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20010730

ビューネくんがほしいー。
最近あのCMを見るたびに思う。
きっと、世のオツカレ女性たちもそう思っているに違いない。
疲れていても、着ていく洋服が決まらず焦れていても、 「しょーがねーな」とすべてをどーんと受け止めてくれそうな感じがいいなあー。
気持ちに余裕があって器の大きい人って、癒される。

昨日はほとんど起きていることができなくて、ずっととろとろと眠っていた。
午後は、ラジオをかけながら、うとうと。
それでも、スガシカオの新曲がかかった途端にぴっと目が覚めて音量を 大きくしたから、我ながらうーんファン魂だな・・・と思った。
今までの曲調とは違っていて、この感じも好きだーと思いながらうれしく聴いた。
常に変わりつづけていく人って、すごい。心から尊敬するし、自分もいつまでも 止まっていちゃいけないな、と心の手綱を引き締める気持ちになる。
秋には新しいアルバムが出るらしいので、今から楽しみで仕方ない。


20010727

「職場に行けばミスチルのベストを聴きながら仕事できるじゃないか!」
それを目の前のニンジンにして、職場へと向かう日々。
本当は、職場用になんてしたくなかったのだけれど、 それくらいしないと今はちょっと、もたなそう。
これでスガシカオのCDまで聴きだしたら、かなりやばし。

そしてどんな場面も二人なら笑えますように
(Mr.children「口笛」より)

今の私には、
「許容される」
ことが必要な気がする。


20010726

朝、顔を洗いに洗面所に行ったら、ハハからの手紙が鏡に貼りつけてあった。

「あのね、顔がケワシクなってるよ。
職業人の先輩として、職場では、山ほど不快な事があるのは、よーくわかってる。
無神経なヤツに神経を逆なでされるような応答をされたとかね。
でも、自分の雰囲気がトンガッテ陰険になったら、幸運が逃げるよ。
辛くて、しんどい時ほど、自分の内で楽しい事のイメージをしてふくらませて、 平常心を保つようにふんばって努力しないと。幸せになりそこねるよ。
やわらか心が、幸運の鍵なんだよね。」

とうとう言われてしまったよ。顔に出てますか・・・ああ、ショック。
どうして人の内面って、顔に出てしまうんだろう。いつも同じ顔ならいいのに。今みたいに ちょっと自分の中に余裕がない時は、しみじみそう思う。
誰かの顔を見て「うーん、カリカリしてんなあ」と感じることはけっこう頻繁にあるのだが、 今の私はその状態だということだな。いかんいかん。
でも、仕事などに必死になっててんぱっていると、つい、自分の内面を粗末にしてしまうし、見失いがち。
だからこうやって、冷静に外から見て警告してくれる人がいるのは とてもありがたいなあ・・・と思った。自分の顔が険しいって、毎日見ている顔だけに 気がつきにくいし。


20010725

私の場合、文字ベースで喧嘩というか、罵られた相手とは もうそのまま終わり、ということになることが多い。
そりゃあもう、ものすごい罵られようだったりするので、びっくりしてしまう。
私の文章にそこまで爆発する理由って一体なんなんだろうと。逆に、ここまで怒らせることができるというのは、 ある意味人の感情を動かす文章を書いているってこと?・・・ってそれは嘘ですけどね。

文字のやりとりで機嫌を損ねた人は、もどってこない、そう最近は覚悟しているくらい。
でもまあ、それはそれで納得するのだ。
私にとって文字にした言葉は、たとえば「これを投げたら、ここに粉々になって落ちるから、掃除しやすいな、 じゃあ投げよう!!」と準備や計算をして投げつける皿のようなものだから。
バシーン、と思い切り投げつける。ある種の覚悟をもって。
欠片は自分で拾う。落とし前はつけさせてもらいます。
そのくらいの覚悟でいるので、面と向かっての会話では 時々やりがちな「あーあの時こんなこと言わなければよかった」という後悔は、 ほとんど感じない。「やりきった」という感じで、どこかスッキリ。

でも今は、実は投げつけたい皿を何枚か持っている状態なので、スッキリしない。
あー投げたい。でもそのあとの始末を考えると今はパワーがないので、見てみないフリだ。
しばらくはやり過ごそう。
今はとにかく、馬車馬のように働け。余計なことを考えるな。


20010724

寝ようとすると、布団がまるで干したてのようにほかほかとしていたので、 こりゃたまらんと思い昨日の夜は床で寝てみた。(我が家はクーラーをつけない 主義なので、そのものもないのです)
ベッドに足を乗せて、背中には座布団クッション、頭にはアイスノン。
これが思った以上に熟睡できた。寝返りをうつと、フローリングのひんやりした 感じが気持ちいい。いつもなら2回くらいアイスノンを交換するために起きるのだが、 それもしないですんだ。窓のすぐそばだったこともあって、風も入ってきてちょうどよかったし。
目覚まし時計を床に置いているので「耳元で鳴ったらすごいぞ!」と無意識に 避けたのか、鳴る1分前にすっきりと目覚めた。

うーん、くせになりそう、床睡眠。


20010723

「近頃は自分の不機嫌と戦いつつ 前へ進むことを覚えたの」
(「西荻夫婦」やまだないと著 より)

最近の私のテーマは、仕事においても何においてでも、
「カメの歩みでいいからとにかく前に進む」
こと。

週末、久しぶりに洋服を買いにでかけ、前から欲しいと目をつけておいたものをバシバシと買った。
はー気分いい。買い物はやっぱりストレス解消になる。
でも、友達とも話したのだけれど、こうやって服を買いたくなるのは、 働いているからなんだろうなー、もし働いていなかったら、ここまで服への執着ってなかったんだろうなー。
なんだか、気持ちのぽっかりを埋めるためにがむしゃらに買い物をしたような気もしたのだ。


20010719

仕事にしろ、プライベートにせよ、すぐに激昂したり、感情を爆発させる人が私は嫌いだ。
相手が激すれば激するほど、どんどん冷めていくし、「ばっかみたい」と 内心思って見ていることが多い。
感情に余裕のない人って、ニガテ。
自分の世界の中だけで一人で興奮して、思い通りに物事が進むと思っている。
そういう、周りの人への思いやりのない態度をとる人を見ると本当に失望するし、 自分の中からその相手への尊敬とか、一緒に仕事を進めていく相手としての 信頼などが失われ、仕事以外の相手だったら一緒にいることへのあきらめ感のようなものが 生まれてくるのがわかる。


20010718

やさしさ、って。
時には気力や体力をふりしぼって、無理矢理にでも出さないといけないものなのではないかな。
自然に出てこないものを本当のやさしさとは呼ばない、と言われてしまえばそれまでだが、 でも、その努力ができる人を私はやさしいと思う。
意志の力というか。


20010717

負けないように
枯れないように
笑って咲く花になろう
(Mr.children「花−Memento Mori−」より)

なんとなく、このフレーズばかりをくるくると繰り返しながら。
歩いたり、眠ったり、仕事をしたりしている。


20010716

金曜日の夜、友達とホテルの中にある店でお茶を飲んだ。
なんだかつらかったよ一週間。おなかの調子もずっと悪くてツライよ。
そんな状態で、紅茶を頼んだ時もよれよれだった。
あったかい紅茶に温めたミルクがついてきたのがうれしい。
胃にやさしいように、まずはストレートに砂糖を入れて飲んで。
残りわずかになったところで今度はミルクを注いで、「紅茶風味のホットミルク」を楽しんだ。
お茶を、こんなにおいしいと感じたのは生まれて初めてかもしれない。
大げさでなくそう思ったくらい、そのお茶のすべてが五臓六腑にしみわたっていくのを感じた。
そして、こうしてお茶をのんびり飲めることの幸せで胸がいっぱいになったのだった。
一杯700円(お代わりは自由だったので二杯飲んだ)の紅茶。 私にとっては決して、しょっちゅう飲めるようなものではないけれど。
でも、たまには自分へのご褒美としてこういう時間を持てるような生活を私はこの先送りたいなあ・・・とぼんやり思った。
うまくいえないのだけれど、それができる位置にいたいなと。

週末、ミスチルのベストアルバムを予約しておいたのをやっと受け取りに行った。
ミスチルについては私は、オリジナルアルバムを必ず買うファンではないけれど、 新曲が出るとシングルをレンタルしてきてチェックしたり、大学時代にはかなり聴いていた という位置付けでずっと好きで、「はやくベストアルバム出してくれないかなあ・・・そうしたら絶対に 買うのに」と思っていたので、手に入れたうれしさはひとしお。
懐かしい。
自分の気持ちが凪いでいくのを感じる。
聴いていることがうれしい曲たち。
気持ちの、イタイトコ刺激しない。
安心して聴いていられる。
流しっぱなしにして、たくさん眠った。


20010713

ひとはひと、じぶんはじぶん。
と、小さい頃によく言われて育った。
子どもにありがちな「誰々ちゃんがなんとかのおもちゃを 持ってるから私も欲しいーーーー買って!」というあのセリフ。 これを言った時に必ず言われたものだ。
誰かと同じにする必要はない。同じものを持つ必要はないし、持っていないことを恥じることもない。
そんなような意味で。

母に言われなくなった今でも、今でも時々「人は人、自分は自分」と自分に言い聞かせることがある。
今はもちろん、その対象はおもちゃではなくて、例えば仕事だったり、 結婚だったり、子どもだったりするのだが。
時々「隣の芝生は青く、隣の庭になっている実は甘くておいしそうに」見えて 欲しがりの虫がうずきだすことがあるので。
そして、この呪文(?)は他にも、人間関係においてちょっとむかっとくることがあったり とか、こういう奴は許せないんだよね!と自分の中に怒りを持ちそうになった時にも有効だ。
ひとはひと、じぶんはじぶん。
そうそう。
そう思ったら、「あの人はあの人。私の領域は侵せないよ」と気持ちがちょっと強くなれるから。
自分のこと、他人から不当に傷つけさせないために。自分の心を守るために。
私にとって、必要なおまじないなのだ。


20010712

家の中に、体調の悪い人間が二人いちゃあいけないな、としみじみ思った。
昨日はもう「生きてるのもツライっす・・・」と思うくらい身体がしんどくて、 ふらふらと帰った。とにかくこれ以上バテないためにと機械的に手を動かし、 うつろな目でご飯を食べたりしていたのだが、いろいろ話し掛けてくる母の言葉に 「うん・・・うん・・・」と生返事ばかりしていたら母もうんざりしたようで、 「はーーーーっ、もうやんなっちゃった」と深いため息をつかれた。
自分がぐったりしている分にはいいのに、一緒にいる相手のため息、だるそうな態度にはムッとくる。ああ、 人間てホント勝手。
それは母も同じ気持ちだったようで、気まずさを避けようと逃げるようにお風呂に入って 出てきたら、母も自分の部屋に逃げ込んでいた。ああ。

気持ち、カサカサとささくれないように気をつけなくては。


20010711

葛きり食べたい
羊羹食べたい、黒糖の。
お寿司食べたい
マグロのおさしみ食べたい
白いご飯と一緒にすじこを食べたい
あと、サバの味噌煮。
それから、ハーゲンダッツのキャラメル味のアイスが食べたい
スイカ食べたい。
アンデルセンのバゲットサンドが食べたい
神戸屋のコロッケサンドも食べたい。

母が、「食べたいと思うものをメモしておいて、給料日が きたらどーんと買って食べたら」と言うので、 忘れないうちにここにメモしてみました。


20010710

昨日昼ご飯を食べに行ったところで、小さな子どもを連れた夫婦を見た。
こっちを向いて笑いかけてくる、その笑顔のかわいいこと。
「邪気のない、心からの笑顔って、こんなに人を幸せな気持ちにするんだなあ」と、 つられて笑ってしまいながら思った。
お母さんが席を立ったのが悲しくて、めそめそ。
でも、次の瞬間には、お母さんの腕に抱かれて、にこにこ。
うーん、その単純さにもう、メロメロだ。
言葉がまだちゃんと通じないし、いつもそんな風ににこにこなわけはないけど、でも、 そうやって、自分の気持ちや欲求に素直に泣いたり笑ったり する存在って、どこか人の気持ちをほぐしてくれるなあ、と思った。

ご飯を食べながら、職場の女性(3つ年上)と、

たぶん、一緒にいて、ずっと一緒にいて、 その人のすべてを知ったら、きっとどんな人のこともキライになるんだろうね

そんな話をした。
ぶつかりあってお互いが擦り減るのに、なんで人は人と一緒にいるんだろう。
人と一緒にいるととても消耗する。気持ちが。
疲れきってしまう。ダイキライだと思う。人と一緒にいることも、 ちょっと我慢しながらそうしている自分のことも。 自分の嫌な部分が引き出されてくるような気がしてうんざりするのだ。
自分の中から、手品の国旗の連なったのがするすると出てくるように。
いや、そんなキレイなもんじゃないな。
取り繕っていた部分が綻びてボロが出てくる感じ。
それって、そのまま出てきたものを丸めてぐちゃぐちゃにして捨てたいくらい、いやな瞬間だ。
逃げたいし。
でも、人と一緒にいることを避けていたら、いつまでたっても私、無難でつまらないままかな、とも思う。
仕事に支障がでたらつらいから、今まで気持ちが揺れそうなところからは 極力逃げてきた部分がないとは言えない。でも、いつも淡々と同じように仕事こなせている ロボットみたいな人って、面白くないな、と思うようになってきた。
たまにはいいかもしれない、感情にまかせてわけがわからなくなってみるのも。
そうしてみることで、最近感じている、気持ちの疲れが少しはとれるかも。


20010709

眼医者に怒られた。
土曜日の朝、コンタクトを入れたまま寝たわけでもないのに眼の激痛で起きてしまったので そのことを話したら「それは、長時間コンタクトを入れすぎ!」と きっぱり怒られ、仕事中に痛くなったりすることはないか、と聞かれたので 「時々違和感を感じることはあります」と答えたら「そういう時はすぐに外さなきゃ駄目!」とまた怒られた。
「え、仕事中でもですか?」
「そう。それで、その日は眼鏡に換えてコンタクトしないで。そうしないと、 これから何週間かコンタクトしないでください、ってことになっちゃうからね」
そ、それは困ります先生。
コンタクトなしではパソコン作業できないし。家でかけてる眼鏡は高校時代のものだから、 実はもう度なんて合っていないし。
それに、眼が使えなくなったら本が読めなくなってしまうではないですか。
実際、そのあと行った図書館では、眼は痛いわ頭痛はするわで、借りる本を選ぶために パラパラと読むだけでもつらくて仕方なくて、早々に帰ったのだ。図書館に いるのがつらく感じるなんてあまりにも悲しくて、しばらく落ち込んだ。
眼を大切にしよう。仕事をしていたらある程度眼を酷使するのは仕方ないことはわかっているけれど、 でも、私の眼は仕事をするためだけにあるわけじゃあ、ない。
というわけで、私の現在欲しいものNo.1は眼鏡に決定。
眼鏡貯金だ。


20010706

「一緒になれないなら自殺する」
そうまで言って結婚したのに。
その妻が病気で入院している間に他の女性とつきあい、結婚まで口にする。(妻はもう先が長くない とわかっていた)
他人事ながら、聞いてとてもやりきれない気持ちになった。
ああ、人の心って、気持ちって本当にままならない、と。


20010704

なんだろう
しっくりこない
なじんでこないんだよね
と突然感じることって、ありますよね。
一緒にいた人に、今まで聴いていたCDに、大好きだった本に。
どうして?
あんなに好きだったのに、どうして気持ち動かないんだろう。どうして。
とても悲しい、さみしい気持ちになるし、自分の中から 人やものを好きになるチカラのようなものが失われたのではないかと こわくなったりもするけれど。
でもそれは、自分の内面に何かの変化があったということ。
その上で一緒にいられない人、モノは絶対に出てくる。
その代わり、また新しいものと一緒にいられるようになるわけさ。
新陳代謝は大事よ。
変わることより変わらないことのほうがきっと楽だったり安心だったりするけれど。
変わらず一緒にいられる相手ってのは実はいなくて、一緒に変わっていけているから一緒にいるのではないかな。

で、
そうやって、「もういらない、会わないし聴かないし読まないし」と 思ってポイッとした対象が、あとで恋しくなるかといえば。
そうではないんですよね、案外。
「なければないでやっていける。あんなに執着していた自分がよくわかんないや」
とスッキリした気持ちになることの方が、多い。


20010703

昨日は久しぶりに、仕事から帰ってきてからへたってしまった。
身体に力が入らなくて、お風呂に入ることもできずにしばらく横たわる。
生理の後って、まるで何かを産み落としたあとみたいにがくっと弱るなあ・・・ 生理でこんなになるんだったら、出産なんてもう、想像を絶するくらいなんだろうな。
産後はしばらく活字を見てはいけない、っていうのもわかるような気がするよ。

本も開かずに気絶するように熟睡できたおかげで、今朝は少し復活。
自分の調子を尋ねながら毎日を過ごすことって大事だ。
無理しようと思えば無理できても、できるだけ無理しないようにしようと思うようになった。
無理した反動を、今の私はとても恐れているから。

朝、駅に着いたらパンの焼けるいい匂いがした。思わず深呼吸して吸い込む。
久しぶりに神戸屋のコロッケサンドが食べたくなった。
それから、図書館で一日中本を読んでいたい。
学生時代の夏休みってよい制度だったなあ、と今になってしみじみ思う。
「ありがたみ」というのはやっぱり、一度なくしてみないと実感できないものなのかな。


20010702

恋がしたい
恋がしたい
恋がしたい

なにも3回も言わなくてもいいだろうよ
と、タイトルの迫力に押されて「恋がしたい恋がしたい恋がしたい」というドラマを見てみた。
なんだか登場人物がどいつもこいつも鬱々としていてぱっとしない。
教師も、主婦も、牛丼屋も、高校生も。
満たされない思いを抱えていて、ちょっと曇っていて。
わかるんだけどさ。わかるだけに、ドラマでは見たくなかったなあ、というのが素直な感想。
普段自分ができるだけ目を向けないようにしている部分、 そこのおなかの部分をぐちゃぐちゃとかき回されたような気がして、なんだか胃のあたりが重苦しくなった。
気持ちもどんどん、どんよりと暗くなってきて、何度も途中で 見るのをやめようと思ったのだけれど「いや、でも初回だけは 最後まで見て、それから結論を出そう」と意地になって最後まで見てしまった。
もしかしたら少しは救われる展開になっていくかもしれない、とも思ったし。
でもだめでした・・・私にはこのドラマは向かない。好きな俳優、女優が出ているけど それを思っても見るのはしんどい。
そしてしばらく、牛丼がちょっと苦手になりそうな気までしているほど。(牛丼を食べるシーン、多すぎ)

私ってどうやら、あきらめが悪いというか、最後の最後まで逆転を信じているタイプというか、 要するにしつこいんだなーと最近わかってきた。
だから、人に対しても仕事に対してもなかなかきっぱりできないし、ちょっと苦手な文章を書く作者の本も 「今度は面白さや好きな部分を見つけられるかもしれない」と何度も読んでみるようなことを繰り返してしまうのだろう。
どんな人にもどんな仕事にもどんな作品にも、ひとかけらの惹かれる部分があれば それだけでやっていけてしまうかも、と思うのがいけない。そのせいで私はきっぱりできない。
だから、きっぱりするためには最後までやってみないことには。
そうやって自分の中できちんとけりをつけないと、次に進んでいけないのだ。
でないと、「あそこでやめてしまったけれど、 もう少し先まで進んでいたら別のものが見えたかも」と後悔して、またもどってきてしまうから。
でも、もっとすぐにけりをつけられる人になりたい、と最近は思う。


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