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20010831

やっぱり朝ってすごい。
いや、睡眠がすごい。
前日のいろんな動揺も、気持ちの乱れも一気に平らにもどしてくれる。ステキだ。
カーっとなった感情に冷水をぶっかける役割を果たしてくれるのだ。
ああ、よかった。睡眠があって。
もし人間が寝ないままずっと活動している動物だったら、どうなっていたかわかりませんがな。
きっと感情ひきずりっぱなし。
逆に、一晩寝ても前日の怒りなどをひきずっていられる人を見ると、すごいパワーだなあ・・・と驚くのだけれど。
なんの感情も抱いていない、まっさらな状態の自分が一番好きだ。
どんなこともこれから受け入れていくよ、という一日のはじまりの覚悟のようなものに満ちているような 気がして頼もしい。
だから、朝の自分が一番好きだ。
寝とぼけた顔をしているとか、目がはれているとか、そういうことはおいておいて、 朝の自分は、いいな、と素直に思える。


20010830

読んでいた本に、徳永英明のことが書かれていて、 ああ、昔はよく聴いていたな、となつかしく思い出す。 そういえばこの間コンビニで「レイニーブルー」がかかっていたな。
今はCDを一枚も持っていないが、例えばベスト盤なんかを聴いたら、また 懐かしかったり、いいなあ、と思うのだろう。
大好きで絶対にそばに置いておきたい!というわけではないけど、 あれば聴くしそれなりに好き、邪魔にならないし、それくらいの位置で。
そんなことを考えていたらフト、これって人との関係でも言えるかもなあ・・・なんて思った。 一緒にいて、好きで胸が苦しくなるほどではないけれど、でも、 いればそれなりに心地いい、みたいな間柄もあるよなと。
そして、そういう相手とのほうが、力を抜いて気軽につきあえる分かえってうまくいったりね。
気楽な自分でいられるから、自分のことを嫌いになることも少ないし。
今、またそういう自分を見たくなくて見て見ないフリをして止めている関係があるから余計にそう思うのかもしれないけど。


20010828

母からの手紙。
「お知らせ 偶然、風水で知りました。あなたのベッドの頭の位置に、柱の角がありますね。 それは、とても良くないそうです。
対処法は、『何か丸い物をその角につけること』と説明にあったので、 お正月に神社からいただいた破魔矢の鈴をBestと思って下げておきました。
神様に護ってもらって、きょうからあなたの運が好転することを心底願って 下げたのですが・・・。イヤならば、取ってクダサイ。」
こう書かれて取れるわけがない。心底心配してくれる存在があったら、 人って自分のことをそう粗末にはできないのではないかな、と思う。実際、 この手紙で自分の中の、どこかヤケクソだった部分に歯止めがかかったのがわかった。
この鈴が夜、風もないのに鳴ったりしたらちょっとこわいな・・・とは思ったけど、 今の私にはかえってそれすらありがたく感じられてしまうほどだろう、きっと。

ちょっとした怪我が思った以上に悪化してしまったりして、 睡眠不足やなにやらで免疫力が落ちているのがわかる。
感情も、やばい。
眠っている時が一番幸せだ・・・。


20010824

すごく体調が悪かった。
歩いていても吐き気がして、一緒に歩く相手の腕がちょっと ぶつかっただけでも、いらいらして叫びだしそうだった。
電車を降り、階段に向かった時、前にいた老夫婦が立ち止まってどこに進むのかを相談し始めた。
邪魔だ。
その瞬間、自分の中のいらいらが一気に沸点まで達したような気がした。
心の中で、理性のドミノがパタ、パタと2枚倒れた。
5枚倒れたらまずい。
なぜだかわからないが、そう思った。ほとんど歯を食いしばるようにして、耐えた。
これ以上倒れないように耐えろ。
ぎりぎりのところで自分がおさまったと感じ、ほっとする。
あのドミノが倒れていたら、どうなっていたか、正直自信がない。
自分の中に潜むモノがこわかった。

帰りの電車で、ちょっとだけ「向こう側の世界」に行ってしまった男性と 乗り合わせた。ああ、今日はそういう日なんだな、とぼんやり思った。
帰ってからそのことを母に話したら「今はみんな、首の皮一枚でつながってる感じだね、精神的に。ちょっとしたことで すぐにぽーんとあっち側の世界にいっちゃう」とポツリ。
久しぶりに「渡る世間は鬼ばかり」を見た。
このドラマに出てくる人達も、ある意味「狂気の人々」だ。みんな自分のことしか 考えておらず、それを邪魔するものは許さない。世界は自分のためだけに回っていると思っている。
このドラマを見て、楽しい気持ちになったりすることは絶対にないけれど。
でも、ここに描かれている人たちは、リアルだ。これが現実だ。そう思うと目をそらせなくなる。


20010823

あー、自分を修復したい。
トンカチたたいてトントンと。
週末、まずは絶対美容院へゴー。

昨日は久しぶりに仕事帰りの本屋。
充電充電、という心の中でつぶやきながらぶらぶらと見てまわった。
読みたい本を思うことは、本当に私のエネルギーの素になっているなとしみじみ思った。
「読んでみたい本がこんなにある」と思うととてもうれしくなる。
待ってて、給料が出たら握り締めてまた来るからね、ととりあえず文庫本を一冊だけ買って帰った。


20010822

朝、ニュースで出勤の様子を見た母が「日本人って偉いわよね〜、 台風なのにほら、みんなちゃんと出勤してる」と感心していた。ほんとだよ。
「台風がきそうだしみんな家でのんびりしよう」とはならないのが日本人の偉いところなのか 苦しいとこなのか。そう思うと、みんな使命感に燃えている顔に見えてきてしまうからこわい。

複雑に混ん絡がった社会だ
組織の中で ガンバレ サラリーマン

(Mr.children「everybody goes 〜秩序のない時代にドロップキック〜」より)

そうそう、私は組織の中の一人ですから、つぶれないように、自分をこわさない程度に 頑張らせていただきますよん
と、ちょっと気楽な気分になれるこの部分が好きだ。

最近、毎朝いつもの時間に起きてでかける支度まで できたところで「はーよくやった」という気分になってしまう。
えらいぞ、私。と自分をほめつつ出勤。
ほめすぎなんですけどね。でもいいの。当たり前のことをほめなくてなにをほめるのだ。
もう「ご飯をちゃんと規則正しく食べた」だけでもほめてやりたいぞ。
うーうーうー、今度の給料が出たら、絶対にジーンズ買ってやるー。


20010820

人は、自分が相手に飽きたから、もしくは自分の意志で、あるいは相手の 意志で別れたのだと思い込むものだ。でも、それは違う。季節が変わるように、 時期が終わるのだ。ただそれだけだ。それは人間の意志ではどうすることもできない。 だから逆に言うと、それが来るその日まで、楽しく過ごすことも可能だ。
(吉本ばなな「ハードボイルド」より)

この文章を読んでから、人と付き合っていくことに関して 身構えていた姿勢がふっとゆるんだ気がする。友達でも恋人でも、終わる時には 終わるのだから、そこまでの間を楽しめばいいや、そう思えるようになってきた。
人との関係には、なにか「燃料」のようなものがあって、それがある間は お互いの気持ちは燃えつづけることができる。
でも、それを足していく努力を怠れば当然それは尽き、関係は静かに終わっていくのだと思う。
下手に少しでも燃料が残っているから苦しかったりするわけで、完全に使い果たした結果なら、 かえってすがすがしく終わることができそうな気がする。


20010817

昨日は気がついたら腹筋の途中、そのまま床で寝ていた。
背中が痛くて途中目が覚めて、ベッドに上がって寝直したのだが、 今度は部屋のドアをドンドンと叩く音で目が覚めた。
どうやら、今週全体的に帰りが遅かった私が起きていないのでは、 とトイレに起きたついでに起こしてくれようとしたらしい。
「なにーーー!!!!まだ目覚まし鳴ってなーーーーーーーーーーーーい!!!!」
と激怒して叫んだ・・・ような気がする。
私は睡眠に関してはかなり、意地汚いのだ。たとえ数分でも、目覚ましが鳴る前に 目覚めたりするとものすごく損をしたような気持ちになってしまう。
でも、目覚ましが鳴ったのはその2分後だった。ごめん、怒って。帰ったら謝ろう・・・。


20010816

仕事にせよ遊びにせよ、家に帰り着くのが23時を過ぎる時は 電話をする(前もって宣言しているときはしなくていい)ことになっている。
母は、自分が夜遅かったり暗いのが怖いものだから、私の帰りが連絡なしに遅い時はもう、 心配で気が狂わんばかりになっているのだ。最初は正直、ちょっと煩わしいと 感じていたが、最近は、家族を安心させるのも一緒に住んでいる者の 役目だと思えるようになってきた。
以前は22時の約束だったのだが、だんだん22時なんて軽く過ぎるようになってきたので 仕事の手を止めて電話をしたり、電話を忘れたことで怒られるのが面倒で、23時を過ぎる時は電話するという ことにしてもらった。
昨日は職場を出たのがすでに23時の5分くらい前だったので、こりゃイカンと 駅に向かって走りつつ電話をかけた。
「もしもしーこれから帰るね。なにか買ってきてほしいものある?・・・あ、だめだ、 私お金ないんだった(財布には3百円くらいしか入っていなかった)うー」
と早口でまくしたてると、
「愛がほしい」
「え?なに?聞こえなかった」
「愛。愛買ってきて」
「愛はお金では買えないでしょうよ・・・」
「愛たくさんね」
「ハイハイ・・・じゃ、あとでね」
「気をつけて」
「はーい」
とまあ、いつもこんな調子なのだが、なぜか、こういう会話を交わした途端に、 仕事モードが家庭モードに切り替わるのを感じる。ふっと気持ちがゆるくなるのだ。
うーん、電話効果、あなどれない。


20010815

あーまた紺だ。(服。昨日は黒。)
職場にいる時間が一日の半分以上になるのが続くと、なんだか、コワレてくる。
職場にいるのと、家にいるの、どっちが正解?(って正解も不正解も本当はないのだが) という気持ちになってくるのだ。うーん、まさに往復生活。
今朝はまだ週の半ばだというのに、空いている電車に乗ったらもう我慢ができなくて、座ってしまった。
へたっている。
本当は、そのあと一駅分歩くのも怠けたかったけれど、「いや、ここで負けたらだめだ」と なんだか体育会系な気分になり、ちゃんと歩いた。
こうやって、自分でやると決めたことを毎日やれている、というのはささやかだけど、 小さな自信になるのだ。


20010814

不思議な夢をみた。
一番最初の職場で一緒だった女性とでかけ、途中、伝統工芸の店に立ち寄った。
そこでは二人の職人がせっせと作品を作っていて、その様子をじっと眺める。
ガラスを削って作品にしていて、二人共流水の中で作業をしていたのがとてもきれいだった。
そしてできあがったのが、二つのガラス製の灰皿。
一つは濃い青、もう一つはピンク色。透明なガラス部分と混ざってどちらもいい感じ。
そこでなぜか、私がそのうちのどちらかを、その店に来ていた男性の 応接室に置くために選ばなければならないことになり、どちらも捨て難かった私は、 何を思ったか突然その二つの灰皿と、それからツボ押し棒くらいの長さの棒とを一緒に やわらかい布が敷いてある小さな坂の上から投げた。
「この棒よりも下に転がった方を買ってください」と。
ごろごろと転がっていき、青色の灰皿が棒より少しだけ下で止まった。ピンクは逆に、棒より少し上で。
しかし「青色で決まりだね」というその男性になぜか、
「でも、ピンクもこんなに近い場所でしたし、両方揃っていたほうが絶対にきれいだと思うんです!」と食い下がる。
「だって下にあったほうにするって言ったじゃないか」という男性に「いや、でも」としつこい私。
とうとう男性も根負けしそうな感じになってきて、あと一押し・・・というところで目が覚めてしまったのだった。
ああ、結果が知りたかったなあ。
それにしても、あのねばりはいったい何だったんだろう。


20010813

前の職場で一緒だった人達とご飯を食べた。
全部で4人。そのうち、私を含む3人はすでにその職場を辞めているのだけれど、 年に数回、こうやってご飯を食べる習慣がなんとなくできている。
いろいろ辛かった職場ではあったが、その中でもちゃんと、今でもつながりを 持っていたいと思う人を何人か得ることができただけでも、 あそこにいた意味はあったなあ・・・と思う。それは、その前の職場についても同じ。
7月の後半かなり仕事がキツかったので、このままボロボロな姿で 会いたくない!と思い、必死に自分のコンディションを心身共に整える努力をした。
それから「仕事に疲れてブスになったね〜」なんて思われたくない、という 気持ちもあったりして。
でもそういうのって、大事だと思う。自分を保つことにおいて。
夜の約束だったので、それまでの時間久しぶりに薬屋のはしごをしていろいろ必要な ものを買い込んだり、本屋をじっくり見てまわったりした。
待ち合わせは品川インターシティ。はじめて行く場所で待ち合わせをする時には必ず、 少なくとも30分くらい前にはそこに着き、散策するようにしている。
これも、誰かに会うというイベントのうち。これから約束あるんだもんね〜、 と思うからこそ一人でのぶらぶらもより楽しかったりするのだ。
インターシティの中はキレイでスペースにもゆとりがあり、広くて気持ちよかった。
ただ歩いているだけなのに「あーなんだか気分いいな」と思わずつぶやいてしまったほど。
新しい場所が楽しくて楽しくて。いつもは出不精の私が「出かけるって楽しいなあ〜」と なんだかハイになっているのがわかった。
本屋も広いスペースで見やすくて「もっと早くから来ていればよかったな」とちょっと後悔。
新しい本屋に行くと配架の違いで、いつも行く本屋では見つけられないものと思いがけず出会えたりするのが嬉しい。

さて、約束のお店へ向かい、みんなと再会。
メンバーは、50代後半の男性、40代の女性、30代の女性、私。
お互いの仕事のことを報告しあったり、恋愛や結婚についてなど、お酒とご飯のあとは また別の店でお茶をして、4時間以上とりとめもなく話しつづけた。
ああ、いい時間を過ごすことができたなあ・・・と思った。人と会うと疲れてしまうことも あるけれど、この集まりではいつも、元気をもらえる気がする。次のポイント(会う時)まで もうちょい頑張ってみよう、という気持ちになれる。恥ずかしくないようにと。


20010810

うーん、最近パワーが低いね、どうやら。
朝、着ていく服を選んでいる時に思う。
今週着た色、紺と黒とグレー、紫。そして今日は、かろうじて、白。
赤とかピンクなどの明るい色を着るエネルギーが枯れているようだな。
服に気持ちが負けてしまうのが嫌い。
人によっては、低めな気持ちを明るい色を着たりおしゃれすることで盛り上げることもあると 思うのだが、私にとってはそれは逆効果なのだ。かえって、くたびれてしまう。
だから、おしゃれをするためには私の場合、心身共に元気じゃないといけない。
今週はおしゃれとは言い難く、「無難に」過ごしてしまった週だった。
週末は、ちょっとかわいい格好をしてでかけることにしよう。
せっかくバーゲンで何枚か気に入ったものを買ったのに、 それらに袖を通すパワーもなくて、結局去年買ったものたちばかり着ているので、なんだか悔しい。


20010809

少し早い時間に帰宅したら、母に「9時からアリー(「アリーマイラブ」のアリー)が出るドラマを やるのよ〜。よっぽど、『アリーが出るからはやく帰っておいで』って電話しようかと思ったんだけど、 怒られるかな、って思ってやめたの」と言われて笑ってしまった。
うん、電話してたらたぶん怒ったよ。でも「スガシカオが出るから帰っておいで」 だったら怒らなかったかもしれない。
というわけで、私は早く寝たくて昨日は帰ったのだが「これは一緒に観ようってことね」と 察して、お風呂に素早く入ってきてから並んで一緒に観たのだった。「家族サービス、家族サービス」と 心の中で唱えながら。
本当はもう、1分でも早く寝たかったので、観終わったらすぐに寝よう!と思い、 CMになる度にドタバタと明日の準備をしたり化粧水をつけるために自分の部屋に走っていっていたら、 「コマーシャルの女だね」と命名された。そう、私はコマーシャルの女。どうもテレビに 集中できなくて、CMの時間がもったいなくてこまこまと動いてしまうことが多いのだ。

観終え、部屋に入って5分後には気絶。
身体中の細胞が「寝かせろー!」と叫んでいるかのような、 そんな暴力的な眠気だった。「うーん、なんだか今日の私って動物だわ」とちょっと楽しい気分になりながら眠った。


20010808

毎晩、寝る前に腹筋をしている。
床に寝転んで、ベッドに足を乗せて。
腹筋をやり始める前に、そのままの姿勢でいつも5分くらいぼーっとする。私にとって、その時間が最も 「一日仕事を終えて、無事帰ってきた」ことをうれしく実感できる瞬間かもしれない。
腹筋もしてないし、まだ本も読んでいないし(すぐ寝られる体勢になってから読みます)、 「さあ、これからは自分の時間だよ」と切り替えるいいきっかけになっているような気がする。

床に寝ていると、窓から入る風が直接顔にあたる。
母が虫避けにまいている、うすめたハイター液の匂い(これが強力な虫対策になるんです、 おためしあれ)がほのかに風と一緒にしてくる。ああ、これはうちの匂い。
夏の匂い。
ハイターの匂いは苦手なのだけれど、なぜかこうやって夜嗅ぐとなんだか落ち着く。


20010807

愛だ恋だとぬかしたって
所詮は僕等アニマルなんです
(Mr.children「ニシエヒガシエ」より)

そうなんだよな
所詮は動物なんだよ
だから深く考えるのはやめようぜ。
そんな気持ちにさせてくれる、この部分が特に大好き。聴く度に、なんだか元気が出る。
うん、だからいいじゃん、いろんなこと。
といい意味でぽーんと気持ちを投げ出して、身軽になれたような気がするのだ。


20010806

私って、不思議な力の持ち主かもしれない、とひそかに自惚れていることがある。
図書館に行って「あの本がどうしても今読みたい、あるかな」と その著者の棚へ行くとその本が必ずといっていいほどいてくれるのだ。
久しぶりの図書館で、本とどう距離を置いていいのかぎこちなく、 うーん今日は何も借りて帰れないかなあ・・・とがっかりしていた矢先のことだったので 本当にうれしかった。
読みたい本を引き寄せる力は私、どうやら持っているみたい。
人ともこの調子で出会えればいいんだけど。なんて。
今通っている図書館には週末にしか行けないので、以前のように 本の予約はしないようにしているのだが、それでも、ちゃんと読みたいものは手に入るのだからすごい。

しばらく本を読む元気すらなくて、そして本が読めないことで気持ちはさらに弱ってしまい、つらかった。
読みたくて仕方なかったのだ、とにかく。活字に飢えていた。
図書館から帰って一冊読み、それから健康ランドにでかけ、帰ってきてからまた二冊読んだ。
日曜日も、食べるか眠る以外は、全て読書に費やした。
ぐいぐいぐい、と音がしそうな勢いで読み進む。
ご飯を食べるように。眠るように。水を飲むように。
すごい勢いで活字を吸収していく自分が実感できた。
私は、活字に触れていないと生きていけない。
結局、この週末で8冊読んだ。

読書は、私にとってストレス解消法だ。他の人がカラオケに行ったり、もりもりご飯や 甘いものを食べたりするようなもので、その代わりに私は本を読みたくなる。
私には、外に発散する解消法はあまり向かないようだ。かえってくたびれてしまう。
ああ、もっと読みたい。健康ランドにもおととい行ったばかりだけどまた行きたい、本を持って。


20010803

やはり私は、食べなくてもいいけど、寝ないと生命力が弱ってくるようだ。

最近しばらく睡眠不足が続いたのだが、みんなに「影がうすくなった」とか 「ちぢんだ」などと言われてちょっとカナシイ。
「おはよー」と声をかけた相手が「っ!!!!」とおびえた顔をするので 「?」と思ったら「すごい疲れてるね・・・」と。そそそそ、そんなに?
どうも、普段から疲れていなくても「だいじょうぶ?顔色悪いよ」と 言われてしまうほどの顔色の悪さが敗因のようで。寝てないとさらにこわい顔になるようで。
今の私、「疲れ玉」を身体中にくっつけて歩いてるんだ、きっと。

ええい!←払い落としてる

8月2日(木曜日)

少し前に退職していった人(しばらく働かずに充電すると言っていた)と久しぶりに話をしたのだが、 仕事をしないでいることの最大のメリットはなんといっても「自分のためだけに時間を使えること」だと言っていた。
「今までは、会社にいて仕事をしている時間か、彼と会っている時間、 この二種類しかなかった。でも今は、自分のための時間がちゃんとある」と。
人と会っている時間は、たとえそれが恋人でも、結局自分のための時間とは言えないものなのだろう。
「ストレスなんて、とんでっちゃったよー」と笑う彼女は、穏やかだ。

私にとっても、「自分のために時間を使う」というのはそのほとんどが、「ひとりですごすこと」。
ひとりで読書
ひとりで音楽を聴く
ひとりで散歩
ひとりで文章をかく
ひとりで眠る。

一人になる時間がないと、自分を取り戻せない気がしてつらい。
人と一緒にいる時の自分はどこか、自分から浮いていて、かろうじて、伸び縮みするゴムでつなぎとめられているような感じ。自分と、その時外に見せている自分との間に、 すかすかと隙間が空いている気がして心もとなくて居心地が悪い。無理な運転を自分にさせているような気がする。
そのせいで、私は人と会い続けるとぐったりと疲れてしまうのだと思う。
逆に、一人でいる時間を少しでも確保できていれば気持ちは平らかでいられるし、身体のほうもそれについてきてくれる。
だから、残業で帰りが遅くなった日でも、最低でも30分は一人の時間を 必ず確保し、自分を平常運転のところまでもどしてやるように心がけている。
睡眠時間の長さよりも、それを削ってでも自分のための時間を確保する方が私の心身の健康にとっては大切なのだ。


20010801

もしも君がいなくなってしまったら
たとえばネコやイモムシになってしまったら
メソメソと泣くよ
でもそのうち 都合のいいネタにしてしまうかも

(中略)

もしも君と友達になっていたら
知ったふうな顔で助言してくれたなら
ぼくは涼しい顔で
利用するだけして ゴミ箱に捨ててしまう

(スガシカオ「8月のセレナーデ」より)

恋愛ってどこか、時にどこかひどく残酷な気持ちの裏返しにあるような気がする。


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