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20001229

今日は、あまりに朝の電車が空いていたので「これは街全体人が 少ないに違いない」と思い、一駅前で下りて職場まで歩いてみた。
キーン、と寒い中、あったかい格好をして歩くのが好きだ。寒くて縮こまっていた 身体がだんだんぽかぽかしていくのを実感できるのもうれしい。
思った通り道を歩く人も少なくて、気持ちよく歩くことができた。
でも、せっかくのそんな空いた道なのに、私はまるで鬼のカタキみたいに すごい勢いでしゃかしゃかと歩いたので、あっという間についてしまった。

ねえ、もうちょっとのんびり歩いてもいいんじゃない?
そんなに焦らなくても、きっとだいじょうぶ。


20001228

最近、夜お風呂から出てからと朝寝癖をなおす時にドライヤーを使うようになった。
そのほうが結局は髪の毛がキチンとおさまるということがやっとわかったので。
朝どうしても寝癖がなおらなくて、どこか一部ハネさせたままでいると(なおしたつもりで出勤しても、 途中で風に吹かれてその努力が無駄になってしまうことが多い)一日ブルー になって人目にもつきたくなくってしょぼくれた気持ちになるので、これからは一手間を 惜しまないようにしようと思ったのだ。
それにストーブで乾かすよりドライヤーのほうが髪の毛にいいみたいだし。 (最近、また抜け毛がひどくなったので髪の毛と頭皮にいいことに異常に敏感になってしまう)
後ろの方の髪の毛をブォーと乾かす時に、その温風が首筋にあたるともう ふぁぁ・・・と腰くだけになってしまうくらい、気持ちいい。きちんと重ね着をして 寒くないつもりでいても、首や肩は知らず知らずのうちに冷えていて、力が入っていたのだな、と実感する。
「おっと、髪の毛を乾かしてたつもりなのに手がすべっちゃったぜ」という感じで首に温風をあてる少しの 時間がとても楽しみになった。
冬って、「あったかいこと」イコール幸せ感につながるよな・・・。
それは、夏の炎天下からクーラーの効いた部屋にはいった時の幸せ感とはちょっと違う。
こわばっていた身体やココロが、ほっ、とほどけていく感じは、夏には味わいにくい気持ちだ。


20001227

昨日「ガチンコファイトクラブ」(一般の男の子をボクサーの人が特訓して プロボクサーを目指させるという企画)で、見るからに血の気の多そうな こわい顔の男の子たちが早速ケンカになって大暴れしているのを見て、 思わず気合をいれてみてしまう私。あの、獣のような目。敏捷な動き。あー、血が騒ぐ。
ハハに、
「なんであんたこんな物騒なものが好きなわけ?あーやだやだ。あんた 男に生まれてたらああやってケンカしまくる人になってたんじゃないの?」と嫌がられてしまった。
でも、そうかもしれないと自分でも思う。
腹が立つと、女性はどちらかというと言葉の方が先に出ることが多いのだと思うのだが、 私はまず足や手が瞬間的に出てしまいそうになるし。ボクシングやケンカの場面を 見ていても「あー男に生まれたらぜひ強くなってぶっとばしてみたい」と思うし。
「あんた、今女性に流行ってるあの、殴るやつ(たぶんボクササイズのことを言ってるのだと思う)やったら?」 と薦められた。やりたいな、本当に(実はすでに以前、密かにジムなどを調べたのだ)。 別に人を殴りたいわけではないので、それで十分。
女性もムカついた時にはやればいいのにね、殴り合い。でも、ひっかいたりするのは禁止。なんだかスカッとしないから。
お互いぶん殴り合ってスッキリしちゃえばいいのに。と、口でいろいろ言い負かしたり ぐちゃぐちゃ思ったりするのが苦手な私はそう思うことが多いのだった。
ボカスカやりあって、後腐れなし。そういうのに憧れる。

ケンカが強い人って、カッコいい。ただ暴れるだけじゃ単なる乱暴者だけど、 自分の身と、大事な人のことを守れるだけの強さをもっていて、いざという時は 死ぬ気でケンカができる人はカッコイイと思う。私もそうなりたい。


20001226

単行本は一冊千円から高くて二千円くらい。
文庫本を二、三冊我慢すれば買える。
そのことに気がついてしまってから(というか今まで見てみぬフリをしていた だけなんだけど)もう止められない。
最近何かと自分に言い訳をしては単行本を買ってしまっている。昨日も、
「自分にクリスマスプレゼントってことでね」と、前から欲しいと思っていた本を買った。
でも、この前の土曜日にもそう思ってやっぱり前から欲しかった単行本を買ったのだが・・・。
何度クリスマスプレゼントを自分にあげれば気がすむのでしょう、私は。

それから、ケーキを買って帰った。シンプルなチョコレートケーキと、モンブランで迷う。思い余ったあげく店員さんに、
「あのーこれとこれだとどっちの方が甘いですか?」と尋ねてしまった。
店員さん「はっ?」。目がテン。
そりゃそーだ。いきなりそんなこと聞かれても困るよね。でもいまさら「いや、気合のはいった甘い ケーキを食べたいって待ってる人(ハハ)がいるものですから」とも言えず。店員さんはキチンと 他の人に聞きに行ってくれ、「チョコの方が甘いそうです」と教えてくれたのだった。
うーん、そうか・・・でも、チョコのはシンプルな分、もし失敗するとツライしな・・・と更に 迷った末、結局「モンブランの方にします・・・」ごめんなさい店員さん。
帰るとハハ大喜び。
上に乗っていた白いものを「これメレンゲかな?」と言うので迷わず指を突き刺すと、
ずぼっ。(指がめり込んだ音)
生クリームだった・・・。
「あんたはどうしてそう極端な行動に出るのー、その部分責任もって食べなさいよ」とあきれる母親。はーい。
さて、お味の方はというと「うん、おいしい!ケーキはこれくらい甘くないとねー」
ああよかった、合格点。
一切れずつ食べて残りは冷蔵庫にしまったのだけれど、 「あーケーキ食べたいなーって思った時にうちにはケーキがあるんだよっ?うれしくない?」
とさらに喜ぶハハ。かわいいなあ・・・。
さらには、「ケーキ食べ終わってからも、箱だけ入れとこっか。そしたら ケーキがあるような気分になるじゃん」などと言い出す始末。
それはやめよーよー。


20001225

私たちは、「年末年始大好き親子」だ。
もうずーっと、毎年年末が近づいてくるとわくわくしはじめる。
そして相談。
「ねえねえ、今月だけは、TVTaro(雑誌)じゃなくてテレビジョンとかにしたほうがいい(特別 番組の紹介がもりだくさんだから)かなあ?」とか、
「100円ショップでお菓子買ってくるね31日に。あ、あとケンタッキー買ってきてもいい?」
とか。ささやかな相談事で盛り上がるのだ。
好きな食べ物をいっぱい確保して、コタツにはいりながらだらだらと気ままに食べる。
これ正月休みの醍醐味。
あーわくわくする。本もいっぱい買っておかなくっちゃ。
たぶん、ほとんどが部屋で過ごして終わるのだろうけれど、気持ちが違う。 なんてたって5日間も連続で休めるんだからー!ひゃっほーっ♪
といいつつ、実は転職するたびに冬休みの日数が少なくなっていっているので、
「少ない休みをいかに有効に過ごすか計画をたてなくちゃ!」とはじめは 気合がはいっていたのだが、「休暇なのに気をはってくたびれてどうする」と 途中で自分の愚かさに気がつき、特に予定はたてないことにした。
その日の気分で行動しよう。眠かったら眠ろう。本を読みたかったら読もう。
でも、健康ランドには一回いきたいな。


20001222

職場にジーンズをはいていけるようになって何が一番うれしいかというと、 職場の飲み会がある時にはいていけるということ。
あの、居酒屋特有の臭いが服にしみこんでしまうのが大嫌い。特に冬はつらい。
でも、ジーンズをはいていければガンガン洗ってしまっても惜しくないし、 上も同じくガンガン洗える綿の長袖Tシャツで行ける。
飲み会の日は、コートだってお気に入りのは着ていかない。
ハハにもらった 紺のコート(もう、これを着ている時はそれだけでうれしくてにんまりしてしまう)なんて もってのほか。

残業で帰りが遅くなっても、たいていハハは起きていて、リビングにいてくれる。
どんなに前もって、「この日はたぶん仕事で(または遊びで)遅くなるからね」と 予告しておいても、いつもそうだ。
私は帰宅すると部屋着に着替え手を洗ってとりあえずそこに座り、 お茶を飲んだり何か軽くつまみながらたわいのないことをちょっと話すようにしている。
ものの10分くらいでも、必ず「ただいま」「おかえり」以上の会話は交わす。
そして私がお風呂に入っている間に、ハハはたいてい部屋にひっこんでいることが多い。
大学を卒業してまた一緒に暮らし始めてすぐの時期は、そうやって「待っていられる」のが 正直少し重く感じられていたものだ。でも最近では、 そうやって顔をみて、安心してから眠りたいのだろうな、という気持ちがわかるようになってきた。
そういう母親の気持ちを素直に受け取れるようになった。
もちろん、全部言いなりになるってことじゃないけれど、 相手が自分を心配してくれる気持ちを素直に受け取ってちょいと甘えてみせることも 自分の相手への気持ちの示し方の一つかもしれない、とやっとわかってきたから。
いつものように10分くらいコタツの前に座り、ヨーグルトを食べて すぐにお風呂に入ろうとしたら、ハハが「おやすみ〜」と一言。
「え?」と振り返ったら、「いや、もうこのまま私寝るから、おやすみ。でも起きててほしい? だったら起きてる」「うーん、(ちょっと起きていてほしいかな・・・)」
起きていてくれた。
なんとなく、まだ人と一緒にいたいというか、気配を感じたい気持ちだったのだ。
お風呂から上がり「さー歯を磨こうかな」とリビングに戻った時に、 電気が豆電球にかわっていて誰もいない状態になっていると、隣の 部屋にちゃんと母親がいることがわかっていてもなんだかちょっとさみしくなってしまって がっかりする時があるのだ。残業して夜遅くに帰ってきた時は特にそう。
そんなワガママのために、 私と同じく夜遅くまで起きているのが苦手なのに気がすむまでつきあってくれてありがとう。


20001221

なにがあったというわけじゃなくても、なんか気持ちがつっかれてんの。
ぱっとしない。
そんな日もある。昨日はそんな日だった。
さっさと帰ろ〜っと。
お風呂に入るふんぎりがつかず、コタツでしばらく丸くなる。インコがエサを食べている姿をじっと見て少し なごんだり。こういう時、自分のことを好きで好きで仕方ない!っていう 犬なんかがそばにきて寄り添ってくれたらうれしいだろうなあ・・・ムリ(飼えない)だけどさ・・・。
最近は毎晩、まるで胎児のように丸まって眠る。自分で自分を抱きしめて、眠る。たぶん気持ちのどこかが、 元気がないのだと思う。
そんな状態を真正面から誤魔化さずに受け止め、できるだけのことをすること。
こういう気分の時は、気楽に聴ける、カラオケ練習用テープを聴くのが私にはけっこう効果アリ。
モーニング娘。、藤井隆、キンキキッズ、矢井田瞳、スマップ、Misia、などなど。 ふんふん♪と鼻歌を歌いながら髪の毛を乾かしていると、少しずつ気持ちが浮上してきたのを 感じる。うん、いい感じ。

そこへ、遠くに住む友達からの電話。
メールではちょくちょくやりとりはしていたのだけれど、直接話すのはかなり久しぶりだった。
私はとにかく電話をかけないしかかってもこないので、もう引っこ抜いちゃおうかな〜、とか 基本料金払うのももったいないし解約しちゃおうかな〜、などと最近は考えていたところだった。
よかったよ引っこ抜かなくって。
彼女の、今年の恋愛遍歴(?)などを笑い転げながら聞く。ショックだったりした 話もそこにはもちろん含まれているのだけれど、それさえも二人してゲラゲラ笑って盛り上がれてしまう。 話しているうちに、気持ちがぐんぐん元気になり、力がみなぎってくるのがわかった。
恋愛に関しては、見事に二人揃って、あちこちに突っ込んでは傷だらけになってまた立ち上がる、という ことばかり繰り返しているのだけれど、それを冷静に分析してお互いにツッコミ入れあったりして 笑い話にできてしまうあたりがもう、大好き。彼女が恐れずに相変わらず今年も あちこちぶつかりまくってたことを知り、私も少し頑張ってみようかな、という気持ちになれた。
「つきあってみないとわかんないんだからさーつきあってみてから決めればいいんだよ〜」
などなど、いっぱい転んだからこその、目から鱗がぼろぼろ落ちる言葉が盛りだくさんだった。

そうそう、彼女に突然「そうそう、これをずっと言いたかったんだけど、(私に)似てる 芸能人がいたんだよー!これはけっこううれしいと思うよ」と言われた。
「え、誰・・・でも性別男でしょう」
「うん」
「・・・(以前松坂に似てると言われたのでかなり懲りている)。それでうれしいってどゆこと」
「いや、ほんとに」
「てかね、私人間に似てるって言われること自体がほとんどないから、まあうれしいんだけどさ」
「うんあのね、嵐」
「え?あらし?」
「うん。嵐のーうんと名前わかんないんだけど、ドラマとか出てる」
「まさか、二ノ宮くんじゃないよね、江口洋介のドラマ出てるけど」
「あ、たぶんそれ。なんか大工のドラマだった気がする」
「じゃあ二ノ宮くんだよ・・・似てる〜?(納得してない)」
「いや、似てるって!あの、パーツがきゅーってしてるとこも、口の横の線がピッと入るとこも そっくり!そのものだよ」
「まあ、松坂に似てるって言われたよりはうれしいけどね・・・今度は性別の壁を越えないとな。 なんとか女性に似てると言われるのを目指そう」
「うん、でもさ、二ノ宮くんて中性的な感じやん。だから少し目標に近づいたってことで」
「うん、たしかにそうかも・・・」
「だからこれからは、二ノ宮くんを見たら『あ、私がいる♪』って思ってね〜」
「わかったよ・・・今度じっくり見てみるよ〜」←いつの間にか説得されている
・・・それにしてもどうして、たまに人間に似てると言われたと思うと、それは必ず 男性なのだろうか・・・。(ちょっと複雑な気持ち)
とにかくわかるのは、私はどう頑張っても、なんだかあっさりしている顔だということだな・・・。


20001220

最近、あこがれる人ができた。
それは、ボクサーの畑山隆則さん。
私は男女問わず、どこか「男気のある」人が好きなようだ。
そういう人って、いさぎ良いから。
自分もそうなりたいと思う。

年末に向けて、いろいろ片づけようと思い、まずはまたCDを売り飛ばそうと 物色している。本当に聴くもの以外、全部売っちゃえ〜。一度に聴けるCDは 一枚なんだからいっぱい持っていてもしょうがない。
で、そのお金は新しいCDを買う時用に除けておくつもり。CDを売ったお金でCDを買うのは、 正しいお金の使い方だって気がする。
本については「これは読み捨てになるかも」と覚悟して買うこともあるので、 一度読んだだけ終わってもそう惜しくはないのだが、CDは聴かなくなったものを 持っている時点でなんだかもう、すごく無駄遣いをしている気分になってしまうのだ。


20001219

最近、ハハはなにかにつけ私の情緒を動かそうとする。
例えば一日太陽に当てていたタオルケットを持ってきては「ほら、お日様の匂いがするでしょう? 感動しない?ね?」と鼻に近づけてきたり。
「うん、いい匂いだねー」「そうよ、こういうことに感動できない人は幸せになれないわよー」だって。
また、「21日が冬至で柚子湯らしいから、買ってきたの」と持ってきて、 「ほら、いい匂いしない?どう?」と私の反応をこまめに求めてくるのだ。
どうも最近、私は無感情な人間になっているような気がするので、それを心配されているのかな。
自分でも、なんだか今までに比べ表情が死んでいることが多いなと思っていたのだけれど、 それはつまりは、一日中ほとんど人とは直接会話することなしに パソコンにばかり向かっているせいだということが、健康関係の本(最近の 健康オタクぶりはちょっとすごい)を読んでいてはっきりわかったのだった。
小学生の時は表情がイキイキしている子どもが多いのに、中学高校に入ると無表情になりがちなのは、 ずっと椅子に座っている時間が長くなるせいなのだそうだ。今の私はまさにその状態。
ちょっと、まずいかな。気持ちがいつも一定になっているのはよいことのように 思えるけれど、今の私の場合はそういうのではなくて、単に「すべての感情がぴくりとも動かない」というだけのような気がする。
あとは、くたびれている、かな。今の自分の状態を言葉で表すと。
なーんか、ヤな感じ。
そんな自分をどうにかしてほぐしたくて、家に帰ってから無意味な擬音を発して みたりした。あまりにも長時間しゃべってないとどこかこわれてくるような気がするんだもの。


20001218

金曜日は、仕事を終えてからそのまま友達の家のある駅へ向かった。
女4人、すき焼きの夕べ。
家を提供してくれる子が仕事の都合で帰りが少し遅れるとのことだったので、 残り3人で買い物をする。野菜や肉やお菓子やらをわいわい言いながら買い込んで、もうこの時点から楽しくて仕方がなくて おおはしゃぎ。
来慣れていないスーパーなので口々に「卵はどこ」「うどんは」などと言いながらカートを押して右往左往した。 そういうのも、楽しい、楽しい。
買い物を終え、コンビニでビールを買ってから友達の家へ向かう。
ポストに鍵を入れて置いてくれたのでそれで開けて入った。
これって、けっこうすごいことだよな・・・と思った。この先、自分が不在の時に 鍵を渡して家に入っていてもらえるくらいの関係をいったいどれだけ築けるのだろう、なんてことをフト考えた。
買い物袋を運んだ時点でかなり疲れた私たち、一足先にビールをあけたりアイスを 食べたりしながらだらだらする。仕事から帰ってすぐにご飯の支度にとりかかるのって きっとつらいんだろうなあ〜(←今は料理の「り」の字もしてないヒト)。
すき焼きは材料を切っておくだけだからラクチンだよねと言いつつも結局一人の子がテキパキと切ってくれたので、 私ともう一人は背後から応援していただけ。
「ばあやは影から見守っております・・・」なんて言いながら。
そうそう、私とその彼女は「ばあやコンビ」と呼ばれているのだ。4人で買い物に行ったりした時に、 気がつくと他の2人の後ろをぼーっと着いていったり試着を見守ったりして動きが なんだかばあやっぽいから。ちなみに、ばあやの中でもポジションがあって、 一応現在のところ私が第一ばあや、ということになっている。
すき焼きの準備ができたところにちょうど家主の友達が帰ってきた。
鍋を囲んでカンパイ。
肉がうまい〜っ!
と感動しながら食べた。あまりにも気合を入れていっぱい食べたのでおなかが はちきれそうになったので、途中「こんなこともあろうと思って」と用意してきたジャージにはきかえる。
あーおいしかった。
それからはひたすらだらだらとおしゃべりタイム。家で食べたり飲んだりすると、こうやって くだらないことをいつまでも時間を気にせずしゃべっていられるのが楽しい。
1人は夜遅くに帰って行ったので、ベッドのマットを下に下ろし横長に3人が 並んで、足は床に投げ出して眠った。朝起きたら、お尻から先が床に落ちていて、ちょっと身体が痛いのと、 ずり下がっていった道筋がしっかり寝癖になっていた。
起きてからも、また寝転がりながらだらだらと話して。お菓子も食べて。
こういう過ごし方って、なんだか2度おいしい、って感じ。

家に帰ったら、私の部屋のクローゼットに、おニューの紺色のダッフルコートがかかっていた。
手紙がついていて、「クリスマスプレゼントです」って。うわぁ〜っ。
今年、とてもとても紺色のダッフルコートが欲しいと思っていて、 街で着ている人をみかけるたびに「いいな、もしバーゲンで買えそうだったら頑張ろう」と 思っていたのだ。あまりにドンピシャリなプレゼントで、驚き&すごくうれしかった。
さっそく出勤時に着よう。そう思ったらいつもはちょっとブルーな月曜日が、ちょっと楽しみになった。
来週は私が頑張って、ハハ希望の大きなケーキなどを買って喜ばせたい。


20001215

お昼ご飯に毎日玄米のおにぎりを食べるようになって、一週間くらい経った。
変化はといえば、乾燥のせいか顔の皮がボロボロ剥けていて、何を塗ってもビタミン剤を飲んでもまったく よくならなかったのが、食べ始めて2日目くらいで治ったこと。今は夜化粧水だけで 寝ても、朝起きた肌はしっとり。うれしい。
その他には、自分の食べたいものがはっきりとわかるようになった。
毎朝、おにぎりと一緒に食べるおかずを買いに行くのだが、その時も「青い葉っぱものが 食べたい」など、自分の身体に今足りないもの(例えば野菜)を「それを食べたい」という 食欲がきちんと教えてくれるのだ。
ただ、あまりにも健康的な食生活を昼にしているせいか、夜になるといきなり今度は ジャンクなものが食べたくなる。昨日なんて、「どーしても食べたい!これ 食べられなかったら絶対に不満でストレスたまる!」と思ったものが、なぜかお好み焼きだった。
ソースにまみれたぼてっとした小麦粉の固まりが食べたくてたまらなくなったのだ。
普段、そんなに大好きというわけでもないのに、不思議なのだけれど。昼にあまりに味付けの薄い ものを食べているから反動が出るのかもしれない。ここで、夜も玄米や野菜の おかずを食べたいと思うようになったら、体質改善はカンペキなんだろうな。まだだめだな。
というわけで、帰りにコンビニで豚天を買って帰り、食べて満足。
食べるものに対して「うーん、おなかは減ってるけどー別に何でもいいや」という 気持ちになることが少なくなった。前は正直言って平日の食事は単に「命をつなぐもの」 くらいの気持ちで適当に食べていたけれど、今は一食たりともおろそかにはしたくない、 という感じ。少量でいいから、本当に食べたいと思うものを食べたいと思う。
これは、やっと食欲が正常にもどってきたということなのかな。今では、前はあんなに毎日食べていた 栄養食品になんて絶対に手が伸びないし。
あまりにも食べたいものがくっきりしすぎてきた私に、ハハがあきれ顔で、
「あんた明日みんなと鍋やるときに、『私はどうしてもこれが食べたいのー!!』とか 言って暴れないようにね(苦笑)」。
そう、今日は仕事が終わったら友達の家に集合して鍋をやるのだ。そして、私は 買い物部隊なので(早く帰れそうな人が買い物担当)食べたいものを買う権限が ある・・・(フフフ)。でも、今日食べたいと思っているものは肉なので、絶対に大丈夫。
さーて、何肉にしようかな。牛がいいかな、豚かな、鳥の鍋もおいしいよね・・・と朝から 肉のことを思ってわくわくしているのだった。


20001214

帰ったら、家の中に焼けたパンのいい匂いが漂っていた。
「なんかいい匂いする〜、パン食べた?」と尋ねると、
「うん、おなか空いてなんかないかと探したんだけど何にもなかったから、 インコの食パンもらった」
うちのインコはエサの他にキャベツとパンを食べるので、そのためだけに 食パンを常に買い置きしてあるのだ。インコ専用食パン。
「あーいいなー私も食べたい・・・」
「じゃあ、ちゃんと食べていいか聞いてちょうだい」
「(インコに向かって)食パン食べてもいいですかー?(別の声色で)いいですよー。 いいって♪」と、トーストしたパンにバターをたっぷり塗って食べた。うわあ、トーストなんて 食べるの久しぶりだあ(家ではパンはほとんど食べない)。パターうまーい!
と、うっとりしながら食べ終わった途端、
「これご飯一杯分以上のカロリーだからね、バター塗ってるし」と言われた。
・・・食べ終わった後に言わないで・・・。
寝る前に、インコに向かって「食パンごちそうさまでした!」とお礼を言ってから寝た。
「すごいねこのコ私たち二人を食べさせたんだね今日は」「そうそう」なんて馬鹿な会話で締めくくり。


20001213

うちのインコはさみしくなると、自分の名前を連呼しはじめる。しかも「ちゃん」づけで。
それは、さみしいから自分で自分の名前を呼んで、呼んでもらえた気持ちになっているのと、 ハハにそうやって自分のことを呼んでもらいたくて呼んでいるのと、両方の気持ちがあるかららしい。
そんな彼の気持ちを、ハハはすぐに察して、もれなくすくいあげている。
肩に乗りたがっている時だったら、気がすむまで乗せてあげ、声もかけてあげ、 「あー満足した」となるまでとことんつきあってあげている。自分の方をきちんと向いてくれた、と実感できると 納得して自分からカゴに帰っていくのだ。
本当に優しいというのはこういうことを指すのかもしれないなあ、とその光景をみるといつも思う。
相手がどんなに小さな存在でも、気持ちがある限りはそれをだいじに、大事にする気持ち。それが優しさかな。
そして、大学時代に私と暮らしていた時とは比べものにならないくらい元気で、しあわせそうな顔(表情豊かなのだ これが)をしているインコを見ると、「愛情を実感できているとこんなに幸せそうになれるのね」と しみじみ思うのだ。
私みたいに、自分に余裕がある時にだけちょっとちょっかいを出して可愛がったつもりになっているようでは いかんのだなと、つい反省。
例えば水道の蛇口をキュッとひねればいつも水が出ると誰もが疑わないように、求めれば常に応えてくれる 相手がいるということ。その安心感。
なにをするわけでもない、ただ母親の腕に乗っかって自分の羽をつっついているだけで、 「こんなの自分のカゴの中でもできるじゃない、ねえ〜」とハハはぷりぷりしているけれど、 違うんだよね、と私は心の中で話し掛けてしまう、インコに。
同じことでも、好きな人のそばで、体温や気配を実感しながらするのでは全然違うもんね、 気持ちの満たされ具合が、さ。

もし私に好きな人ができたら、たぶん私はその人のそばで本を読むだろう。
その人のどこかに触れながら、安心して眠るだろう。


20001212

ストレートパーマをかけたら髪の毛がさらに傷んだ。まあ、それを承知の 上でかけたからしかたないとは言え、あまりの傷みっぷりに悲しくなったので必死にトリートメントを してちょっと持ち直す。そういえば美容師さんに「できれば毎日 トリートメントしてくださいね」(そうとう、ボロボロらしい)って言われてたんだった。頑張らねば。
あぶないあぶない。また癇癪を起こしてバッサリ切るところだった。カットだけなら2000円、とか安いお店もあるし、 仕事帰りが無理でも昼休みを利用してでも切ってたかも。
そうしたら絶対に「傷んだところ全部切ってください」「いや、そしたら刈り上げになっちゃいますよ・・・」 なんて言われてたはず。
長く伸ばして、一度ゆるゆるパーマをかけていろいろ遊んでからまた短くする、という計画を なんとしても来年は成功させたい。久しぶりに伸ばしてみたいという気持ちももちろんだが、 長い髪の毛をばっさり切るというあの気持ちをもう一度味わってみたいのだ。
「せっかくここまで伸ばしたのに切っちゃっていいんですか?」「いいんですバッサリやってください」
って会話をしたい。

昨日の帰りは、身体の奥底から「どーっしても甘いものが食べたい!それもチョコとかじゃなくて あんこものじゃなきゃ許さない」という暴力的な欲求が沸き上がってきたので、コンビニで大福を買って 帰った。
仕事中も、午後3時、4時くらいになってくると脳みそがくたびれてくるのか、やはりここでも 「なんか甘いモン食わせてくれなかったらもう働かねえからな」という暴力的な欲求が沸いてくる。
そういう身体の要求には素直に従うことに決めているので、チョコレートをむさぼり食ったり、ホットチョコレートや ココアを飲んだりしている。
最近、ケーキとかお菓子とかなんでも「甘さ控えめ」がよしとされる傾向にあるが、そういうの、ちょっと不満。
食べる時には、「脳天が溶けそうなくらい気合の入った甘いもの」を食べたい。中途半端に 甘いものを食べても不完全燃焼な思いだけが残ってしまう。


20001211

金曜日は、転職してからたぶんはじめて、仕事帰りに友達と遊んだ。
パソコンを買いたいという彼女と電気屋へ行き目星をつけてから、夕飯と食後のアイスを食べる。
それから、CDシングルを借りに行きたいねという話になり、 地元のツタヤへ。4月以来借りに来ていなかったため、借りたいものがあまりにたまりすぎていて、 目についたものをバンバンカゴに入れていたらあっという間に20枚以上になってしまった。
・・・これからはもうちょっとこまめに(4ヶ月に一回くらい)借りに来ることにしよう。
私は友達の顔を見た途端ぺらぺらとしゃべり続け、笑うわはしゃぐわの大騒ぎ。彼女もだんだんつられてきて、 CDを借りて帰る頃には二人共、はたから見たらヨッパライなのではないかと思うほどおおはしゃぎだったのだった。
家に帰り、2時くらいまでかかって黙々とダビングをする。
時々、曲に合わせて口ずさんでみたり。そういえば、最近鼻歌すら歌ってなかったことに気がつく。 前は休日に、部屋で歌ったり踊ったり(?)していたのに。
好きなアルバムばかり聴いているのもいいのだけれど、たまにはこうやって 「覚えてカラオケで歌えるようになりたい流行の曲」を聴くのも気分転換になっていいな、と思った。

土曜日は「この頭で新年を迎えるのは耐えられない、それに頑張ってる自分にごほうびを」という 気持ちで美容院へ。でも、今まで担当してくれていた女性が退職してしまったと聞いていたので、 ちょっと不安になりながらでかける。その人のあまり愛想がよくないところや、無駄に話しかけてこない ところがすごくラクチンで好きだったのだ。
まあ、もう一度行ってみていやだったら他の店にするか、と思いながら行ったのだけれど、 お店を入ったとたんに「もう次回からはこないかも」という思いがすでに強まる。
予約を入れる時にちゃんと「今回は(縮毛矯正じゃなく)普通のストレートパーマをお願いします」と 伝えておいたのに「普通のだと痛みますよ!縮毛矯正にしないんですか?!」としつこくしつこく 言われてなんだかもういやーな気持ちに。その場でくるりとUターンして帰りたくなってしまった。
「いや、今回はお金ないんで(縮毛矯正は2万以上かかる)普通のでいいです、痛むのもしょうがないです」って 言ってるのにしつこくて。あーもう次からはこねえぞ指数15。
私が行った時はまだ開店30分後くらいで誰もいなかったのに、どんどん混み始め、 あとから来た人ばかり優先されてガンガン後回しにされる。髪の毛洗ったあとにひたすら待たされたり。 パーマ液を洗い流して、次はカットという状態のまままた待たされたり。
あまりに待たされすぎていい加減イヤになってしまった。せっかく自分を癒したくて来ているのに どうしてお金払ってまで疲れてるんだろうとちょっとかなしくなる。
しかも前髪切られすぎるし。くーっ。次からはこねえぞ指数40。
もう最後の方には「あの、もう適当でいいですからとっとと終わってください頼みます」と いう言葉がのどまで出かかっていた。
やっとの思いで終わった時には3時間半が経過していた。前ストレートパーマをかけた時は 2時間で終わったのによう。やってらんねえよもう。(と、心の中でやさぐれている)
ぐったり疲れてレジに立つと、とどめ。
パーマ代、前より2千円も値上がりしてるし。
もうこねえぞ指数95!(残りの5は、新しいところを開拓するのがめんどくさくてカットを しに行ってしまうかもしれないという可能性があるから。←新しい美容院に行くのって気合がいりませんか)
あーもういやっ。疲れちゃったよあたし。
友達とお茶をする約束をしていたので今度は代官山へ。
自転車をこいで行ったのだけれど、これがもう、ものすごい混みようで、
イカン、このままでは人を轢いてしまう
と思った私は車道を車と逆走。車の脇を走ってきたオートバイと正面衝突しそうになった。
必死の思いでアドレスにたどり着き、待ち合わせ場所の店へ入る。 豆乳で割ったホットミルクティーを注文してやっと一息。甘さにほっとする。疲れた気持ちとからだにしみわたる感じ。
本を読みながら待っていたのだが、もう、すでに3時間以上その姿勢を美容院でとっていたため 座っているのすらしんどくてぐにゃぐにゃだった。 同じく美容院帰りだった友達と、1時間半ほどお茶をして、駅前で別れた。
別れ際に「(道に)迷うな、転ぶな!以上!」とありがたいお言葉をいただく。
でも、欲を出して近道して帰ろうとしたため案の定迷い、結局はさっき来た道を おとなしく帰ったのだった。代官山では私の方向感覚は特に狂うような気がする。

昨日は、お昼を食べて部屋の掃除をしてからは、まるで砂浜に打ち寄せられたワカメのように、 ぐったりとベッドに上半身を横たえてぼけーっとしていた。
あくまでも疲れてぼーっとしていただけだったのだけれど、ハハにはどうも「なにか つらいことがあってそれを我慢している」顔にうつったようで、「どうしたの、なにかあったの」と しつこくしつこく聞かれる。「なんにもないよ」と言っても「またそうやって嘘をつく〜」と 信じちゃくれない。
ああん、もう。(ちょっとイライラしてきた)
「なんにもないってばただ疲れてるだけ!」と突き放すように言ったら、気まずい空気が流れたので 逃げるようにお風呂に入る。出てきたら、ハハはすでに自分の部屋に引っ込んでしまったあとだった。あーあ


200012208

昨日は転職してから初めて、外へ昼ご飯を食べに行った。
そして、ドカンと疲れた。
みんな自分のことを話すことで頭がいっぱいで、キャッチボールになってない。投げっぱなし。
小さい子が、自分のことを見てほしくて、「わたし!わたし!」とやたらと主張することが あるが、その大人版みたいなものだよなこの状態は、と思ってしまった。
一人が、「昔足が速くてね・・・」というような話を始めれば、
「あ、私もねえ〜リレーの選手でねなんたらかんたら」と瞬時にその人の話に切り換わってしまう。
ああ、この人たちは話してはいるが、別に相手のことを知ろうとはしていなく、 単に自分が話したいから話しているだけなんだな・・・ということがわかった。
みんなして会話の主導権の奪い合いをしているみたいだねこりゃ、と一人取り残された 私は呆然としていたのだった。例えるならば、ものすごい勢いでビュンビュンとまわされた おおなわとびに入っていけない時のような気持ち。

人との会話というのは、本当に、聞こうとしてくれる相手、そして聞こうとする自分が いないことには成り立たないのだなあとつくづく実感することが多いこの頃だ。
たとえば仕事の打ち合わせの場で、自分がとりまとめ役の人に対しちょっと反感をもっているとする。
そうすると、すでに気持ちの土台には「こいつの言うことはきかねえ」という思いがあるわけだ。
その土台があったら、どんな人の話にだって必ずつっこみどころがあるにきまっている。 人間、誰にだって抜けというのはあるんだから。そこをつけば、変な表現だけれど その相手を「やっつける」ことができてしまうのだ。
現に、そうやって仕事が滞ってしまったり、会議の場が険悪になった光景を目の当たりにして、 ああ、仕事って人の感情がどうしても伴うものだからこそ余計に難しいんだな・・・とつくづく実感した。


20001207

どこに行っても「彼氏はいないの、好きな人は?」攻撃から逃げられない私。
たのむからほっといてくれい。
そんなことよりも今はひたすら、本を読む時間が欲しい。ここまで読書への欲求が強くなったのは、 とても久しぶりのことかもしれない。まるで飢えているかのように本を求める気持ちがおさまらないのだ。
職場で言葉をあまり必要としなくなったために、 自分の中からどんどん言葉が失われていってしまいそうで、それがこわくてたまらない。
もっと、自分の中を言葉で満たしたい。豊かな言葉で表現できる人になりたい。
そのために必死なので、いわゆる「恋人と過ごす時間」が今の生活に割り込んでくる(というイメージ、今の 私にとっては)のは勘弁してほしい、という気持ち。

最後に誰かに心から甘えたり、気持ちをほどいたのは、いつのことだったかもう思い出せないほど。
前までは、しょっちゅうすこーん、とどうしようもない寂しさの中に落ちていたものだが、 いつの間にか、そういうこともほとんどなくなった。
強くなったとか、弱いとか、そういうことではない。
単に、執着しなくなっただけだ。執着するのをやめたら楽になる。苦しいのも、つらいのも さみしいのも、その対象に自分が執着しているせいなのだから。
握り締めている、気持ちの手を放せば楽になる。執着し過ぎなくなると、逆に相手に対して優しくなれるような 気もする。執着の糸は、相手だけでなく、自分自身の気持ちまでがんじがらめにするから。
それはたぶん、恋愛だけでなく、物やお金、仕事などに対しても言えるのではないかと思うように なった。いい加減にやれ、という意味ではなく、適度に手放すことも必要だということ。

最近はすっかり、恋愛に、好きな人に執着する気持ちがぽーんと吹っ飛んでいってしまった。 私がしあわせでいるために、どうやら恋愛は必須項目ではないらしいということがわかったから。あっても なくてもどちらでもいい。あれば楽しいかもしれないね、という程度で、 気持ちの中に、何人かひっかかっている人はいたとしても、単にそれだけのことだ。
たぶん、どの人も好きだけど、どの人のことも好きではないのだと自分でもわかっている。
好きではないから、自分のいいところばかり見せることができる。だから、 話していて楽しいし、ラクだ。当り障りのないところで止めているから傷つくこともない。 お互い、踏み込まれない踏み込まない。暗黙のルール。そういうつきあいならそりゃ楽しいに決まっている。
本当に好きになったら、見せたくなくても見せてしまうことになるから。自分のどろどろした感情も、全部。
その人の前で、一番いい自分を見せたいがために考え過ぎてしまって、わけのわからない行動をとってしまって 自己嫌悪に陥ったりするし。自分の感情をコントロールできなくなって、自分自身も見たことのなかった ような自分を見てしまうのがたぶん恋愛。一番濃い人とのつながりになる可能性を秘めたもの。

友達との関係には必ず、ラインが引いてある。
お互い、その部分はきちんと守りながら、仲を深めていくっていうのがいい。
でも、恋愛だとちょっと違ってくる。
心の奥まで入ってこられてしまう作業(?)だ。
私は、そんな風に誰かと「濃く」関わることをこわがっているのかもしれない。


20001206

「もし、人間を大きく『勝ち組』と『負け組』に分けるとしたら、 今の工藤静香って勝ち組だな」と、電車の吊り広告をぼんやり眺めながら帰った。彼女の、 恋愛に対する凄みというか根性の入り具合は前からすごいな〜と思っていたのだが(恋人にあわせて 金髪にしてしまうとか)、その勢いは衰えることなくとうとう頂点(?)に達したという感じ。

本屋へ寄った。エレベーターを上がり本屋がある階に着くと、プーンと 本の匂いがしてくる気がするのだけれど、昨日は特にその匂いがうれしくて、 大きく深呼吸をしてその空気を思い切り吸い込んだ。あー本屋に来れたよ!と何度でも幸せな気持ちに なることのできる私は、かなりオトクな性格をしていると思う。
昨日行ったばかりでも、もう、また行きたい。この気持ちは一度も冷めたことがない。
本屋が恋人だったら、きっと結婚しても一生うまくやっていけると思うんだけど。
どうも私は、自分の環境が変化すると、心もとない気持ちを埋めるために 本を買いに走ってしまうよう。前回転職した時にも恐ろしい勢いで本が増えたのだが、 今回も気がつけば約3ヶ月で本棚二段分くらい増えていた。

マンションの下までたどり着いた時に、エレベーターが ちゃんと1階にいてくれると、なんだかその日の締めくくりがうまくいったような気持ちになってちょっとうれしくなる。
ワーイ、と思わず小走りでボタンを押す。
反対に、他の階にいるのがわかった時はちょっとがっくり。
それがまだ、最上階とかにいるのだったらあきらめ(?)もつくのだけれど、 中途半端に2階とか3階にいられるともういけない。なんだかその日全体にケチがついてしまったような気持ちになるのだ。
我ながらささやかすぎると思うのだが、気持ちなんて、本当にちょっとしたことで変わるんだなーと実感するのはこういう時でもある。
今では、毎日「今日は何階で止まってるかっ!」と心の中で一人賭けをしている気分で、 どきどきしながらエレベーターの階数をのぞいている。


20001205

うう、月曜日なのに顔がキタナイ・・・。(いつもなら週末にたくさん寝たり長風呂したおかげで コンディションがいいことが多いのに)
肌荒れてるし、なんかすでにくたびれてるし。
人目にあまりつきたくないよう。
と、なんだかちょっとブルーな週のはじまりだった。
でも、もう汚かろうがなんだろうがどうでもいいわい!というヤケクソ気分で、 化粧直しもせずに職場を出たら、ちょうど、数少ない知り合いのうちの一人と 帰るタイミングが一緒になってしまった。
「ああ、こんなぼろっぼろの顔を真近にさらしてしまった・・・しょっく・・・」と 密かに落ち込む。これからは汚い顔をそれなりに修復してから帰ることにしよう・・・。

体調がずっと安定して(?)悪くて、夕方になるともう、息も絶え絶え。その日のチカラを 全部使い果たして毎日帰る。アカン、こんなこと続けてたらまた身体こわすであたし。
「残業してる人たちにたとえ刺されても、私は早く帰る〜っ!」と高らかにハハに宣言したのだった。
体調が悪いのは電磁波のせいでもある、とハハ力説。電磁波が身体のバイオリズムを 崩すらしい。肌荒れも、身体の不調もたぶんそうだよと 指摘され、「発芽玄米」を食べることで、それらの症状が改善されるらしいと 教えてもらった。ただし、発芽玄米は普通のスーパーなどではなかなか売っていないので、 デパートなどで探さなければならないとのこと。なーに、それくらい、やりますとも。このつらい症状から 逃れられるのなら!毎日おにぎり握って持っていくよ絶対に。
孫悟空の金の輪っかで締め付けられているように頭が痛むことが増えた。
身体中の血がうまく流れず滞っているような感じだ。ああ、血のことが気になる・・・。自分で血液検査ができたらいいのに。
昨日は、ウィスキーのお湯割り、ではなく、お酢の水割りを飲んだ。(血をサラサラにするため)
そのせいで今度は胃が痛くなってしまったが、頭痛は少し軽くなった。
ああ、仕事から帰ったらマッサージしてくれる夫が欲しい・・・。足でぐりぐり 背中や肩を踏んでくれるんでもいいや。


20001204

リンゴを砂糖で煮たものに、ヨーグルトをかけて食べたいなあ。 (大学時代は冬になると毎週末に必ずこれを作り置きしておいて食べてた)

さて、土曜日に元気をとりもどしたはずの私だが、それはあくまでも気持ちの 元気だったようで、身体の疲れが昨日どっと出てきた。
一日のうち、起きていた時間は約5時間。
自分の頭が重く感じてしょうがなくて、この重みで肩が凝ってるんだ絶対!と 頭を右左に倒してみたり前後に倒してみたり、ぐるぐる回してみたりと いろいろやってみたのだが、効果なし。 「頭を取り外して置いておければいいのに」と本気で思う。
結局、見たかったテレビもあきらめて、寝た。
最近、日曜日の夜は必ずうなされるようになった。眠るまでの間に 身体のあちこちが痛くてだるくて寝苦しい上に、やっと寝たと思ったら イヤな夢を見、1時間ほどで目が覚めてしまったりするのだ。普段あまりにも寝付きのいい私にとって、 これはけっこうつらい。
せめて週末くらいは熟睡が欲しくてたまらないので、寝る前にウィスキーのお湯割りを飲むのが習慣になってきた。
でも、これは絶対に自分では作らせてもらえないため(私が作るとウィスキーをたくさん入れるので)、 ハハに交渉しながら、作ってもらうのだ。
「お酒飲むのを習慣にしちゃうと、麻酔が効きにくくなって、つらいから。 (ハハはまったくお酒を飲まないのだけれど、体質的に効きづらく、苦しい思いをしたらしい) あと、まだこれから子どもを産む可能性のある人は、あんまり飲んじゃ、ダメ」
はあ〜い。(と、お湯割りというより「ウィスキーの匂いのするお湯」をちびちびすする私)


20001203

昨日は起きたら身体が鉛のように重くだるく、気持ちもどんより曇ってどんなに頑張ってもシャッキリしなかった。 身支度の途中でまたとろとろと眠ってしまったりする。
はらってもはらっても頭がぼんやりした膜に覆われているようで、感覚が鈍いのがとても不快に感じられた。
あまりにも呆けた顔をしていたせいか、ハハに「男心をそそる顔してるわよ〜、真っ青で、ぼーっとしてて」と言われた。
うう、そんなことでそそっても全然うれしくないよ・・・。
油断すると倒れこみそうになる身体にムチを打つような思いで必死にでかけたのだが、 電車の中から外を眺めていた時に突然、
「あー天気もいいし、こうやって休日に友達に会うためにでかけようとしていることがうれしいなあ」と いう気持ちがブワーッと心の中に広がり、自分の上から膜が取り払われたのを感じた。

先週はずっと食欲のない日が続いていたので、友達に会ったら「今日のお昼はあったかいうどんかなにかが いいな」と提案するつもりでいたのだけれど、実際会って「何が食べたい」と 聞いてみるとなんと「焼肉」との答え。「肉がいいんだね?」「うん」 「だったらさ、しゃぶしゃぶかすき焼き食べ放題、ってお店に前行ったことあるから そこに行く?(それなら煮てあるから焼肉よりもおなかにやさしいと思った)」「うーん・・・」 「焼いた肉がいいんだね、やっぱり?」「うん」「よしわかったじゃあ焼肉屋のランチを探そう」
ということで焼肉ランチに決定。
そういえば先週は貧血気味でふらふらしていたし、肉を食べて血を増やすのもいいかも、と思ったのだ。
実際、じゅーじゅー焼けた肉やご飯やキムチを食べていたら、なんだか元気が出てきた。 食べ物の力はやっぱり偉大。
店が空いていたので、いろいろな話をしながらのんびり食べた。
最近は、例えば仕事上で自分がちょっとしんどいな、と感じたことを、いかに笑える話として話せるか、ということに燃えている。
そうやって笑い飛ばしてしまうことで、自分の気持ちにあるしこりが小さくなるのを感じるのだ。
内容が軽かろうと重かろうと、愚痴めいたことを話すということは相手に少し 自分の気持ちの重荷を持ってもらうということだから、そのことで相手の気持ちをつらく させてしまわないように。聞いてくれるだけで、一緒に笑ってくれたり「それって、ヘン!」 と言ってくれるだけで本当にうれしいから。
そういう相手はとても大切。だからこそ、間違っても不快な気持ちにはしたくないと思うし、 そのためには細心の注意をはらう。リラックスしているけれど、緊張している。(矛盾しているようだけれど、 ちゃんと両立しているのだ)
なんだか昨日は、たわいのない話をしながら服を見て回ったり雑貨を見たりしているだけで、 いつも以上にむしょうに楽しくて仕方なかった。私、人との「生の」会話に飢えているのかも。 文字での会話ばかり、という生活に少し疲れたのかもしれない。
社内の人達と、文字上でどんなに楽しく会話をしていても、生身のその相手との距離が縮まったような気は まったくしないのだ。私が文字で言葉を送り、会話をしていた人は本当にこの人だったの?と 疑いたくなる。
その点、顔を見て話をできるのはいい。相手の存在を感じられる。自分とのつながりを 信じることができる。

朝にはあんなにぐったりしていたとは思えないほど、みるみる元気になっていった。
締めに漫画喫茶に行って笑える漫画を読んだことで、さらに元気の充電はバッチリ。あーリフレッシュ。
ハハにも、「でがけに本当につらそうだったから、どこかで倒れてるんじゃなかって心配してたんだけど、 すっかり元気な顔になって帰ってきたね」と言われたほど。
いい休日だった。


20001201

どんなにくたくたに疲れていたとしても、寝る前に本を読むことだけは絶対に欠かさない。
たとえ1ページで気絶して(眠って)しまったとしても、まったく本を開くことなく眠るということはない。
昼間の間ずっとパソコンのディスプレイを凝視しているので、 夜には目はもう、しょぼしょぼでくたくただ。これ以上もうなにも見たくないんだよ!と叫ぶ目の声が聞こえてきそうなほど。
それでも読む。涙をぽろぽろこぼしながら、(泣いているのではなくて、 目が疲れすぎると「ぎゅっ」とつむっただけでも涙が勝手に落ちてくるのだ)それをぐしぐしと拭きながら読む。
自分でもこの活字への欲望はなんなのかと思うほど。
たとえば、見たいテレビがたとえば10時からあるとする。
でも、それを見てしまうとそのあとすぐに眠らなければならないので 本がゆっくり読めないな・・・と思えば迷わずテレビをあきらめて、部屋に引っ込む。
ハハもそういう私のことをわかっているので、「あれ、(一緒に)みないの?」とちょっと さみしそうに聞いてはくるのだが、「うん、見ちゃうと本が読めなくなるから」と答えると「ああ、そうだね」と すんなりと納得してくれる。
寝る前の読書は私にとっての寝酒のようなものなのだと思う。読んでいるうちに気持ちが落ち着いてきて、 自然と瞼が重くなって心地よく眠りにつけるから。
本がある場所では、心から安心できる。


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