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20010928

大竹しのぶとさんまの娘、いまるちゃんの名前の由来は「いきてるだけでまるもうけ」 という意味なのだそうだ。うーん、いいなあ、なんだか。

安野モヨコの「美人画報ハイパー」が出ていた。図書館で働く 友達にすすめられて「美人画報」を以前買った私としてはちょっと気になり手にとってみる。
「でもなー同じような内容だろうし2冊もいらないよな・・・」と思いながらぱらぱらとめくっていたら、彼女の写真が。
うおーーめちゃくちゃキレイになっとるやんけーーーー!
と、思わず絶叫(心の中で)したほどの変わりぶり。(「美人画報」の頃に比べて雲泥の差、だ)
本人も「(あまりに変わったので)整形したのか、などと言われて心外だ」というような ことを書いていたけれど、そう疑いたくもなるほどの垢抜けかただ。
すごい・・・「美は一日にして成らず」なんて叶姉妹みたいなセリフも吐きたくなるというもの。
この成果を見せつけられて結局買ってしまったのだった。(単純すぎる。 でもそういう人、けっこう多いんじゃないかと思う)
前の「美人画報」を読んでもアンタは何一つ変わっていないのに意味ないのでは?しかも 今欲しいと思っている単行本がこれの値段にあと100円足せば買えてしまうのでは?という心の中のツッコミはあえて無視。

安野モヨコの言葉。
「女子は仕事はできてもできなくてもいい。キレイなほうがいい。」
「ブスですごしてもキレイですごしても、人生は同じ時間すぎて行く。だったら、キレイなほうがいいに 決まってるんだから。」
あーーーーーーーーーーー、女って、キレイを保つって、気合だ。
みんな気合の賜物なのね〜。(しみじみ)
「美人画報ハイパー」、これを読んで気合入れさせていただきます・・・。
鏡を見てちょっとは「よっしゃ、満足」と思える自分でいたいもんね。


20010926

寝る前にふっと「ああ、今私が犬を飼っていて、こうやって寝ようとしたら 走ってきてふとんにもぐりこんできてくれたら幸せなのになあ」と想像して楽しくなった。
フンの始末とか、病気になるかもとか面倒なことの方が多いだろうけど、 それら全てひっくるめて引き受けるような姿勢が私には必要なんじゃないのかな、と思ったのだ。
そういう生活の面倒くささに対し、腰が引けている自分を最近特に感じているからかもしれない。


20010925

「『そうだ、村上さんに聞いてみよう』と世間の人々が村上春樹にとりあえず ぶつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?」より抜粋。

はっきり言いまして、女性は40代で差がつきます。男性の場合よりも、「残る人」と「落っこちる人」 の差が歴然としてきます。でもそこで残った人って、ほんとに素敵ですよね。すごく魅力的です。 そのへんにはまると、20代の女の子なんて・・・ということになります。僕の考える「残る」ための三つの ポイントは、
1.自分に甘えない
2.でもかりかりしない
3.そして大きく出ない
ことです。「大きく出ない」というのは、ちょっとわかりにくいかもしれませんが、けっこう大事なんです。 がんばってくださいね。

この部分を読みたいがために図書館から借りてきてしまった。本当は「借りてまで読まなくても いいか」と図書館内でさらっと読んで終わらせるつもりだったのだが、 三つのポイントをしっかり心の片隅に置いておくためにもう一度読みたい、と思って。
「大きく出ない」というのは、例えば人に対して必要以上に高圧的な態度に出ないという ようなことだろうか。または自分のことを実際以上に過大評価しない、とか。
しばらくは、「大きく出ない」の意味について考えながら過ごすことになりそう。


20010924

久しぶりに健康ランドへ行った。
いつもにも増して混み合っていて、ちょっとお風呂やサウナに入っただけでも 人にまみれてくたびれてしまった。それでも必死に人のいないところいないところを 選んでつかったり入ったりし、そのあと休憩室で1時間くらい熟睡した。
昨日はどうやら「オバチャン率」の高い日だったようで、彼女たちの元気すぎる パワーにあてられてしまったという感じ。
休憩室に上半身裸のまま来て、そのままずっとうろうろしている人がいて 「あれはワイセツ物陳列罪なのでは?」とちょっとげんなりする。かと思えば 今度はドライヤーをかけたり化粧したりする場所にもやはり上半身裸のまま、 化粧水を「パンパーン!」と威勢よく叩きつけている人がいたりと、同性とはいえ 目を背けたくなってしまう光景がてんこ盛りだった。
「最低限のはじらいは持っていないとだめだよね・・・」と友達と顔を見合わせしみじみうなずきあう。
ああ、あそこまでオバチャンだらけじゃない健康ランドに行きたい・・・。休みに行ったのに なんだか疲れたよう!と、家に帰ってすぐにお風呂に入り直してしまった。


20010922

今の若い人の顔って、なんだか怖い。
と、テレビに出てきた男女を見て思った。
目が、人間の目じゃないみたいだ。
ぽっかり穴があいているだけの、なんの感情もない顔。
こわい。 こういう人たちに、なんの理屈も感情も通じないだろう。
彼らの攻撃を受けたら、もう終わりだろう。
こんなに近くに恐怖ってあるんだな。
そう思ったのだ。


20010921

もしも全世界各国のトップがすべて女性だったとしたら、今回のテロのようなことは 起こらなかったんじゃないか、と思う。
まあ、それでもやはり喧嘩にはなるでしょう。それでも、 せいぜい「ちょっとあの国むかつくんですのよ〜、しばらくみなさんで無視しませんこと?」
「そうね!そうしましょう。あの国へ輸出している物には関税を2倍かけるようにいたしますわ」
などなどのちまい意地悪のやりとりですむのではないかと。それもいやらしい感じではあるが、 少なくとも誰かが血を流したり、亡くなったりするようなことにはなるまい。

不治の病に倒れそれでも頑張っている人の姿を見せて、 「生きるのがつまらない」と言う若者たちを励ますようなやり方が、どうも好きになれない。
もちろんその意図はわかるし、実際それで彼らが少しは自分の健康のありがたさなどを 実感することもあるようだけれど、それでも、自分よりも不幸(だと思われる)な人のことを思い浮かべては 「あの人に比べたら自分はましな状況だ」と考えるやり方が、どうしても受け入れられないのだ。
へこんでへこんでどうしようもなくなった時は、昔の自分の状態を思い起こし 「あの時のしんどさに比べたら今はまだまだ平気な方だよな」と、心をひきずり起こすようにしている。
もちろん、人と比べて自分の方が幸せかも、と考えて自分を励ます方法を とったことがないなんて言わない。そうでも思わなかったら立っていられないような時はきっと誰にでもある。
でも、私はこれをやると必ず、心にぽっかり暗い穴があいたような気がする。
「ああ、私が誰か他の人のことを勝手に自分より不幸だと決め付けて、自分の方が 幸せ度が上だと思う権利なんて絶対にないのに」と自分の気持ちの歪みぶりが心底嫌になるからだ。


20010920

作業中のパソコン画面を、用もないのに頻繁にのぞきこんでくる人がいて鬱陶しい。
邪魔だし不快。
他の人のパソコン画面って、できるだけ見ないようにするものじゃなかったっけ?
嫌だと感じる私の方がおかしいのかな?
と思わず自分を疑いたくなるほどの堂々たるのぞきぶり。私と話していても 顔なんてまるで見ず、私のパソコンの画面を凝視しながらなのだ。オーイ、それはいくらなんでも失礼なのでは?
そして自分のパソコンについては、数分トイレに立つだけでもディスプレイの電源を切っていき、画面を見られないように かなり徹底して防御しているようだ。
なるほど、あなた自身がいろいろ見られたくないから、だからよけいに他人の画面を見たいのね。ちょっと納得。
でもそれだったらなおさら人のも見るなよ。
普通は、まるで胸の大きな女性の胸に目がいかないようにいかないように 視線を不自然に泳がせるオジサンのような態度で、他の人の画面はあまり見ないようにするものだと思うんだけど。
見たいと思うやらしー下心はないとは言わない、けど見ないようにしたほうがいいよね、という。

その彼女は、仕事ではないページはブラウザを異常に小さく縮めて見ているらしい。
そんなの、ここまで長時間パソコンに向かっている仕事で、しかもタバコも吸わない人にとっては貴重な休憩時間なんだし、 合間にちょこっと息抜きに趣味のページをのぞくことくらいしても全然かまわないと思うのだが・・・。 (私は3時の休憩の時なんか、堂々と本のページなどみてます。それくらいしなかったらもたないってー)


20010919

私の悪いところがはっきり見えた。
怒られたり、相手と険悪になることを避けたいがばっかりに 本当のことをまっすぐ言わず、いいわけがましくなるのだ。
そして余計に相手を不快にさせる。
ごまかしのない人になりたい。
ごまかした姿で誰かに認めてもらっても意味がない。


20010918

朝、もっと本を読むようにすること。
最低でも30分、ゆとりのあるときなら1時間は確保したい。
心身共にへばっている時ほど本から離れてはいけない、と自分の中で警報が鳴るのがわかる。

出勤途中に立ち寄ったコンビニで、Mr.childrenの「優しい歌」がかかっていた。
この曲の、出だしの部分が特に好きだなあ・・・と思いながらだらだら居座り、できるだけ長く聴こうとねばった。


20010917

週末出勤。
昨日は一生懸命9時前に起きて、いそいそとでかけた。
会社に向かうためではなく、本屋へ行くために。
Tシャツにスカート、サンダル、という割とラフな格好だったせいか 母に、「とても会社に行くとは思えない格好ねえ〜」と言われてしまった。いいの。 それぐらいしないとやってられませんがな。
まず薬屋へ行き、飲む栄養ゼリーを買いだめする(遅れてきた夏バテ中)。 それから、無印でしみぬきやら黒砂糖やら買い出してからやっと本屋へ。
1時間くらい堪能してから、やっと出勤したのだった。
これをやるためにがんばって早起き(休日にしては)したのだ。
ここまでやれば、「遊んだついでにちょっと仕事してあげてもよろしくてよ」(なぜか デビ夫人口調)的気分になれるはず。うん、なれるはず。
でも私は昔から休日出勤が割と好きなのだ。いつもの1.5倍くらいの 効率で仕事ができるし、人が周りにいることで感じる余計なストレスもないし。
同じ作業をしても、疲労度が断然違う。
いつもはスターバックスのタンブラーでお茶をつくって飲んでいるのだが、 休日出勤の時はミネラルウォーターのペットボトルを買って飲むことを 自分に許可したりするのも、ちょっとした贅沢気分で楽しい。


20010914

久しぶりに少し多めに字を書き、自分の字のあまりの「へろへろ」ぶりに泣きたくなった。
もともと上手ではない字が、さらにひどくなったようだ。字、書かないもんなあ・・・ 毎日手帳にちょこちょこっと書き込むくらいで。「やっぱり、少しでも 練習(?)をサボると駄目なんだなあ・・・」とまるで体育会系の部活のようなことを思う。
これからは毎日、手書きの日記もつけようか、と一瞬本気で考えた。
それは難しいにしても、字を書く練習をしようかな・・・。大学時代、キー入力を身につけたくて 夏休みに毎日大学のコンピュータールームに通い、好きな本の文章やら、カセットテープの 曲名インデックスやらを入力しまくったように、字も書きまくれば少しはまともになるかもしれない。
そういえば、友達の手書きの文字って、今ではほとんど見なくなったな・・・と ちょっとさみしくなった。親しい友達の文字は真似て書けるくらい覚えているのに、 実際に目にする機会はほとんどない。
「その人らしい」特徴のある字を書ける人が昔からうらやましくて仕方ない。私の字は 筆圧が強いのだけが特徴で、形としての特徴があまりないのだ。
そして、速く丁寧に書くことがとても苦手。だから、文章を書くのにはパソコンがいい。考えるスピードで書くことができるから、 書く(打つ)のが追いついていかないストレスを感じないで済むのが好きだ。
でも、手書きの文字もさらさらと流れるように書けるようになりたい。


20010913

ジャミロクワイについて。
大学時代に聴いた時にはなんだか宗教っぽい音楽にしか 聴こえず(たぶんそんな感じの曲を聴いたんだろうと思う) 好きになれない感じ・・・と思っていたのだが、最近はなんだか気になる存在。

岡本太郎美術館に行ってみたい。
ここのカフェテリアがメインの目的なんだけど。広々して気持ちがよさそうだ。窓が大きい(写真を見る限り)のもいい。 ここでお茶を飲みながら本を読みたい。
青山で「子どもの城へはどう行けば・・・?」と聞かれ、「あそこに見えるへんてこなオブジェを目印に あちらの方へ歩いていけば着きますよ」と岡本太郎に対して失礼な答えかたをした私が 果たして行ってもいいものかとは思うが、一応「(へんてこで)面白く、目印になりやすいオブジェだ」という 気持ちで説明したつもりなのできっと許してもらえるに違いない。
その時一緒にいた友達も、 「たぶん今の答えかたで岡本太郎は喜んだと思うよ、『へんてこ』って言われて」と言っていたし。


20010912

夜中、蚊に刺されたかゆみで目が覚めた。
かゆさをやり過ごして寝ようとしても、耳元でブンブン言われてすぐには 寝つけず、イライラする。
ちょうどその時、マナーモードにしていた携帯がぶるぶる震動するのが聞こえ 「こんな遅い時間に誰が?」と一度は無視しようとしたものの 眠れなかったこともあり、起き上がって着信を確認すると、職場からだった。時計を見ると、夜中の1時半。
留守番電話に「テロが、テロが・・・」と動揺した声が吹き込まれていたのでとりあえずただ事ではないと思い、おりかえす。 電話を切り、リビングに出てテレビのニュースを見て愕然とした。9時前に眠ってしまっていたので何が起こっていたのか全く知らなかったのだ。 「一晩寝たら世界が変わっていた」と思ってしまったくらいの衝撃だった。
対応しながらWebでニュースを確認すると、それだけでも壮絶なことになっている のがわかった。テレビが同じ部屋にないのでほとんど見なかったが、映像で見ていたらもっとショックを 受けただろうと思う。
自爆テロ。ハイジャックする一人さえいれば、これだけ大きな被害をもたらすことができるという恐怖。
自分を犠牲にして攻撃を果たすことに、テロリストは誇りすら感じたのだろうか。
それとも本当に最期の瞬間に、こんなことの起こる世界を悲しく思っただろうか。
どうか、後者であってほしい。二度とこんなこと起こらないでほしい。

しばらく寝つくことができず、4時ちかくになってようやく少し眠った。
朝、いつものように一駅分を歩く。
台風が過ぎたあとだからか、皮肉なくらい穏やかな朝だった。
世界や、それこそ日本で今どんなに 悲惨なことが起こっていても、例えばテレビのニュースや新聞で知ることがなかったら、 何事もないように毎日は過ぎていく、まるで自分とは無関係というように。
そのことが、時々とてもこわくなる。


20010911

しっかり食べたい朝(いつもはほとんど食べません) やあまり食欲のないお昼には、カゴメデリシリーズを食べる。雑炊とか、リゾットなどなど。
ご飯にソースをかけて、レンジでチンするだけの簡単なものなのだが、 味付けがあっさり目だし野菜の具だくさんでおいしいのだ。
今日の朝ご飯は「たけのこと茸の昆布しょうゆ雑炊」。
「すっとおさまるやさしい風味」という文句にもひかれた。
「すっとおさまる」のはいい。
あたたかいものをおなかに入れると、なんだか元気が出てくるような気がする。
ご飯と汁、の組み合わせが一番好きだ。


20010910

まだ9月の上旬だというのに、すでに来年のカレンダーと手帳の特設売り場ができていた。
なんとなく年々売り出される時期が早まっているように思えるのだが、気のせいだろうか。
なんだかなあ、もう今年は終われってこと?とぶつぶつ思いながらも、 手帳を買ってしまった。カレンダーは、さすがにまだ購入する気になれず。
手帳という形態が好きだ。持っているとなんだか安心する。
私がここ数年使っているのは、小さなノート型。 一日分のスペースに、予定を書く場所とは別に10行ほどの罫線がついているので、そこに その日使ったお金の詳細を書き込むことができる。1日の合計金額、1週間の合計、そして1ヶ月分(前の給料日から 次の給料日までの間)の合計を計算し、それらも書き込むようにしている。
手帳に日記を書いたりはしないが、毎日使ったお金を書いていくとなんとなく日記代わりになるからあとで 見返しても楽しい。
もうこの形式以外の手帳を使う気にはなれないので、毎年手帳探しには真剣だ。最近はLOFTに 行けば必ずあることがわかってきたので少し気が楽になったのだが、それでも実際に確保するまでは 「来年もこの(形式の)手帳を使えるだろうか・・・」と心配になってしまう。
手に入れると、ほっと安心。「これでいつ来年がきても大丈夫だぞ」と思えるから。
そして同時に、思いはすでに来年へと向かっていく。
来年はどんな年になるのかな、と。鬼に笑われそうだけど。
ただ、これには欠点もあって、残り約3ヶ月半くらいの今年に対する意気込みのようなものが しゅるしゅると弱まってしまった感じになるのがよろしくないのだ。
「これは来年頑張ろう」などと来年のせいにしないように気をつけなくては。


20010907

いい季節になってきた。
暑すぎず、寒すぎず。扇風機やコタツなどの人工の涼しさやあたたかさに頼らなくてすむこういう時期が本当に好きだ。
朝、一駅分歩くのも気持ちいい。

駅前などで時々みかける、花束の自動販売機。
「ここで買った花をもらった人ってうれしいのかな・・・でもまあ、買ってくれた その気持ちがうれしいか」などと思いながら通り過ぎる。
実は、私は花があまり好きではない。退職する時などに花束をもらうことがあるが、 正直「ああ、どうしよう・・・」と困惑してしまう。花束を持っている自分がなんだか 恥ずかしくていたたまれないというのもあるし、 持て余してしまってどう扱っていいのかわからないのだ。
とりあえずつぶさないようにそーっと持ち帰るのだが、帰るとすぐに母にバトンタッチ。母は 私とは逆に花がとても好きなので、そりゃあもう、喜んでくれる。そのおかげで、「花好きでもない 私のところに来させてしまってごめんなさい」という花への気持ちが少し軽くなる。
一般的に「女性は花が好きだから贈ると喜ばれる」という暗黙の了解があるように思う。
花が嫌いな私には、女性らしくないとかそういうことではなくて、心に何かが欠けているような気が してしまって少し落ち込むので、普段はできるだけ花と関わらないように心がけているのだ。
自分のものにならないのなら、遠くから眺めているだけなら、ちゃんと「きれいだな」とは 思うんですけど。


20010906

なんだかぱっとしなかったので、 帰り「気分転換にスーパーにでも行くか」と寄った。
最近のスーパーは食品売り場だけでも11時くらいまで開いていてくれたりするから ありがたい。9時までのお店なんて、平日はほとんど寄れないもんな。
カゴをもってうろうろ。おっ、卵が78円だ、安い。あ、でも一人1パックまでだ、ちぇっ。
スーパーは楽しいし、飽きない。生活しているという実感を感じられるから好きだ。
大学時代は授業の帰りにほとんど毎日スーパーに行ったけど、全然飽きなかった。毎回すみからすみまで くまなくチェックしていたものだ。

昨日は病院に行くために、久しぶりにバスに乗った。
道を車で走る、ただそれだけのことがうれしくて、見慣れているはずの景色を窓に はりつくようにして眺めてしまう。
なにかをおろそかにしているような気がするなあ、私。
それはたぶん、日々の生活を大切にして暮らす姿勢のようなもの。


20010905

スガシカオは大好きすぎて、飽きてしまったり好きでなくなってしまう のがこわくてあまり聴けないことがある。
ミスチルはそれがこわくないからガンガン聴ける。結果、今の私にとって 一番そばにいる音楽になっている。すっかり私の生活になじんでしまった。
たぶん、スガシカオは毎日聴くことはできないと思う。あまりにも気持ちに 入ってきすぎて、冷静でいられないから。だから、揺さぶられてもかまわない、という 時にしか聴けない。
ミスチルは平気だ。いつでも聴ける。その都度、すぅーっとしみてくるような気持ちよさだ。
ミスチルが水だとしたら、スガシカオはたまに飲むウイスキー、という感じ。気安くは飲めない(聴けない)のだ。


20010904

家に帰ってから、インコの姿をぼーっとながめているとなんだか落ち着く。
彼(?)の行動は本当だって信じられるから。
エサをねだれば「ああ、食べたいんだな」とわかるし、ぴーぴー騒げば 「さみしいからかまってほしいんだね」とわかる。すべて、そのままだ。
行動=イコール、気持ち。
カゴをちょっと高いところに置いているのだが、 さみしがって騒ぐと母がカゴをそこから下ろして床に置く。そうすると静かになるのだ。
「おおっ静かになった!なんで?」と聞くと、
「この方が(私たちに)近いからでしょ」とあっけない答え。ああ、そうか。
「家族の一員なんだからもっとそばにおいてくれい」と訴えていたわけか。
とまあ、こんな風にとてもわかりやすいのがいい。
人が見せる面だけを信じるのはこわいことだと、最近改めて 実感することが多すぎて、ちょっと気持ちがくたくただったから、 インコの行動に救われたような気がした。
「こうでいいんだよ」と言われたような。
「エサをかえて!」「さっきとりかえたばっかりでしょうーーー」
「かまって、かまってよ!」「今はテレビみてるからダメ」
拒絶されるかもしれないけど毎回そうやって暴れる彼を見ていると、 あーもう、頭の中でいろいろ考えたりするのはやめよう、気持ちのまんま 行動すればいいじゃん、と思うのだ。


20010903

・・・眠りすぎた。
土曜日は眠りたがる身体をひきずるようにして図書館へ行く。 今回はあまり収穫はなかったのだけれど、再読したかった本が何冊か いてくれたので連れて帰った。私は、好きな本は何度も何度も読む癖がある。 この習慣のおかげで、同じ図書館に行くのでもちょっと得をしているかな、なんて思う。
本を置いてからまたでかけるつもりでいたのに、結局眠気に負けて眠ってしまった。
夜も、観るつもりだった「タイタニック」を待たずして9時前には就寝。
日曜日は、8時に目が覚めて、本を読んで、また寝て、起きてまた本を読んで、また寝て、 これを何度か繰り返したら一日が終わっていた。
最近、毎週日曜日の午後は、J-WAVEでやっているランキング番組を 聴きながら眠ったり本を読むのがなんとなく習慣になった。なんだか、いいのだ。「休日の午後」気分に 浸ることができて。
昨日は一日中、カーテンも開けず、昼間なのに夜みたいに過ごして、 枕もとのスタンドで読書と眠るのをエンドレスに。
はたからみたら、なんて生産性のない過ごし方と思われそうだけれど、 私にとっては、こういうのこそが本当に「休んだ」という気がする週末。

江國香織の「薔薇の木枇杷の木檸檬の木」を再読。ここにはいろいろな女性が登場するけれど、 私が近いのは専業主婦の陶子だなあ、と今回も思いながら読んだ。
立場ではなく、時間の過ごし方の好みが似ていると思う。
好きなことは犬の散歩、犬との昼寝、家の中を整えること、音楽を聴きながら床に寝そべること。
自分が専業主婦になる日がくるとは、今のところ全く思えないのだけれど、 もしなったとしたら、犬は別にしても(でも、飼えるのなら絶対に飼いたい)きっと同じように過ごすだろうな。
そして、可能な限り図書館と本屋に通うだろう。
結局のところ私は、居心地のいい部屋さえあれば外になんてそんなに出なくていいのだ。
そこを整えつつ、本を読みつつ、音楽を聴いたり外を眺めたり眠ったりしていくらでも楽しく過ごしていられるから。
・・・土曜日に借りてきた6冊の本は、週末で読み終えてしまった。今度の土曜日もまた、図書館へ行かなくちゃ。


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