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20011130

私のしあわせはあまりテンションが高くはないので、はたからみるとわかりづらいのかもしれない。
なんというか、おだやかな自分でいられるのが幸せというか・・・。
でも、わかりづらい分、時々「つらいの?」などと言われたりしてびっくりすることがある。
そこで思ったのは、自分の内面がそう(おだやかにしあわせ)なのはそのままでいたいのだけれど、 外の人にもそれがわかってもらえるくらいのプレゼンテーション(?)は必要なのかもしれない・・・ ということ。難しいけど。

ある日の、友達との会話。
二人共、週末あまり人に会わずに一人で過ごすことが多いことについて。

「人と一緒に過ごす時間も大切だし、ないといやだけど、 人と一緒にいるときはその相手に集中するでしょう?自分の意識っていうか心が。
そうすると自分の気持ちをみつめるというか、そういう時間ではないから なんか、そればかりが続くと処理能力オーバーになるの。
で、余裕がなくなってくるのがわかるからそういうときは、意識してひとりになって、自分をとりもどしたいと思うんだよ。
でも、世の中にはヒトリで過ごすのなんてきらい!って人もいるんだよね」と、私。
「一人で過ごすのが嫌いなひとって、自分をちゃんと出す、というか相手に合わせたり、あまりしないというか、 相手のことに集中したりしないのかなと。
だから、自分を取り戻す時間なんてあまり必要ない。
でも、一歩ひいて相手のほうに目をむける人は、自分をみつめる時間が必要と」これは、友達。
なるほど・・・と少し気持ちが楽になった。いいのかな、このまんまで、と思えた。

それから、私が人との関係で、まず地雷を探し前もって 取り除くことばかり考えてしまってうまく接することができない時がある、と言ったらこの言葉をくれた。
「地雷をまくことはないと思うけど、いつも地雷のことばかり気にしてると、空も、他の景色も見えなくなってしまうよ。」
こんなことをサラリと言えてしまうのが、この人のすごいところ。


20011129

まえからきになっていた。
アゴタ・クリストフ。
「悪童日記」を何度も手にとり、やめてはまたとり。
とうとう読んだ。
本の中で魅力的な人物に出会うと、自分の中に彼らがいるような気持ちになる。 そして、なにかあると心の中の誰かを呼び出して思いを沿わせて、 元気をもらったりするのだ。
最近は、あの恐ろしく残酷な双子たちの魂が自分の中にあるなあ・・・と思いながら過ごしている。
彼らの残酷さ、たくましさ、強さ。
無駄なものを一切排除する迷いのなさ。
あの本を読んで、少し強くなれたような気さえしたほど。

昨日は雑誌の発売日だったので、深夜まで開いている小さな本屋に寄った。 目的のものを迷いなく手に取り、レジへ。正味3分。
それでも、本屋の空気を嗅いだことは、疲れきった心に間違いなくなにかいいものを与えてくれる。
雑誌はコンビニでも買えるけれど、あえて「本屋」という場所に行くこと、その気分が重要なのだ。
いつか、夜中まで開いている本屋をやれたらいいなあ・・・。
小さいなりに居心地のいい空間に、長居もできるような本屋にしたいな。明るい雰囲気で。
などと、わくわくと想像しながら帰った。

そして今私の心の一番そばにいるのは、「ぼくの小鳥ちゃん」(江國香織著)。
小鳥ちゃんがかわいくて、こんな女の子になれたらいいのにと思わずにはいられない。
「あたしはあなたの小鳥ちゃんよね」
こんな風にまっすぐ聞き、そして「そうだよ」と答えてくれる 人をもっている小鳥ちゃんのことが、少し、いやだいぶうらやましいのだ。


20011128

シンプルだ。私はシンプルなことが好きだ。シンプルな男、シンプルな方法。 複雑なものはもう一切いやだ。
(江國香織「冷静と情熱のあいだ」)

私もいやだ。
ここのところ、心の中でいつもこの部分をくり返しながら過ごしている。
シンプルがいい、シンプルでいたいと。
頭でぐじゃぐじゃ考えてからまる自分が鬱陶しい。


20011127

お気に入りの紺のダッフルコートを今朝デビュー(去年のだけど)させた。
「今年はいつから着られるかなーまだ早いかな」とわくわくと待っていたので、寒くなったのが 正直うれしいのだ。
ダッフルコートにセーター、ジーンズ。大好きな組み合わせが今年もやってきた。
紺を着ていると、なんだか守られているような気持ちになる。 普通の青や水色では駄目なのだ。紺でなければそんな気持ちにはなれない。
紺の面積が広ければ広いほど安心するから、だからダッフルが余計に好きなのかもしれない。
そして手には手袋をはめて、これで冬の朝も歩く準備は万端。冬は楽しい。

今日から、平日でも湯船にお湯をためて入ることにした。今までは シャワーでさっさとすませてしまっていたのだけれど、やはりシャワーでは 芯から温まることはできず、楽しみなはずのお風呂が「ああ、また寒いんだな・・・」と 気持ちを重くさせるモトになっていたので、うれしい。
湯船につかればその分お風呂の時間が長くなって寝る時間が遅くなるかもしれないけれど、 それでも全然かまわない。夕飯の時間は省略できても、お風呂タイムは譲れない。
毎晩、お風呂に入ることを励みに働こうっと。
眠る、お風呂、読書。この3つがあればやっていけるような気がしてしまうほど。


20011126

「冷静と情熱のあいだ」を見に行った。朝9時からの、一番最初の回を気合を入れて。
久しぶりの映画。大きなスクリーンはやっぱりいい。いつも、映画を見るたびに これからはもっと頻繁に見よう、と密かに決意するのだけれど、 結局またタイミングを逃してしまって、いつの間にか映画を見ることから遠ざかってしまう。
見に行く前に、原作の方をさっと読み返した。私は、江國香織の書いた方が好きだ。
あおいのつぶやき、
「マーヴとのセックスは幸福だ。みたされない理由は一つもない。」
言葉とは裏腹に、しん、と伝わってくるような寂しさ。
はたから見たら、なにもかもがパーフェクトだ。足りないものなど何もないように見える。それでも。
「みたされない理由は一つもない。」けれどみたされていなかったあおいの気持ちが 一番現れている部分だと思う。

あたたかく気持ちのいい日が続いたこの3連休。あたたかいと身体が縮こまらないので 活動的になれるような気がする。
連休の最終日、そういうことなら、とはりきって部屋の掃除をした。床も磨いた。
そうしたら、とうとうベッドのキャスターが壊れてしまった。前からがたがたしていたのだ。
大学時代から使っていたものだし、もう寿命だろう。 このまま寝ていたらいつかベッドごと陥没すること間違いなし。
というわけで急いで身支度をして出かけ、無印良品で新しいベッドを配送してもらう手続きをしてきた。
ああ、これで今月は服が買えない。
でも、前から新しいベッドが欲しかったので、よいきっかけになったと実はちょっと嬉しい。 この週末に届くので、新年を新しい寝床で迎えることができる。
来月の給料が出たら、自分へのクリスマスプレゼントに新しい布団カバーや枕カバーを買おうかな。


20011122

スガシカオの曲で一番好きな歌は、ずっとずっと変わらず、この曲。

ぼくらが もう少し 愛について うまく
話せる時がきたら くらして行こう
すばらしく すばらしく 毎日が過ぎて
悲しみに出会う時は 涙を流そう

夜がきて あたたかいスープを飲もう
明日も きっと また寒いから
(スガシカオ「愛について」)

この曲と出会ってから、前よりももっとスープが好きになった。 季節を問わず、なにかと飲んでいる。
今朝はかぼちゃのスープ。
おなかをあたためてくれる飲み物が好きだ。なんだか満たされたような気持ちになるから。


20011121

今朝は眉毛に手間取ってしまった。いつまでたってもかくのが上手くならない。いまだに、テンプレート を使わないとかけないし。(友達と旅行に行った朝など恥ずかしいのだ)

昨日の夜「毎日、夜は帰ってきて最低限のことだけしてあとは寝るだけなんて なんだか心が貧しくなってくる・・・」と思い、「今夜はたとえほとんど寝れなくなってもいいから 本を読みたいだけ読ませてあげよう、自分に」と決意したのだが。
実際は、読みはじめて5分もたたないうちに首ががくがく揺れはじめた。
読みたい気持ちはあるのに身体が言うことをきかないこのつらさ・・・。でもどうにもならん。
まるで麻酔にかけられた時(かけられたことはないが)のように抗えない眠りの威力だ。まいりました。 あきらめておとなしく寝ました。
でも、朝読みたい本と、夜、一日の終わりに読みたい本は微妙に違ったり、するんだよ〜と 眠りたがる自分に小さく抵抗してみたりしたのだった。
夜型の人が、ちょっとうらやましくなるのはこういう時。


20011120

昨日見たドラマで、保阪尚輝の若返りぶりにびっくり。
20代でも通用するのではないかと思うくらい。(確かこの人もう30代のはず・・・と 思って調べてみたら今年で34歳でした)うーん、こんな34歳なら、年を重ねるのって、いいかもしれない。
なんだかまるで詐欺にでもあったような気分。昔のドラマじゃないよねえ?と 思わず確かめてしまったほどだ。若い、若いよ。
「しばらく見ないと思ったら、すっかり若返っちゃって!」と私が言うと、
母が「この人育児をやったことで生き生きしたんじゃない?家事大好きな 人だから。やっぱり人間って、自分の好きなことばっかりやってると 若くいられるんじゃないの」と。なるほど。


20011119

友達につきあい、久しぶりの家探し。
いやあ、くたくたに疲れた。やはり家探しにはとてつもないパワーがいると改めて実感。
まず、不動産屋で間取り図を見せてもらい、そこから条件に合ったものを ピックアップしていく作業だけでもかなりへとへとになるのだ。そして 実際に物件を見に行く頃にはすでに少し朦朧とし始め、すっかり判断力が鈍っている。
仕事以上にくたびれる・・・。仕事の時には、仕事用の回路だけ開けておいて、 あとはちょっとお休みいただいておくこともできるけれど、 家探しのような場合はまさに自分で自分の生きる場所を確保するための 真剣勝負だから、本当に上から下まで、全ての神経を研ぎ澄ませておかなければならない。
家探しのつらいところは、自分が探しているものがいつ見つかるかわからないという 不毛さにまずあるような気がする。膨大な量の図面はあっても、 条件に合う所はそんなになくて、それらも実際に見たらがっかりすることも多く。
いつまでたってもむくわれないような、暗澹とした気持ちになってくるのだ。 今思い出しても、数年前、家を探していた時期はつらかった・・・と思う。 自分が住める家はいつまで経っても見つからないのではないか?と思ってくる。 そしてだんだん、いくら別の物件を見せられても、期待しなくなってくる。むなしい繰り返し。
私たちが今回実際に見に行った物件は3件で、家探しにしては少なく、すぐに決まったのでかなり楽 だったとは思うのだが、それでも空っぽの部屋を見る度に吉本ばななの 小説のある一説を思い出しては、「ああ、あの通りだな・・・」と思っていた。

人が住んでいない部屋をいくつも見ていると、変な感じがした。
ドアを開けるたびに、一瞬、今までここに住んでいた人の気配が香る。新築なら、 ペンキの匂いだけがする。そして竜一郎がそこに住む様を思い浮かべる。路地があれば、そこで 買い物をしてから帰る2人を想像する。そうなって、わずかの時間でいくつもの 未来を生き、だめになるたびにいくつもの未来が死んだ。
(吉本ばなな「アムリタ」より)

この、未来の繰り返しが人をへとへとにさせるのだろうか。
「今度はうまくいく(気に入った部屋が見つかり決まる)かもしれない」 と何度も思っては裏切られたり、期待した部屋とは違ったことに落胆したり。その感情の動きが だんだんエネルギーを奪っていく。

とにもかくにも、彼女の部屋は無事に決まり、一安心。どっと疲労がふき出してきた私たちは、 新宿に出てラーメン(塩気)とあんみつ(甘味)を食べた。
それから、締めに本屋へ行った。二人とも「家探しのテンション」になっていて、いつもの状態に 戻してやる必要があったのだ。
「娘たちのための狩りと釣りの手引き」が文庫になっていたので買った。これは、 単行本で出た時に表紙に一目ぼれし、図書館で予約して読んだものだ。文庫も同じ 表紙だったのでうれしかった。この本のポスターが欲しくてたまらなかった。(今でも欲しい)
それから、「冷静と情熱のあいだ」のポスターも欲しい。青と、赤の表紙。
この本の装丁は素晴らしいと思う。本を買うことをさらにうれしくしてくれるつくりだと。
そしてなんとなく、足は絵本コーナーへ向かい、そこから離れられなくなってしまった。 疲れきった心にちょうどしみたのだと思う。
シンプルな言葉がいいのだ。余計なもののないそのまっすぐさ。
簡単な言葉を大切に伝えることの素晴らしさ。
絵本を大事に集める人になろうかな、とふと思った。
絵本の価値って、大人になってからはじめて実感できるものなのかもしれない。


20011116

友達のお見合い問題まだまだ継続中。(「ん?話が見えない」という方は 6日の日記からどうぞ)
気持ちを教えてくれない彼に、彼女はとうとう素直な不安と疑問をぶつけた。
結果、彼は彼女のことをちゃんと恋人だと思ってはいるが、 結婚についてはまだ答えは出せないとのこと。
そして、彼女の信念を持っている部分が絶対あると感じていて、 そこが自分と折り合いがつくかどうか知りたいのだそうだ。
その部分について自己分析をしてみて、その過程を彼に伝えろと 言われたらしい。(なんか偉そうねーと、ここらへんで私ちょっと怒り気味)
彼女が一生懸命考えて答えたところ、それでは分析になってないし 具体性に欠けていると言われたとのこと。なんてめんどくさい人なんだ・・・。
そこで、私に彼女のいい所と悪い所を教えてほしいという内容の手紙だった。
難しい・・・。気楽に答えられる内容じゃないし。
というわけで、まるで恋するように彼女のことを思い浮かべ思い出し(なんせ 一年近く実際には会っていないので)頭が破裂しそうなほど考え中。

仕事帰りに本屋へ寄った。帰るタイミングが合った職場の人と 行ったのだけれど、その人に「こんなこと言ったら悪いかもしれないんだけど 本屋にいると生き生きしてるよね」と言われ、ちょっと複雑な気分に。
いつもはどんよりしてるのねー、でもそうかもねー。
「水を得た魚のようだった?」と聞いてみたら、「うん」と。あは・・・。
好きな作家や読みたい本についてつらつらといくらでも言葉が出てきて、 とても楽しそうに話していたらしい。 その人はあまり本を読まない人なのだけれど、そんなことおかまいなしに。(だからこそだったのかも)
はっ、そういえば私、素でした。
本屋に入ってその空気を吸い込んだ途端、たしかに自分に力がみなぎるのがわかるのだ。まるで森林浴をした後の ように。そして余計なものが削ぎ落とされて、 半分しかあいていなかった気持ちの回路が全開になるような感じ。
本のそばは、絶対に絶対に私のいる場所だと思う。それだけは自信をもって断言できる。

すごく正直なことを言えば、やっぱり本屋や図書館には一人で行くのがいい。
なんというか、人と本屋に行く、というのはちょっとしたイベントのようなものだ。一人で行く 本屋とは全然違うもの。
もちろん、それぞれ楽しいのだけれど、人と本屋に行けなくても ひからびそうにはならないが、一人で行く本屋での時間を失うと私はカラカラになってくるのだ。 補給が必要になる。
昨日はもしかしたら、昼休みに一人で行っておいたから人と一緒に行く本屋を楽しめたのかもしれない。


20011115

ほぼ日刊イトイ新聞の 「新宿二丁目のほがらかな人々。」に最近夢中。
よいです。なんだかいちいち心にしみる。
以下、抜粋。

で、幸せな人っていうのは、
自分が好きなことが得意で、
嫌いなことが不得意な人なの。
でも、この部分で認められる人って、
天才と呼ばれたり、あるいは、
あの人は恵まれてるね、って言われる。

基本的に、世の中に自分とおんなじ人間は、
誰ひとりとしていない、っていうことは、
憶えとかなきゃダメだよね。
だから、自分が感じてることとおんなじことを、
相手も、いつも感じてくれてる、
って思った瞬間に、ダメになるよ。

だから、違って当然な2人のなかにある、
数少ない共通項を拠り所にして、
一生懸命理解しあわないといけないんだろうな、
と思うな。それで、異なる部分を、
お互い確認しあって、
ひとつひとつ、潰してけばいんだよ。
別に、その人が嫌いで、自分が好きなことを、
その人に好きになってもらわなくても
構わないから。

他にもまだまだ、元気になる言葉がいっぱい。心を保つための 方法を教えてもらったような気がした。
それから、女性としての姿勢も。ちゃんと自分の中の「女性性」を意識したり 大切にしていきたいなと思った。
女として扱われたい。そう思って努力することはきっと楽しい。

私には、他者への怒りを抱きつづける人の気持ちって、わからない。
それも自分を傷つけたとか迷惑をかけたとかそういう相手のことではなくて、 「自分の価値観に合わない」人のことを許さない人って、わからない。
わざわざ自分でストレスの種をほじくりかえして、自分の神経逆撫でしているようにしか 見えないのだが。
ほっときゃいいじゃん?
相手の違うところも認めるところからしか、関係は始まらないと思うのだけれど、どうだろう。
自分を拒絶されているのではなくても、そういう「許容範囲の限られている」人の 近くにいるととてもくたびれるのだ。そんなことが少し続いていたので、彼女たちのやさしさに心がほっとするのが わかった。
受けとめるやさしさに。


20011114

「男性が仕事帰りに(女性のいるお店で飲んだりして)ちやほやされたいキモチがなんとなくだけどわかる」 と言ったらけげんな顔をされた。
え、だって想像はできるもの。
まっすぐ家に帰らないで、ワンクッションおきたい気持ちも。私自身は、家大好き人間なので 朝会社に着いた途端に「ああ、早く帰りたい」と思ってるんですけども。
以下、私が語った内容。
「仕事っていつも評価されるわけではないし、理不尽なことや、自分が悪くないのに頭さげなきゃいけないこととか あるでしょ 。そういうの、理屈ではしかたないってわかっててもそればっかりじゃやってけない。 でも、家族がいまさらほめてくれたりするわけじゃない。
そしたらさ、黙って愚痴きいてくれたりにこにこ話してくれる女性がいるとこに行きたくなるのはあるかな、と思うよ。
ほんとは家でそういう話できるのが一番だって思うけどね。」
うーん、語ってます。なにかがとりついているかのようだ・・・。
「思うに、男の人も、女の人も、みんな 自分の子どもじみた部分を受け入れてくれる人って必要なんじゃないかと思うよ。
そういうところを見せてもだいじょうぶな人がいるのって、たぶん、 気持ちをやわらかくも強くもしてくれるんじゃないかなと。
いわゆる年とっても独りでいる人の雰囲気が時々とげとげしたり、ぎすぎすしていることがあるのって、 気持ち許せる相手がなかなかいなくて、必死に気持ち守ることに精一杯で、心コチコチだからなの、きっと。
どんな自分も受け入れてくれて、好きだっていってもらえたらそれだけでうれしいでしょ?
気持ちほくーってなるでしょ?
だから、恋愛したり、結婚したりして表情がやわらかくなる人がいるわけさ。」

注:これを話していた時、お酒は飲んでません。
しらふでここまで熱く語る自分がこわい。


20011112

週末になるとなぜか必ず食べたくなるものがある。
それはメロンパン。
いろいろ食べ比べた結果、セブンイレブンのメロンパンでなければいけないことが判明。
普通のが一番いいのだけれど、最近出たクリームがはさまっているメロンパンでも可。
毎週金曜日、または土曜日になると、「ああ、メロンパンが食べたい・・・」となり ふらふらとセブンイレブンへ。
なぜメロンパンなのか自分でもよくわからない。そこまでメロンパンが大好きな わけでも正直ない(平日は全然食べない)し、甘いものが食べたいのなら 他にいくらでもあるし。
と、自分で自分を不思議がりながらも、まるで夢遊病のようにまたコンビニへ向かってしまう帰り道。
あれかな。メロンパンには別に栄養ないし、カロリーもそれなりにしっかり高いから あまり食べないので、それをあえて食べることでご褒美効果になっているのかな。
ケーキを食べるほどではないけれど、ちょっと自分を甘やかしたい。だって週末だもん。
そんな気持ちにメロンパンがぴたっとはまるのかもしれない。

久しぶりの友達とゆっくり4時間くらいかけてご飯を食べた。 先週は気持ちが消耗していてぼろぼろで、「元気だった自分ってどんなだったっけ」と 忘れそうな勢いだったのだけれど、彼女と会ったことでかなり復活したのがわかった。 気持ちが自由な自分でいられるのだ。制限かけずにそのままで。
会う度にプリクラを撮る私たち。今回ももちろん撮った。
「今週私顔がひきつってたからな・・・そうとうブス面に写るんだろうなとほほ」と 内心思っていたので、撮り終えて出てきたものを見てほっとした。
ああ、私まだちゃんとこういう顔で笑えるんだな、と。心からの笑顔。
うれしくて、手帳に大切にしまった。へこたれたらすぐに見られるように。


20011109

新しく買ったシャンプーは失敗。(においがきつい)
もったいないけど別のを買おう。どうもシャンプーにはまだ、 これ、というものに出会えないでいる。いつも行く美容院で使っている シャンプーがとてもいい匂いで大好きなので(美容院を かえられない理由の一つでもあるくらい)、思い切ってそれを 使おうかな・・・とも思っている。ちょっと割高だけれど、髪がそれほど 長いわけでもないし、あれを使えば毎日のお風呂が楽しみになりそう。

今欲しいものは傘かもしれない。
私は傘の存在をあまり大切にしていなくて、 しかも折り畳みしか持っていない。(やんだときに邪魔になるから大きな傘は嫌いなのだ)
じゃあかわいい折り畳み傘を持っているのかといえばそうでもなくて、 雑貨屋やユニクロで買った安い無地の傘を使い続けている。傘はすぐこわれる(というか、こわす)から投資はしない、と思っている 割には、雑貨屋で千円で買った紺の傘はなんと4年もった。途中、柄の部分が取れてしまったので アロンアルファで直して、結局骨が折れるまできちんと使いきった。これだけ もつんだったらもうちょっと気合いを入れて傘選びをしてもいいかもしれないと 最近は思っているのだけれど、おそらく今使っているユニクロ傘もあと数年はもつのだろうな。
でも時々、職場に置いてあるビニール傘をさして帰ったりすると、「うーん、大きな 傘の安定感もいいかも」と折り畳みじゃないかわいい傘が欲しくなったりもする。
だけど、実はビニール傘がけっこう好きなのだ。軽くて気楽な感じだから。

「ほぼ日ブックス」の一冊を買った。
迷った末に、「ダーリンコラム」。出た中で一番文章量が多そうだったので。
このシリーズ、装丁がおしゃれなので全部揃えて飾っておきたい。さすが、手抜きがないなと思った。
ただ、私にとっては本という気がしなくて正直少し物足りなかった。 装丁はきれいだけれどコストを下げるためか紙質は少し悪いし、 表紙も一週間も持ち歩くと角部分が曲がって「よれっ」となってしまったのが悲しい。
読んでいても、「ちょっとリッチで読み応えのある雑誌を読む」気分。これはもうすぐお風呂行きだな・・・。
うまくいえないのだけれど、私は本に対していつも尊敬のような気持ちを抱いていたいのだ。
衿を正して向き合うような。
単行本にせよ、文庫本にせよ、「本」という形式がもつ空気がまるごと好きだし、その存在感(活字の形や紙の匂い)こそが、 本を読むという行為をより嬉しくさせるもののように思う。
そして、インターネット上で公開されていた文章が本になること自体に抵抗はないのだが、 それなら田口ランディのもののように、本になった時は縦書きになってほしいというのが本音。
やはり本を読む時は目は縦に動きたがるので、読みやすい中身なのに目が慣れなくて苦労してしまった。


20011108

ああ、人疲れ。
貝になって閉じてしまいたいよう。「只今休憩中」って看板下げて。

最近、生理になる直前の自分を、まるでそのおなかに子どもがいるかのように 慈しんでしまうようになった。自分のその部分を、大切に思う。
寒くなってきたので「おなかを冷やさないように」と朝 温かいスープを飲んだりして、「自分に甘甘(あまあま)」してあげる。
寒くならないように。寒いと心も寒くなるからね。
あったかいとしあわせだ。


20011107

職場にいたら電話が鳴った。気がつけば10時半を過ぎていて、心配した母からの電話だった。
「ごめんごめん、もうすぐ帰るから」
「よかったーどこかに売られちゃったかと思った」
「え、売れないよー。・・・売れるかな?」
「わかんないよ、市場は動いてるからね・・・」
笑った。

冗談で、ある人に「今度なんとかなんとかするから待ってろや!」と言ったら、
「言葉遣い気をつけて・・・女の子なんだから」と静かに注意されてしまった。
はーい、気をつけます・・・としゅんとすると同時に、
おんなのこなんだから、おんなのこなんだから・・・(エコーしている)滅多に言われないそんなこと!
とじぃーんともしたのだった。

時々、心が乱れるとおまじないのように唱える言葉がある。
「大人なんだから、大人なんだから」と何度かつぶやくのだ。
そうするとなんだかすぅーっと落ち着いて「もと」に戻れる気がする。私、大人でいたいので。
それと同じような感じで、がさつな自分が出てきそうになったら、これからは「女の子なんだから」と 唱えることにしよう。
いい意味で、「おんなのこ」でいられたらいい。


20011106

自分がどうしようもなく「落っこちて」いる日というのがある。
生きる力のようなものが、弱っているなあと感じる日。
自分の中に身が入っていないような感じで、ふわふわしていて頼りない。
心細い。誰かにしっかとひっつかまえてもらって「だいじょうぶ、お前はここにいるよ」と 言ってほしい。そうやって、自分自身を確認したい。
家に帰って母の顔を見てもなんだかどうしていいのかわからなくて、 おどおどとおもねるような態度をとってしまい、そんな自分に嫌気がさす。

人は
めんどくさいなあ
そばにいるためにいろいろな言い訳や理由が必要で
めんどくさいなあ。
動物はいいなあ。理由なんて聞かれないですんで。
そんでもってその場限りの愛情(頭なでなで)でもそれなりに 満足して去っていったりする。人間はそれができないからしんどいんだな。 もれなく気持ちもついてきてくれなきゃ嫌だから。

心が、すかすかしてる。

・・・友達から、この人と結婚してもいいのか悩んでいる、という内容の手紙がきた。
「こんなにいらいら不安にさせる男は結婚にむかんの?」
あーあーあー。
私に結婚のことを聞いちゃいけねえよ。←誰
でも・・・うまくいえないけれど社会人同士の恋愛には、気持ちで 走ることだけではなく、お互いを安心させたり、安定させてあげることが 大切なのではないかなあ・・・と思うのだ。それも、相手への気持ちの示し方なのではないかと。
彼女は、まっすぐに自分の不安や、欲しい言葉を彼に伝えている。それに対して 彼はきちんと答えを返すべき。まだ、彼女の望む答えを返してあげられないのなら、そう伝えるべき。そう思う。
相手が自分と正面から向き合ってくれていないと感じることほど、さみしいことはない。 それなら一人でいて、自分の寂しさと鼻を突き合わせているほうがましだとさえ思う。

彼女の手紙が切羽詰まっていたのですぐに返事を書かなければと思いつつ。
どう書けば彼女の気持ちが少しは楽になれるのか、考えて考えてなかなか書き出せないでいる。


20011105

週末が自分の修復時間のようになってきたこの頃。楽しみのため、ってんじゃなくて。
「はやくなおしたい・・・」という気持で週末を待つ。
日曜日の昼間、掃除だけしてまた布団にもぐりこむ私は、まるで ポンコツになったロボットみたいな気持ちになる。


20011102

なまけたろうを買った。手のひらサイズの「リラックスポンポン(お手玉)」だそうだ。
キーボードを打っていて手が疲れた時に握ったり、お手玉のように投げて遊んだり して使うものらしい。竹炭入り。
そんな効果よりも、なにより顔に惹かれて買ってしまった。目をつぶって、 心持ち微笑んでいるのーんびりした顔。見ていると気持ちが「やんわか」する。
「この子は職場にいてもらおう」と連れ帰り、待ちきれなくて夜、部屋でさっそく遊んだ。
ラジオでかかっている音楽に合わせて踊らせてみたり。布団をかけて寝かせてみたり。
手足がちゃんとある程度長いのでうれしい。いろいろなポーズを取らせることができるから。 (手足をあまり動かせない人形は遊び甲斐がないのでつまらない)
いつのまにか夢中になって遊んでいて「はっ、本を読むつもりで帰ってきたのに なまけたろうで時間を費やしてしまったよ・・・」と我にかえった。

そして今は、お昼に食べるおにぎりの上にちょこんと座ってます。


20011101

昨日、職場の女性たちと飲みに行った。当日いきなり行こう!それもけっこう大人数で となったので必死に店を探して予約をした。ちゃんと全員の了解をとってから。ああ、それなのにそれなのに。
食べている目の前で「この店さー失敗じゃない?おいしくないよね」「悪くはないけど、 おいしくはないね」「前いったどこどこの方がよかった」とか言うなコラ。
「これおいしー」と幸せそうに食べている私たちの立場がないじゃないの。それに 同じものを食べている人の前で言うのって失礼なことだし、お店の人に対しても態度よくないよ。
だいたい、
おまえらは好きな男性とご飯食べてる時にもそういう態度をするのかよ
・・・は、すみません、取り乱しました。(こほん)
あーあ、でもなんだかがっかりしたな。一緒にご飯を食べに行きたくない相手になっちゃった。
ご飯の席というのは性格がでますのう。合コンとか、好きな人と仲良くなるためにご飯を 食べるというのは手っ取り早く相手を見極めるのにとても有効かもしれない。

そして私、わかりました。
食事前や最中に何かしら精神的にうっ、とくることがあると、 すぐに気持ちが悪くなって吐いてしまうのだということが。
自分ではおいしいと思って食べていても、結局は身体が受け付けてくれないらしい・・・つらい。 わかりやすいというかなんというか。
母には「あんたは気持ちの参ったのがすぐそっちに出るのね。でもさ、そんな弱いことだったら子どもができた時とかどうなっちゃうの? つわり期間とかつらくて、子どもがおなかにいるの嫌だ!って思ったら子どもおっこっちゃうよ」 などと言われてしまった。強靭な胃腸が欲しいさ、そりゃあ。憧れだよ、ほんとに。
でも、こうやって身体に気持ちの反応がストレートに出る弱っちいところ、実は嫌いじゃない。
面倒だし困ることが多いけど、でも嫌いではないのだ。
気持ちだけだと、ついついなんとか押さえつけたり誤魔化したりしてしまうけど、身体に出れば 「そっか、だめなんだ」とすんなり納得できる気がするから。
恋愛していても、その人と一緒にご飯が食べられなくなったり、食べても途中でこっそり吐いたりしたら 「あーもう潮時ですな」とケリをつけるきっかけになったりするし。
つまりは身体中で拒絶しているということなのだろうな。いじらしいわ、私の身体。

昨日は昼も夜もそんな「うっ」とくる食事だったので、見た目ではたくさん 食べていたのにおなかはちっとも出っ張っていなかった。素晴らしい。(やけくそ)
最近、吐くタイミングのコツを習得してしまった。おなかに入れてから 間を空けずに吐いてしまえばそんなにつらくないこと、覚えちゃったもんね。苦しく吐いて顔が 内出血することもないし。完璧よ、プロよ。(なんの自慢にもならない・・・)
食べてすぐトイレにそっと行って吐いて、知らん顔してまた続きを食べたりしていることもある。 (なにかが間違っているような気もするけど・・・でも外食を乗り切るにはそうしないと無理な時もあるんです)
プレッシャーのかからない外食ではがんがん食べるし、本当に楽しい。もちろん吐いたりなんてしないし。 でもそういう外食の方が少ないので、基本的にやっぱり私は外食って嫌いだ・・・。

村上龍の「存在の耐えがたきサルサ」を職場での読書用に持っていく。
ずいぶん前に買っていたのだが、持ち歩くには少し重いし家では別のもの(今は小説を読みたい時期)を 読んでいるしで田口ランディとの対談を読んだくらいで未読だったのだ。
15人との対談だから、一日最低一人分を読むようにしよう。
職場でしか読めない(置いておくから)本があると、それを楽しみに出勤するようになる単純な私だ。


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