの・・・
はて、なんだろう。
と、桜子と一緒になって考え込んでいたらハハに、
「なんだかわかるよね?」と尋ねられ、すぐには答えられずにいたら、
「26年も生きてきてそんなこともわかんないのー?信じられない」とあきれたように 言われてしまった。
まさか愛、とか言うんじゃないだろうな・・・それは絶対に違うと思うぞ。
と、ぶつぶつ思いながらお風呂に入り、突然ひらめく。「そうか、わかった!」
お風呂から上がって意気揚揚と「わかったよ、健康でしょう?」と言うと、
「半分正解。あんたの言うのは身体の健康のことでしょう?心も健康じゃなきゃ」
「心身共にの健康、ってこと?お金で買えなくて、それさえあれば幸せになれるものって」
「そうよー。だっていくら身体が健康でもお金持ちでも、気持ちが健康じゃなかったら、 しあわせだって感じられないでしょ?」
なーんだ。そっか。それでいいのか。(ちょっと拍子抜け)
「今、どう、気持ちは幸せだと思ってる?」
うん、幸せだと思えてるよ、だいじょうぶ。

ただね、ひとつだけ、取り戻したいものがある。
それは、誰かを好きだと、大切だと思えるココロ。
自分の人生から、いなくなってほしくないと思える強い気持ちが欲しい。

私の中に、そういう気持ちが生まれかける。
あたためて大切に育てようとする。
でも、私は自分の手でそれを潰す。
いつも、いつも。


20001120

もう、寝すぎ、私。
眠くなったら寝るし、食べたくなったら食べる、という本能のままにもそもそと動いて、
ただひたすら、眠い動物と化していた、この週末。

土曜日はとってもいい天気で、絶対に散歩にでかけようと決めていたのだ。
まずは豆乳などの買い出しに。自転車ででかけたので、行きがけにあるキャッシュコーナーで お金をおろそうとしたら、万単位じゃないとおろせない所だった。
私は4千円をおろしたいの!それ以上はいらないしおろしたら使っちゃうから駄目なの! と、しばらくあがいてみた(0.4万円とか指定できないかな、とか←あきらめ悪し)けど駄目だった。
万札おろさない客は相手にしないっちゅうことかい、 とちょっとムッとしながらも仕方なく駅ビルまで行っておろす。そしてその流れで当然のように本屋に寄ってしまい、5冊購入。
最近、毎週5冊くらいずつ買っているような気が・・・本代が・・・。
それから買い出しをすませ、一度帰宅。天気もすごくいいしあったかいし、 パンを食べたら散歩に行こうと思っていたのに、パンを食べ、本を一冊読んだところで気絶するように眠ってしまう。
布団を干していたので、毛布に頭からすっぽりくるまって、まるでなにかの物体のように。
結局、そのままその日は外に出ることはなかったのだった。ああ、もったいない・・・せっかくの晴れが。
寝るだけで休日が終わってしまったことにがっくりきていたら、
「明日は早目に起きていろいろやればいいじゃない」となぐさめられる。
そして昨日。一応昼前には起きたものの、お昼を食べ、部屋の掃除をして本を一冊読んだところで また、眠ってしまう。起きたらすでに夕方で、お風呂に入って少しテレビをみたらもう一日終了。
なんなんだこの暴力的な眠気は。身体の奥底から切望されているような眠りへの飢餓感は。
そう思って不思議にもなるが、結局のところ、今の私の身体には睡眠が必要だということなのだろう。

最近、身体の声に敏感になろうと努力している。耳を傾けてあげれば必ず、自分の状態や 一番欲しているものを教えてくれるはず、と思うようになった。
それは特に、食べ物に対してが多く、今何が食べたい?とちょくちょく自分に問い掛けてみている。
土曜日も、スーパーを見て回っていたら突然、「チーズが食べたい、どうしても食べたい!」という ものすごい衝動に駆られ、とても久しぶりに買ってしまった。食べたい、と思うということは 身体が欲しがっているのだと思い、素直に食べるようにしている。甘いものが食べたいという 欲求も、そういう時だけ従うようにしてのべつまくなしに食べるのでなければ、デブデブに なるということはないのではないかと思うのだ。
こうやって食べるものへの欲求が戻ってきたのは、転職して、お昼ご飯をきちんと食べるようになった からかもしれない。今までの約3年、栄養食品やカップうどんなど、食事とも言えないような ものを毎日お昼に食べていても何とも感じなかった時点で、私の心身はどこか狂っていたのだろう。
だから、なにかを食べたい!という気持ちが起こることは、私にとってはとてもうれしいことだ。
ところで、私が最近「あー大人になって、自分でお金を稼げるようになってよかったナー」と思うのは、 食べたいものを自分で買った時。大学時代に一人暮らしをしていた時だって、自分の食べ物は自分で 買っていたけれど、その時は親のお金で食べさせてもらっていたわけで、重みが全然違う。
食べ物に自分のお金を使うのって、なんだかリッチな気分になる。
特に、デパ地下でお菓子やケーキなどを買った時なんて「私って、おっとなー」なんて思って わくわくとうれしくなってしまうのだ。
ちなみに、今度の給料日あとには、絶対に渋谷のデパ地下であのモンブラン(アンジェリーナの、脳天が 溶けそうなくらい甘いやつ)を買って帰るつもり。あー楽しみ。


20001117

デジカメで時々、自分を撮ってみる。そのことで自分の普段の表情を客観的に見ることができるようになった。
ああ、オソロシイ。
写真を撮られる時みたいに気合のはいった顔じゃなく、まさに普段の顔で自分を写しているので、ごまかし(?)が きかないのだ。
「ああ、いつもみんなは私のこういうツラを見ているのね・・・ごめんなさい(なぜかあやまりたくなっている)」 という気持ちになる。
顔の造作がどうとかいうのをふっ飛ばして、表情がのっぺりしているのだ私は。
そしてぼんやり。
きれいな人とか表情が豊かな人って、なんだかその人自身の輪郭がくっきりはっきりしている気がするのだけれど、 私は思いっきりぼやけている。たぶん犯罪を犯したとしてもモンタージュ写真とか似顔絵つくりにくいだろうな、と 思うくらい、特徴のない顔。自分でもかけないもん、自分の似顔絵。全部犬になっちゃって。
くー、もっとくっきりした、似顔絵になりやすい顔になりたかった。

今の職場にくると、みんな格好がカジュアルに、ラフになるらしい。
私の一ヶ月前に入社した子もそう言っていた。
「だって、おしゃれしたってしょうがないんだもん!」
ごもっとも。
なんせ人目に触れない仕事ですからな。
隣の席にいる人の格好でさえも、下手すれば覚えてないくらいみてないよ。 見たとしても上半身だけだよ(座っているから下半身はみえない)。
はっきりいって、職場の中ではジャージでもいいのでは?と思うほど。
トイレやお茶汲みに立った時だけ、人目につかないようにさささーっと走ればヨシ。
それくらい、おしゃれのしがいがない。
前の職場にいたときは、
「今日は憧れのあの人が来るからスカートでかわいめにしていこう」とか 下心ありのわくわく感があって楽しかったのにな。(わかりやすすぎ)
私も油断すると、どーでもいい格好をしていきそうになる、つい。ラクだし。 見てくれるのがパソコンのディスプレイだけだと思うとどうしてもねえ。
でも、職場のオトコノコにある日、
「俺はそういう格好(しばらくジーンズ続きだったあとに珍しくスカートをはいていた)が好きなんだよねー、オンナノコ」 と言われ、ああこれではいかんラクに流れるのはまだまだ早い!と目覚めた私。おかげでまた、 『一応社会人に見える格好』をテーマに頑張りはじめたのだった。
とりあえず、自分が全身鏡を見たときに、「あーあ」と思わないような格好をしていたい。
ユーミンの歌じゃないけれど、冴えない格好をしている時に限って好きな人とかにバッタリ会ってしまうとか、 そういうことだけは避けたいわっ。


20001116

仕事でガーッとHTMLばっかり書いたり見たりしていると、どうも自分のページに ちょっかいを出したくなる。ただ、このページはどう頑張っても気に入っていて変えたくない (本当に頭破裂しそうになるくらい考えたし調整を繰り返したし)ので、ガツンと 180度リニューアルするのはちょっとムリ。だけど、改良はしたい。
なので、ハタからみたら気がつかれないのではないかと思うようなところ(ソースをきれいに するとか)をこまこまといじっております。
その作業に伴い、この3年分の日記をざざーっと読み返したりもしたのだけれど、それで わかったことは、「私の生活の中で、CDの存在がとても大きい」ということ。
やたらと、「CD買った」「CD欲しい」「CD借りに行った」「CD売った」 などなどの単語が出てきたので自分でもびっくりした。
本とCDを楽しみに働いてるんだねえ。昔も今も。

夜、ヘッドホンでスガシカオの曲を聴く。 どれも大好きだけど、今あまりにも好きすぎてドキドキしてしまうくらいなのは、 「AFFAIR」という曲。この曲はドラマの主題歌にもなっている。
メロディーも、歌詞もすべてが気持ちに響きすぎて、心が揺さぶられて静かに泣けてくる。
悲しいというのではなくて、むしょうに「ああもう、どうしようもない」という気持ちになって くるのだ。
自分の身体の毛穴という毛穴から、感情が噴き出してくるような気がして、じっとしていられない。
それらを持て余して突然、「ウワァーッ!」と叫びたくなる。(それじゃあ単なるアヤシイ人だよ)

そんなことがたびたび起きて
悲しい出来事が静かにやってきたんだ
(スガシカオ「AFFAIR」より)



20001115

昨日の夜ハハが教えてくれたのだが、成長ホルモンというのは、どんなに年齢を 重ねた人でも出ているらしい。
もちろん、いまさら背が伸びたりするわけではないけれど、それをたくさん出すことによって、 若さが保てるらしいのだ。
寝る寸前は、「あー小腹がすいた、なにか食べたいな」と思うくらいの状態でいるのが好ましいのだそう。
そうすると深い眠りが得られるので、成長ホルモンが出やすくなる、とのこと。
おなかいっぱいな状態で寝てはいけません。

最近、表にあらわれる症状、例えば肌荒れとかもんのすごいクマとかだけではなくて、 内臓の健康が気になってしかたがない。本とか読むと、「(肌荒れやクマがひどいのは) 内臓が疲れているからです」みたいなことが書いてあったりするし。
ああ、気になる、内臓のことが。


20001114

今の悩みはズバリ、「足のむくみ」。
メデュキット(で名称合ってるかな。足のむくみをとる長い靴下みたいなやつ)がほしいいいいいいい。
立ちっぱなしは絶対むくむけど、座りっぱなしでもむくむんだね〜、知らなかったよう。
座りっぱなしで水分をキチンと取っていると、徐々に足がむくむくと膨張していくような気がする。 でも、水分不足になると肌は荒れるしおなかの調子も悪くなるし。
一応、対策として、今までは夜にたくさん飲んでいたお茶を朝起きてから飲むように したのだけれど(帰宅時間が遅くなったため。水分とったあとすぐに寝ると大変なことになるので)。 でもむくむ時はむくむね。
昨日の夜はあまりの足のだるさになかなか眠れなくて、えいや!と起きてサロンパスを足にべたべた貼り付けて寝た。
むくみはね、ほっといたらいけないんです、そのまま太くなっちゃうから。
ただでさえししゃも足なのに、これ以上たくましい足になってどうする。(大弱り)

なんだか身体のあちこちが、「体調悪いわけじゃあないけど、なんかつらい」状態になることが多いな。
こうやって、だましだまし自分の体調の悪さをごまかして引き伸ばしながら 働いていることって、なんなんだろう、とつい思ってしまう。
社会人、みんなそれぞれ仕事がタイヘンで、そろそろ何年分かの疲れも出てくる頃。最近は 身体を壊してしまった人の話をよく聞く。倒れた話とか、それこそ入院とか。
「身体を壊してまで仕事ってしなくちゃいけないものなのかなあ」と、思わずハハに向かってつぶやいてしまった。
「じゃあ、どうなればいいと思うの?」と母に尋ねられたので、
「まず、残業をしなくてもちゃんと生活していけるだけのお給料がでるようになること。 それから、定時までに終わらないような仕事を無理矢理やるんじゃなくて、その残業分、 人を雇えばいい。職に就けない人はいっぱいいるんだから。一方で就職難と言いつつ、 その一方で残業ばかりしていてからだを壊す人がいるなんて絶対おかしい」と、素直な気持ちを熱く語ってしまった。
でもそれを実現するには、総理大臣にでもならなきゃ、ムリだよね・・・。


20001113

金曜日も日またぎ仕事(超残業のことを心の中でそう呼ぶことに決めた。そう呼ぶとなんだか 楽しげでショ)だったので、土曜日はとにかく起きるのもなにするのもつらくてしかたなかった。
でも、必死に支度をしてでかける。
職場の人が趣味で写真をやっていて、その展示会を見てみたいと思ったので まずはそこへ。ものすごい写真の数に圧倒される。写真の力ってあるのだな、と実感した。
なんでもないような光景でも、写真になるとそれぞれが力を放ちはじめるのだ。 例えば人形を撮ったものなら、そのたたずまいがどうしようもなく可愛く感じられる。
風景よりも、人を写した写真が好きだ。自分が撮るときも人を写すのが好きで、 その人の一瞬の表情をつかまえた!と思えたときってホントにわくわくする。 その瞬間はもう二度とこない、とわかっているからよけいに。
だから、自分の写真を撮っておくこともけっこう楽しみにしている。自分の顔うんぬんではなくて、 その瞬間の自分の姿を眺めることがおもしろいから。
受付で、普通に撮ると9分割の写真になって現像されるおもちゃカメラを見つけて思わず 衝動買いしてしまった。私は分割された写真に弱い。プリクラも16連射で撮影できる機械を見つけると 必ず撮りたがるし。これなら、友達を写したりした時、現像してすぐに ジョキジョキ切ってプリクラみたいにすぐ分けられるな、などと使い道を考えてわくわくした。

・・・私の中には、「なにかを形にして表現している人」への憧れの気持ちがとても強い。 自分にそういうものがないので、とてもまぶしく感じられるのだ。
その反面で、なにももっていない自分がからっぽに思えて少し悲しくなることもある。
自分にはなにもない。
それはわかった。
じゃあ、何がしたいのか。何ならできそうなのか。
自分の中に、熱い思いがあったらいいのに、と切実に思う。
すべてにおいて、私は中途半端なんだよ。
最近はそのなにかを見つけたくて、はやく見つけないとこのまま終わってしまうような気がしてきて、 「私は何がしたいのか、何が好きなのか、何に打ち込みたいのか」としょっちゅう 自問自答しているのだけれど。未だに答えはみつからない。

展示会を見たあと、渋谷へ。まずビックカメラへ行き、念願の、大きなヘッドホンを買った。ここではちゃんと視聴してみることが できたので。ヤッタア。
それから、前の前の職場の友達と2年ぶりくらいに会い、会わなかった間の積もりに積もった話をする。
仕事のこと、恋愛のこと、健康のこと・・・年齢を重ねていくことは、考えることも 増えるし、なにももたずにはいられないということだ。みんな気持ちのどこかになんかしらぶらさげて生きている。
この年になってくると、お互いいろいろあるね〜、と、顔を見合わせて苦笑い。
なーんもない人生なんてないよねーって思う。誰にとっても生活していくことはしんどいんだよ〜。
友達としてなにかできることなんてたかがしれているから、とにかくお互い、別々の場所で 頑張ろうね、と決意を新たにするくらいのことしかできないのだ。
でも、それでいいんだと思う。べったりの友情はできない。そんなの、他にすることのなかった 学生時代くらいまでのことだ。今はみーんな自分のこと、それぞれの場所で必死だからね。
今度会う時までに、もっと好きな自分になっていたい、もっと元気な顔で会いたい。そのために怠けずに頑張ろう。
そして、「健康は大切に」。
これが二人の合言葉になってしまった。偶然にも二人共、最近体調を大きく崩してつらい思いをしたので。

もっと人に会わないといけないと思った。一人で過ごすの、大好きだけれど、 意識して感情を動かしたいのなら、人に会わなくてはイケナイと。
彼女を目の前に、話したいことがどんどんあふれ出て、普段思っていることを 話し言葉にして外に出すことの気持ちよさを実感した。それは文章を書くのとはやはり違う。
働いているとなかなか友達に会う時間がすんなりとはもてないし、その分メールで連絡はとっていてあらかたの相手の状況はわかっているから、 もう、わざわざ必死に時間のやりくりをして会わなくても別にいいんじゃん、なんて気持ちになることもあるのだ。 とりあえず元気でいることはわかってるし、それで十分だよ、と思ってあきらめてしまったりする。
でも、今回久しぶりの友達に会ってしみじみ思った。
やっぱり、大事な人とは会って、顔を見て話さなくちゃ、一緒にいる時間を共有しなくちゃだめだ。
人との関係も、やっぱりライブが一番。
会えて本当によかったな。

その夜、そういえば、酔っ払うってどんなんだったかな、とフト思い、 風呂上がりのビールを久しぶりに飲んでみた。
あーしみる。350ml缶の半分くらいでもう頭がぐるんぐるんまわり始めた。
最近は休日でも完全には緊張が溶けきれなくてゆっくり眠れないことが多いので、 少し強制的にでも神経を緩ませないといけない。そんな時、少しのお酒はとてもいい方法。
私は、「あー今週もおつかれさま」という気持ちで、長風呂から上がって部屋で過ごしているときの自分の顔が一番好きだ。
ほっとした、かつよけいな気持ちのないすっきりしたいい顔をしているなあと思う。
化粧をしている時の顔はあまり好きじゃない。いろいろ塗ればぬるほど、自分の上になにかがたまっていくような気がするから。 クマはすごいし肌も寝不足で荒れ始めているし、お世辞にもすっぴんで許される顔とは言えないけれど、 いろんなものがくっついていない、剥き出しの状態の自分が好き。
久しぶりのビールで酔っ払ったおかげで、昨日は12時まで一度も目を覚ますことなく熟睡できた。
起きてお昼ご飯を食べ、部屋の掃除をしたり本棚の整理をしたあと、また眠ってしまう。

睡眠不足になると、自分のあらゆる感覚がすごく鈍くなるのを感じる。身体もしんどいので そのことにイライラするし、「寝不足続くと性格悪くなるんちゃう?」と思わずハハにからんでしまった。(すでに 悪くなってる)
昨日たくさん寝たことで、やっと戻ってきた。
毎日お風呂に入っていても、平日が過ぎるにつれてなんだか自分が汚いもののような気がしてくるし、 くたびれてくると気持ちの垢のようなものも溜まってくる。
それらをきちんとリセットして、自分をメンテナンスすることがとても大切なのだ。


20001110

まさか自分が、次の日に仕事から帰るようなヒトになるなんて思いもしなかった・・・。
週末に遊ぶ時でさえ、遅くても11時くらいだし、最近ではすっかりそんなこともなくなりつつあるというのに。
さすがに、「ああ、今日帰ってきてちょっとだけ寝て、また今日出勤するのか・・・」と 思ったらげんなりした。いけないわ、こんなの。お肌も荒れちゃうわ。
前の職場では、せいぜい10時過ぎ、最大に遅くて11時くらいまでの残業が数回あったくらいで、 普段は9時くらいでもう「あー今日はよくがんばった」という気分になっていたものだ。
今の職場にきてからは、9時なんてまだまだ宵の口(仕事する上での)。 人ってやっぱり、良くも悪くも慣れていく動物なんだねえ、としみじみ思う。
それでもどうしても、夜型人間にだけはなれそうもない。なんせ小学生の頃から、5時に起きてなわとびをしたり、 勉強したりしてから登校していたくらいの、根っからの朝型人間なのだ。
受験勉強で遅くまで起きていなければいけなかった頃なんて、眠気に打ち勝つために、 中学生の分際でリポビタンDを飲んで必死に目をこじあけていたし。薬屋の人には 当然、おつかいにきたと思われ、おまけをしてもらったりもした。(まとめて箱で買ったり していたので)
できれば、その日のうちには寝られる生活をしていたい、なあ・・・。(徹夜仕事なんかを している人にははったおされそうだけど、これでもかなり譲歩してるつもり)

職場にいる時間が12時間以上になってきた最近、わかってきたことがある。
どうしてこの職場の社員たち同士の距離がやたらと近いのか。
これだけ職場にいる時間が長ければ、それなりにストレスもたまる。自分の時間がなかなか確保できないわけだし。
友達にも、平日に約束をして会うのは難しい。夜中に呼び出せる友達がちょっと欲しくなる。
だから、職場に友達をたくさんつくって、お昼を一緒に食べに行ったり 仕事の合間に話すことで、その鬱憤を少しでも晴らすしかない、ということなのではないかと 思ったのだ。
なーるほど。それはそれで、ちょっと納得の考え方。


20001109

職場の空調があまりよくなくて、出勤するとしばらくくしゃみやはなたれに悩まされてつらい この頃。
ふと「昔(中学生とか高校生とか)は、授業中にはながたれてきたときって かめなくてつらかったな〜」なんて思い出す。はずかしくて、かめなかったんですねー。 同じクラスの中に好きな人とかがいたらなおさら。平気な顔してブブーッとかんでる 男子がうらやましかったな。
かといってもちろんたらしっぱなしにしてるわけにもいかないので、必死でズズーッとすすって。 よくよく考えてみたらそっちの方がよっぽど汚いんだけど。
神経は鼻に集中していて、油断したらつつーっとたれてきそう。授業なんて頭に入っちゃいない。
一触即発、ガンバレ私!くらいの気持ちで時計を睨んでたのを覚えてる。そして、授業終了のチャイムが鳴ったとたんに トイレへダッシュ。
あの頃に比べたら、今はとりあえず自分の席でそっと静かにかむくらいのことはできるようになったので (思い切りかみたい時はやっぱりトイレへダッシュだ)、いやー、ラクになったもんだなあ、と思う。

私はよくはながたれる女だ。
大学時代の部誌に、それをテーマにエッセイを書いたことがあるくらい、このたれっぷりには 悩まされてきた。 もともとアレルギー性の鼻炎ということもあるのだけれど、とにかくティッシュを忘れて外出するなんて おそろしくて絶対にできない。
はなのたれにくい人になりたかったなー。(切実)
大学時代に書いたエッセイに、
「今は化粧をしていないからまだいいけど、社会人になって、 化粧をするようになったら、鼻のまわりだけはげそうで心配だ」と書いたのだが、あの頃の私、正解。
鼻周辺の化粧は、いっつもでかける前にすでに はげはげになってしまっていて(なんだか朝起きたばかりってはながやたらとたれる)、何度も塗り直さないといけないのが 面倒で面倒で。


20001108

昨日は、TRCの今日の新刊検索で欲しい本が出たのを確認して、 よし買う!と必死に職場を飛び出て本屋へ走ったのだけど。
まだ並んでいなかった・・・悲しい。
今日出た本は今日並べようよ〜こういう、私みたいに待ち望んでいる人だって いるんだからさあ、と心の中でぶつぶつ。
あきらめきれず、文庫の棚をぐるぐるしつこくまわってみたものの、結果は同じ。 なんだかそのまま帰るのが悔しくて、雑誌を一冊買って帰った。ちぇっ。買いたいもの、 少なくとも3冊はあったのにな。

火曜サスペンス劇場に、やたらと無愛想で不機嫌な夫が出てきたので、ハハと二人して 「なんだか不機嫌だね」「うん、不機嫌だね、こういう夫はやあね」と文句を言いながら見た。
だってまるで、家族ににこにこした顔を見せるのは損、と言わんばかりの無愛想ぶりなんだもの。
その気持ちはわからなくもないけどさ。私も、昔必死に職場で愛想をふりしぼってた頃は、 帰ってきて親にまで愛想よくできるかい!って気持ちでぶっすりしてたしな。
でも、実際自分がされたらやっぱりいやだな。
「ねえねえ、『不機嫌な夫』って題名で本書くのはどうかな?」
「なんか、その題名、聞いたことがあるような・・・」
「林真理子の『不機嫌な果実』でしょ。不倫のやつ」
「人のパクリはやめなさいパクリは」
「でもさ、林真理子ってすごいと思わない?」
「そうね、ある意味あの生き方はすごいわね」
「だって、欲しいものをどんどん手に入れてってるんだよ、自分の力で。子どもだって、 つらい不妊治療に耐えてとうとう産んだしさ」
「そうそう、不妊治療ってね、本当につらいらしいよ。私(ハハ)の友達でやっぱり それで子どもを産んだ人がいて、夫はもう一人欲しいって言ったらしいんだけど とてもじゃないって、つらくて」
などと、気がつけばどんどん話が飛んでいき、脱線していくのが女二人の気ままな会話の気楽なところ。
ドラマの中の人が寿司の出前をとっているのを見て「あ、いいな」「いいね」
ケーキを食べているのを見れば「あ、おいしそう」「うん、おいしそうだよね」
そして、そんなオウムがえしな会話がおかしいと、二人してケラケラ笑う。
こういう、頭をオフにして思ったことだけ口にしていればいい会話って、ラクチン。
誰かと一緒に住んでる、ってきっとこういうこと。
わざわざ電話して話すようなことじゃないし、時間を置いたら改まって言うようなことじゃないような、 本当にちょこっとした気持ちの動きを、すぐに伝えられる相手がいる、ってこと。


20001107

昨日は、帰ってからいつもはくパジャマズボンが乾いてなかったので(上はTシャツ、 その上からパーカー、が寒くなってからの家スタイル)、しゃあねえな、とジャージをはいた。
「私さあ、ジャージが似合う!って言われるんだよね〜」と言ったらハハが間髪いれず、
「うん、似合う!」
と力強く太鼓判を押してくれた。
ジャージが似合うって言われてもなあ。
部活で走ってた頃ならまだしも、今じゃあどこにもその実力(?)発揮の場がないよ〜。

職場の人に「そうやっていつも(アフター5の遊びの誘いを)断ってばかりいると、そのうち 誰も誘ってくれなくなるよ!」と言われてしまった。
それを言った人はたぶん、女性が多い部署に私がなじめなくなるのではないかと 心配してくれたのだろうとは思う。
だけどそう言われた途端、すごくいやあな気分になった。ジャリ、と砂でも噛まされたような。
小学生の時とかに、「なになにしないなら仲間ハズレにするよ」と言われた時の気持ちに似ている。
うるさいなーほっといてよ、と反抗的に思いつつ、そんな風に言われると私の中の、 きっぱりできないうじうじ虫がむくりと起きだしてくる。そして、 昼ご飯を食べに行ったり遊びに行ったりしない私がいけないのかも、愛想よく振舞わない私が かわいげなくてダメなのかも、とどんどん、みんなと同じにできない自分をじめじめと責めはじめるのだ。
でも、ちょっとお待ちなさい。
そうやって自分を偽ってムリして一見仲良くなったって しょうがないっしょ?そうしたらもっと自分がしんどくなるだけだって、そうしてしまってから やっぱり降りますゴメンナサイってわけにはもっともっといかないってこと、わかったはずでしょ? (そうですまったくそのとおり)
最近、私の心の中は、そんな相反する気持ち同士のせめぎ合い。

あー、私の性格はほんと「一見、竹を割ったようにさばさばだけど、その中には餅が入ってる」。
ねと〜ん。


20001106

週末に友達と渋谷に行き、HMVとブックファーストでそれぞれ2時間くらいずつつかまってしまった。 HMVでいろいろと視聴しているうちに、私も友達も、 猛烈にヘッドフォン(あのでっかい耳当て型のやつ)が欲しくなり、 そのまま電気屋に行って買おうとしたのだけれど、さんざん迷った挙句結局やめた。
試しに当ててみることができないのがちょっと不安だったのと、 「このお金でCD買えちゃうもんね・・・」と思ってしまったのが敗因(?)。
「どうせなら今度新しいCDを買った時に一緒に買うっていうのがいいんじゃない?」と友達。
ああ、でも私はそれがまさに今。
脳天に響き渡るような大音量でスガシカオを聴きたい、それも夜中に!
彼の曲はヘッドフォンで聴くと良さがさらにひきたつような気がするのだ〜。
今度の給料日あとに買おうかな。それとも12月に自分へのクリスマスプレゼントにしようかな。

音楽をじっくり聴きたいし、本も腰を据えて読みたい。
気持ちに浮ついたところがなくて穏やかで、許されるものならいつまでも部屋で 音楽と本と一緒に過ごしていたいと思う。 職場にいる時間がどんどん長くなっている最近は、部屋で過ごせることが一番の贅沢。
週末以外なかなか本屋に寄れないので、思い立ったときにドカンと買っておき、せっせと本棚にためている。
読む本がないことほどツマンナイことはない。本を読むのはもうご飯を食べるのとおんなじことだから、 足りないと調子が悪くなってくる。
特に平日、毎日毎日1日のほぼ半分以上をパソコンの前で過ごしていると、 自分の行動がだんだん人間ぽくなくなってくるような気がするのだ。無感情で、無感動。
そうしていたほうが仕事をするのにラクだから。
でも、そうしているうちにだんだん、そこからもどってくるのが困難になってくる。
本を読むことは、私をそこから引き戻してくれる大切な手段だし、自分の気持ちがちゃんと 動いたり感じたりしていることを実感できる貴重な時間なのだ。


20001103

美容院に行った。
手帳を見たらもう4ヶ月も行ってない!イカン、女捨ててるぞあたし!
頑張って肩くらいまで伸ばしたのだけれど、寒くなってきて着るものが重くなると 髪の毛が首にかかるのがうっとうしく感じて仕方がないし、 9月の高熱以来異常に抜けたり傷んだりしたのでここらで一度切ることにする。
美容院のドアを開けた途端、「伸びましたね〜」と言われた。
けっこうたくさん切って、トリートメントもしてもらった。は〜スッキリ。やっぱり私は短めの 髪の毛が好きかも。頭が軽くて気持ちいいんだもん。
と、いいつつ、きれいなロングヘアの人を見ると、いいな、大人っぽいな、こうしたいな、と思ったりもするんだけど。
短めの髪型がもう1年くらい続いているので、来年は絶対、一度はロングヘアまで頑張って伸ばしたい。 久しぶりにウェーブにもしてみたいな。
本当は、男の子みたいないさぎよいショートヘア にもしてみたい。街を歩いていて「あ、かわいーああいうアタマにしたいっ」と思うのはおしゃれなオトコノコの 髪型ってことが多いし。ただ、顔の大きさと形が違うので(オトコノコは頭ちっちゃい)難しいだろうな・・・(ふっ)

美容院に来るのが好きになったのは働き始めてからだ。
それまでは、髪の毛を洗ってもらうのも、切ったりパーマをかけるために触られるのもくすぐったくて 苦手だった。今はもう、大好き。
自分へのご褒美。美容院に来るために働いてもいいな、と思うくらい。
人に髪の毛を洗ってもらったり、丁寧に乾かしてもらうことって本当に気持ちいい。
今日はトリートメントもしたので、切る前とトリートメント後の2回シャンプーしてもらい、なんだか 得した気分になった。
もう2年近く通っている所なので安心してお願いできるという心理的な面も大きいのだと 思うが、それにしても極楽すぎる。
リラックスしすぎて、髪の毛を洗ってもらっている時に思い切り寝そうになってしまった。


20001102

なんだか、人からぶつけられる言葉のいちいちが自分の気持ちにカッツンカッツンと ぶつかってきて、いやーな気持ちになる日、ってのがたまにある。
わけもなくむしゃくしゃいらいらしてきて、その言葉をぶつけてきた相手を 攻撃したい気持ちでかーっ、っとなってくるのだ。
前までは、けっこうその思いにまかせて言い返したりしていたけれど、 最近は「まずいまずい、今話したり書いたりしたら感情的な言葉になる、 落ち着いて落ち着いて」と自分をなだめ、もう一度その言葉を反芻。(メールなど、書かれた言葉なら 再読)
そうするとたいてい、「あ、でもこの人はこういう気持ちで言ってくれたのかも、 書いてくれたのかも」と別のとらえ方もできるようになるから、 それで自分の気持ちもなだらかになってきてまっすぐ反応できるようになる。
ただ、いつもそうすんなりいくとはもちろん限らなくて、時には、
あああーっ、それでもやっぱりイヤな気持ちになるのはとめらんない。どーしよ。
ってことも。
そういう時は、しばらくほっぽっておくことにしている。スミマセンちょっと時間をください。

自分の感情にまかせて言葉を発することは簡単だけれど、そうすることで時には 相手の地雷を踏んでしまったり、自分でも言いたくなかったようなことまで言ってしまったり。
以前それでだいすきなひととの関係が壊れたことがあって、それはもう修復できなかった。
私もヒドイ言葉をたくさんぶつけたけれど、その分相手もぶつけてきて、とても 傷ついてしばらくつらかった。
その言葉を反芻するたびに、今でも心がきゅーっと苦しくなる。関係が壊れたことももちろん 悲しかったのだけれど、それ以上に、そんな言葉をもらってしまったことの方が、よっぽど 痛かった。
言葉は、その気で使えば本当に人を深く傷付けることができる。
不注意に言葉を使うことで、もう二度と大事な人との関係を壊したくはないから。
ずるいと言われても、私はほっぽります。


20001101

昨日はゆずのアルバムを受け取るため(また予約)必死に職場を飛び出した。
エスカレーターを駆け上がりながらふと、
「そういえば、昔はこんなに頑張らなくてもたいてい仕事帰りに駅ビルに寄れてたんだよな。 当たり前のように」と思った。
8時くらいに駅ビルに着けば、1時間本屋にいたり、CD屋をのぞいたりが 余裕でできる。最近、平日にそういう時間を持つことがなくなってきているな・・・。
もっともっと昔にさかのぼれば、6時台のニュースを見ながら夕飯を食べていた頃もあったのに、 そんな日々は一体どこへ行ってしまったのでしょう。
今では8時台に職場を出れたら「ああ、今日は早く帰れたーしあわせ」な気持ち。
6時台に家に着いていた頃は、ご飯をのんびり食べてからお風呂に入って、それから またちょっと一息ついてドラマを見、そして本を1時間くらい読んでから 11時には寝る、みたいな生活だった。ゆとりの夜だった。
今じゃ家に着いてからの時間の過ごし方は必死かつ駆け足。一刻も早く寝支度を整えて 自分の時間を少しでも多く確保できるかに勝負をかけている。
同じ時間に眠っても、自由時間を2時間とれたか、それとも寝る寸前の30分だけだったか、 それによって気持ちの疲れの取れ方が全然違うのだ。後者だと、
「ああ、もっとやりたいことがあるのに、明日もあるからしょうがない・・・眠ろう」という無念の眠りに なってしまう。(睡眠時間を削ってまで、という発想は平日には絶対にないのです)
だけど前に比べたら格段に平日の自由時間が減ったのにそれでもそれほど不満がたまらないのは、 やっぱり朝の時間を確保できているからだと思う。2時間くらい早く起きて、お茶を飲みながらのんびり 雑誌を眺めているだけでも全然違う。朝の30分は夜の1時間分に相当するのではないかと思うほど、 気持ちがゆったりする。
そんな貴重な時間をもてるのだから、どんなに帰りが遅くなったとしても、 起きる時間を遅くしようとは絶対に思わないのだ。


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