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20010131

友達に「とにかく髪の毛が抜けるんだよねえ・・・」と暗い顔で訴えてみたところ、
「女性も男性も、女性ホルモンも男性ホルモンも両方もってるけど、働く女の人は 男性ホルモンが多くなるから働いていられるんだって。男性の考え方じゃないと 仕事ってできないじゃない?だから、今は男性ホルモンが多くなってるのかもしれないよ?」と言われた。
そして、「女性ホルモンを出すために、とにかく相手を選ばないで、『かわいいよ、かわいいよ』って らぶらぶしてくれる人をつくったほうがいいよ!」と勧められてしまったのだった。
確かに、その子は恋人はいないけれど、周囲にそうやって「なんとかちゃん、かわいいよ」って いってくれる男性がいるために、女性ホルモン充実してます!という雰囲気。私からみても ほのかに色っぽいのだ。
同じようにカジュアルな格好をしていても、私の場合は乾いた感じなのだけれど、彼女だとしっとり感が漂うというか。
そんな彼女に言われると、説得力があるなあ。
ふうむ、と思い、職場でよく話している男の子に「あのね、髪の毛が抜けるのを防ぐ方法を教えてもらったの。 ほめてもらって女性ホルモンを増やせばいいんだって。だからちょっとほめてみて」と無理矢理にほめてもらった のだった。その人に、「髪の毛、きてる(薄い)よね」と言われてとてもショックを受けたので、 責任(?)をとってもらおうと思って。
いくつかほめてもらい、嘘だとわかっていてもちょっとぱああああ、と浮上してわくわくした自分にびっくり。
こんなちょっとしたことでドキドキしたり、するもんなんだなあ。
これは確かに、もし好きな人からほめてもらったら、もっともっと効果があるに違いない。

女性ホルモン、もうちょっと増やしたい・・・抜けつづける髪の毛を救うためにも。


20010130

最近私の体はやたらとあちこちガタがきている。
ちょっとでもたくさん食べるとすぐに口のはしがびしっ、と切れるし、 皮はむけるし、フキデモノも出る。わかりやすすぎる。
おかげで自分でも「あ、あの時食べたあれがいけなかったのか・・・」と すぐにわかるのだ。
でも、ここまであちこちボロボロだとなんだか悲しいし、 仕事をしていてもつらいしで「どうしてもっとしっかりできないんだ、バカバカ」と 自分の身体を罵りたい気持ちになってしまう。
そんな感じで少し落ち込んでいたのだが、母から、
「でもね、そうやってすぐに身体に出るっていうのは、身体が毒素を 外に出そうとする機能がきちんと働いているわけだから、いいことなのよ。 外に出ないまま気がつかないで溜まっていくほうが、よっぽどこわいよ。 私だって、こんなババアだけどこの間あんたと一緒にちょっとポテトチップス食べただけで 次の日ぽっつりできてたもん。そのほうがいいんだよ」
と言われ、それもそうか、と思い直した。
身体はきちんと、「食べ過ぎ!疲れすぎ!」と私にサインを送ってくれているのだな。
そう思ったら、なんだか自分の身体がいじらしく思えてきたのだった。


20010129

雑誌で、横森理香が「20代の女性は一番気力も体力も充実している時期のはず」 というようなことを言っていたのだが、
そんなん、ウソや・・・
と心の中で、なぜか大阪弁で力なく反論してしまった。
情けないほど、力が湧いてこない。
たった一度の生理のために、その前後2週間くらいはもう、ぼろぼろだし。
元気のもとなんて、なにもない。
どうするんだよこんなによわよわでさ、と自分を罵る気持ちで、でもどうにか 気持ちを引っ張りあげたくて、本を読んだ。
そうしたら、気持ちが少しだけ元気になった。
やっぱり、本はすごい。
本を読みたいと思えるうちは、まだ大丈夫、きっと。

でも、昨日友達と会って、しばらくきちんとご飯を食べることができていなかった彼女が 「久しぶりにきちんとしたものを食べられたよ〜」と喜んでおいしそうに食べている姿を 見て、とてもうれしかったし、私まで元気をもらえた気がした。 私に会って、話したりすることで、ほっとしてくれたんだな、 という気持ちがすごくよく伝わってきたから。

金曜日の夜に、テレビで「もののけ姫」をみた。
公開された時に、当時つきあっていた人と映画館でみたのだが、なぜか これを見終わった後に、どうしようもなく暗い気持ちになってしまい、あげくの はてには不機嫌になりその日は彼とそのまま気まずく別れた記憶がある。
そんな因縁の(?)映画なので「また暗い気持ちになったら嫌だな」と 一瞬迷ったのだけれど、そこまで自分の気持ちを落ち込ませた原因を 探ってやろう、と結局みたのだった。
でも、今度はまったく大丈夫だった。たまたまその時はツボに入ってしまっただけなのか、 はたまた今の私が鈍感になってしまっているだけなのかはわからないが、 とにかく平気で、ほっとした。
途中、村が全滅してしまったことを嘆く村の男性に、一人の女性が、
「大丈夫、生きてりゃなんとかなる!」と力強く叫んだその言葉が 無性に胸に響いた。
シンプルな自分になりたい。
今もしすべてを失っても、また立ち上がって一から積み上げていけるだけの 強さを持ちたいと思った。


20010126

昨日は自分にご褒美をあげた。
仕事を半日休んでいいよ、という時間のご褒美。お金じゃ買えない。なかなかもらえない。
自分のために、時間を使うことを許してあげる。
平日の昼間、ゆっくりお昼を食べて、本屋に行こう。
それだけでも、なんてうれしい。

・・・と思って朝から楽しみにしていた(お昼に何を食べるか考えたりして)のだけれど、 実際は職場を出た途端に猛烈な腹痛と気持ち悪さが襲ってきて (仕事を離れた途端に体調が悪くなるなんて、社会人の鏡!←うそです)、本屋にいても つらさのほうが先にたってしまったので、ほとんど這うようにして4時くらいに一度帰宅。
軽く昼ご飯と夕飯を兼ねたものを食べてから、5時くらいにまたでかける。薬で不調を抑え、 意地でも本屋へ。でも、特には買わなかった。
まだ人が働いている時間から 店をうろうろする、という気分を満喫したかっただけなので、それで満足。
それから仕事帰りの友達と合流し、アイスを食べ、薬屋で買い物をしてから帰った。
あまり、休暇を満喫した!という気持ちにはなれなかったけれど、少しのんびりと時間を 過ごすことができたので、いいや。


20010125

私が母に一番感謝していることは、下手にきれいごとを言われずに育てられたということだ。

小学生の頃、私は珠算を習っていた。やりはじめたら上達していくのがすごく楽しくて、 塾の時間以外にも毎日練習していたし、休日に特訓を受けるために通ったりもしていた。
あれだけ打ち込めるものをもっていた経験は、今となってはとても貴重だ。
小学校5年生の時に引っ越すことになり、その塾もやめることになったのだが、 最後の日を迎える前に、母から「もうやめてしまうところだから言うけど、 あそこの女の先生と、ダレダレ君(私の同級生)のお母さんが友達でね、先生があなたのことを 『子供らしくなくて、かわいくない』って言ってたんだって」と 教えてもらった。
私はとにかく計算が速くなりたくて、クソがつくほど(下品ですみません)真面目に 練習に打ち込んでいたので、そういう態度が可愛くなかったのだろうと思う。
たまには「もうこんなに練習なんてやってらんなーい!」と サボって遊びに行ったりすれば「子どもらしい」子どもとして認めてもらえたんだろうか。
その女の先生は一見やさしそうだったのだけれど、子供心にも、あーそういうこと、 私に向かってにこにこ笑いかける腹の中でそう思ってたわけね、と密かに 傷つきはした。最後の日、母から渡された「今日で塾をやめます」という手紙を、 帰り際にその先生に手渡してさようならと言った私に、にこやかに「さようなら」とかえしてくれた 彼女の顔を見て「けっ、どんなに愛想よくしたってだまされない。裏ではかわいげない なんて言ってるくせに」と吐き捨てるように思ったことは今でもよく覚えている。
人がいつも自分に見せている顔だけを信じてはいけないと思った、記憶にはっきり残っている最初の経験かもしれない。
普通の親は子どもの気持ちを傷付ける可能性のある ことはあまり言わないでおくのかもしれないとも思うが、私はそうやって言ってもらったことをいまだに感謝している。
「子ども用」に物事をきれいな布で包みその部分だけ見せるようなことは一切しないでくれたこと。
知ったことで傷ついたりもするけれど、子どもはそんなに子どもの心じゃない。きちんと事実を受け止めて、自分でなんとか 消化していくくらいの力は持っている。
世の中、きれいごとだけで渡っていけるものじゃないということを、早くからキチンと 教えておいてもらってよかったと、今、心から思う。


20010124

ここ数日、インコの様子が少しおかしい。
ご飯をあまり食べなくなったし、ちょっと食べたかと思うとすぐにまた 眠ってしまう。「エサをかえて〜」と時々鳴く以外はまったく鳴かないし、ひたすら眠ってばかりいるのだ。
「これは、そろそろ寿命なのかな・・・もう7年くらいだもんね・・・」
「朝起きて、横たわってたりしたら」
「そうしたらもう、駄目ってことでしょう。自分の力で止まり木にとまっていられなくなったら」
「そうだよね・・・つらいなあ・・・」
「その時は感謝の気持ちで見送ってあげようね」
と、ハハと二人、淡々と話した。
こうして、少しずつ、覚悟を決めていく。

こんなに小さな存在だけれど、私たちにとっては確かに、家族で。
もしも亡くしたら、気持ちにぽっかりと穴が空くだろう。からっぽのカゴを見る度に 思い出すだろう。
社会人になって東京に帰ってきてからは、世話もかまってあげるのもハハに任せっぱなしで、 接触が少なくなっていたことを今更ながら後悔する。
どんなに気持ちがあっても、その相手がいなくなってからでは、すべてが遅い。

いつもならそっとでかけるのに、今朝はカゴの中を覗く。
ハシゴにとまっている後ろ姿が見えたので、ほっとした。


20010123

職場で時々話すようになった人から「(仕事が)大変そうだね、ストレスたまってる?」と聞かれた。「うん」と 正直に答えると、
「そうだよね・・・でも、表にそれがあらわれないよね」と言われたのが最近のとてもうれしかったこと。
やっぱり、見るからにストレスたまってそうな人なんて、いやじゃあないですか。
「うん、上手に気分転換できてるのかな。一晩寝たら忘れるし」と答えると、
「オレも」。うんうん、大事なことだよね、それって。

でも、そういう彼は最近、結婚式を目前に控えて、準備やら何やらで猛烈なストレスがたまっているらしい。
「ストレスで酒飲むのにはしってる」と言うので、「太って、ドレス(っていうかタキシード?)が はいらなくなるのでは・・・?」と聞いたら「もうすでにやばい」らしい。あらら。
まあ確かに、私も友達の準備内容を聞いているだけで「私絶対に(準備の)途中で発狂する」って 思うから、男性の心労(?)はもっと大変なのかもしれない。普段まったく縁のない、準備だろうから。
4月に結婚する友達(女性)も言っていたけど、「男性は別に、タキシード着たりすることに わくわくするわけじゃあないから(苦笑)よけいにめんどくさいんだと思うよ〜」
タキシードにわくわく・・・は、
たしかにあんまりしないよな・・・。


20010122

週末は「うう、このまま寝ていたい・・・。 でも、本屋、本屋に今週は一度も行ってないから行きたい・・・」と必死に起きた。
なのに、せっかく行ったのにいまいち気持ちは盛り上がらず、なんだか疲れてしまっていて、駄目だった。
本屋に行ってもわくわくしないなんて、疲れているなんて、悲しい・・・。元気な時なら2時間でも3時間でも 平気でいられるのに、結局1時間くらいでギブアップし、そそくさと帰ってきてしまったのだった。(でも4冊買ったけど)
帰って昼ご飯を食べ終え気がつけばコタツで爆睡。
あまりに疲れた様子の私を見かねたのか「もう、めんどくさいから結婚しちゃう?!」と母。
「はあ、そういう気分になることもあるねえ、たしかに」
こうやって、たとえ冗談でも「仕事つらいから結婚しちゃおうっか〜」なんて言う気持ちがある 間は、「男性と平等に扱ってほしい」なんて間違っても言えないな、と思う。 心のどこかで、仕事から逃げるための逃げ道を用意している間は、そんなずうずうしいこと絶対に言えない。
男性には、「仕事を辞めて、ラクになる」という選択肢は用意されていないことがほとんどなんだから。
甘ったれんな、私。
そりゃあ、正直なところ時々「今自分の前にお金持ちが現れて、『生活のことは心配しなくていいから、 君は自分の好きな仕事をしなさい。それから、好きな本やCDもいくらでも 買ってあげるよ』なんて言ってくれたらフラフラとついて行ってしまうかも・・・」 なんて空想しては現実逃避すること、あるけど。
それから、友達や前の職場の人の結婚話を聞くと、おめでとうと思うと同時に、 「ああ、ラクになれるんだね・・・。いいないいなうらやましいな」 と思っている疲れた自分がいるのに気がつき、嫌になることも。
結婚=いざとなったら仕事を辞める選択肢も選べること、って思ってしまっている今の自分が嫌いだ。
前は、その人のことがとてもとても好きで、ちょっとした会話を交わして笑いあえるだけで 幸せな気持ちになれて「もしこの人とずっと一緒にいられるのだったら、お風呂なしのアパートでも(本当に そういう部屋に住んでいる人だった)、テレビがなくても(本当になかった)、寝袋で 眠るんでも(本当に寝袋で寝ていた)、全然構わない。いい暮らしなんてできなくてもいいから、 彼の夢を叶えるために頑張ってほしい。そのためなら私、一生懸命働くわ」と思う、 かわいらしい心を持つ私もいたというのになあ。

結婚は、溺れそうになっている自分を救い上げてくれる救助ロープじゃ、ないのに。


20010119

昨日も、「カバチタレ!」を楽しみに必死に仕事を終わらせ帰宅。
印象に残ったシーンは、松茸を食べるところ。
「オレは松茸ご飯みたいな食べ方はしない。薄く切ればみんなで 食べられる、っていう考え方が嫌いなんだ。オレはビッグになる。 だからそういう食べ方はしない」ときっぱり言い張った、これから起業しようとしている男性のセリフ。

仕事で得られるものって、なんなのかな。とふと思った。
まず、単純にお金。そのことによる、生活の安定。大切なことだ。
そして、やりがい?それがあれば、自分の気持ちを引っ張っていけるような。
人によっては、プライドだったりもするかもしれない。地位や名誉も 場合によっては手に入ることだってあるだろうから。たぶん、松茸ご飯を食べないと言い切った 昨日の男性も、それをこれから手に入れようとしているのだろう。

私にとっての仕事は時々、「大好きな自分になれる手段」になる。
仕事をどう進めるかを考えている時の私の気持ちは、とてもまっすぐだし、たくましい。
それがややこしい仕事であればあるほど、そのぐちゃぐちゃをかき分けていこうとする 思いがけない力がみなぎってくるのがわかる。そんな時の自分が、大好き。


20010118

やっぱり今の職場でも、掃除をしてくれる人と仲良しになった。
大学を卒業してから、代々の職場で必ずそう。早起き労働者同士、通じるものがあるのかもしれない、なんて思う。
朝早く出勤していると、こういうおまけもあるから楽しい。
今よく話をしている人は、掃除の仕事を終えてから、パン屋でパンを焼いているのだそう。
自分が焼いたパンが店に並ぶなんて、いいなあ〜。
「いいですね〜、どっちの仕事も身体を動かす系で。絶対そっちのほうがいいですよ、健康的で」 と思わず力強く言ってしまった。
「パン好き?」と聞かれたので、「はい〜♪」と元気よく答えたら、 「じゃあ今度持ってきてあげるよ」やったー。
自分の作ったなにかで、人の気持ちを動かせるような仕事がしたい、と思うことが多くなった、最近。
おいしいものを売るお店で働くのもわくわくしそう。そのうち、 自分もおいしいものをつくれるようになれたらもっと楽しいな。
今ちょっと狙っているのは、築地の市場。野菜や魚を売ったりする人になりたい。チャキチャキと。
早朝から働いて、午後には仕事からあがり、そのあと好きなことをしたり勉強したり、 もう一つ別の仕事をするのもいいな。

仕事って、恋人みたいなものだ。
「好きで好きでたまらなくて、思い込んでやっとつきあえた人(=仕事)」だったけれど、 「こんなはずじゃなかった・・・」と思う彼女みたいな気持ちになることって、時々ある。
この気持ちを友達に伝えてみたらすごく同意してくれて、「理想や希望と違っても(よほどの事でなければ)、 その現実を受け止められたら、そりゃー本物の愛だね!貫くのも良し、他に目をむけるも良し。なんてね。
入社してみなければわからない。結婚してみなければわからない。
人生って賭博みたい!?」
という返事がかえってきた。
本当に、その通り。
心から愛せる仕事に、いつかたどりつけたらと思う。
それまでは、あきらめない。

昨日、ニュースステーションを見ていたら、今うわさになっている「ジンジャー」を発明した人が言っていた。
「人生で一番大切なことは、大好きな仕事をすることだ」と。
うん、あきらめない。


20010117

昨日は、絶対に長丁場になるとわかっている打ち合わせだった。
ちょうど夕飯時からの開始だったので「人間、おなかが減ると 気がたってくるもんね〜(そうじゃなくてもただでさえけっこう険悪になることが多い会議だし)」と思い、 近所のスーパーでお菓子やミカン(ビタミンもとらないと)を買い込んできて、会議室のテーブルに並べてみたところ、 みんなやはりおなかが空いていたようでみるみるうちになくなっていった。
ある人なんて、ひとしきり食べ終わったあと、「ああ、これで少し機嫌がよくなりました」なんて 言ってて、おかしかった。
打ち合わせが佳境になればなるほど、みんな次々に食料に手を伸ばし、バリバリポリポリ。
ストレスがたまると食に走る人ってこんなかな、という感じ。
そして、夜もふけてくると、わけもなくハイテンションになって笑いがとまらなくなったり みんながそこはかとなくコワレてくるのが面白い。
そして終わったのは結局夜中の12時。こんなことならお菓子といわずもっとしっかりしたものを 買ってくるんだった。
ああ、疲れた。
・・・なんて、浸っているヒマはない、終電が行っちゃうよ、急げ!
と、同じ方向の人と本気で駅までダッシュ。息はあはあ。
でも、こんなのもたまになら楽しい。たまになら。(強調)
あー栄養ドリンク飲んでおいてよかったな。
帰ると母はまだ起きていた。どうも、遊びで遅くなると宣言した時は先に寝ているけれど、 残業だと起きていてくれているという法則のようだ。
でも、その日に寝てその日に起きる、という生活が とてもつらいようで「あたし、自分がどうなればいいのかわかんない!もう眠気だって とんでっちゃったし!!」と叫んでコタツに突っ伏して嘆いていた。
「とりあえずその場で転がってみるっていうのはどうでしょう・・・」と 力なく提案したものの、心の中は申し訳ない気持ちでいっぱい。

おしゃれって、気合だしパワーだわ。
と、今朝はもう着ていく服を考えるパワーがなくてついに2日連続ジーンズをはいてしまった (一応、連続でははかないという密かなルールがあったのだけれど)私はしみじみ実感。
いいんだよ、ジーンズってもとは作業着仕事着としてあったんだからさ。使い方はあってるあってる。
なんて自分に言い訳をしつつも、「来週給料はいったらまた服を買いにいきましょうかね」と思ったのだった


20010116

年が明けてから毎朝、会社までの一駅分を歩くようにしている。
最初の頃はさすがにちょっと辛かった(今まで楽をしすぎていたせいで)が 最近ではすっかりこの時間が楽しみになった。
会社に行くのがちょっと気が重いような朝でも、歩くことがうれしいから気がつくとてきぱきと身支度をしている。
20分くらいかけててくてくと歩いていると、5分もしないうちに身体がぽかぽかと 暖まってくるのがわかる。それを実感しながら歩くのがとても楽しい。
寒いのが全然つらくなくて、むしろ冷たい風が気持ちいいと感じるくらいになる。
よほど体調が悪かったりしない限り、ずっと続けようと思う。逆に電車に乗って いる方が、空気が悪くて気分が悪くなったりするし。もともと人工の暖かさや 涼しさに弱い私には、たぶんこの方があっているはず。
歩くようになってから、時々ある、気持ちのわけもないめいりのようなものを感じることが少なくなってきた。
すごく気持ちがすっきりしていることが多い。
朝、自分のために過ごす時間は、自分の中にすーっと染み込んでいくような気がする。

今朝は、途中でスターバックスに寄り、前から欲しいと思っていたタンブラーを買った。
売っていたら今日は絶対に買う、と決めていたので。
保温効果があって、飲み口が大きくてちゃんとフタができるやつだ。(普通のだと、飲み口の 穴がすごく小さくて、飲みづらいので嫌)
思っていた通り、2001年記念バージョンのものが売られていたので、それを買った。
でも、これでコーヒーを飲むかというとそうではなく(コーヒーは苦手)、 会社にいる間、これにお茶のティーバッグを入れておきお湯を足しながら 飲むのに使うつもり。
前までは、家に帰ってからあったかいお茶をのんびりしかも大量に飲む時間があったの だけれど、今では朝飲むだけになってしまったので、長時間いる会社で 飲めるようにすればいいんだ、と思ったのだ。こうやってどんどん、会社での生活を 快適にすることに情熱を燃やしてしまうんだな・・・とちょっと複雑な気持ちになったけど。
マグを買うと一杯サービスしてくれるというので、ホットココアを注文。
ココアがあると、そのお店を好きになる。特に冬は。


20010115

昨日は、鍋パーティーだった。
お昼からいっぱい食べて、飲んで。楽しい時間はびゅんびゅん過ぎる。7時間くらい があっという間。
久しぶりに会えた大好きな人がいっぱいで、何を話すというわけでもなくても、 同じ空間にいるということだけでうれしくてうれしくて、一人でわけもなく えへらえへらと笑っていたのだった。自然に顔がにこにこしてしまう、そんな気持ちは 久しぶりかもしれない。とてもうれしかった。
しょっちゅう会えない人たちだからこそ余計に、会えた時に恥ずかしくない 自分でいたい、と毎回手綱(?)を引き締める。次に会える時がくるまで頑張ろう、と まっすぐに思う。
帰りは一足先に一人で帰った。まだ少し酔いも残るぼんやりした頭で、 久しぶりにちょっと長時間電車に乗る。こういう時間を、私はいつも 「ああ、おまけの時間だな」と思って、頭の中でいろいろと考えて楽しむようにしている。
こうやって、堂々とぼんやりできる時間て、大好き。

帰ってから、「特命リサーチ200X」を見た。
未来はこうなる、というシミュレーションなどをやっていたのだけれど、 それによると2020年くらいには、人間の生活はすべてロボットに 管理してもらったり、面倒をみてもらうことが可能になるらしい。
食事も、ロボットがその人の健康チェックを行った上でメニューをたて、つくってくれるというのだ。
他にもいろいろとあったけれど、なんだかその、「素晴らしく便利になるであろうそう遠くない将来(20年後 だったら私もまだ生きている可能性の方が大きいわけだし)」のことを見ていたら なんだか心底嫌になってしまった。
「なんかもう私、20年後なんて生きていたくないな、これからちょっと頑張って働いて がーっと稼いで、10年くらい好きな本を読んだりして遊んで暮らしてさっさと散りたいよ」と 思わず言ってしまったほど。
本当にそんな生活をおくるようになったとしたら、例えば誰かと暮らしたりする必要もないし、 家族なんていらなくなるんじゃないだろうか。ロボットがなんでもやってくれるし、話し相手にもなってくれるわけだし。
一緒に住んで相手の気配を感じたり、食事にしたって、手をかけてつくったり、つくってもらうからこそ うれしいんだと思うんだけどな・・・。例えば毎日毎日コンビニのお弁当ばかり食べているとなんだか 気持ちがすさんでくるように。ロボットが作ってくれたご飯を毎日食べるのは嫌だ・・・。
子育てをロボットがしてくれるようになる将来だって、そう遠いことではない、きっと。

そうしたら私たちは、なにを夢や目標にするのかな。
なにに感動したりするのかな。
バーチャルリアリティでなんでも疑似体験できるようになって、病気もしない身体を手にいれて、 もっと長生きもするようになって、いったいなにをうれしいと感じるんだろう。
他人との接触が少なくなって、煩わしくなくていいや、と実際その時がきたら思うんだろうか。
そういう世の中になったら、人の感情のふり幅は少なくなるのではないかな。
私は、今の職場で、あまり人とは直接会話を交わさないような環境(仕事のこともチャットソフトなどで 済んでしまう)にいるようになってから、明らかに感情の幅が乏しくなったと思う。
感情が動くことが少なくなった。悲しかったりくやしくて泣くこともなくなった。
確かに、泣くほど悲しかったりくやしかったりすることが山盛りなのは嫌だけど。でも、気持ちがあまり動かず、 びくともしない自分のこと、けっこう嫌いなのだ、最近。もっと、本気で心から泣いたり怒ったり、 うわあーーーっ!って喜んだり、したい。だから最近の日記は、「あ、今気持ち動いた!やった!」 というその感覚を逃さないために書きとめているという感じかも。どんな小さなことでもいいから 気持ちが動いたことがうれしくて。

そうそう、気持ちといえば、2020年には、自分に吹き付けるだけで意中の相手を振り向かせることが できるというホレ薬もできるらしい。
人の気持ちはどうなっていっちゃうんだろう。どこへ行ってしまうんだろう。


20010112

昨日から始まった、「カバチタレ!」を見た。予想通りというか、予想以上に面白くて、これからは これを楽しみに木曜日の夜は絶対10時までには帰ってこようと決める。週に1日でいいから、 こうやって楽しみにできるドラマがあるとうれしいのだ。

二人のやりとりが爽快なのはもちろんなのだが、昨日の話の中で、ヤクザ系の男たちと 陣内孝則がやりあうシーンにくらくらきた。
私はなぜか、「なんじゃコラァ、なんか文句あるんかい!」みたいな、 凄みの効いた、と言えば聞こえはいいが、要するに乱暴なケンカ言葉にとても弱いのだ。
画面に向かい「あーかっこいい・・・」とほれぼれする私を見ていた母に、
「あんたの感覚ってなんかちょっとずれてない・・・?変!」ときっぱり言われてしまった。
そ、そうかな。でも、これは小学生の頃から続いている気持ち。小学生の頃は自分自身が そういう乱暴な言葉を使って男子と取っ組み合いのケンカをしたりしていた。通信簿にも 「言葉遣いがとても悪いです。直しましょう」と書かれていたほど。
今はさすがにそんな言葉を使うことはないけれど、機会(?)さえあればいくらでも 乱暴な言葉はすらすら出てくる。自慢するようなことじゃあ、ないけど。
あ、ちなみに、特に大阪や広島の人が使う乱暴な言葉が好きです。


20010111

去年から、ずっとずっと気になっていた本があった。
「パリの友達」(やまだないと、ナツキヨウコ著)。
本屋に行く度に、平積みされていたそれを横目でにらみながら通り過ぎたり、 時には戻ってきてぱらぱらと立ち読みしたり。ああ、好きな感じだ、欲しいな、欲しいな、と 思いつつも、「小説じゃないし、ちょっと高いしな」とためらっていたのだ。
でも年末に、遠くに住んでいる図書館で働く友達から、ちょうどいいタイミングで「『パリの友達』 いいよ、おすすめ」というメールがきて、(彼女はこうやって時々オススメ本を紹介してくれる。なんせ お互いのことがよくわかっているのでハズレがない)これは買うしかないってことだね、と思い切って買った。
結果、大正解。じっくり読み込むタイプの本ではないけれど、ふっとした時に手に取りたくなる。
特に「この文章のためだけにも買った甲斐があった」と思えた部分があったので引用する。

半年ほど前、<彼女>が何を思ってパリに来たかというと、「なんとなく」としかいいようがない。 ただ、「なんとなく」東京から離れてみたかった。みたかった・・・というか、パリに行かなくては ならない理由がないのと同じように、東京にいる理由もなかったのだ。
<彼女>には、いつも近くにいたい男の子・・・男の人もいなかったし、忙しい仕事もなかった。 近い将来に何か展望を持っていたわけでもないし、誰かに切実に必要とされていたわけでもなかったし。
ああ、これだ。私が今抱いている気持ちはこれだったんだ。
と、まるで目が覚めたみたいにハッキリわかった。
これが、今の私の気持ちなんだ。なんとなく「もやもや」していたのはこのせいだったんだ。
今自分がいる場所に不満があるわけでもないし(小さな不満は働いていればそりゃああるけどそれはみんな一緒)、 今の自分が嫌いなわけでもない。
だけど、ここにいたい、いなければならないという強い気持ちもなければ、今の自分のままで 変わりたくないなんて気持ちももちろんない。
どこにでもいける。どんな自分にもなれる。
それって、自由だってことなのだろうか。

だけど、
自分じゃなきゃいけないことなんてない。私じゃなきゃダメだ、いなくならないでなんて言う人もいない。
それって、悲しいこと?寂しいこと?それとも気楽でうれしいこと?
・・・よく、わからない。

私がこの本を好きになったのは、読んでいるとまるで「自分もどこかに行けた」ような気持ちになる から。小説を読んでいてその中に入り込んだ時は、自分ではなくなっている(登場人物の気持ちになっているから) けれど、この本だと、私は私のまま「どこかに行ける」から。


20010110

最近、仕事から帰るとあとはただただコタツにはいって朦朧としていることが多くなった。
はたから見ているとけっこうヤバイらしい。弱りすぎ。
一日で頭痛が頭を一周する感じなのだけれど、家に帰ると気が緩むせいでそれが なおさらひどくなって、つらいのだ。
母に、「脳波調べてもらう?」などと言われる有り様。
「バカがばれるからいやだ・・・」と力なく答えたらその答えがおかしかったらしくケタケタと笑われてしまった。
「生きてる?なにか言い残すことある?」
「ううう・・・(かっくん)←眠っている」
そんな感じでしばらくぐったりしてから、なんとか身体をコタツから引っぱがして必死の思いでお風呂に入る、その繰り返し。
この状態ってけっこう人としてまずいのでは、と思うようになってきた。
あまりにも口をきかないので「なにか悩み事があるんじゃないの?」とも聞かれてしまう。いや、ないよ・・・。
母と話すことで疲れを癒したい気持ちもあるのだけれど、そこを通り越してしまうと今度は、 岩のように私は動かないししゃべらないし中身からっぽ状態になってしまうのだ。
以前は、精神的な疲れから身体も疲労していたのだけれど、今度は肉体的な疲れから精神的にも 疲労している模様。あっちをたてればこっちがたたずだ。
同じ職場の女性と二人で、「仕事はつらくないけどからだがつらい。千代の富士じゃないけど、 『体力の限界』って言って辞めたくなるよね」と話していたのだけれど、まさにそんな感じの毎日。
体力と、それを引っ張る精神力との戦いだ。


20010109

週末、バーゲンへ行った。
気軽な気持ちででかけたのだけれど、実際に店に着いた途端、出がけにハハが言っていた、
「バーゲンは戦いよ〜、がんばってね」
という言葉をつくづく実感することになる。
うーん、本当に戦いかも。
でもここでめげてたら買い物なんてできない!と各店の前でぐったりと彼女を待っている男の子達の姿を横目で見ながらいざ出陣。 必死に店内を探し回ってほぼ希望通りのものを買うことができた。
一番最初に、思い描いていたのとほぼピッタリなパンツを見つけることができたので それに合わせることを考えながら、上に着るものも何枚か買った。なぜか、綿のノースリーブも2枚購入。
私の気持ちは、すでに冬を飛び越して春夏に行っているらしい・・・。ああ、はやく着たいな。
けっこう一気にドカンと買ったら、なんだこの爽快な気持ちは!と自分でも驚くほどなんだかスッキリしていた。
それは一緒に行った友達も同じだったようで、二人とももう、憑き物が落ちたように物欲がなくなり、 あとはただひやかして見て歩いただけで、最後は漫画喫茶で休憩してから帰った。
服を買うことがこんなにストレス解消になるなんて!そういえば、転職してから 初めてだもんなー服買うの。(それどころじゃあなかった、正直)
あー、うれしい。私これからは、服を買うために頑張って働こっと。張り合いができた。
一ヶ月に1枚、それもTシャツ1枚とかでもいいから服を買うのを楽しみに頑張ろう。心からそう思った。

帰りに、雑誌を買うために地元の駅ビルに寄った。
そこの駅ビルには、丸テーブルとイスが置いてある、ちょっと休憩できるスペースがある。
勉強したり手紙を書いたり、無印良品で買ったジュースを飲みながらおしゃべりしたりしている 人でいつも埋まっていて、その様子を本屋へのエスカレーターを上りながら眺めるのがけっこう楽しいのだ。
そこに、寄り添ってぐーぐー眠っているカップルがいた。女の子の方が彼にもたれかかって。
平和な光景・・・。うーん、カワイイ!と思わず顔がほころんだ。
あまりにも濃厚にいちゃいちゃされるとこちらのほうが「みみみみ、見てしまってスミマセン」と いう気持ちになってしまって正直なところちょっとイヤなのだけれど、こんなカップルならいいな。
幸せを分けてもらった感じ〜、となんだかうれしい気持ちになったのだった。


20010105

大学時代の友達からの年賀状。
「5月に赤ちゃんがうまれます!!」
うひょう。
まあね、全然おかしくないんだけどさ。もう結婚して2年くらい経ってるもんね、たしか。
はああああ。(おめでとうと思う気持ちと「ワイはこの2年間何をやってたんや・・・」という 気持ちが混在中)
彼女は「社会人」になって、「妻」になってそして今度は「母」の顔も持つ。
それに引き換え、私は今だに「娘」のままだ。
私のしていることはとにかく仕事のことばっかりで、毎日の生活の ことはみんなおろそかになっていて、仕事をなんとかまわしてくことばかり考えている。 健康でいたいと必死なのも仕事をしっかり続けていきたいから。すべてにおいて、まず仕事ありきでその他は後回し。
遊ぶ予定も、続けていれると疲れて仕事するのにつらいから・・・と無理のないように組むようにしているし。
あんたね、じーさんじゃないんだから今からそんなに守りにはいってどうすんのさー、と情けなくなることも、ある。 でもやっぱり、常にきちんと心身の健康を一定に保っておくのも仕事のうちだと思うから。
今の職場に来る時、面接で「生活が仕事中心になりますがいいですか」って言われたんだしな・・・。 (「看板に偽りなし」って気分)
私は毎日毎日自分の場所でじったばたともがいているだけでどこにも行けない。
いや、頑張ってるしさ、いいやん。と、時々自分で自分の頭をなでてみたり。
だけど、仕事以外のことがキチンとできていない自分はカッコ悪いし情けないよ。


20010104

新年早々、私は死んだことになっていたらしい。

年末に遊んだあとの私は、まるで睡眠のスイッチがぶっ壊れたかのように眠り続けた。
コタツに座ればコトリ、と眠ってしまう。ご飯を食べ終わればまだいつのまにか眠っている。
自分でも、眠りの機能がおかしくなったとしか思えないほどだった。
一度、前日10時に寝て、次の日起きたらすでに午後の3時だったことがあった。
いやーどれくらいぶりだろうこんなにぶっつづけに寝たのは、でもすっきりしたかも、 なんて思いながら起きていくとハハが、
「あ、生きてたんだ」と一言。
「え?」
「いや、あまりになんの物音もしないし全然起きてこないから、ああ、これは 死んじゃったんだな〜って思ってたんだよね」
「・・・」
「でね、こういう場合はどうしたらいいんだろう、やっぱり救急車呼ぶのかしら、でも 新年早々サイレン鳴らすのはまずいから鳴らさないで来て下さい、って頼まないと、って 思ってたの。ま、死んでたとしても今晩一晩くらいはそのまま寝かしといてもいいかな、とか」
「あの、そこまで思考が突っ走る前に、ドアを開けて確かめてみればよかったのでは・・・?」
「だって、もしドアを開けて見にいって、あんたが熟睡してるだけだったとしたら 起こしちゃうとかわいそうじゃない。だから開けなかったの」
「・・・(そうですか)」
「でさ、あんたの遺骨を持って私は北海道に行こう〜、って思ってた。死ぬ場所は北海道が いいと思ってたし。あんたがいなかったら別に私生きてる必要もないし〜。ただね、 インコのことだけは誰かにお願いしないといけないと思ってたんだけどさ。
あー北海道に行きそびれた!!」
・・・おいおい。
そこまで一気に思考が突っ走るところが本当に私とそっくりで、親子なんだなあ、と妙に納得してしまった。
常に先回りして最悪のことを考えておいて、それに対する覚悟を気持ちのどこかでしておいてしまう。
そうすれば、いざそれが本当になった時、取り乱したりしないで済むから。
いいんだか悪いんだかよくわからない癖だけれど、私はそれをしっかりと母親から受け継いでしまったんだな、と しみじみ思った。

「今年はいい年になるわよ〜」
「なんでさ・・・」
「だって、一度死んで生き返ったんだもん♪」
「・・・はあ(それはオカアサンあなたが勝手に殺したんでしょうが。と思いつつも言えなかった)」


20010101

お酒を飲んで、そのまま歌いながらDDRで踊ってはいけない。
そんなことを身をもって実感した年末だった。

29日に仕事を納めてからそのまま友達と軽く飲み&ご飯&カラオケ&ゲーセンで大騒ぎ。
30日は友達がこっちに出てきてくれたので昼くらいから遊んだ。CD屋で10枚も買う彼の姿を見ていたら 私もこのまま手ぶらでは帰れん!という気持ちになり、思わずつられて2枚買ってしまった。
そしてマンガ喫茶で休憩してから、問題の(?)歌いながらDDRをやれるカラオケに行ったのだけれど、 これがもう、お酒がまわるまわる。最後の方は二人とも完全に酔っ払いと化し、 よれよれ。彼と別れて一人になり、地元のコンビニで買い物をするのが恥ずかしいくらい酔っ払いの顔をしていた。
家に帰ったら糸が切れたようにゆるんでしまい、そのままコタツでひっくりかえって 大いびき。絵に描いたような社会人のストレス発散ぶり。
ああ、でも楽しかった。またぜひやりたい。(懲りてない)

昨日は本屋へ行くためだけに頑張って起きてでかけ、迷わずドンドン手にとっていたらあっという間に8冊くらいに なってしまった。ま、仕事がはじまったらまたのんびり本屋にも行けないだろうし、買いだめの意味も 込めて買っておこう、と自分に言い訳をしながら結局全部買う。
それから無印良品で、部屋ではくスウェットのズボンを2本買った。コンビニまでならでかけても 許されそうだしジョギングするのとかにも使えそうで、ラクチンな割になかなかかわいい。すっかりお気に入り。
「これからは家の中でもあんまりよれよれの格好するのはやめようと思って」と宣言してみたところ、 それはよい心がけだと母に誉められた。

おしゃれな人になりたいと思う。
おしゃれ道は奥が深くて道のりは遠いだろうけど。
おしゃれの道はまず、部屋着にも手を抜かないことがはじめの一歩かな、と思って。


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