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20020228

ブックオフで素樹文生の「ゆるゆる日記」を買った。
読みたいとは思っていたのだけれど、定価で買うほどではないし、文庫にはなりそうもないのでうれしい。
最近書評サイトなどで、この人の文章を絶賛しているのを頻繁に見かける。
そこまで言われる魅力を実感してみたくて、「上海の西、デリーの東」という旅行記が文庫になっていたので買って読んだ。
この人は、旅が似合う人だな、と思った。旅の空気を強くもっている人だと。私は普段あまり 旅行記は読まないのだが、これは素直に面白く読めた。

「ゆるゆる日記」は、本人も「くつろいで、つらつらと、そんで、だらだらと。寝る前に書こうと思う。」 と書いているだけあって、本当にするするっとはいっていくような気がする文章だ。
多少ばてている時でも食べられる口当たりのいいそうめんやさっぱりしたうどんのような。
でも、単に気楽に読めるだけではなくて、気持ちを心地よく揺らしてくれるところが好き。
読んでいると、文章のリズムにすっと身をまかせて一緒に「ゆるゆる」した気分になれる。


20020227

遠方に住む友達から電話があり、3月の終わりくらいに遊びにくるとのこと。やったー。
そして彼ができた、というので「よかったねえ。彼はどんなひと?」と聞くと、 「でぶでぶさいく」。・・・おいおい。
でもねーそれ以外は条件にぴったりなのーとのろける彼女がほほえましく、しばらく彼ばなしで盛り上がった。
彼女の声がとてもほんわりと優しかったので安心した。
しかし、自分の友達や好きな人をその人を直接は知らない人に 説明するのって難しいなあ。言葉でイメージが植え付けられてしまうもんね。

ここのところ、聴ける音楽がどんどん減ってきているし(家でも職場でもエンヤくらいしか 聴いていない)、本を読む量は意識していないとすぐにぐぐん、と減ってしまう。
自分の範囲、のようなものがどんどん狭まっている気がして嫌だ。
大風呂敷をぶわーっと広げたいのに(意味が全然違うけど、気持ち的にはこんな感じ)、実際にはハンカチくらいのちんまりさ。


20020226

出たばかりの給料を財布の味方につけ、本屋へ。
日曜日に見つけて買うつもりでいた文庫を2冊迷わず手に取る。でもそれだけで帰るのは物足りなく て、なにか「ごほうびの一冊」を買いたいと売り場をうろついた。
単行本を買えばそれだけでごほうびになってしまう私には、候補がたくさんありすぎて決まらない。
ブックオフで半額で買えるかもしれないという思いもあってなおさら優柔不断に。 ブックオフで見てみてからでもいいかな、ごほうびの一冊を買うのは。
ああ、でも今なにか買いたい。どうせなら「ごほうび度」の高いものを。

たとえば、吉本ばななの「ひな菊の人生」。これはもう一年くらい買おうか買うまいか 悩み続けているもの。でも、今回も断念した。だってビニールで覆ってあるから中身をのぞけないんだもの。
ちらっとでいいから見せてもらえたらいいのに。それでぴんときたら買うのに。(さすがに、 2500円もする本を中身も見ずに買う気にはなかなかなれない)
そして第二候補は、これもここ一年くらい悩み続けている、 漫画喫茶に行くと必ず読む「Papa told me」という漫画。大学時代から 読んでいるのだが、本当に好きになったのは、働きはじめてからだ。
主人公は作家である父親と、小学生の娘。その二人の生活がストーリーの中心なのだが、 読んでいると生活の中のささやかなことにわくわくする気持ちを取り戻せるような気がして、 心が穏やかになるのを感じるのだ。
二人をとりまく様々な女性の揺れる心情も、だんだん他人事ではなくなってきていて「ああ、 ここツボだ・・・」なんて思いながら読んでいたりする。
度々漫画喫茶へ読みに行っていたのだが、とうとうそれでは飽き足らなくなってしまった。
自分の部屋に全巻揃っていたら・・・と想像しただけでも嬉しくて、 今すぐ一気に全巻買ってしまいたい衝動に駆られる。
どうしよう、何冊買って帰ろうかな、と棚の前をうろうろしたが、 とびとびに売れてしまっていたのでまとめ買うきっかけを失い(例えば1巻から10巻 という買い方ができなかった)結局、今出ている最終巻の25巻だけを買って帰ってきた。
全巻揃えたい。
休日、お茶でも飲みながらのんびり読んだら気持ちいいだろうな。


20020225

筒井ともみ著「舌の記憶」を二週間くらいかけて大切に読み終えた。
読んでいると自分の中の「食」への思い出が呼び起こされ、それがまた気持ちいい。
土鍋でつくったねっとりしたお粥が食べたくなったり、母のおじやが大好物だったことを思い出したりした。
私が小学生の頃は、外で働く母の代わりに祖母が家に居て毎日の 食事をつくってくれていた。私の味付けの好みなどはこの時に形成されたような気がする。 洋食よりも断然和食、それも素朴なものであればあるほど好きだ。素材の味を損なっていないもの。
カボチャの煮物がよく食卓に並んだのだが、小さい頃はあのなんとなくぼそぼそした感じが 苦手だった。でも「身体にいいんだから他は残してもいいからこれは食べなさい」と言われて必死に食べた。
最後には牛乳で半分流し込むようにして「やっつけた」記憶がある。
今ではお弁当のおかずなどにカボチャが入っていれば大喜びしてしまうほど好きなのだけれど。

白いご飯とお味噌汁、それから野菜のおかずが並ぶいわゆる和風旅館の食卓が、 私にとっては一番のご馳走。それを食べるために旅行に行きたいな、と思った。


20020222

今日はやめておこうと思いつつ、毎週見てしまう「婚外恋愛」(ドラマ)。

人の関係はいったん悪い方に転がりはじめると、なにもかもがちぐはぐになってうまく いかないことが往々にしてある。
誤解が誤解を生み、出口のふさがれたような状態になり、そこでその関係を投げ出し、 お互い理解しようとする努力を怠ってしまう。
この世の中、そんな例は山ほどある。
どれほど多くの人間関係が、そうして壊れていったことだろう。
今ある親子の関係も、男女の仲も、友愛も、考えてみれば、そんな死屍累々のうちに、 かろうじて成立しているようなものかもしれない。
そこで必要なものはお互いの寛容さだということは誰にもわかるのだが、感情が、 なかなか人々に、そうさせない。
(灰谷健次郎「天の瞳」より)
このドラマを見るたびに、この部分を思い出しては「まったくそのとおりだ」と思う。
結局、感情に走る方が簡単なんだよね。
一瞬のどろどろした気持ちに流されたら、どんな嫌なことだって言えたりする。
その言葉の先は、実は相手じゃなくて自分の心に刺さるのに。


20020221

「情事の終り」は、結局他の古本サイトで(教えてくれた方ありがとうございます!) 注文した。今度こそ大丈夫だろう。楽しみ。
ついでにいろいろ探していたら、芹沢光治良の「人間の運命」を見つけ、 勢いで注文しそうになってしまった。全14巻。欲しい・・・。
昔家にあったのだが、引越しに紛れて処分してしまったのだ。大後悔。
あらすじはほとんど覚えていないのだが、とても心に残ったことだけは 記憶にあって、どうしてももう一度読みたい。買っちゃおうかな。

昨日の夜、テレビで催眠術をやっていた。
大人しそうな女性が「好きな人に告白する勇気が欲しい」と催眠術を かけてもらい、自分に自信を持てるようになったところで、好きな人(佐藤くん、らしい)に見えている原千晶に告白。
原千晶演じる佐藤くんは「僕も好きだよ」とこたえたのだが、そこからがすごかった。
彼女、豹変。
「うそ!だってこの間田中さんと楽しそうに帰ってたじゃないですか!」
「私のこと好きだっていうならどこが好きなのか言ってみてください!」
「じゃあなんで帰りとか誘ってくれなかったんですか?!」
「私、一年以上前からずっと好きだったのに!」
などと、鬼のような形相で責めたてていた。
もし、本物の佐藤くんが彼女のことを好きだったとしても、その後の反応が これだったら逃げ出したくなるだろうな、と思ったほど。
まるで例えばロボットの、別の行動をおこすためのスイッチが入ってしまったみたいだった。
人間にはいろいろな感情のスイッチがあって、それが強く押されすぎてしまうと 自分でも止められなくなるのかもしれない。
彼女の場合、彼への気持ちが強くなってきて、 それがしまいには「どうしてわかってくれない」という怒りのようなところまで いきついてしまったのだろう。彼女自身もおそらく気がついていなかったであろう本心。
人って、きっと外に出しているものの何倍も、奥に押し込めたりフタをしたりして いろいろな思いを抱えているんだろうな。

ストレスとは、外からなにか言われたりやられたりしてかかる重圧ではなく、 言いたいことややりたいことが内側にこもったまま出ていってくれない重みなのかもしれない。
(重松清「口笛吹いて」より)
催眠から覚めた彼女は、思いをはきだしたためかすっきりした顔になっていた。
言いたいのに言えないことを持っている状態って、苦しいものね。


20020220

グレアム・グリーンの「情事の終り」を注文していた古本屋から、 メールで返信がきた。「ご注文になった本は、残念ながら売り切れとなっております」
「なお下記の本は、出版社でまだ流通扱いとなっている 筈なので、お近くの書店で注文されるか出版社に直接注文された方が、確実に 入手できると思われます」とも。
書店に聞いて絶版だと言われたから注文したんじゃないかーーー!ばかーーーー!
ああ、がっかりだ。ちゃんと検索して、在庫があることを確認してから 注文したので、もうすっかり手に入るものと思っていた。本当に、がっかり。
こうなったら古本屋という古本屋を見つけたら片っ端から探し回るしかないな・・・。頑張ろうっと。
それが、私にとって「読んだほうがいい」本なら絶対に出会えるはずだから。
この間の週末だって、江國香織のエッセイで読んで是非読みたい、と思っていた筒井ともみの 「舌の記憶」という本に、ブックオフの単行本100円コーナーで見事に出くわしたばかりだし。


20020219

髪の毛がだいぶ伸びた。
一時は中途半端な長さのせいではねるわうねるわでしっちゃかめっちゃかな 頭をしていたのだが、「もういやだ、切る!」と決めた途端に 割とおとなしくおさまるようになってきたので困っている。どうしたもんかと。
これってまるで、「別れようと決めたら彼のいいところばかり思い出されてきて迷いはじめた」 状態みたい。(くだらない・・・)

いやー、でも、やっぱり切りたいな。さっぱりと。


20020218

時々、週末になまけたろうを連れて帰る。
お風呂に入れ・・・とはいかないので、固く絞ったタオルで身体中をふいてやり、 陽射しにあててやるために。
金曜日の夜カラオケに行ったので、カラオケボックスの独特のにおいがしみこんで しまっていた。まずにおい消しのスプレーをしてしばらくおいてから、タオルで ふき、外につるす。土曜日がいい天気でよかった。
日にあてたあとのにおいがなんでも好きだ。布団も、枕も。もちろんなまけたろうも。
昨日の朝目覚めたら、枕もとで眠っているなまけたろうからお日さまのにおいが してきて、とてもしあわせな気持ちになった。


20020215

「余裕を持てる程度の心身のコンディション作り、それに優先されるものはこの世にないかもしれない。」

吉本ばなな公式ページの日記より。
私も最近はそう思いはじめた。だから、人づきあいをいろいろ広げるよりは どちらかというと一人になることを優先するようにしている。やっぱり人の中にばかりいると、 「余裕を持てる程度の心身のコンディション」を保ち続けるのは私には難しいので。
それに、その方が相手に対しても誠意を示したことになるのではないかな、と思うから。
だって嫌でしょう?会っている相手が実は「うーん、今日はちょっとしんどかったんだけど 無理したんだよな」なんて思っていたら。私は少なくともそう思われながら会うのは嫌だ。
だから無理はしてほしくないし、私も無理はしない。それが私にとっての心地よい関係。

自分がどうなれば、どういう状態に身を置けばコンディションがよくなるのかを知っておくことは とても大切なことだ。
私の場合は、休日に図書館に行って本を借り、その後またでかけて今度は気楽に 近所でお茶をしたり本屋に行ったりすること。それができた休日が一番「心身共に休めた」という気がする。
それがわかってからは、意識して無理矢理にでもその時間をもとうとするし、 この方法でかなり自分が復活することもわかっているので多少まいってしまってもどこか気楽だ。
「週末まで乗り切ればなおるから。それまできれぎれでもなんとか」と思えるし。

心身共に「備えておく」ということ。
私はなんでも備えておく方が好きだ。いきなりの事態にあわてるのが苦手だ。
たぶん、「余裕のない自分」になることを異常におそれているのだと思う。


20020214

「鳩よ!」の休刊はちょっとショックだった。
買ったことは一度くらいしかないのだが、本屋で見かけると気になって ちょくちょく手に取る存在だったから。よく立ち読みもしていたし。(買えよ・・・。 私みたいのがいるからいけないんですね)
せめて休刊になるまでは買おうかな。
こういうニュースを聞くと、やっぱり本の業界は厳しいのだなと改めて実感する。
「ダ・ヴィンチ」は本の雑誌にしては生き残っている方だと思うが、 あれも創刊当時に比べたらかなり万人向けに内容を変えてきているなと感じるし。
友達と「絶対にすたれないのはやっぱり飲食業界だね」と時々話すのだが、本当にそうだと思う。
本を読まなくても肉体的には飢えないもんな・・・。病気にもならないし。
うーん、なんだか寂しい。


20020213

「あのね、知性で解決できることならそうした方がいいのよ。人との関係で 感情がからむことでもね。
ずっと、ひなたぼっこしてるみたいに生きられるなら、絶対その方がいいんだから」
と母に言われた。それは、わかる。というかわかってきた。
自分の感情が激しく揺さぶられる人に出会うと、揺れ動く感情に振り回されてつい、 この人は自分にとって特別な人だ!と思ってしまいがちだけれど、 それは実は違うのかもしれないと最近は思う。
「できるだけ、本当の自分のままで生きられたらそれが幸せなんだよ」とも母。
そうだね。


20020212

週末、健康ランドに行く途中でブックオフに行った。
単行本100円コーナーにまず行き、吉本ばななの「これは文庫には ならないな」と思ったかなり前のエッセイと、文庫本100円の棚に前から読みたくて 探していたものがたまたまあったのでそれを買う。

本の手ごたえとか、装飾を楽しめるのはやっぱり単行本だな、と思う。 「本を買った」とどっしり思えるのも単行本だ。
文庫本の場合は「気軽に持ち歩ける友達を確保した」という感じ。
図書館に行って嬉しいのはその手ごたえをたくさん連れて帰ることができる からなのだ。(たいてい九冊くら借りてよろよろになって帰る)
だから、図書館では私は文庫本の棚には見向きもしない。
「なんで、『本』を借りにきたのにわざわざ文庫本を見る必要があるの?」と思うから。

温泉・サウナ、マッサージ帰りのゆるみきった身体でもう一度寄り、今度は、 定価でも買いたいほどで本屋に行く度に手に取っては戻していた単行本二冊をそれぞれ半額で買って帰った。


20020208

江國香織の「東京タワー」を読んで以来、ずっと読みたいと 思っていた本があった。
グレアム・グリーンの『情事の終り』。

グレアム・グリーンの『情事の終り』は、詩史が「透くんくらいの頃」に読み、 読む前と読んだ後とで、「何もかも違ってしまった」小説らしい。
この部分を読んでからというもの気になって気になって仕方がなかったのだ。
本屋では見つからなかった。ネットで注文してみたが、「絶版です」と連絡がきた。
ないとなるとなお読みたいし、文庫があるのだから手に入れたい。
ずっと探し続けていたら、古本屋のページで見つけたので喜々として注文した。うれしい。
早く届かないかな。

唯川恵の「肩ごしの恋人」を友達から借りて読んだ。

すっかり見慣れた柿崎のはずなのに「あれ、この人ってこんなだったかな」と思っている 自分がいた。
「こんにちは」
思えば、こういう感覚は、ずいぶん前からあったように思う。そうして、どこか彼との ことを後悔するような、何かの間違いのような、照れくさいような、どうにも 落ち着かない気持ちになる。まるで、引き返すなら今だ、みたいに。
これに似た気持ちを私もよく感じる。
久しぶりに会った時の違和感。親とですら、旅行に行ったりして 一晩会わないだけでもそんな風に感じるくらいだから、きっとこれは私の性質なのだろうと思う。
「ねえ、不幸になることを考えるのは現実で、 幸せになることを考えるのは幻想なの?」
「普通はそうでしょ」
「文ちゃん、私、知ってるわ。ものすごく頭がよくて仕事がばりばりにできた子が、 仕事に没頭しすぎて精神障害起こしたの。今も仕事に復帰に復帰できないままよ。 大企業に就職して一生安泰って思ってたら、会社が倒産したとかリストラにあったってことも。 玉の輿と言われてた子が、ダンナに事故で先立たれちゃってパートで必死に子育てしてることも。 先のことなんか誰にもわからない。幻想って言うなら、両方とも幻想でしょう。だったら幸福な 方を考えていたいじゃない。その方がずっと楽しく生きられるじゃない」

「それにね、私は自分が幸せになれないなんてどうしても思えないの。だって私、 いつだって幸せになるために一生懸命だもの。人生を投げたりしないもの。頑張ってるもの。 そんな私が、幸せになれないわけないじゃない」
・・・この幸せへの気合、気に入った。

「そんな私が、幸せになれないわけないじゃない」

これくらいの勢いでいきたいもんだ。


20020207

私は毎日の使ったお金を手帳に必ず書きとめておくようにしているのだが、 ああ、今年はもっと丁寧に書くつもりだったのにもうこんなに字が汚い・・・と ちょっと悲しくなった。まだ2月なのに。
こんなささやかな誓いでさえ、守ることができるのは短い時間。情けない。
人間の決心なんて、そう長くは続かないものなのかもしれないなあ、と思った。
だからみんな、新年や誕生日、なにかきっかけがあるとそれまでのことを ちゃらにしてやり直したい気持ちになるのかな。

先週ほとんどまともに食べなかったせいで、今週になって食欲が暴走。
昨日はひたすら辛いものと肉が食べたくて、それを満たすためにお昼はカレーを食べた。 あとで少しのどが痛くなったけど、そんなことどうでもいいくらい満足。
そして今度は肉のことで頭がいっぱいになる。焼き肉、すき焼き、しゃぶしゃぶ・・・。
職場の友達と
「肉、肉食べたい」
「うんうん」
「もう、魚肉ソーセージでもいい」
「え・・・そ、それは貧乏肉・・・」
「うー、サラミでもいい!」
「肉欲にとりつかれてるね・・・ちょっと違う肉欲だけど」
「うん」
などと話しているうちにもう我慢できなくなり、二人で帰りにウェンディーズに 寄り、それぞれハンバーガーとナゲットを食べた。はー満足。
食べたい欲求のままに食べると、ストレスがすーっと溶けていくような気がするくらい気持ちいい。


20020206

今回の風邪でできた、母の新ネタ。
私「ねー熱あるかなあ(おでこを差し出す)」
母「んー(と、自分のおでこをさわる)」

風邪をひいて心身共におっこっていた先週から、ラジオが聴けない(テンション高いんだもの ラジオの中の人たち)、音楽もなんだか音がつきささるようで皮膚に痛くて聴けない、 本の活字も目に痛くて読めない、そんな状態だった。電気も明るいと突き刺さるので、 寝る時用の暗い明かりの中でじっとしていたり。
今もまだその傾向は少し続いていて、本はほとんど読んでいない。早く治してがんがん読みたい。
音楽も、活字も、元気な時はそんなこと思いもしないけれど やっぱりある意味「シゲキブツ」なんだよな、と実感した。大好きなスガシカオの曲でさえ、 昨日の夜までは聴けなかったもの。


20020205

鼻水が止まらない。ああ止まらないったら止まらないのだ。
1時間おきくらいにトイレに走って思い切りかまないと苦しくて頭がもうろうとしてくるし、 その上、時々色つきのものが出てくる。(汚い話ですみません)
・・・ということを会社の友達にちらっと話したら、彼女が他の人(男性)にそのことを言ってしまったらしく 「○○さんがねー『色つきの鼻水が出てくるのは、 菌が戦ったあとの死骸が出てきてるんだからどんどんかんだほうがいい』って 言ってたよー」とわざわざ教えに来てくれた。それも周囲に聞こえるほどの大声で。
そう・・・私は菌の死骸だらけの女・・・。
それを聞いてからは、職場のゴミ箱にティッシュを捨てられなくなってしまった。 菌をばらまいているようで、なんだか申し訳なくて。


20020204

寝過ぎで身体の感覚が戻らない・・・。

週末は一歩も外に出ず、ひたすら寝た。
本すら読まず、食事も昼の一食だけで、あとはテレビを見ながらまどろんでいただけ。 我ながら嫌になるほどの自堕落ぶり。
鼻水がとにかく止まってくれないのが苦しい。よくもこれだけとめどなく出てくるものだなと 思わず感心しそうになるほど、かんだそのそばから流れてくるのだ。
身体中の毒が出て行っていると思って頑張ってかむしかないな・・・。

体調が悪いと、自分の身の回りの全てが鬱陶しく感じられて仕方ない。
いつもなら気にならないようなちょっとした汚れなどが許せなくなる。 部屋の掃除をしていると、ラグを新しいものにしたい衝動に駆られるし、カラーボックスを 覆っているカバーの汚れにもいらいらするし。
そして自分の存在自体が重っくるしくてわずらわしい。
あーあ、今週こそ美容院に行こうと思ってたのにな、とだらしなく伸びてきた髪の毛を見て悲しくなる。
でも、考えてみたらこんなにしっかり(?)風邪をひくのは久しぶりだし。
身体中の大掃除をしていると思って、我慢しよう。

20020201

風邪はなかなかすっきりと去っていかない。
今は峠を越えた後の一番苦しいところ、という感じ。週末はたくさん寝て、しっかり治すつもり。
職場から帰った時が特にしんどい。夜になると熱が出てきてあちこち痛くなるし、 気が緩んでどっとつらさがくる。帰ってしばらくはコタツにもぐりこんで動けない。
その体勢で気楽にテレビを見る時間が好きだ。一番疲れず気が紛れるから。
「うたばん」での石橋貴明を見て、ああ、最近のこの人のことはけっこう 好きだなあ・・・年齢を重ねてほどよくアクがとれた人かも、と感じた。
以前は木梨さんの方が穏やかそうで好きだったのだが、石橋貴明の粗雑な言動の 中に、なんとなく見え隠れする荒っぽいやさしさのようなものにちょっと惹かれるのだ。
見終わってからお風呂に入ってしまうつもりだったのに、コタツから離れがたくて ついつい「婚外恋愛」まで見てしまった。
妻が以前の恋人と仕事上で関わっていることを知り嫉妬して、お前は女を武器にして 仕事をしている、というような内容を口走った夫。
隣で見ていた母が「ああ、もうだめだね。こういうことを言われたら、ズン、と心が冷えるよ。 女性は一度ズンと冷えちゃったら、もうもとの気持ちには戻れないんだよね」と。うーん、そうかも。
私にもそういえばある。ズン、と冷えた瞬間が、以前に。確かにもとには戻れなかった。
そういう自分に驚いたほどだった。あんなに好きだったのに、と。
でも「ねえ、男性はズン、と冷えてももどれるの?」と尋ねると「あー男はね、だいじょぶよ、だって適当だもん」。
笑った。


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