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20010530

職場の男性から突然、本を紹介してほしいと頼まれた。
「ふだんどういう本を読んでるの?人生を変えた一冊とかないの?」などと聞かれたのだが、 そこにはあまり突っ込まれたくないので(自分が丸裸にされるようでなんだか落ち着かない)、 さりげなく「逆にどういう本が読みたいの?元気になりたいとか、 恋愛ものが読みたいとかそういうのはある?」と聞きかえしてみた。
そうしたら「自分にないコトが書いてある本が読みたい」という返事。
自分にないコト・・・。
「・・・って、いったいなにがないの?」と聞いてみたら、
「ほとんど持ち合わせてないからなー。」との答え。
その人が普段読む本を聞いてみたら、プログラミングの本の名前が ずらずらとでてきた。仕事関係のものばかりだ。
そっか・・・私にとって本のある生活はごく当たり前のものだけど、 読まない人は本当に読まないんだ、と目から鱗が落ちたのだった。
ある程度有名な本で、私にとっては「これをすすめたら『なにいまさら こんなもん』って言われるかな」と思うようなものでも、 「なにそれ?ぜーんぜん知らないよ」って言われる可能性は大なのだ。
今まで、あまりにも当たり前に本はそばにいたから、そのことに気がついていなかった。
そうか、読書って、趣味なのか・・・趣味を持たない自分を ちょっとツマラナイと思ったこともあったけれど、実は趣味なのでしたね。
なんだか、読書を趣味って言うことは、「ご飯を食べることが趣味です」と 言うのと同じくらい、なんだかこっ恥ずかしいことなので私は無趣味な人間、と思っていたのだけれど。
だって、本を読むのはお風呂に入ったりするのと同じくらい生活の中に ある。だから、趣味って言われても、なんか違うなあ・・・と思ってしまうのだ。

その人に「おためしで私の本を何冊か貸そうか?そしたら 自分の好みもわかるだろうし」と言ったら、
「でも、本すきでしょ?絶対大事にする派でしょ?だから・・・」
と言われた。だから、借りるのはちょっと心苦しい・・・そういうこと。
なんだか少し、嬉しかった。
大好きなものを大切にする気持ちをわかってもらえた、そう感じたから。
その人にとっては、CDがそうらしい。
だからわかってくれたのかな。でもうれしいな。
結局、古本屋でも売っていそうな本を 見つくろって何冊か紹介してみるということになった。よっしゃ、まかせてよ。
男性なので、女性が書いたものはあんまり読みたくないかな・・・と 思ったのだけれど、それが意外にも
「男性の価値観よりは、女性のほうが違った見方で面白いかもなー」 という答えがかえってきたので俄然はりきる私なのだった。
文庫本がいい、とのことだったので、自分の本棚をじっ、とにらみつけて 5冊くらいの題名と著者名、出版社をメールで送っておいた。
読むか読まないかは、実物を見てから本人に決めてもらおう。

別に世の中の人みんなが本好きになればいいなんて思ってない。
たとえば洋服を売る店員さんは、
「ここの服が大好きなのでみんなも着てくれたらうれしい!」という 気持ちですすめているのだと思う(まあ、それだけじゃないだろうけど・・・もちろん)。
私も、そんな気持ち。


20010529

昨日の夜、野菜スープを作った。
本当は、母に食べてもらいたくて作ろうとしたのだけれど、
「ごめん、いらない。食べないといけないと思うとつらい」と言われてしまったので 腐らせないために自分で食べることにする。
そりゃそうだよな・・・人の手のかかってるものってプレッシャーだし。 だから私は外食が苦手なんだもんな・・・。体調悪かったらなおさらだよな。

生姜を薄く切ったものを鍋に入れ、水とコンソメを加えて沸騰させる。 その間に、ニンジン、玉ねぎ、キャベツ、ベーコンをざくざく切って ぶっこんで。煮立ってきたら野菜ジュースを少し加えて、あとはあくを時々取りながら ひたすら煮るだけ。料理とも呼べないな、こんなの。
このスープは、大学時代に、野菜を食べたいけど毎日しっかり料理するのがきつい時に、よく 作り置きしておいたもの。これに具を加えて煮直してもいいし、 カレールーを入れてカレー風味にしてみてもいい、という感じで3日くらいはもつので 重宝したのだ。食欲がない夏でもなんとなく食べることができたし。
なんて、懐かしみつつ作っていたのだが、いつの間にか、包丁さばきがとてつもなく下手になっていた。
私の手はキーボードは少しは速く叩けるかもしれないが(やな手だな)、 包丁できちんと料理することにはあまりにもぶきっちょになっていて、愕然。最後はもう、 やけっぱちになって野菜たちをぶった切った。
はー。料理・・・料理の勉強しようかな、これから。週末の趣味を料理にすればいいのかも。
と、かなり落ち込みながらのスープ。
出来栄えは、「可もなく不可もなく」といった感じ。母に「どう?おいしい?」と 尋ねられた答えは、「うーん、野菜の味がする」。
料理ってやっぱり愛情かもしれないなあ、と思った。やけくそになって作った料理は、やっぱりやけくその 味がする。
自分に食べさせるとはいえ、料理って駄目かも。私は今、食欲のある自分を憎んでいる(食欲なんて なくなってしまえばいいと思う)ので料理に愛情を注げるはずもなく。
これは、荒んだ気持ちのお母さんが毎日料理を作っていたら、それを食べる家族の気持ちも つられて荒んでくるというのは十分有り得る話なのではないか?とまで思ってしまった。 ご飯問題は深い。
やっぱり平日はプルーンにヨーグルトにチーズ、にしておくのが私は正解かも、と思った。
でないと、自分の料理で気持ちが荒んでしまいそうだ・・・。


20010528

金曜日は半休をとった。
友達と一緒に泊まるホテルに先にチェックインして ゆっくりお風呂につかり、大声で歌いまくった。
それから、この時間のために買ってきた本を読んだり、途中でこてん、と眠ったり。
お風呂に入ったらおなかが健康的にすいてきたので、 近くにあるモスバーガーへ買い出しに行った。夏の名物、玄米シェイクも買ってもりもりとたいらげる。
気持ちが解放されている時に食べるものはとてもおいしい。からだにしみいる感じがする。

ああ、ホテルに住みたいな。
広いお風呂と、大きなベッドと。
本とテレビ。
ホテルでの時間は、日常生活からの軽い逃亡だ。
そんな時間を過ごしたことで、自分の傷を少し舐めることができた気がした。

そして、思っていることを全て言える、友達との時間に思った以上に癒されている自分。
今いる相手との関係に、本当は疲れきって、傷つけられきっていることがはっきりする。
強く縛っていたほころびがほどけて、ゆるゆるになってしまう。
カラオケを歌う彼女の隣で静かに泣けてきて、こらえるのに苦労した。


20010525

インターネットで本を注文したのがコンビニに届いたらしいので、 受け取りに行かなくては。(そういえば、最近あまり本屋に行っていない)
現物を見もしないで買うとは私も偉くなったもんだわ。
でも、こうやって、ちょっと気持ちにひっかかった本をがんがん注文して 取り寄せることができるんだったら、どこに行って暮らしてもいいな・・・。
なんてちょっと思った。
あとは、図書館さえあってくれれば。

理想とする生活は。
本と、おいしい食材と、自然をそばにおいて暮らす。
こころ穏やかに。
と、まるで隠居生活のようなことを、最近はついつい夢見がち。

ところで、わたくし、ちょっと飛ばしすぎました。
だめです、限界です。
6月になったら、もう、週末に予定を入れないようにしよう。
土日両方、私のものよ。
時間を独り占めして贅沢に使うのだ。休むのだ。
もともと、そんなにずっと人に会い続けることには 向いていないのに、ちっと調子に乗っちゃったな。
なんというか、人に会うために「外面モード」に切り替え続けることに疲れ果ててしまったのだ。
いつの間にか、疲労困憊でぐったりとしている自分に気がついて、ぎょっとした。


20010524

まあ、いろんなことがあります。ねえ。
「癒しの○○ちゃん(私のこと。勝手に命名された)は今はこういう運命なんじゃない。」と、友達。
「癒しの○○ちゃん(開き直って自分でもそう呼んでみた)、癒されず・・・」と私。

「いや、むしろ自分をも癒してしまう癒しの○○ちゃんはバランスがうまく取れるよう危険な橋を渡りけり。」
だって、さ。

言い方は下品すぎて申し訳ないくらいなのだが、結局のところ、
「自分のケツは自分でふけ」
そういう思いでやっているだけなのだ。自分の感情の後始末くらい、自分でできないでどうすると。


20010523

朝っぱらから、駅の掃除をしている人にホウキで足を掃かれてなんだかやな気分。
ちゃんと避けたのにそこまで追いかけてきて掃くとはどういうことよ。
と、むかむかしながら通り過ぎた。靴ならまだしも、ジーンズの裾を掃かれたことに ちょっとショックを受けたのだ。
あーあ、朝からついてない。雨だし。気持ちもなんだか重苦しい・・・。この まま一日仕事するのはきついなーと思いながら職場まで歩いているうちに、 いつのまにか少し気が紛れたのを感じた。む、低め安定だけどなんとかいけるかも。
今日のお昼はマックで半額バーガーでも食べよう、本を持っていって。
飲み物はミルクだな。
よしよし、楽しみになってきたぞ。
私は、自分の機嫌をとるのが上手だ。これはちょっとだけ、自慢できることかも。


20010522

ホテルの、大きなベッドで眠るのが好きだ。
縦になっても、横になっても、斜めになっても、どんなにぐるぐる回転しても 落っこちない、その安定感。
広さを満喫したくて、思う存分転げ回る。あっちにいったり、こっちにきたり。
左を向いたり、右に寝返ったり。枕を背にだらだらテレビを観たり、飽きたら本を読んだり。贅沢な夜の過ごし方。
自分の部屋ではベッドの上に上がった次の瞬間には眠っていることが多いのに、 ホテルでは楽しくていくらでも起きていることができる。
ベッドの上がまるで、小さな部屋みたい。
広さってやっぱりゆとりにつながるよなあ・・・と思う。
すみっこの方で丸まってせせこましく寝ていても、安心して眠ることができるし不安定を感じない。
なんだか守られているような気がして、その感覚があまりに幸せで胸がいっぱいになる。

許容範囲が大きいのが好きなのだ。


20010520

ちょっと体調が悪くても、どんなに気持ちがくたびれていたとしても、 本屋にふらりと立ち寄り、単行本で読んで以来、ずっと文庫化を待ち望んでいたものが新刊として並んでいたのを見つけたら、 もううれしくて幸せな気持ちで胸がいっぱいになって、そんなものは一気に吹っ飛んでしまう。
大好きな本は、やはり自分のものにしたい。いつでも連れ出したり、ベッドに引っ張り込んだりして べったりとつきあいたいのだ。「うちの本棚へ、ようこそ」という気持ちでわくわくと連れて帰る。
ああ、弱ったこころとからだをひきずってでも本屋に来てよかった、と思う。

私にとって本屋は、動物が傷を癒すために立ち寄る泉のような場所。


20010518

私って、仕事以外に時間や気合をごごご、と費やしているものがないな・・・。
なにか習い事をしているわけでもないし、趣味でやっているスポーツなども特にない。
うーんうーん。
これってつまらないことだろうか。
多趣味な人、打ち込めるものを持っている人のことはすごいなーいいなあ、とは 素直に思うのだが、じゃあ自分もそうなりたいか?と聞かれると実はそうでもないようだ。
おー私ったらなにもしてないわ、なんかやったほうがいいのかな、別に 仕事一筋に生きたいわけじゃないし、などと一瞬焦ったりは、正直する。
でも、私は日々の生活があれば十分なんだよなーと改めて思う。
なんのへんてつもない、普通の生活のことが好きで、大切にしていきたい。そういう思いがあるから、別に 趣味がどかんとでっかく存在していなくてもぽっかりした気持ちにならないのかもしれない。
ただ、今は生活をおろそかにしがちなので、ちょっと気持ち悪い。
そこを直視してしまうと、できていないこと、やりたいことばかりで発狂しそうになるので、 目をつぶって駆け抜けるようにしているのだけれど。


20010517

ここ数日、夜起きていられない。
頑張って仕事を終わらせ「さー今日は1時間は読書できるぞ」とわくわくと 帰宅。あとは寝るだけの状態でベッドに座り本を開いたその5分後には意識が遠のいている。 それに抵抗するのも無駄なので(ほとんど気絶にちかい)、 さっさとあきらめてことり、と眠る。CDをかけていても一曲も聴き終わらないうちに寝ている。
ほ、本が読めない・・・。
心置きなく思う存分本を読むには自分の心身もある程度は 整っていないと駄目なんだな。本の中に入っていくのにパワーも要るし。
無理して読んでも、それは結局垂れ流しだし、カスを食べているようなもの。 そんな読み方は本に対して失礼な気がするので、読める状態になるのを、待とう。
この状態は、つらいけど。「好きだけどはいっていけない」相手と一緒にいるような気がして。

最近、自分の回路が、仕事用のものしか開いていないような気がする。
それ以外は閉じたまま、なんだか塞き止められているように思う。
ちょっと、苦しい。
「仕事さえきちんとできていればいい」
というのは違うよな、と思うから。


20010516

ふと自分の部屋の本棚を眺めて思った。
「私の持ってる本って、なんだかとってもキレイかも」と。
私は、本を購入した時には必ずカバーをかけてもらいそのまま読む。
これは持ち歩かないな、部屋だけで読むだろうとわかっているものにも必ずかけてもらう。
何冊かまとめて買った場合は、未読の本は本棚の決まったスペースに並べておき、順番に読んでいくのだが、 部屋で読む時もカバーはつけたままだ。題名を隠すためというより、本を守るために つけてもらっている意味の方が大きいので。
読み終わったものはカバーをはずし、もしすでに持っている作家のものであれば その隣に並べるし、そうでなければ新たに並べる場所を考える。
そしてカバーをはずす時、帯は絶対にとらない。
あとでカバーなしで読む時には帯はじゃまなのだが、でも、とらない。
本についてくる帯は、購入した時によって書かれた言葉なども違うし、それに惹かれて購入することもあるので、 けっこう大切にしているのだ。
カバーをはずした後は、帯も守りつつ、読むように気をつける。
寝る前につけるハンドクリームも、今晩はもう本を読まない、寝るだけ!という瞬間になるまでは絶対に つけない(油じみがつくのが許せないので)。

本の姿を損なわないように。

これらは無意識に、自然にやってきたことなのだが、こんな風にしていたら気がつけば なんだか小奇麗な、まるでミニ本屋のような本棚になっていた。
本当は、自分の本なのだから多少手荒く扱おうと風呂場に持ち込もうとかまわないのだ。 でも、どうしてもそう扱うことはできない。そうさせない、自分を食い止めてくるものがある。
それは、自分の中のゆずれない一線のようなものなのかもしれないと思う。

職場の人と話していたら、彼女は逆に、本はどんどん汚して読むもの、という 考え方の人だった。「飲食しながら本を読むのが大好きなんだ」と言われて、 今彼女に2冊の本を貸している私は、げ、ちょっとやな予感・・・と思って 無言でいたら、彼女も察したのか「あ、でもだいじょうぶ、借りた本は汚してない・・・はずっ」 と焦って言ってきた。ああ、でも今、あなたは「借りた本は飲食しながら読んでないからだいじょうぶ」とは 言わなかったわね・・・やっぱり食べながら読んだのね・・・と、がっくりきた。
貸した本のうちの1冊が、図書館で3回くらい借り直して読んで、どうしても欲しくて 取り寄せてまで買った単行本だったのでその落胆はかなりのもの。
でもまあ、しょうがない。そんな大切な本を貸した私がいけない。 これからは、たとえ「この本持ってる?」と聞かれてもあまり答えないようにしよう。
そのほかにも、職場の友人に頼まれて連休用に何冊か貸したら、かえってきたそれらに 彼女が部屋で薫いているらしいお香の匂いがしっかりしみついてしまっていて、 泣きたい気持ちになったりしたこともあった。(紙の匂いがするから本はいいのだ!)

もちろん、本棚に並ぶすべての本がそんな風に完璧にきれいなわけではなく、 頻繁に持ち歩いている本は、どうしてもぼろぼろになってくる。
すでに10年以上前からよく読んでいるものは、さすがに 表紙がよれよれになってきたけれど、この本はこういう読み方、と 決めているので全然いやではないし、むしろうれしいほど。
こういう本は、まるで友達みたいに感じられる。


20010515

大学生の頃、金欠になってくると「貧乏ダイエット〜」とかいってあんまりご飯を食べなかったりしていた。
そうすると、「ダイエットしてるから食べないんだもん」と思えるので あまりみじめな気持ちにならないし、ゲームみたいでちょっと楽しかった。「お金ないし」と 思えば食べようとする気持ちも抑えられる。節約&ダイエットの一石二鳥だ。
それを突然思い出して、「そうだよその手があったんだった。またやろう」と決めた。

転職してから、ご飯をおいしく食べられるようになったのはいいのだが、 エンゲル係数がさりげなく高くなっていて困る。
なんせ、それまでは一日の昼代が200円を切っていたので、 それに比べたら、たとえ今500円以内に抑えていても大差がありすぎるのだ。(以前が 使わなすぎていたという話もあるが・・・)
これはいかんと、まずはお菓子を絶つことに。癒しのために買うの禁止。貧血気味になった時用の チョコだけはよいことにする。
それ以外の間食は、今はまっている「梅すこんぶぐみ」にすること。(こんぶと梅の味がしっかりして、 噛みごたえがあっておいしい)
お菓子を買うのをやめたらけっこう、ダイエット&節約になるかなあ・・・。
倹約を考えた時に、まず一番最初に食費を減らそうとするのって間違っているんだろうかと、ちょっと不安 になる。
本当は本やCDを買うのをもっと控えればすむ話なのかもしれない、んですが。
これでも、CDは最近購入をかなり控えている。聴くものがスガシカオスガシカオ鬼束ちひろMISIA宇多田ヒカルスガシカオスガシカオ というローテーションになってきたので、それ以外のCDは買わない。そしてそろそろまた、聴いていないものを売りに行くつもり。
本も、最近は文庫ですらかなり悩んでから買うようになった。はーじゃあいったい何にお金が消えてるんだ。
と考えてみると、いわゆる交際費(人とご飯を食べたり飲んだりする)が、転職する前よりも かなり増えているのがわかった。前はそういう元気があんまりなくて、土日も一人で過ごすことが 多かったから、そこにはほとんどお金がかかっていなかったんだなあ、と実感。実際去年の手帳を 見てみると、今年よりも格段に週末の予定の書き込みが少ない。
とはいっても、もともとそんなにつきあいのいい方ではないし、本当に会いたい人としか会わないようにしているので、 無駄遣いしているとは思わない。人と会わない時期もそれはそれで楽しかったが、今は 人と会う機会を大切にして、人間関係の中でもまれたい、と思っているので。
でも、そんな私でもうーん交際費が・・・と思うのだから、世の中の お小遣い制のダンナ様たちはもっと大変なんだろうなあ・・・としみじみ思ってしまった。
それも、私なんかと違いつきあいが仕事にからむことも多いのだろうし。思わず、お疲れさまです、と 道ゆく男性にそっと声をかけたいような気持ちになった。


20010514

週末、会社のビンゴ大会の景品を買いたいという友達につきあい、渋谷へ。
スターバックスの前を通ると、私が冬に買って以来ずっと愛用しているタンブラーの 夏バージョンが出ていて、思わず立ち止まる。景品になるもの、という視点で 見ると、スタバにはけっこう適するものがたくさんあった。自分で進んで買うほどでは ないけれど、もらったらうれしいものたち。
タンブラーにチョコつけるってのはどう?これももらったらうれしいよねえ、 などとわいわい選んでいると、後ろから男の店員さんが、
「このかごを使ってください。なんならここにある4個全部使ってくれてもいいですから〜」と にこにこと話し掛けてきた。
その笑顔のさわやかさにちょっとしびれた私達。(友達は声にしびれていた)
「あー私ちょっとあの人の笑顔にやられました」「でも、どうせ嫁もちだよ」(友達の冷静な 発言)「あーそうだろうねーあの落ち着きぶりと穏やかさは絶対そうだ。どうして 感じいい人ってみんな嫁持ちなんだろうね、男の人って。そうじゃない人って独身だし。 女の人は別に、結婚してるしてないで、気持ちの安定ぶりにそんな差がでたりってあんまりしないじゃない? なんで男の人は差が大きいんだろうなー」
ああ、この人穏やかで心が平らかでいい感じだなーと思った人には必ず、 嫁またはもうすぐ嫁になろうとする人がいるんだよな・・・ちぇっ。
それって、もともと安定していてステキな人だから相手がいるのか、 相手がいることで安定したのか、いったいどっちなんだ。
と、思わず「卵が先かニワトリが先か」という質問のようなことを考えてしまった。

その後、お茶の専門店に行ったり、ロフトに行ったりして、無事景品の購入は終了。
自分のものではないけれど、いろいろと買い物を楽しんだことで、(それも普段はあまり 自分で買おうとしないものばかり)すごく満足した。
自分のために買ったものといえば、無印良品のリップクリームとユニクロで折りたたみ傘。
アマガエル色(黄緑)にしてみた。雨の日にさしたらカエルっぽくてかわいいかな、と思ったのだ。


20010511

本屋に寄った。文庫新刊を2冊ゲット。
最近、いわゆる生き方指南のような本には食傷気味で、(やたらと目につく) そんなものを読む暇があったら、面白い小説を何冊でも読んだ方が よっぽどいい、そう思う。
何年か前は、その類いの本をやたらと読んでいた時期もあったのだが、 結局、それらから得られたものや、今でも残っているものはない気がする。
それよりも、むしろ小学生時代に読んだような本の方が、いまだに心の中に残っていて、時々気持ちを 助けてくれたりする。

大きな本屋で苦手なのが、英会話講座の勧誘の女性があちこちに立っていたりすること。
「あ、学生さんですかー(格好がジーンズにTシャツなのでそう見えても仕方ない)、 これ、もらいましたかー?どうぞー」と甘い声で話し掛けられるのが嫌いで、 せっかく本屋に来たうれしい気持ちが少し減ってしまうような気までするので、 わざわざ、そこを通らないですむように遠回りして文庫コーナーへ行くようにしている。
本屋が大好きなので、そこにいる人を無視して通り過ぎることに対してなんだか罪悪感を 感じてしまうのだ。道を歩いている時に声をかけてくる人を無視するのとは、ちょっと気分的に違う。
うー、純粋に本屋を楽しめなくなるから、できればいないでほしいんだけどなあ・・・ あの女性たち。仕事だから仕方ないので、恨みはないんですが。
昨日は珍しく、その勧誘担当の店員と話し込んでいる女性の姿があったので、 ちゃーんす(こっちに話し掛けてこないぞ)とそそくさとその前を通り過ぎた。
文庫をぐるっと見てまわり、会計をすませて帰ろうとしたらまだ話し込み中。
なにをそんなにあつく語ることがあるんだか・・・カウンターに身体をあずけてまで。
でも、けっこう勧誘の女性といろいろ話している人って、よく見かけるのだ。英語についての ことだけでなく、自分の大学生活や、就職活動の悩みまで話しているのが聞こえてくることがある。
逆に、見知らぬ、通りすがりの人だからこそ何でも話せてしまったりするのだろうか。
こうやって、知らない人でもいいから、自分のことを聞いてほしい! と熱望している人って実はけっこういるのかもしれないなあ・・・なんて思った。
誰かの関心を自分に集めたい。自分を見て欲しい。そういう気持ちって、誰にでもあるのかもしれない。
幼い頃は、親から。育ってしまった今は、誰かから。本当は自分を愛してくれる人から、なのかな。
それが叶わないと、人って不安定になるのかな。

そんなことを考えていたら、なんだかそのあつく語っている女性の背中に「只今アピール中」と書かれた紙が 貼ってあるような気がした。


20010510

「自分はこのままじゃいけないって思ってるっす」
そう、職場の年下の女性に言われた。
「幸せがほしいな・・・」
これは、同じく職場の、今度は年下の男性に言われた。
「じゃあ、どうなりたい?どうなったら幸せだと思える?」と 二人に尋ねてみたが、二人共、揃って答えは、「うーん・・・」だった。
どんな状態になったら「このままでいい」って思えるの、みんな?
漠然と、何も見えない真っ暗な海の中でもがいてるみたいに見える。
自分がつかもうとしているものが何なのかもわからないまま、めくらめっぽう あちこち引っ掻き回して、手当たり次第に掴んでいるように見えるよ。
なんでみんな、そんなに何かが欠落している気持ち?
もっと、もっと、もっと。
そればかり。

宮部みゆきの「火車」という小説を再読したら、とても心惹かれる部分があった。

「・・・あのね、蛇が脱皮するの、どうしてだか知ってます?」
「脱皮っていうのは――」
「皮を脱いでいくでしょ?あれ、命懸けなんですってね。すごいエネルギーが要るんでしょう。それでも、 そんなことやってる。どうしてだかわかります?」
「成長するためじゃないですか」
「いいえ、一生懸命、何度も何度も脱皮しているうちに、いつかは足が生えてくるって 信じてるからなんですってさ。今度こそ、今度こそ、ってね」
べつにいいじゃないのね、足なんて生えてこなくても。蛇なんだからさ。立派に蛇なんだから。 富美恵は呟いた。
「だけど、蛇は思ってるの。足があるほうがいい。足があるほうが幸せだって」
足が欲しい。足が欲しい。足があったら幸せになれる。
そう思っている蛇は、命懸けで脱皮を続ける蛇は、幸せなんだろうか。
どこまでいったら、足をあきらめるんだろうか。
どんなに脱皮しても、足は生えてこない。そう知った時、蛇は絶望して、何度目かの脱皮を終えたあとに 死んでしまうんだろうか。
もがいて、あがいて、必死に今自分が持っていないものを求めて。

苦しいだろうな、蛇は。


20010509

たとえば、トイレの水を流すとか、トイレットペーパーを交換するとか(トイレネタばかりですみません。 でも必ず誰でもやることだから)、歯を磨いたり、自分で着替えることなど。
普段、何も意識せずにやっている、それこそ空気を吸うのと同じくらい無意識な日々生活の作業。
それらを何の苦労もなくやれることが、どれだけありがたいのかを もっとかみ締めて、幸せに思わなければと思う。
両腕と、両足がキチンと動くということ。自分の足でどこにでも行けるということ。
自分の手で自分の生活の面倒をみられるということを。
そして、それができない状態にいる時、人は猛烈にストレスを感じるものだし、 とてもつらいのだということを、いつも忘れないでいたい。
去年、高熱でぶっ倒れた時は、本当につらかった。
縦になっても横になっても何をするのも全身が痛くてたまらなくて、転げまわって 「いっそのこと殺してくれ!」と叫びたいくらいだった。
あの時の痛みや気持ちを、時々思い出して、今動けるこの身体に感謝したい。
当たり前のことを幸せだと思えないようにはなりたくない。
月一回、生理の数日間の痛みでさえ、仕事をするのには つらくて、鎮痛剤のお世話になりまくっていることを考えたら。
人間、痛みに弱いのです。何の痛みも感じずに生活できるって、本当に幸せなこと。


20010508

私はよく、自分のことを突き放す。冷たく。
このおかげで、どんな状況にいてもなんとか気持ちを保っていられるのかな・・・と最近思う。
感情的になりそうになる自分を容赦なく叱り飛ばす。
弱音を吐きたくなったら「フザケンナ」とはりたおす。
感情のせいでなにかを壊すのが(ものに限らず)こわくてたまらないのだ。自分が セーブしてなんとかなることなら、いくらでも抑えるよ、って思う。
でも、このせいで、自分の情緒がどんどん死んでいっているような気がして、 それらはどこでどうやって出せばいいのかが、もう、よくわからなくなっている。

どの感情が正しくて、どれが間違っている?
そんなことを考えること自体、もうだめだろうよ、と思うのだ。
「自分がそう感じる」ことに正解も不正解もないだろう。

もし今目の前に「終わりがすでに見えている、必ず終わると わかっていることたちをこの瞬間に終わらせてしまうスイッチ」が あったとしたら、きっと私はそれを押すだろう。
もういやだ。
なにもかも爆破して、私は逃げてしまいたい。


20010507

中央線な日々を過ごした。

3日は吉祥寺で友達と会った。前から行ってみたかった、料理家の高山なおみさんの 店で昼ご飯を食べ、そのあとアンナミラーズでケーキ&コーヒー(コーヒーは苦手だが おかわり自由なのはコーヒーだけだったので)。ひたすらしゃべりたおして帰ってきた。

4日は荻窪の健康ランドへ。お風呂やサウナに入ったあと、休憩室で泥のように眠った。

5日は新宿に行き、ホテルでやっているケーキ食べ放題に行った。最近やたらと甘いものが 好きなのでさぞかしたくさん食べられるだろうと気合いを入れたのだが、 実際にはそんなに食べられず。合間に食べたシューマイ、おいしかった。

全体的に、のんびりお茶したりお風呂に入ったり眠ったりと、あまりアクティブに過ごしたとは言えない。
でも、こんな日々がもうちょっと長く続いたらいいのに、と思った。


20010502

たんたんたん
タンタンタンと
自分から音が聞こえてきそうだ。
淡々の、たんたん。
たんたんたん。

何が楽しいの?
何がつらいの?
何がうれしいの?
何が悲しいの?
何が好きなの?
何が嫌いなの?
何が欲しいの?

わかってるの?

・・・わかんねえ。

なにもかもがクリアにならない。
ぼやけた自分の輪郭。
自分はこうである、と言えない状態。
ぼんやりおばけだ。


20010501

ここのところずっと、きちんと眠れていなかった。
寝つきはいいのだが、神経がたっているのか2時間おきくらいに目覚めてしまう。
つらかった。
でも、週末にちょっと遠出をして、東京から離れたところで のんびりと過ごしてきたら気持ちがほどけたのか、昨日は一日中、本を読むか眠るかでだらりんと過ごすことができた。
今までのたまっていた疲れがどっとでてきて、身体中が痛かった。二度寝どころか、五度寝くらいしただろうか。
結局、神経が疲労し過ぎているとあまり眠れないのだなと思った。
身体の方の疲れをそれ以上にしてやるか、気持ちを丁寧にほぐすかしない限り、きちんと眠れない。

でかけたのは大学時代に住んでいた場所で、友達が迎えに来てくれるまでの 間、大好きだったスーパーをぶらぶらしたりして楽しんだ。
そして、人は少ないし空は180度広がっているし緑は多いし、なんだか 時間の流れがいつもよりもゆっくりしているような気がして幸せだった。
大学時代には気がつかなかった、コーヒーとお茶のおいしい喫茶店で ゆっくりお茶を飲んだり、あてもなくドライブしたりして、ゆるゆると過ごした。
その友達と会う時には、疲れた自分を持っていっても大丈夫だという安心感があるからうれしい。
素直に「疲れてるんだあ。ストレスたまってるのか最近、がーっと食べるんだけどその後で 大抵、おなかを壊したり吐いたりしちゃうし」とか言える。
そういうことを言わせてもらえる相手といることが、どれだけ自分を癒してくれるかがわかる。
無理して元気なフリなんてしなくていい。無理して食欲のあるフリなんてしなくていい。
ご飯を残してしまっても、いやな顔をしないでくれる。

よく眠ったら、本がぐいぐいと読めた。


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