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20011031
調子悪い。
おなか痛いよ食欲ないよ眠れないよ。
誰かなでてくれー。
好かれたい。
そういう気持ちがあるな、私。
この間風邪で休んでしまった翌日、
いつも朝職場の掃除をしてくれる年配の男性(もう、おじいさんに近いくらい)が、掃除機を投げ捨てまず
私のところにぴゅーっと飛んできて「あ、今日は来てるね!昨日いなかったから心配したんだよ」と
ホッとしたように言ってくれた時、うれしかったなあ・・・。
好かれたい。
めろめろに甘やかされたい。
溺愛希望。
20011030
久しぶりに6時半くらいの電車に乗ったら、車内の空気がまだよどんでいなくて気持ちよかった。
なんだか得した気分になりつつ出勤。こういうことがあるから私はどんどん早起きになってしまう。
たまに「もう友情はいらない、愛情が欲しい」と思う。
友情はとても広くて大きな愛情で、それも欲しいし大好きなんだよ。
でもね、せまーい、自分だけ見てくれる愛情も欲しい。
黒木瞳が「夫の浮わ気」というエッセイで「恋も、愛も、どっちも欲しい。」と
書いていたけれど、私の気持ちはそれに似ている。
どっちも欲しいの。
20011029
私は目下髪の毛伸ばし中なのだけれど、伸ばしかけにつきものの
重い感じが気になっていたので、美容院ですいて軽くしてもらった。前髪も久しぶりに切った。
今行っている店にはもう3年くらい通っているのだが、
最近気になっているのが、行く度に、前回いたアシスタントさんが
いなくなっていること。そして見たことのない人たちが。
切ってくれているのは、行き始めた頃にアシスタントをしていた女性で(それまで担当してくれていた
人もいきなり辞めてしまった)、彼女だけはずっといるのだけれど
それ以外の人、あまりに勤務期間が短いんですけど・・・。
社員の回転が速い職場にはなにかある、とついつい疑ってしまいたくなる性格の悪い私。
仕事きついのかな・・・それとも人間関係かな・・・。切ってくれる彼女、気さくな感じの女性なのだけど、
ふとした時に見せる目がこわいんだよな・・・原因はそれなのかしらん、などと勝手に想像。
うーん、なんだかこわいから店かえようかな・・・でも新しい美容院に行くのって
パワー要るし、面倒くさい・・・ああ、これってまるで「長年つきあってきた恋人と
楽だからなんかずるずるつきあっちゃってる」状態みたいだわ・・・と
くだらないことばかり考えながら切られていた。
美容院には気楽さ(洗いざらしの寝起きの頭を持っていっても許してくれそうな雰囲気)と
適度なリラックス効果を求めているので、たぶんこれからも当分は今の店に行ってしまうんだろうな。
現状に留まる方が楽なことってけっこうたくさんあるような気がする。でも、現状を維持する
エネルギーだって馬鹿にはできないし。適度に壊しつつ、前へ進むっていうのが理想かな。
しかし・・・髪型はちょっと失敗かも。なんか、前髪(毛)長くて目が見えない犬みたい。
20011026
昨日は給料日。いそいそと本屋へ行った。文庫本を7冊買ったつもりだったのに
1冊レジに持って行き忘れたらしい。ショック。今日また買いに行かなくっちゃ。
私の大好きな作家の絵本を職場の人が机に飾っているのを見て、
ついつい「この人の本大好き!なんとかっていうのも(普通の小説も書く人なので)
面白いんだよ!」と思いがぐわーっとこみあげ熱く語ってしまった自分がいて、幸せだった。
ああ、本のそばにいたい。いつもいたい。
今まで、何度も本に助けてもらったことを思い出すと、胸がいっぱいになって苦しいほどだ。
部屋で、壁に並んでいる本たちの気配をじーっと感じていると、もう無条件に安心してしまう。
本がいいのは、絶対に一対一で向き合えるところ。例えば音楽のように、
誰かと一緒に聴けたりはしないところが、いいのだ。
たとえ大勢の中にいても、読み始めたら簡単に一人になれるところが、本の一番の魅力だと思う。
本さえあればいつでも一人になれる
そう思うと、何もかもなんとかやっていけそうな気持ちになるから不思議。
本を買ったあとにはいつも、
お守りできた
という心強い気持ちになる。
20011025
欲しいものがあったときに、どんな手段を使ってでも手に入れようとする人と、
例えばそれが誰かのものならあきらめる人との違いを考えた。
ここに、誰々ちゃんのお人形があります。
あなたはこれを欲しいと思っています。
「欲しい欲しい」とひたすら言えば、もしかしたら、彼女は実はこの
お人形にもう飽きていてあっさりくれるかもしれない。
その可能性は、ゼロではありません。
さあ、あなたはそのお人形を「欲しい」と口に出しますか?
それとも「これは誰々ちゃんのお人形だから、自分のものにはならない」と
はじめから線を引いて、欲しい気持ちを押さえつけますか?
それとも、時々彼女からそのお人形を借りることで、自分の欲求を満足させますか?
20011024
私は時々、いろいろなものを片付けたい衝動に突然駆られる。
使わない化粧品や着なくなった服や、読み捨てのつもりで買い、一度読んだ後はもうその存在すら忘れていたような
文庫本などをがんがん処分していくのが好きなのだ。
お風呂に入って老廃物の汗を出すのと同じように、新陳代謝を促す作業になっているのだと思う。気持ちの。
なにかを捨てようと決めていくことで、今の自分にとって何が必要なのか、大事なのかがはっきりして気持ちがいい。
本の好みも変わってきたな・・・。
3年ほど前、仕事や人間関係のことでうじうじと悩んでいた頃にやたらと読んでいた、
同じような立場の女性たちへのインタビューもののような内容の本には、今ではまるで惹かれない。
逆に、その頃には敬遠していた作家の作品がいつの間にか本棚に増えていることに気がついて
苦笑したり。本棚の整理は、自分の内面の整理、確認作業でもある。
本棚から残念ながらお引取り願うことに決めた本たちは、週末の長風呂でもう一度読んで、
燃焼しつくして処分するつもり。おかげでこれから当分お風呂の中で読むものには困らない。ほっほっほっ。
自分にとって必要ではなくなったものを持ち続けている状態が嫌い。
それは人に対しても言えるんだろうか?と思わず自問自答してしまった。
言えるんだろうか?
20011023
いやしいことに 失うたび 誰かを求める
ひろいこの街で生きて行く それはくり返すことかもしれない
(中略)
何度も何度でも 悲しい夜をかさねて
少しずつ輝きを ましていければ・・・
ぼくらが二度とない 今に光る星ならば
きのうと変わらない 今日を生きる意味がある
(スガシカオ「ココニイルコト」)
最近、気がつくとこの歌を口ずさんでいる。
特に「ぼくらが二度とない 今に光る星ならば きのうと変わらない 今日を生きる意味がある」の部分。
繰り返しの毎日でもおろそかにするまいという気持ちになれるから好き。なんだかぱっとしない
気分の時、トイレの窓からぼーっと外を眺めながら歌っていたりする。少しだけ、元気になれる。
20011022
夫(いや、いませんよ現実には)に浮気(というか本気)された夢を見た。
夫と道を歩いていたら、男女二人連れとすれ違った。その時、夫と
彼女の様子を見てすぐにわかったのだ、ああ、この二人は恋をしているなと。
彼女と一緒にいた男性と自分は、ただ形式をトリツクロウための存在なんだな、って。
私が二人の関係を知ってしまったことを悟った夫は、開き直ったように「彼女が好きなんだ」と言う。
「それは、私と離婚するってこと?」「そうだよ」
その翌日、私が帰宅すると玄関の鍵が全てかかっていて、私が持ち歩いている
鍵では開かなくなっていた。「どういうこと!?」とドアを叩いたり蹴飛ばしたりして
暴れる私。「中に二人でいるんだ」と察して取り乱した。
あまりのつらさにいてもたってもいられず、道路へ飛び出し男友達
(この相手が実際、大学時代からいろいろ聞いてもらっている人だったのがまた現実っぽい)に電話をした。
1時間ほど話を聞いてもらい少し落ち着きを取り戻してまた戻ると、今度は夫がドアを開けてくれた。
中にはやはり彼女がいて、もうすっかり二人がペアだ。私は単なる邪魔者なのがひしひしとわかる。
でも「まだ離婚が成立していないのだから、ここは私の家でもあるわけで、
そこに彼女を入れるのはルール違反じゃない?」と
静かに伝えてみたりもして、一度取り乱したのが冷めたあとは、もう心はあきらめの方へと向かっていくのがわかった。
まあ、私も最近はダンナサマのことをそう熱烈に愛していたとも言えないし・・・仕方ないか、とも思ったし、
離婚するってこんなに簡単なことだったんだなあ・・・とびっくりもした。
夢とはいえつらかったので、途中で無理矢理目覚めてしまったのだが、ちゃんと最後まで見届けてみたかったような
気もする。離婚届も、もし夫がもらってきていたらすぐに書いていただろうし。夢とはいえあきらめ良すぎかな。
20011019
風邪で仕事を休んで見たドラマの中では、
今抱えているものをほっぽり出してどこか別の所へ行ったら
新しい自分に生まれ変われるかもしれない、なんて思うことがあるんだよね
と呟く人たちがいた。きっとそういう思いは、多かれ少なかれ誰もが持っているのだろう。
私は、どちらかというと現状にとどまって、そのままもうちょっと先まで
見てみたいと思う方だ。それでなにかが見えてくるかもしれないという
期待をいつも持ちながら過ごしている。
そこから動くことなく居座ってあわよくば・・・と思っているわけだから、ずるいんだな。
昔国語の教科書に載っていた一文「あの坂を登れば(越えれば、だったかも)海が見える」
みたいに、続けていたら何かが見えるかも、どこかにたどり着けるかも、そうどこかで
思っているのだ。まっすぐな道が伸びていて、暑くてつらいんだけどどうしても海が見たくてひたすら歩き続ける。
それが私にとっての、日々のイメージだ。
20011017
読書の秋到来中。
本屋には週3,4回はこまめに通っているし週末に行く図書館を思うとパワーがわいてくる。
今は特に、小説を読みたい気分。物語の中に入っていきたいと思う。
いちいち感情移入して読んでは、怒ったり、やりきれない気持ちになったり。
感情が動くのが気持ちよくてたまらない。情緒を枯らさないための栄養だ。
本が読めない時期というのは確かにあって、そういう時は本当にぱっとしない。
読んではみるものの単に文字を「なぞっている」だけになってしまってつまらないことこのうえなくて、
そんなものを読書とは呼びたくない。
その点、今は幸せだ。読めるから。できるだけ多くの時間を読書に費やしたい。
読んでいてふっと気持ちにひっかかった言葉をメモしておいて、また
あとで反芻したりその意味を考えたりするようになったのは、ここで文章を書くようになってからだ。
それもまた、楽しみのひとつ。
20011016
やっと手に入れた、内田也哉子の「会見記」。
先週の発売予定日から何度も何度も本屋へ通って、やっと。
新刊コーナーに平積みされているのを見つけ、思わず手を伸ばして
走って行ってしまった。一人で行った時でよかった。
文章には、二種類あると思っている。
比較的誰にでも読みやすくはいっていきやすいものと、
一部の人には熱狂的に受け入れられる可能性を持っているが、万人には
そのよさを理解されにくいような独特の世界を持つものと。
彼女の文章は、前にも書いたけれど彼女特有の言葉遣いで圧倒的に後者であると思う。
私はどちらかというと、言葉のつかいかたの「正しさ」のようなものや、できるだけ誰にでも
「伝わること」を重視しながら書いてしまうので、時々それが自分の文章を窮屈にしていると
感じることがある。
彼女のように、言葉で上手に「遊べる」ようになりたいと思った。
20011015
外で本を読むと、家で読む時以上に「はいっていける」気がする。
それに気がついたのはけっこうまだ最近のことで、それまでは「どうして
お茶をする店で一人で本を読んでいる人がこんなにいるのだろう」と
不思議に思っていたのだが、今ならわかる。みんな一人になりに来ているのだと。
もともと、一人で外にいるのは好きなのだ。のびのびした気持ちになる。
自分の気持ちを「散らかす」ものがなにもない。自分に
近いもの、属しているものや人から離れているから。その状態がとても気持ちいいのだ。せいせいする。
中山可穂の「白い薔薇の淵まで」を読んだ。この人の書くものは「感情教育」を読んで以来なんとなく
気になっている。女性同士の恋愛を描く人なのだけれど、その部分とは別に、
人が持つ根本的な寂しさや、魂が通じ合う相手を求めてやまない心の足掻きのようなものの描き方に惹かれるのだ。
柳美里の「魂」も読んだ。この人の感情の激しさにはいつも驚かされる。彼女に
愛されたらその濃密さに窒息しそうになることもあるだろうな、とつい想像してしまった。
ここまで愛情も憎しみも悲しみも怒りも喜びもあらわに表現できることにうらやましさを
感じつつも、自分はこうはなれないだろう、とも思う。
室井佑月のエッセイも二冊読んだ。彼女の離婚はけっこうショックだったな・・・。幸せそうにのろけていた
姿がとても微笑ましくて、結婚もいいかもね、なんて思ったほどだったから。
でも彼女ならまたサバサバと次の幸せを探しに行くだろう。林真理子にも同じような
ことを感じるのだけれど、彼女たちのようにあっけらかんと自分の欲望を口にし、かつそれらをどんどんかなえていく
ひとは気持ちよくて好きだ。
20011012
時々ふっと自分の感情を試してみることがある。
例えば、
「もし、今自分が重病で、もう助からないと言われてしまったら私はどうするだろうか」
そんな無茶な質問、投げかけてみる。
泣くだろうか?暴れるだろうか?それとも自暴自棄になるだろうか?
心が動かないんだ。
今、好きなものってなんだろうな・・・好きな人って誰だろうな・・・。
なにが大事で生きているんだろうな・・・。
どこかに向かうべき気持ちがないので、心が宙ぶらりん。
突然だが、私はYOUが大好きだ。この人も気になるひと。
彼女の文章を読んだら、もっと好きになった。
「さまざまな養育書などに記載されているように、極端な話、ひとりっ子は生まれながらの
病気、とも言われるらしい。とくに精神的な部分において健全な子供として存在するのは
難しいらしい。
ただ、そんなこと言い出したらキリがない。
たいていの人の心は健全だとは言い難く、いや、その欠如した部分を埋めるための
人生こそが健全なんだと私は思う。生まれたときから欠如した何かを別のもので
埋めることで、幸せになろうとする。はたまた、生まれたときに揃っていた何かを
知ってか知らずか欠いてしまい、その部分、もしくはそれに代わる部分を求め埋めることで、
幸せになろうとする。ふたつにひとつだ。自分で自分の中に欠落した部分を自覚したことがない、または、
自覚することができない人の人生こそが健全でないと言うべきだろう。」
(YOU「産む女」より)
私も一人っ子。その上小さい時から一人で過ごすことが多かったから、よけいに
「ひとりの実感」が強かったような気がする。いつも「寂しい」という感情を抱きつつ
過ごしていたし、その寂しさを埋めるためにはどうすればいいのかをずっと考えていた。
男性に抱きしめられたら埋まるんじゃないかと「はやく年をとって
そういう恋愛をしたいよ」と思っていた時期もあったし。
まあ、実際大人になって恋愛をしてみたら、埋まるどころかさらに寂しさが深まることの方が
多いとよーくわかりましたけどね。
でも恋愛は、いいと思う。人と深くかかわってみることでよりいっそう、「ああ、自分の
寂しさって自分じゃなきゃどうにもできないんだ」ってしっかりわかるから。相手になにか
してあげられることで、自分が元気になるんだなーと最初に実感できるのも恋愛だと思うし。
一人っ子の評判が悪い(ワガママ、性格悪い、など)ことは小学生くらいの頃から
わかってはいたが、まさか「生まれながらの病気」「精神的な部分において健全な
子供として存在するのは難しい」とまで書いてある養育書があるとは思わなかった。驚いた。
だから、世間の人たちから頻繁に「一人っ子はかわいそうだからもう一人産もうと思うの」などという発言が
でてくるわけだ。納得したよ。
でもなあ。自分がそうだから言うわけじゃないけど(いや、そうかも)一人っ子もそれはそれで
なかなかいいものですよ。ま、「兄弟ほしかった、それもお兄ちゃんか弟」という思いは
実はないこともないのですが。
20011011
内田也哉子が気になればそれにつれて夫の本木雅弘も気になる。男性の色気って
ああいうことかなと思う。
本当は本木雅弘が気になるからツマの也哉子が気になっているのか?
まあいいや、揃って気になる存在なんだ。
というわけで、彼の出ているドラマを見ようとした・・・が寝てしまった。
しかしこの予告内容をWebで読んだのが、強烈だった。以下、少し引用してみる。
『「生涯、妻を愛する男」と呼ばれていた愛妻家が、「肉体の小悪魔」と
呼ばれる妻の親友との浮気におぼれ、その過程でこれまで知らなかった愛する美しい妻の
「恐るべき素顔」を知り、「女と女の戦い」に巻き込まれて右往左往し、「愛人が壊れていく」
さまにおののき、妻と愛人の板挟みに悩む…。』
うーん、すごそうだ。来週は頑張って見てみよう。
まあ、不倫に限らず恋愛はみんな一筋縄ではいかないものばかりだものね。
感情があって、理屈があって、理屈の言うことをいつもきけるのならきっと、
この世の中に、苦しい恋愛をしていたりままならない思いを抱えている人はほとんどいなくなるのではないでしょうか。
感情は言うことをきかないからつらいんだから。感情は感情だから。自分すら裏切る。
恋愛を思うときに、いつもふと思い出す吉本ばななの小説(「アムリタ」)の一説がある。
「でも朔ちゃん、本当に好きになったの?成り行きじゃなくて?」
弟は突然、ぐさっとくることを言った。
「うーん、どうして?」
「お母さんが恋に落ちると、毎日出かけるけど、朔ちゃんはけっこういつも家にいるみたいだし。」
「そうねー、そうかもね。」
私は言った。
「運命?」
弟はたずねた。
「運命の恋、っていうんじゃないけど、巻き込まれざるをえない運命・・・・・・って感じかもしれない。」
「そう!それ!僕がいいたかったこと。」
弟は嬉しそうに叫んだ。
そういうのを待ってみようと思っている自分がどこかにいる。ま、いつの日か。
20011010
今日は、私が生まれてから「10000日目」なのだそうだ。
(教えてくださった方、どうもありがとうございます。お刺身と白いご飯、楽しみにしてます)
おお、今日は10月10日、もと「体育の日」だよ。なんだかうれしい。区切りもいい感じがする。
「一万日目」とつぶやいてみる。いちまんにちめ。
いちまん、ってなんだかずっしりくるなあ。一万円。一万回。一万匹。一万冊。
一万日生き延びてきて、おめでとう。
そして、明日からまた続きを。
20011009
金曜、土曜、日曜と3日続けて本屋へ行った。蜜に群がらずにはいられない虫の気分だ。
内田也哉子の新作をちょっと読んでみたいと思う。彼女は昔から気になる存在なのだ。とてもとても。
「文字の多い本を今までに15冊くらいしか読んだことがない」というのも興味深いし、
そのことが逆に彼女の書くもののえもいわれぬ魅力をつくりだしているのだろうなあ、と
少しうらやましく思ったりする。
たぶん彼女は、誰の影響も受けていない、文章を書く上で。
あの言葉は彼女しか使えない。
20011005
心が「がちゃがちゃ」したままで過ごさないこと。
前日のごたごたは一旦ちゃらにしてからその日をはじめられるように。
自分の内面を気に入っていると感じるのは、やはり朝が多い。朝の時間が長ければ長いほどうれしいので、
気がつくとどんどん早起きになったり、身支度がすばやくなったりするのだ。
もうそろそろ寒くなってくるから、そうしたらコンビニで売っている
具沢山のスープを出勤途中に買って、毎日持って行っている玄米おにぎりを、
具を食べてしまったあとのスープに入れ簡易おじやみたいにしてまた食べよう。
楽しみ。
20011004
明け方に寝るクセがついて 家族中から煙たがられた
いつの間にか朝が訪れると ほんの少し君がはなれた気がした
(スガシカオ「Room201」より)
朝がくる度に「遠くなった」と感じた人、そういえばいたな。
会わずに過ごした日々がそっくりそのまま、その人との距離になった。それは
それで、遠くのままで平気だと思った。
また会いはじめるのならその距離をまた埋めなければならないけれど、それをするのはもうごめんだと。
「あの人の髪の毛をむしってやりたいくらい腹が立つ」と言ったあとに、
「でもまあ、向こうもこっちにむかついている部分があるのだろうし、お互い様よね」と
言うかどうか、こういうちょっとしたことで性格の違いってあらわれるものかもしれないな、とふと思った。
でも、それを言った人の方が性格がいい、ということではない。単なる、違いだ。
私はそれよりもむしろ「向こうはきっと私のこういうところにカチンときているんだろうな、けけけ」と
思っては自分のむかつきをちゃらにしようとするタイプなので、たいへん性格がよろしくないと思う。
3月に買ってからずっとはき続けていたジーンズが、だんだんいい風にこなれてきた。
私のためのジーンズになった、という感じだ。
しっくりくるのが気持ちよくて、うれしくてついつい今まで以上にそれをはいてしまう。
大事なのだけれど、ガンガン使える。そういう存在はうれしい。
20011003
昨日は健康診断だった。
3日前くらいからなんとなく食べる量を減らしてみたりして、
「テスト前のにわか勉強」状態で望む。別に体重測定がメインではないはずなのだが
でもやっぱりね、気になるのよね。なんせ去年測った時には夏ばて仕事ばて転職活動ばてで
かなり軽かったので、そこからは確実に増えてますの・・・ふぅ。
体重を、下はジーンズ上はTシャツ一枚という格好で測ったのだが、
計測結果が出てから病院の人に「この数値でよろしいですか?」と確認をとられ思わず、
ジーンズの重さ分500グラムくらい引いてください
と言いそうになってしまった。いいんだ、心の中で引いておくから。
私は、血液検査が実は好きだ。中学生の時に激しく陸上競技の練習をし過ぎてスポーツ貧血に
なり検査を頻繁に受けたのだが、その時から割と好きでけっこう楽しみにしていた感がある。
血を採られる時に、とられていく血を見るのができなくて目を背ける、という人もいるが
私は逆で、じーっと凝視。
「おお、こういう色のものが私の身体の中を流れているのだな」としみじみ見てしまう。
ただ、注射針を入れられる瞬間だけはやはり苦手。自分の中に異物が入ってくるという違和感はとても嫌だ。
「こんなに細い注射針でもそうなのだから、もし
包丁で刺されたりしたらどんなにかこわいことだろう」とさらに恐ろしくなるような
想像にまで発展してしまうのも心が暇な病院内ならではのこと。
20011002
ううーん、月曜日はおなかが痛い。
・・・と思って苦しんでいたら、どうやら本当に痛かったのは腰だったようで、
家に帰った頃には座っているのもつらいほどだった。
いたいよいたいよ、と転げていると、
「そういえば、昨日の夜ドシーン!っていうすごい音がしたのよ。ベッドから落ちたんじゃないの?
時々落ちてるよ、アンタ」。
「えー違うよーだって朝ちゃんとベッドに寝てたもん」
「落ちてからまた這い上がったんでしょ」
「ぐっ・・・(寝ている時の行動には責任はもてない)」
「ほら、赤ちゃんのベッドにやる柵みたいのあるじゃない、落っこち防止の。あれ
やった方がいいよ」
「ぜーったいにやだ!!大人なのに、恥ずかしいじゃん!」
「大体、なんで一人で広々と寝てるのに落っこちるのよ・・・。今晩は壁側にくっついて寝なさい」
「・・・。」
いくらなんでも二日連続で落ちるのは嫌だったので、壁側に置いてある本棚の方にひっついて、寝た。
でも、果たして昨日の夜は落ちていないのか、確証が持てないところがツライ。
20011001
土曜日、セーター類をクリーニングへ出した。
すでに3シーズンくらい着続けているものでも、冬物は飽きない。また着られる季節になってきたことにわくわくする。
セーターのクリーニングに関して私は、イヤラシーのだが「お金で(自分で洗う)手間と時間を買う」という考えだ。
だってとてもきれいにしてくれるし。プロの手に委ねたい。
次の給料が出たら、今度はコート類を出さなくちゃ。
夕飯は、一番最初の職場で一緒だった先輩と焼き鳥。血を増やすためにレバーを食べる。
ほくほくしていておいしい・・・。
5時半から飲み始め、最初の1時間で猛烈ダッシュをかけて焼き鳥たちを食べた。熱いものは熱いうちに。
そのあと、冷めても大丈夫な枝豆や冷奴、漬物を頼んで、おかわり自由なサラダも
わしわしと食べながらいろいろなことを話していたら、店の人に「ラストオーダーになります」
と言われ、ぎょっとする。6時半くらいになったところまでは自覚していたのだが、そこから
あっという間に10時半までワープしていた。ビックリ。
日曜日は、ラジオを聴きながら一日中布団の中で本を読んだり、眠ったり。夕方には雑誌を持ち込んで
長風呂2時間。身体がほかほかしているうちにさっさとまた布団へもぐりこむ。
今くらいの時期、私と布団の相性はいつも以上にぴったりだ。
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