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20010427

昨日職場の友達に突然、「○○ちゃんは仕事向きの女性だと思う」と言われた。
素直に「ありがとう、自分ではそうは思ってないけどうれしいよ。でも、どんなところが?仕事だと男になるところ?」 と聞いてみたら、
「男っていうより、すごいキビキビした表情になってるし、仕事を仕上げてる事によって、すごいいい顔してる」
という、さらにありがたい言葉をもらってしまったのだった。
そんなところ、自分で意識したことなかったから、びっくりした。
でも確かに、仕事している時は元気だ。自分でも気がついていなかったようなパワーがみなぎって くるのを感じることが時々ある。そして仕事をしている自分のことを、好きだと思う。
仕事で成功するとか、業績をあげるとか、そういうことも仕事の目的かもしれないけれど、 私が仕事をしていきたいと思うのは、こういう気持ちを味わいたいからなのかもしれないなあ・・・と思った。

また、別の人には「○○ちゃんて、なんだかほんわかしてる」と言われた。(昨日はほめられデー)
つきあっている人がいなくても、いる感じがするほど雰囲気がやわらかい、とも。
これまたとてもうれしかった。恋愛に関係なく、常にやわらかい空気をまとった人でいたいと思っているから。 たとえ恋愛で不幸だったとしても(!)そんなとこ、見せないで。
それと、「いつも安定してるよね」とも言われたのだが・・・
これは、「まったく安定していない」私を知っている人たちが聞いたら苦笑ものだろうなーと 思った。職場だから、安定していられるのであって。なんとかやわらかい顔も見せていられるのであって。
それ以外のところでは、ぐらぐらでっす。

家に帰り、うどんをがっついている私に向かい母がいきなり、
「ねえ、あんたが恋愛をしたとしたら、相手に何をしてあげたい?それも 遊びの恋愛じゃなくて、一生を共にするかもしれない相手との恋愛ね」と聞いてきた。
あまりにも突然のことで、口からうどんをたらしたままぽかーんとしてしまったのだが、 「ねえ、なにをしてあげたい?」と、答えるまでは許してくれなさそうな 母の勢いに押され、食べる手を休めて考えた。
「うーん・・・話を聞いてあげたい」
「ほかには?」
「自分の思っていることを話す」
・・・この、相手にしてあげたいことは、実は自分がしてほしいことなのだそうだ。うん、当たっている。
話を聞いてほしいし、話してほしいもの。
そうやって、自分と向き合ってくれる人じゃなかったら、いらない。それは友達でも同じだけど。

あなたは恋愛の相手に、なにをしてあげたいですか?


20010426

最近、おなかが空いているわけではない時にまで、やたらと食べるようになった。
頭のどこかが食べたがっていて、それを理性で制御できない感じなのだ。
私にしたらかなり食べている方だと思う。そして、朝必ずおなかをこわす。正露丸飲む。胃薬飲む。
身体がここまでは無理です、受け付けられません!と必死に訴えているのだろうな、と 思う。そろそろ、楽にしてあげたい。
結局のところ、平日の、小さなストレス解消なのだろう。受験勉強をしていた頃 「この問題を解いたらプリン食べよう」と思っていたように、「3時になったら仕事の手を 休めてチョコ食べよう」と思いながら仕事をしていたりするし。
だけど、こんなことしてたら身体がもたない。実際、体調が悪くなってきた。(胃腸関係弱いんです)
そろそろ、こんなばかげた食欲からは、解放されたい。
だって、味わっていないんだもの。
昨日の夜、友達と食事をしたのだが、なんだか「やっつける」という感じで食べた。つまらない。でも 止まらない。
どうしてこう、食べる行為について、私はいつもバランスがとりにくいのだろうとちょっと悲しくなる。
食べなくなる時には極端に食べなくなるし。食べる時には身体を痛めつけてまで食べる。どちらもつらい。

今は、「食べる」という行為に執着している自分の脳と、疲れた胃腸をちょっと持て余している。


20010425

職場の人に突然「○○ちゃんていくつ?」と聞かれたので 「今年で27になるよ〜」と答えたら、「若く見えるねえ」と言われた。
「そうかな?」とかえしたら「うん、なんでだろう・・・えらそうにしないからかな」 という答えがかえってきたのでちょっと笑ってしまった。
えらそうな態度=(イコール)老けてみえるという考え方が面白くて。

最近、前は苦手だった、洋服屋の店員さんとも普通に話せるようになった。
これはどんな風に着たらいいですか?と相談もしたりして。楽しい。
タクシーの運転手さんともすぐ仲良くなれる。
小さい頃、母と一緒にタクシーに乗った時にぽんぽんと気安く冗談を言い合い すぐに仲良くなっている姿を見て、すごい、絶対に私にはこうはなれない、と 思っていたのに、気がつけば似たようなことをしている自分がいた。
うーん、遺伝だわ・・・親子だわ、と思ったのだった。


20010424

昨日、流しでお皿を洗おうとした時に、目が眩むのではないかと思うほど なんだか絶望的な気持ちになった。
ああ、私、心底疲れている。泣きたい。
と思った。
もちろん、お皿を洗いながら泣いたりしたら母にどれだけ心配されるか わからないので、ぐぐっとこらえたが。

去年、私の転職が決まった時に、友達が転職祝いにときれいな色のマニキュアをくれた。
私はいつも手の指には塗っていないので、まずは足の指に塗ってみたのだけれど、 今までに塗ったことのなかった濃い感じの色になんだかどきどきしてしまって、 自分の足ではないようで、結局サンダルをはく時期には塗れなかった。
今年になって、そろそろサンダルもはくしな〜と思い、思い切って塗ってみた。
うん、かわいい。抵抗なく見ることができた。
いいじゃんいいじゃん、かわいいじゃん。これでサンダルはいたらわくわくするな。
と、足を眺めてにやにやしてしまった。こういうところで、自分の気持ちのハードルを なんだか一つ越えたなあ・・・なんて実感する。
こんなささやかなことだけど、ちょっとうれしく思う。

昨日、夜中の2時に目が覚めてしまったのをきっかけに、細切れにたくさん夢をみた。
最後にみた夢は、なんだかいい夢だった。
私は一人でどこかに旅に出ていて、でも最後に、「牛のいる丘」に集合することになっていた。
そこに行けば、いろいろな人たちに会えるはず。
そこまでの道のりがあまりにも遠かったので、ついに途中で歩くのをあきらめ、 タクシーに乗ったのだが、今度は「タクシーで行くとタクシー代が膨大にかかる!」と いうことに気がつき、慌てて途中で降ろしてもらい、また歩きはじめた。
天気は冷たい雨。傘をさしながらとぼとぼ歩いている私の横を、降りたタクシーが静かに 横についてとろとろと走っていてくれた。人気のない道を一人で歩いている私が 心配だったようだ。
途中、「やっぱり乗ります」と根をあげた私を運転手さんはやさしく乗せてくれ、 いろいろな話をしてくれた。
そうしてやっとたどりついた、「牛のいる丘」。そこだけは、いい天気で、緑が生い茂っていて、 あたたかかった。その間も、運転手さんは何も言わず、静かに隣にいてくれた。
結局、そこで待っているはずの人たちには会えなかったのだけれど、なんだか幸せな気持ちでそこから また降りてきた。
そして、運転手さんにお礼を言ってまた一人で歩きだしてから、 途中でまた乗せてもらってからの料金を払ってない!ということに気がついたのだけれど、 それと同時に、「ああ、あの人ははじめからそのつもりでここまで連れてきてくれたんだ・・・」と いうことがなぜかわかった。

あの、優しく見守られている感じ。あの安心感。
私が今、欲しいもの。きっと。


20010423

土曜日は、大好きな人(女性)とデートした。
代官山そぞろ歩きでえと。
お昼はnewsDELIでバゲットとサラダ2種類。今度きたら甘いものも食べたい。
雑貨屋などをのんびり見て歩き、お互い人へのプレゼントを選んでまわったりして。
そんな途中、思いがけず洋服を買ってもらってしまった私。うれしい。
あいにくの雨だったけれど、逆に人通りがいつもより少なくて歩きやすかったくらい。
歩き疲れて入った店で、はちみつバタートーストと豆乳のミルクティー。
トーストがさくさくで、はちみつも甘くておいしくて、ガツガツ食べていたら、 「しあわせそうな顔して食べるねえ〜」と言われ、なんだかうれしくなった。
おいしそうに、しあわせそうにご飯を食べる人になりたいって思っているから、 そういう顔をできるようになったことがとてもうれしかったのだ。
最近、食べることが好きになってきたし、楽しみになったんだ。

デートって、別に好きな男性とだけのものじゃないなーとしみじみ思った。
会えて、たくさん話せて、しあわせ。一緒にいろいろ話しながらお店を見て回るのはとても楽しい。
あーすごく幸せな時間をもらったなあ、と静かに気持ちが満たされる。
梅雨があけたら、また代官山でデートしましょう、その時、買ってもらった服を 着てきますね、と約束して別れた。

翌日、日曜日は憎らしいほどのいい天気。
でも、どこにもでかけず、掃除をしたあと、部屋で本を読みながらビールを飲んだ。
晴れたけど、チャーリー(自転車)を磨くこともしなかった。
こういうのも、いい。あまのじゃくぽくて。
天気のいい日に部屋にいるの、私はけっこう、好きだ。


20010420

ああ、
なんだかもう私、
とっ散らかっている。
中身がぐしゃぐしゃだ。

どこにも落ち着けない。

落ち着く場所もないし。

なにか、モノを買う瞬間だけが、生きていると実感できる時で。
買ってしまった罪悪感(そんな散財している場合じゃないのにと自分を責める)と 買ってやった!という恍惚感。
その、うれしいけど、苦しい、そんな状態のときに、
うおー生きてるぞ、私。と思う。
買い物がしたい、したい。
もしかして、依存してますか?
でも、人に依存したりするよりはいい。
被害を被る(金欠になって困る)のは私だけだし。

人に迷惑をかけないところでなら、大暴れができる。

とっ散らかっているなりにもなにかできることはないかね?と自分に聞いてみたところ、 「そうだ、最近ずっと乗ってあげていないチャーリー(自転車の名前)をきれいにみがいて 散歩にいこう」という答えが返ってきて、ちょっとわくわくした。
・・・のに、今週末、土日共雨らしい。がっかり。
チャーリーを磨くのはゴールデンウィークに延期。


20010419

最近の私の感情とか行動は、まるで「処理」だ。
例えば、道を歩いていて、どこかの人が吐き捨てたつばが落ちていたとする。
前までの私なら、いちいち「ああーまただ、嫌だな。どうしてこうやって平気で吐き捨てられる んだろ。信じられない」とムカッときていた。本当、大嫌いなんです。
でも、今ではそれをみつけても、
あ、まただ。
はい、モード切り替え
カチャカチャッ
なるべくみないように、なにも感じないようにトオリスギテクダサイ。
はい、処理。リターン。
カンジナイカンジナイ。
なにか、人に不愉快なことをされたり言われたり、悲しくても、
はい、モード切り替え
カチャカチャカチャカチャ
何も感じない、この人は私にとってなんでもない
この人のことは私の気持ちの深い部分には入れないし、傷つけさせない。
ナガシマス。
はい、処理。リターン。
カンジナイカンジナイ。

こうやって、けっこういろんなものを片づけていっていたら、
いつのまにか自分の中がからっぽになっていたよ。
そのことに気がついて、愕然とした。


20010417

昨日の昼休み、犬に会いに行った。
同じ職場の人に「かわいい犬がいる家があるんですよ!」と連れて行ってもらったのだ。
大きな、静かなたたずまいの犬が、そこにはいた。
おいで、と呼ぶとのそのそと起き上がり近づいてきてくれた。
じーっと目を覗き込む。
深い、濃い色をした目だった。見ているだけですーっと落ち着いた。
犬の顔って、どうしてよくみるとどこか、寂しそうで悲しそうなんだろう。
私はよく、犬に似ていると言われてきたけれど、この、さみしそうな顔をするところが 似ているんだったらちょっといやだなあ・・・なんて思った。
人懐っこいところとか、浮かれてばかみたいに走り回るところが似ているんなら、いいんだけど。
その子のそばに座っていると、なんだか、ちょっとくたびれた気持ちをやさしく 包んでもらっているような、そんな気がした。

人のそばにも、こうやって静かにいることができたらいいのに。
どうして、人のそばは、心乱れてしまうのだろう。雑念のない自分になれないのだろう。


20010416

金曜日の夜、職場の人と4時間くらい話をした。
仕事のこと、職場の人間関係のこと、お互いのこれからのことについて。
彼女とはそれまでほとんど、プライベートな話をしたことはなかったのだが、 お互いなんとなく、もしかしたら同じようなことを感じているかな、と わかっていて、じっくり話すチャンスを狙っていたのがやっと実現したという感じ。
私は、職場の人間関係がプライベートにまでずるずると延長するのが好きではないので 常に一定の距離を保つようにしてきた。誰ともつるまないというのが私の基本姿勢だ。
そういう態度を不快に思う人や、なじもうとしないことを責める人もいたが、 それでも淡々とペースを保ってきた。
私のその姿を見て、彼女は清々しい気持ちになっていたと言ってくれたのだ。 「○○さん(私)がきてから気持ちが楽になったよ」とも。
彼女も職場の人間関係とプライベートはきちんと分けたい方だったのに、 表面的にはなじんでいるように振舞っていたため気持ちが疲れていたのだそうだ。
仕事を一緒にやっていくことと、プライベートで仲良くしていくこととの 境界線が曖昧だと、気持ちの切り替えがなかなかできなくて、休日も休んだ気がしなかった、とも。
でも、私が一人でマイペースを保っているのを見て、ああ、それでいいんだ、無理することないんだと少し肩の力が抜けたらしい。

そういえば、職場でよく話している友達と親しくなったのは、お互い一人行動が好きなところが似ていて、 相手の領域に必要以上に踏み込まないというスタンスが似ていたからなのだけれど、 彼女も、私がくるまでは一人行動がしにくく、周りになんとなくあわせては疲れていたらしい。
彼女にも「○○ちゃんがきてから一人で行動しやすくなったし気が楽になった」と言われた。
うーん、私はなにもしていないのだが、ただ普通にしていることで 誰かの気持ちがちょっとでも楽になる結果になったのなら、よかったなあ、 私のこのマイペースぶりもたまには役に立つのだなあ、なんだか棚からぼたもちな気分・・・と思ったのだった。

そうそう、金曜日に二人で話していて、一致したのは、
「仕事を一生懸命やることも大切だけど、そこだけに自分の価値を求めるのは ちょっと苦しいね。それよりも、どこにいても幸せだと感じられる自分でいたいね」
という気持ち。


20010413

「深読み大臣」を少し楽にしてあげようと決めた。
だめだ。
この大臣のせいで、私は自分で自分のことを苦しくしている。
深読み大臣の仕事は、なにかつらいことがおこりそうだ、大事な人を怒らせたまたは嫌われた、 そう感じるとどんどんそれについての考察を深めていき、最後には きちんとあきらめさせてくれるというもの。
この大臣のおかげで、本当はジェットコースターのように激しい私の感情が、一見安定しているように見えるのだ。
だけど、本当にその深読み通りのことが起こればまだいいけれど、 実際にその思い込みの相手に会って、確かめてみたら実はなんでもなかったりすることもある。
そうすると、一度覚悟を決めた自分の気持ちがなかなか元どおりの場所まで引き返してくることができない。
ものすごい違和感。
一度、自分の中で終わらせてしまったので、前みたいな関係がなかなか結べない。
これってつらいし相手にもえらい迷惑ですよね。
「深読み大臣」、実は役立たず。
なので、任務を解きます。


20010412

昨日の夜は、仕事の都合上家で待機していなければならかったので、 その時間まで、今までいろいろな人とやりとりをしたメールを 読み返したりしていた。もらったもの、おくったもの。
読んでいるうちに、なんだか楽しくなってけたけた笑ったり、 めちゃくちゃへこんでいた時にもらった友達のやさしい言葉にまた泣けてきたりで大忙しだった。
似たようなこと(特に恋愛)をちょうど同じようなタイミングで繰り返している 友達とのやりとりなんてもう、できることならそのまま出版してしまいたいと思うほどの面白さ、とほほさだ。
そして、また別の友達からの言葉は、それをもらってからもう二年近く経っているのに いまだにじんわり心に染みてくるし。言葉って、すごいな。こうやって、何度でも人を元気に することもできるんだ。私もそうやって、誰かの中に残りつづけるような言葉を 発することができる人になりたい。

最近、職場で唯一いろいろ話せる友達(でも、今月いっぱいで退職してしまう、 さみしい)と話していると、「日に日に笑いのセンスが磨かれてるよね」 なんて言われる。職場の環境にじーっと耐えてもくもくとやっているだけだと 発狂しそうになるので、とにかく笑えることを見つけながら乗り切るのが私流。
それで、相手もゆるんでくれたらうれしいし。
そして「秒単位で成長している」とも言われた。
昨日の朝は、ちょっと悲しいことがあって、 泣きそうになって吐きそうになっておなかもこわして(汚くてすみません)ぼろぼろだったのだけれど、 みんなが出勤してくるくらいの時間には、 思考はがーーーっと暴走してゴールまでさっさと行っており、自己完結がすでに終了していた。
「はあ、もういいや。スッキリした」というような感じで。
そして「朝はね、本当につらかったんだけど、2時間でここまで考えられるようになったぞ!」と 言ったら、そうほめてくれたのだ。


20010411

「本買いたい欲」無事復活。
とてもうれしい。
そのきっかけをくれた、新刊たちに感謝。幻冬舎らぶ。

私は去年、転職を考えて行動にうつした時、すごく気持ちがすっきりしていた。
久しぶりに大きな決断をしたことにたいして浮かれていて、ハイだったし。
そして、自分のことが好きだった。
今の私を採ってくれないような会社ならこちらからお断りよくらいのことは たぶん思っていたような気がする。私は私のままを見せますから、それで不採用なら縁がなかったということで。
私のままでも受け入れてくれる場所はきっとあるから。
そんな、根拠のない自信に満ちていた。

そんなことを思い出しながら帰宅途中の電車を待っているホームで、
ああ、今の私、いさぎよくない。カッコ悪い。
突然、本当に突然心からそう思って心底恥ずかしくなった。

私の気持ちがぼんやり曇っているのは、なに一つ自分で選んでいないからだ。
なに一つ、これは自分の決断で動いているという気持ちでいないから。
一見、二つの選択肢のうちの一つを選びとっているように見えたとしても、 実はそうではなくて、単になんとなく進んで行ってしまっているだけだから。
本当に行きたい方へ、足を踏み出そうとしてはまた戻る。そしてまた、いつまでもうじうじと悩む。
それは、自分を安全な場所にできるだけ長くおいておきたいからだ。
つまりは私、
卑怯者なんだよ。
そのことが今、はっきりとわかった。


20010410

ずーっと続いている、緊張状態。
夜もきちんと眠ることができなくて、2、3時間おきくらいに「ビクッ!」として目が覚めてしまったりするようになった。
どんなに身体が疲れていても、休みたがっていても、神経がはりつめていて、それについていっていないのだ。
とにかく肉体を疲労させれば眠れるだろうと、最近はできるだけ土日両方でかけるようにしているのだが 変わらず。身体と心がばらばらに動いてます。
これは・・・ヤバイぞ。
今もし、気持ちがゆるんだらどうなるんだろうか、私。
ドカンと反動がきて、ぐちゃぐちゃに泣いたり叫んだりするのかもしれない。それが恐ろしくて、理性が 必死にストップをかけようと、気持ちの手綱を引っ張っているのかもしれない。
でも、自分を思いっきりぐっちゃぐちゃにさせてあげたい気もする。

「あの人とは住む世界が違うから」
そんなセリフ。
例えば、お金持ちの人とそうじゃない自分を比べて言ったりすることのある言葉だけれど、それだけではなくて。
どんなに頑張っても入っていくことのできない世界というのは誰にでも存在するのではないかな、と思った。
そして、絶対に交わることのできない相手というのもいるのだと。
どんな世界にせよ、自分の世界をしっかり持ちそこに没頭している人と一緒にいるのは、 それが自分とかぶっていない限りとてもつらいかもしれない。
自分の居場所、居たい場所を確信できている人って、強い。
自己主張がはっきりしていて、自分が弱っている時にはそのパワーに負けてしまうのを感じる。

この間みた映画の中で「一番の恐怖は、自分の存在意味がわからないことだ」というセリフがあった。
ずしんと心に響いた。
自分の居場所がわからない。ここにいていいのか、いたいのかすらももうわからない。
仕事にも恋愛にも、自分の存在価値を見出せない。
疲れきって、どこにも定着することができずに幽霊みたいにふわふわと漂っている。
成仏できていない気持ちたちと一緒に。

もう、いいかげん、自分のことが鬱陶しい。


20010409

ここに2つの選択肢があったとする。
例えば、仕事をやめるやめない。
例えば、好きな人と別れる別れない。
どちらにするのかを選ぶのは自分だ。
その決断によって生じたことは、あくまでも自己責任としてすべて引き受けろ。
そして愚痴も言うなよ。自分が決めたことなんだから。
それは正論だし、その通りだとは思っている。
だけど、人は選択された項目を常に正確に、気持ちの乱れなくこなしていくことはできないから。ロボットではないから。
感情の通った、人間だから。
自分の決断によるものだとわかっていても、つらい時にはやっぱり弱音をはきたくもなると思うのだ。
しんどいんだよーん
ただそう言ってちょっと誰かに甘えるだけも駄目ですかい。

何を話しても、「それは自己責任じゃん。それについていろいろ言うのは間違ってるんじゃないの」 というようなことを言う人のそばにいると、私は気持ちがどんどん閉じていくのがわかる。
思うように話せない。本当の気持ちなんて、言えない。
その人用に、「弱音をはかない、しゃんとした自分」を演じてしまって苦しいのだ。
そのことを自覚すると「ああ、この人とは離れよう、距離を置こう」と静かに思う。

だって、なんでもかんでも、
「それはお前が選んだことなんだからぐだぐだ言うな!その場所にいるのは自分の意志だろう!」
と言われてしまったら、それはちょっとつらいよ、と私は思っているから。
私はそういう弱っちさもひっくるめて、大事な人達を受け入れたり、思ったりしていきたいし、 できれば自分もそういう人のそばにいたい。


20010406

去年転職してから、母はひそかに安心していたらしい。
私の表情も明るくなったと喜んでいた。「心配しないで(私の)帰りを待っていられるようになった」とも。
のだが。
また最近表情が曇ってきたらしい。
いや、しょうがないでしょう・・・どこでも同じようなことはあるよ。
人が出す殺気には、いくら頑張っていてもやられてしまうのよ。
と、苦笑するしかない感じだ。
母と話していて、ふと、
「なんか・・・この会話昔もしませんでした?」「うん、あんたが前の職場にいた時にしょっちゅうしたよね」
歴史は繰り返す、のかもしれない。
あーもう、いい加減やんなってきたな、とぼやく私に「何いってるの、二度あることは三度あるんだから まだあるよっ!」と明るく言った母。
げっ、まだもう一回あるのか・・・。(今二回目)
さらに、「あんたはきっと将来小説家になるために、今いろいろな経験をしてるのよ〜」
とも。
大好きです、その前向きさ。

でもそう。
ちょっとしんどい状況にいる自分のことすら、他人事のように眺めておもしろがってしまいたい。
「おー今君はつらがっとるね、よしよし。でもまあ、命までとられるわけじゃなし、だいじょぶっしょ」と 能天気にへらへらした自分も、心の中に置いておきたい。
そして、その時に動いた自分の気持ちを見逃したくない。1ミリたりとも。もったいないもの。
そう思う。


20010405

日記のインデックスページを眺めると、あーけっこう私たくさん書いてきたのね、と思う。
そして、月日が経つのってはやい・・・とちょっと恐怖にも似た気持ちにもなる。

最近、母親に「あんたはもっと夢を見るとか、こうなったらいいな、こうなるかもしれない♪ (と、目をキラキラさせて)って思うようにしたほうがいいよ」と頻繁に言われる。
私、現実を見過ぎているようで。
「夢を食っては生きていけないんだよ・・・」と思わず反論したら、
「そんな90の爺さんみたいなこと言わないのっ!」と怒られてしまった。
そう言われてもなあ。
「これからの私の人生バラ色!」なんて気持ちでいつもいる人、そんなにいないのではないでしょうか。
こうやって、毎日地道に積み重ねて、なにかが見えてきたらうれしい。
そのために努力を怠らないようにしよう。
そういう気持ちだけでは、駄目?
・・・って、この淡々さが、母から見るととても歯がゆいようで。


20010404

今の私、お給料がはいってからジーンズを買うのを楽しみに働く日々。
雑誌などで研究して、わくわくと待っている。下見も欠かさない。
どうしてこんなにジーンズが好きなんだろう・・・と自分でも不思議なのだが、 たぶんそれは母親の姿を見てきたからなんだろうな、と思う。
私の母は、ジーンズをはくためのような体型をしている。今でも私よりかなり細いし、お尻も本当に 小さくて(「どこが背中でどこがお尻かわかんないね」と言っていたくらい) 女性用のジーンズではお尻がだぶだぶで駄目だと、メンズの少年用をはいているくらいなのだ。
いつまでたっても、体型で母を抜くことができない私。くやしい。
でも、そうやって格好よくジーンズをはきこなす母親は幼い頃から憧れで、 私もはやくジーンズをはきたくて仕方がなかった。
高校生くらいのときにはじめて買いに行ったのだけれど、その時は 「まだジーンズに似合う体型じゃないからカッコ悪い。やめとき」とあっさり 言われてあきらめた。大学時代もそんな感じではかなかった。
ジーンズが解禁?になったのは社会人になってから。
社会人になって緊張したせいか少しやせたり、体操して引き締めたりしたので、そこではじめて「うん、まあ ジーンズが似合う体型になってきたね」と言われた時は本当にうれしかった。 これからはガンガンはくぞーと思ったものだ。
ジーンズを格好よくはくためならどんな努力もする。その気持ちは、職場にはいていけるようになった 今が一番強いかもしれない。もう、うれしくて。

今年はなんだかジーンズが大流行の年のようで、あちこちの雑誌で特集が 組まれているし、はいている人も多い。
予約殺到で、300本待ちなんていうものすごいジーンズもあるとか。
そしてみんな、股上が浅くてできるだけジャストサイズのものをはくようにしているの だろうけど、この間聞いてびっくりしたのは、ジーンズ屋の店員さんが 「私はこれ、ボタンとまらないのをはいてるんです」とファスナーが途中までしか 上がっていない状態でぴっちぴちのを頑張ってはいていたという話。長めの上着でファスナー部分を 隠して。そうやって、少しずつのばしていってぴったりのものをはく努力をするらしい。すごい・・・。
女性の「少しでも細く見せたい」という心意気、気合いのようなものを感じて 思わず感動してしまった。
私も見習おう。私の場合、ジーンズをはきたい気もちがある限りは ダイエットも失敗しないのではないかと思うし。
今もすでに、次のお給料がはいってから買いたいジーンズがあるので、 それに備えて身体を締める努力をしているところ。(試着してみたらはいったけど少しきつかったので)


20010403

メールなど、文字でもらう言葉が本当は苦手だ。
私、深読み大臣なので。
「これを書いた時の相手の気持ちはこうなんじゃないか」と 推し量りまくってしまうから。
そうやって思考の深みにずぶずぶとはまっていく。
私はただでさえ、口で言われた言葉もあとで何度も反すうして 「これはこういうつもりで言っていたのかな・・・」などと しつこくしつこく考え続けてしまうようなやつなので、 それが文字として残ってしまうと反すう度はさらに高くなってしまうのだ。
まるで国語の時間に、内容を理解するためには何度でも読み返しなさいと言われて 何度も何度も教科書を黙読した時のように、読み続ける。
そうすることで、少しでも相手の気持ちに触れたい、つかみたい、と必死なのだ。
大切な人からもらった言葉なら、それをきちんと自分の心に染み込ませたいと思うから。
自分のものにしたいと。


20010402

みなさん、昨日は嘘をつきましたか。(エイプリールフール)
私は最近思う。
「嘘をついていい」日じゃなくて、
「嘘を言わなくていい」日が欲しい。

瞬発力もヒツヨウだしダイジなことヨネ
でも私はどちらかというと、いつも安定稼動していたいという気持ちのほうが強いんです。
だから、感情が動いたら、まず自分の中で処理して、外に出せる形にしてから出してしまう癖がついた。
そのほうが楽だからね。
そうやって出したものに対しては、そのことでどんな結果になっても自分で責任を引き受ける覚悟もできているから。
むき出しのままで手渡す気持ちにはなれない。
それが私の、基本姿勢。

だけど、たまにはなんの加工もしていない、むき出しのものを思いっきりぶん投げたい!
と思うこともある。そんな時のために、パソコン用の日記があるのだ。
たまにしか書かないけれど、とても大切な場所。
昨日、3週間くらい前に書いた最後の日記を何気なく読み返した。
そうしたら、自分がこんなことを書いていたことすら忘れていて、 思いがけず気持ちに衝撃を受けてしまい、涙ぐんでしまった。
ああ、びっくりした・・・。
気をとりなおし、今自分の中にたまっている「本当の気持ち」を すべて日記に吐き出した。文章のまとまりなんて気にせずとにかく気持ちのまま。
書いたものを読み返したらやっぱりつらくてまた泣いたけど、 でも、本当の気持ちを言えるのってすごい。言えないとどれだけストレスがたまるかということも 書いてみてわかったこと。
本人にこれを伝えることがたとえできなくても、ここで自分で認められただけでいい。
それだけでよかったと思う。


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